富士そば最新型券売機の声がかつてのなか卯の券売機の声とかなり似ていた

富士そばが恋しくなり7月の東京出張では職場の仲間との夜のお付き合いからササッと逃れひとりで10年ぶりに富士そばへ。久しぶりの富士そば、基本的に店の中身は変わってなかったけれども俺の知っているボタン式の券売機はタッチパネル式になり、発券された券を店員さんに渡しにいかずともモニターに表示され呼び出されるなどハイテク化が進んでいてビックリ。

記憶が正しければ昔の富士そばってメニュー数がとても多いのにそれらをすべて一つ一つ券売機で対応していたような。それもあって富士そばの券売機にはボタンが100個ぐらいあってそのカラフルさも相まって曼荼羅のようなアシッド感すら漂っていたイメージ…。だからこそ客は入店する前に強い決心でオーダーを決め、希望の商品が券売機のどこにあるかをあらかじめ地図で確認してから入店しないと券売機の迷路をなぞるうちに色々なメニューが目に入り「いや、やっぱりかつ丼セットも」など悩もうものなら、後続に立つ歴戦の富士そば常連の強い圧を受ける、そんな緊張感のある店だったと思います。

それが今では「麺」「丼」「セット」から始まる対話式のタッチパネルで食べたいものへわずか1秒、最短で導いてくれるようになっていてビックリ。(今回行ったのが赤坂店で、8月に秋葉原店に行ったら券売機の仕様が若干違ったので店によって違う可能性、あります。)

で、ここから先の内容はタイトルに書いた通り。新型富士そば券売機が俺のオーダーを受け付けたときの「ご注文、受けたまりました!」みたいな業務ヴォイスを聞いて俺はハッとしたワケである。その音声、ヴォイスたるや、それはかつての「なか卯券売機」そっくりなのであった。もしや同じ声か?!なか卯、お前なのかとそう思った。

決めつけ、希望的観測、そうあってほしい、そうだと面白いというスケベ根性などからくる性急な判断もいかんと思い、まてまてもう一度聞いてみて確認やと自分がオーダーしたカレーかつ丼・冷たいおそばセットそっちのけで箸を止めるとほかの客がオーダーするたびに聞こえてくる券売機のヴォイスに耳をしっかりと傾けた。結果、その声は間違いなく「なか卯券売機」と同じでほぼ間違いなし。これは完全に同じ声、いや同じ声優だと強く確信したのであった。

ところで今のところ俺一人で盛り上がっている「なか卯券売機の”声優”」とはいったい何か。まず簡単に説明しておくと、今と違い昔のなか卯の券売機は我々が券売機でオーダーするとその刹那、「ウドン!」「ギョク!」「ナミ!」というオーダーを簡潔にまとめたものすごく高く明るい声が厨房のほうから聞こえてくる仕様であった。これを知る人も死に絶え今ではほとんど残っていないと聞くが、これが俺はとても大好きでたまに音量設定がバグっている店舗では大声で「ナミ!」と叫ぶたび客がビクッとなっていたがそういうのも含めていい思い出である。

全くピンとこない皆さんのため、旧なか卯券売機の声質のイメージを無理やり何かに例えるならば「なんでも鑑定団」のオープンザプライス!で発せられる「ジュウマン」「ヒャクマン」の声でしょうか。ただ、なか卯の券売機はあんな現ナマを数えるためだけに作られた冷たいロボットヴォイスと違い、あたたかいおうどん、新鮮なたまご、アツアツの親子丼を厨房に早く確実にお届けするための生の声。あれは人工的に作られた音声ではなく声優が発する声に違いなく、あの元気いっぱいの声に魅せられていた人は実は多かったはずである。俺なんかはいつかあの声で「シャブ!」などといったなか卯券売機が絶対言わない単語を元気いっぱいに言わせたいと何度思ったことでしょうか。もしかして皆さんはそんなことありませんか。

とはいえここまでの内容も、さすがに俺の思い込みの可能性も多いにある話。果たして本当に富士そばの新型券売機となか卯の旧型券売機の声が同じなのか。その確信はまだなく両方を知る人がもしまだ生きていたら富士そば赤坂店に行って聞いていただき、そして合ってるかどうか教えていただきたい。

