学校に侵入してきた野良犬

最近では日本の街中で野良犬を見かけることは少ないだろうがうちの実家付近はど田舎なので比較的最近まで野良犬がその辺をウロウロしていたものである。小学校の頃を思い出すと、今よりもっと野良犬は多く下校途中にはその辺を自由に歩いる野良犬にほぼ毎日遭遇していた。野良犬の好きなところは、「タロウ」とか「シロ」など、即席で考えたどんな名前で呼んでもとりあえず尻尾を振りながら寄って来る気さくなところである。プライドは無いのだろうかと思ったこともあったが、名前が無いだけなのである。

野良犬を拾って飼うという行為も野良犬が街に居なくなった今ではなかなか発生しうるイベントではなくなったかもしれない。また、昔はよく家の庭や学校に野良犬が侵入してくることが多かったがそれも今では大分減ったのかも知れない。

学校に侵入してきた犬は学校生活を彩るある種のイベントであった。逃げる生徒、立ち向かう生徒、犬の襲来を伝える校内放送に、最後は教師が出てきて追い払うまでの一連。大人数の人間の視線に興奮してか、大抵の場合犬は半狂乱となり本来持つパフォーマンスの限界に近いレベルの激しいダッシュを校内、校庭で披露し見物する生徒を盛り上げた。犬よもっと暴れろ、もっと狂い咲き、授業を遅延させてくれ!皆の期待を視線として浴びてますます暴れる犬。犬が侵入してきたその日の下校途中にまさにその犬が普通に畑付近をゆったりと歩いているのを見たことがあってあれには「あの方!」とプライベートの芸能人でも見たような変な興奮があった。

学校生活であれに近い存在はそうそうなく、唯一思いつくのは地元の工業高校の体育祭に毎年乱入していたという暴走族ぐらいである。それは真昼の体育祭の途中、突然どこからともなく改造バイクにまたがる数台の暴走族。正午すぎ爆音と共にどこからともなく現れ、それをポカンと見守る生徒、保護者を尻目にただただ無言でブンブ、ブンブ、ブンブブブと爆音を鳴らしながら校庭をひとしきり乗り回したあとブーーン…と何事もなく帰っていく謎のアクティビティ。もはや慣例になり誰も止めず、誰も驚かなくなっていたという。(文武両道を説く彼らなりのバイク=メッセージだったのかもしれません)

話がそれてしまったが、このように野良犬はかつては我々の生活に比較的近い場所にいた存在だったように思う。とはいえあの当時でも、特に小学生のときは野良犬というのはこわいもので、街で遭遇するちょっとしたモンスターであり、時に乗り越えるべき壁、戦うべき敵のようなものでもあった。

通学路の前方をウロウロしているガラの悪い大きな野良犬の横をドキドキしながら通ったり、ある時には追いかけられたり、噛み付かれたり。大人になった今でも、例えそれが飼い犬であっても、前から犬が歩いてくると「恐くないぜ」みたいな変な強がった表情をしてしまうことがあり、そういう時にきっと子供の頃の野良犬体験が影響してんだろうなあと思う次第である。

使い道の限られた筋肉に想いを馳せる

昔会社が所属する業界団体の交流を兼ねたソフトボール大会に参加した時のこと。さすが製造業同士の試合とあって野次や応援の声といえば、納期がなんだ、品質がどうしたといった現場用語を絡めたヤジが飛び交う仕事の延長感甚だしいビジネスソフトボールであったのだが、その内容はさておき俺が最も心を奪われたのが一塁の塁審であった。わずか1試合だけ、人生初めての一塁の塁審をやったのだが、アレはとてつもない楽しさだった。

「アウトーーー!」

大して声を張り上げる場面でなくても、大げさに叫んでみなさい、試合を見守る両チームが俺の判定に一喜一憂。次第にこちらも興奮してどんどんヴォイス面で張り切っちゃうというもの。ジジイになってしまうと世間様に何ら不審に思われることなく堂々と野外で大声を出せる機会はそうないんですね。