会議中、眠すぎて全く意味のない質問をしちゃう人々

耐え難いほどの急な眠気、皆さんはどうやって乗り越えているだろう。

急な眠気に悩まされるシチュエーション。学生のときは授業中や勉強中だった。大人になると仕事中の眠気だ。ランチ後のデスクワーク、一人の長距離ドライブ、大半が自分に関係なく主に聞くだけの長い会議。仕事中突如襲ってくる強烈な眠気はとても厄介だ。最近では5~10分程度の短い居眠りが仕事の効率を上げることが分かってきて公にも居眠り認められはじめた会社があると聞く。とはいえ対処法は人それぞれだしシチュエーションにもよりけり。居眠りが許されないシチュエーションだってまだまだ多い。

自分なりに試行錯誤していく中で俺が確実に眠気を吹っ飛ばすには「人と会話をすること」だということが最近ようやく分かった。例えばランチ後のデスクワーク。PCに向かってずっと作業をするデスクワークの手を止め、少しだけ隣の人と少し雑談をしてみる。仕事の邪魔にならない程度だ。

また運転中でも最近ならハンズフリーで電話をかけてみることもできる。用事があればそれでいいが用事がなくても「眠くて電話しました」と素直に言える話し相手がいるととても良いでしょう。

しかしこれらの欠点は人と自由に話ができるシチュエーションでしか機能しないことである。自由な発言が認められていない授業中、セミナー、会議中の眠気にはどうやっても使えないワザ…。終始座席に縛り付けられ一方的に聞かされるだけの学校の授業、セミナー、会議のたぐいで我々が自由に会話を許される場面はグループディスカッションが始まるときか、挙手をして質問するときぐらいなのであるから。

「挙手したら質問ができる?」

そう、正式な手続きを踏めば聞くだけの場所でも質問ができる。この、どうしても眠たくなったら挙手して質問すればいいという事実に気づいたのは数年前のことである。授業、セミナー、会議、参加者には一応質問する権利があるのだから。

そこからである。そこから先、私は会議中にどうしても我慢できないほど強烈に眠たくなったら全く興味もないのにどうでもいい質問をするジジイになったんです。

「ちょっとすいません、このグラフの数字の単位は何ですか」

会議中、発表者に向かって資料のどうでもいいところに関して重箱をつついたような質問をするジジイはいないだろうか。私です。

「すいません、素人質問で恐縮ですが、〇〇って何の略ですか」

会議中、テメエのPC使ってネットで調べればいいことをイチイチ発表者に質問してくるナマケジジイはいなかっただろうか。私です。本当にすいません。

「すいません、えっと、あのちょっと、まあ、いっか。やっぱいいです」

質問を引っ込める思わせぶりなジジイ。これも私です。これは意識が朦朧としていてかなり追い込まれているときです。

会議中にちょいちょい発せられる意味のないクソ質問の数々。若いころはその意味、意図が分からなかった。なぜおまえたちは会議中にどうでもいい質問してくるのか。なぜ本筋とは関係ないところへドンドン話を広げていくのだろう。俺が理解していないだけで議論には必要なプロセスだったのか?!いや違う、仕事してる感を出したいぜ!若ェヤツの揚げ足とって社会の厳しさ教えたる!きっとそういうことだろう、そうだろうと思っていた。

しかし最近自分が同じようなクソ質問をやる側になってみて、それらの大半はおそらく「眠いから」ではないかと考えている。お昼ごはんを食べた後でとっても眠いから、いてもたっても居られず喋りたいから発言しているんだ。この瞬間いろいろなことが完全に腹落ちしました。

自分はそんな偉い立場でないので流石にやったことはないが、会議中に部下の報告や資料の中身をやたらとネチネチとしつこくつついてくるイヤ~な上司、いますね。多分、あれは相当眠いんだと思う。ピンチなのだと思う。会話の1往復、2往復では消し去れないすごく強大な眠気と闘っているのだと思う!

今度そういう場面に遭ってしまったとき、上司の目も見ず質問は無視してジッと黙ってみてください。上司、そのまま最後は意味不明なことを言いながらガクッと寝ると思う。勇気のある方、どうか試してみてほしい。

お酒は良くないらしい

その日、大阪梅田のファッションビルであるはずのLucua地下に広がる飲み屋街にいたのは三十代後半から五十代前半の会社関係者四名。

出張者一名が大阪に来たこともあり仕事終わりにわかりやすい場所ということでLucuaに集合。こうも暑くてはわざわざ飲み屋の集まる梅田の駅前ビル地下まで水平移動する気力もなく、一番若手の三十代曰く、このビルの地下に飲み屋がありますよということで垂直移動でたどり着けるその場所へジジイが連れ立って酒を飲みに行く。

「何にしますか、私がオーダーしますんで」

最近の飲み屋はメニュー表代わりにQRコードのカードが渡される。それを読み込ませ客にオーダーを入れてもらう方式が増えたようだ。会社の飲み会ともなると自分のスマホでQRコードを読み込んだ若手がオーダーを取るのが新しい飲み会での若手ムーブになりつつあるのかもしれない。

四人のうち一人は健康診断を受けたばかりで「今年も胃カメラで”組織”を取られずに済んだ」と安どの表情。それを号令に乾杯の合図である。よかったすね、それはよかったすねと言い合う四十、五十代に対し「組織?」という表情の三十代後半の若手。キミは若手なのか。彼も十数年前の会社組織なら中堅だったかもしれない。今の時代、若手と呼ばれる年齢はスポーツ選手の選手生命とかなり近いのかもしれないね。

「組織」の意味が分かってなさそうな彼を見て「胃カメラでさ、」と早押しクイズのようにジジイが同時にしゃべりだし、一番早かった人が続けて「異常が認められた時に胃の壁とか、そういう組織を取られるんだよ」と得意げにそう答えた。彼はかつて”組織”を取られたことがあるという。

きわめて得意げに、まるで宇宙人にマイクロチップを埋め込まれた人のようなゆっくりとした口調だったが、聞いてお分かりの通り自慢する要素はゼロです。口をあんぐり開けたまま、黙って内蔵の組織を他人に奪われる。マイクロチップを足されたのではなく元からある組織を奪われる。家で生活している間にどろぼうにお金をたくさん盗まれるのとほぼ同じ。自慢どころか人間としての大敗北ではないか。

痛くはないが結果が出るまで暗い気持ちで待たなければならない、それが組織採取の辛さ。俺たちの体の一部がケースに入れられ遠くへ旅をする。検査機関で調べられ、終わったらたぶんビニール袋に入れられゴミ箱に捨てられるのである。

そんな組織採取についてしばらく組織がー、組織がーと盛り上がる。主な争点は痛いか痛くないかぐらいしかないのにである。組織は組織でも会社組織ではなく大腸とか胃の組織の話。Lucuaの地下とあって周囲は若者が多い。オッサンたちがまた酒飲みながら自分ンとこの会社組織の悪口言ってるぜ~とか思われているかもしれない。

健康面のトピックスというと、俺は血圧が高く、別の者は喉に異物があり酒を飲むと痛むという。ひとそれぞれ思い思いのパーツ・オブ・ボディに各々違った心配事はあれど、全員に共通して肝臓の数値はよくない。言いたいのは、君たちは酒を飲んでいる場合ではないのである。「遺伝だから」という都合のよい言い訳だけが心の支え。先祖の呪い。

「週に1回か2回、16時間の断食をした方がいい」とか、「水をとにかくたくさん飲む」といった各々が仕入れている健康情報をひとしきり交換した後、一人が眼光鋭くこう言う。