「セーーーーフ!!!」

際どい判定が来たら大チャンス。大げさなジェスチャー込みで「セーフ」などと叫んでみなさい、何か俺がすげえことでも言ったように攻め側のベンチが大盛り上がり。こういう具合にしやしゃんせとは言ったもので、アウト、セーフと人前で叫ぶことで得られるカタルシスはものすごく、「何だこれは・・・、もっと際どい判定をしたい!」という判定欲は高まるばかり。

プロ野球の放送でチラリとみただけの俺がボンヤリ覚えているプロ塁審の判定ムーブなどを思い出し、それを真似てサッと派手に腕を動かせば、それに応じてオーディエンスのため息と歓声が呼応する、何て素敵な職業なんだ。

ただこの一塁係のつらい所はシンプルに段々飽きてくるところで、最初少し張り切ってやれば後は「アウト!」などと真面目に叫ぶのも青臭い様に感じられ、そもそも親指を上げて少し人に見えるようにしてあげればアウトであることは人々に周知されるのだから声のほうは「アウッ」などと短く言ってもよいだろうという気持ちにもなってしまう部分である。その様な気持ちもあり、段々この作業に慣れてきたころにはさも長年一塁塁審をしているベテランであるかのような生意気な振る舞いにもなっちゃうというもの。

徐々に声を出すのも面倒になった頃、明らかにアウトの場合には一塁ほぼノールックで「アッ」とだけ言ったりする横着行為が傍から疲れたとでも誤解されたのか「キミ、疲れただろう、そろそろかわろう」などと腹の出たいかにも一塁の塁審然とした端的に言うとデブのオッサンに言われて《オイオイ 笑、一塁の塁審に疲れたもあるかい》とは思いつつも、お役御免となった次第。

しかしながらその日の晩。風呂から上がって体を拭いている最中、まず俺もデブのオッサンであったこと、次に明らかにわき腹の辺りに鈍痛がするな、というこの二点に気づきそれまでのソフトボールの練習では決して感じることの無かった場所の、その初めての類の痛みに狼狽しつつも「これは一塁塁審により人生で始めて使った筋肉の痛み・・・?」と言う結論に至るまでそう時間は掛からず、アウト、セーフのあのようなシンプルな挙動にもご立派に専門の筋肉があるのだなあと思い、感心した次第。

そう思うとプロ野球の審判のゆるめの体はああ見えて特定の筋肉だけは一丁前に発達しているのだろうかと、彼らの上半身に思いをはせ何事も追求すればどこかマニアックな筋肉が発達するのだなあと思った風呂上り、夜のしじまであった。

した覚えなき痔の手術

アメリカにいようが会社の指示で日本式の人間ドッグに近いものを受けねばならず、地元の医療機関にお願いして指定項目を毎年受けている。人間ドッグは別にいいのだが、いい歳したオッサンとはいえその結果を日本にいる人事総務の担当に送るのが毎年嫌すぎる。そういう決まりなのか分からないが「体重が増えられましたね、健康管理にお気を付けください」など医者でもないのにそれっぽい所見が述べられ、軽く指導をされるためである。「分かりました」という他手立てがないが暴飲か暴食、または薪に火をつけて燃やすくらいしか娯楽がないのでほっといてほしいものである。

日本にいた頃の健康診断を思い出す。たまたま選んだところがやたら若い女性スタッフだけを沢山集めていた人間ドッグセンターであった。俺にはどうみても学生のバイトに見えたが、そうでなかったとしても恐らく若くまだ経験値が低いスタッフなのかその実珍プレーも多くなかなかスリリングであった。

ある年、リピーターとして訪れたあそこで2回目の人間ドッグのこと。受付の女性が出してきた俺の個人カルテみたいな紙には前回初めて来た際に回答したのであろう既往歴が幾つかあったのだが、そこには全く心当たりのない「痔の手術あり」と堂々と書かれてあってひどく狼狽した。した記憶がないがそういえば確か昨年この窓口でのやり取りにて事前に提出する既往歴には極めて軽い気持ちで「痔」にチェックしたのを思い出したがあれはちょっぴりお尻が痛いよという事を皆さんに伝えたかっただけで特に手術したとまでは言っていないはず。