「医者がいうには酒はやっぱりダメらしいな。」

それは分かっている。だがそれを今言ってしまいますか。

「ジョッキ空いてますけど、どうします。オーダーしますよ」

すかさず三十代後半の若手が自分のスマホ片手に令和の時代の後輩ムーブで酒をすすめてくる。おう、ありがとうと応えつつ話は進み

「本とかネットとかいろいろ見ましたけど、結局酒は本当にダメみたいですね。」

別のもう一人も同じことを言いだす。うむ、それは分かっている。同じことを言うんじゃない。

「焼酎ソーダ割来ました」

三十代後半の若手が酒を配る。

「うまそうやな、俺もそれくれないかな」

数量2にしときますね、など言いながら後輩のスマホにどんどん酒のオーダーが入る。

「肝臓の重要性を知れば知るほど、酒がよくないってことがよりクリアになってくるわ。」

表現や言い方、用語を変えつつ同じ話が続く。自虐とかネタではなく至極まともに、真顔で飲酒の悪影響に言及する飲み会。みんな酒の良く無さを冷静にそれはみんな分かっている。

「次、いいっすか?」

後輩が空いたジョッキを指さし酒のおかわり頼まなくていいか聞いてくる。歩合で店からキックバックでももらえるかのような積極性。酒がダメ、酒は良くないという会話の間にハイボール、焼酎ソーダ割、緑茶割り、次々とオーダーが入っていく。しかしなぜか誰も生ビールを頼まない!そうか、会話の流れから何となく自分が思う「体に優しそうな酒」を頼んでいるんだ!全部同じなのに。

「次、いいっすか?次、イっすか?」

酒が入ると会話もヒートアップするもので全員が「酒ハダメダ!」と力説する中、後輩が気を利かせて次々酒をオーダーする!!

飲み会も最終盤、全員の片手にはJJという今日覚えたばかりのトレンディなお酒。

「酒はダメだけど~、週に2、3回、丸一日食べ物も水も断ったら大丈夫らしい!ンで、水を1日5リットル飲めばいいらしい!」

割と冒頭に出てきたすでに誰かが言った健康情報を丸パクリし、若干アレンジされて矛盾とともに新情報として再登場しても誰も気づかない!

 

三十代後半の若手、俺の職場の後輩であるが、彼は最近打合せも会議もすべてAIに議事録を書かせているという。かつては議事録の書き方で先輩上司に怒られたもの。それも遠い昔の話か。AIにまとめてほしいな、今日の飲み会の会話。

俺の血圧は165です

広末涼子さんが新東名高速道路上り線で165キロものスピードを出して運転しトレーラーに追突、書類送検!というニュースを聞いたとき、この「165」という数字で最初に思ったのは「俺の血圧と同じだ!」というものであった。(のちに「実は185キロ以上速度を出していた!」という続報を聞いて「おや、それは高いね」と思いました。)

というわけで今年の1月で44歳の俺もついに高血圧である。昨年に続きこの春の健康診断でも俺の血圧は上が165、下が108となり会社からの指示でとうとう通院することになりました。今では高血圧の薬を毎朝飲みし中年の仲間入りである。

それにしてもお年を召してからの健康診断は楽しいことは一つもない。我々中年の健康診断というと体重は増え、身長がどんどん減っていくのが常。会社のジジイの一人は身長がピーク時から3cm減った半面、血圧はすくすく成長するばかりで「血圧が身長を抜いた!」と騒いでいた。(血圧に身長が抜かれてしまったらヒトは終わりです。)

ちなみに血圧が200までいった人にソチラの世界はどんな感じだったスかと聞くと「う~ん、50個ぐらいの輪ゴムを同時に頭に巻いたときみたいな感じ」となぜか立川談志師匠のルックスが思い浮かんだ以外は全くその辛さが想像できない表現で教えてくれた。

そんなわけで数か月前から近所の内科に高血圧の治療目的で通院が始まったのだが高血圧の薬を服用する以外にやることはとにかく生活習慣と食事の改善、これしかない。

しかしまあその食事改善のご指導としてちょっと納得いかないのがラーメンの汁どころか「味噌汁も汁は飲まず具だけにしてください」と味噌汁の存在を全否定するとを言われたことである。そこまでするなら俺は別に血圧に身長が抜かれてもいいし、談志にだってなっても構わないと自棄になりそう。血圧改善の道はまだまだ険しい。

薬が効いて血圧はこのところ抑えられてはいるが、目指せ120ぐらい!を合言葉に薬の副作用か毎日一回の貧血、めまい、立ち眩みが不定期に発生するというスリリングな一日を過ごしている。

若者のときに仲間内で繰り広げられた不健康ネタには余裕があり、ファッション感覚であるがゆえにそこには具体的な数字が欠けていたが、ジジイの不健康ネタには死という名の悲壮感、コストに紐づいた生活感、そして160だ100だといった具体的な数字がついてくる。全く面白みがないが同世代にはシェアしたくなる。

では、そろそろお薬の時間なのでこの辺でさようなら…。

単三の乾電池さえあれば

子供のころ、父親がたまに母親に頼まれて買い物に行ってくると、買ってくるものが絶妙にズレているのが常であった。一応「ありがとう」とは言われつつも、思い出すのはそれ以上に母親から買ってきたものへの様々な小さいダメだしを受けている父親の姿。

例えば牛乳は成分調整か否かの違いとか、やたら高い米や必要以上に味の濃いソーセージ、家族の人数を考慮しない量の白菜を買ってきてしまうとか。いかに日ごろ家の冷蔵庫の中に興味を持ち、何が使われているかといったアンテナを張っていなかった結果ともいえる。

また、たまに軽い気持ちで「この前お父さんが買ってきたシュークリームおいしかった」などと言おうものなら、でがしょ!!とばかりにやたら喜んで来る日も来る日も«もうそのシュークリームは買ってこなくていいよ»と言われるまでその後ウン十年は買い物のたびにそのシュークリームを律儀に買ってくるのが父親の買い物。

ペットをお飼いの皆さんにおかれましては«その枝はもう持ってこなくていいよ»みたいに飼い犬にお願いすることがたまにあるでしょうが、調べによると買い物における父親の行動原理はご家庭の中型犬のものと大体同じと言われている。

最近ではそのような気の利かない父親は減ったのかもしれないが自分が子供のころの「父親の買い物」といえばそうだったし、父親になった俺もたまに買い物を頼まれ買ってくるもののピントのズレ方としては恥ずかしながらこの傾向を引き継いでいるように思われる。

もちろん、変なもの間違ったものを買って家族全員からのソシリを受けたくないという思いはあって、だからスーパーではビデオ通話に切り替えモノを見せながら確認して買うこともしばしば。それでも間違いは起きてしまう。

最近気づいたが、ちょいちょい発生するミステイクとして俺はやたらと単三の乾電池をついで買いして来てしまう癖があるようだ。「単三の乾電池は何個あってもよいから」という強い単三乾電池信仰と、幼いころ見た父親の行動を引き継いでしまったのもあるかもしれない。

乾電池がないことを異常に警戒していたのか、あるいはその光景がただ印象的だっただけなのか俺の父親というと乾電池が家にあるかをしきりに家族に尋ねているものであった。

「乾電池あるか」「単一、あるか」「単三、あるか」

これは乾電池があるかの点呼であって我々息子の名前が単一、単三というわけではありません。単一は電気ストーブや懐中電灯に、単三はその他のこの世界のすべてのものに。単一と単三があればとりあえず良くてあればそれ以上は聞いてこないのを見て、乾電池が家の中にあると世の中は良くなるんだな、そして単二は基本要らないんだなという思いは強くなるばかり。

だからか知らないが別に頼まれもしないのに中型犬のようなまっすぐな気持ちで、買い物のついでに勝手に誰にも頼まれもしない単三の乾電池を買ってしまうことが多く、この前妻に«もう単三の乾電池買ってこなくていいよ»というあきれ気味の強いお願いと、そして衝撃だったのが

「最近、単四のほうが主流だから」

という新しい時代の幕開けを告げる悲しいお知らせ。エッと振り返ると引き出しの中で肩を寄せ合う大量の単三の乾電池たちが「そうなんすよ」と言いたげに悲しくこちらを見ている。

まてまてまてい、とテレビのリモコン、PCのマウス、毎朝計っていた血圧計、開いてみるとそこには単四の乾電池。えっ、知らないだけで実は昔からマウスって単四だったのかと古い使ってない方のPCのマウスに駆け寄って見てみるとそこには俺たちのダチ公・単三の乾電池!

いやあ色んなものの性能が、よくなったんだねぇ。私たちジジイもアップデートしないといけません、そんなことを一人感じた夜のしじまであった。