そもそも以前ちょぴりお尻が痛くなった程度にも関わらずそれをわざわざ「痔!」などチェックしてしまったのも履歴書の内容が寂しいと妙に心細い就職活動のときの反動なのかもしれず、まるで取得した資格を自慢するかのように俺はこんなにたくさん既往歴もってるんだぞと、些細な病歴も漏らさずチェックしたからに他ならなかった。書面をにぎわす、心臓病、甲状腺異常、ガンとかいうイカつい面々の中にまさかあると思わなかった痔を見つけちゃった嬉しさ、知り合いにヤッホーと挨拶するような軽い気持ちもあったのが本心である。

昨年、この既往歴の項目を執拗に問うてくる受付の若い嬢に回答の一つ一つに関して事細かに尋ねられ、その際に「××様、この痔は治療済みですか?!」と割と大きな声で尋ねられてとても興奮した次第だが、その時には確かにはい治りましたとは小声で言ったものの手術しましたとは一言も言っていないのであって、あの嬢はきっと痔という病(やまい)は手術でしか治らないと言う思い込みもあったのであろう。従って俺のカルテには無残にも「痔の手術完了!」と記載された様である。

そのような背景は良いとして、差し当たりこの「痔の手術あり」というデマ、心身に残った傷跡を否定し先方の履歴から削除してもらわねばならないという強い気持ちから即座にこれを削除せしめんとする想いが、先ほど受けた不意打ちのその狼狽と相まって、カルテを見てすぐ「私は『痔の手術』なんてしてません!」とおおきな声になってしまったものだから、先方も、また待合室にいる人々もギョッとして、しばらくの後クスクスという実に恥ずかしい類の笑いの気配を感じることになってしまった。

俺の突然の申し出に受付の女性は謝りながら、すかさず重ねての「もう今は無いですね」というミサイルを発射してきたのだが、「ええ自然に治りました…」と消え入る様な声で答えると二重線で「痔の手術あり」は消された。言ってはみたものの手術より自然に治りましたの方がなんか格好悪い。本当に治ったのかという自問自答。確かに痔という病(やまい)は手術で治ってほしい。

痔の手術なんてそんなに珍しくないのだから、大人しくしたことにしておけばよかった。

高円寺のカツアゲバー

東京に住んでいた10年近く前、あの当時時々一緒にお酒を飲ませてもらっていたDPZデイリーポータルZ)の石原たきびさんに「高円寺にぼったくりバーがあるから一緒に行こう」と誘われて向かったお店があった。

たきびさんと会うときは既にたきびさんが泥酔状態であることが多くあらかじめぼったくりバーであることが分かっているそのお店がどういうものかの説明は殆どなく「行ったら分かるよ」という言葉だけを頼りに不安のままについていった。

ぼったくりバーというのは一般には最初はその本性を見せないはずのものである。ぼったくりバーでなくとも、大抵の悪意はそうであるが最初は親しげに、こちらにとって良い事ばかりをチラつかせて接近し油断したところで後から法外なお値段を提示する。それが俺の知るぼったくりバーのイメージである。それが最初からぼったくりバーであることを分かった上で行くというのが理解できず、なじみのお店に対するちょっとした比喩とかユーモアの類ではないかと思うことにしてあの日その謎のお店に付いていく事にしたのである。

昔の事で場所をはっきりと覚えていないのだが恐らく高円寺駅北口方面、徒歩でも10分かからない商店街を少しだけ外れた路地にあったと思う。見た目は特徴もないその辺にありがちなスナックという感じ。外に看板が無かったような気がする。店内にはカウンターにテーブル席。入るとまず店員は全員中国人であった。喋り方もそうだったし、自らそう名乗ったので間違いなかろう。そしてぼったくりバーと聞いていたそのお店は確かに客からお金を奪おうという悪意に支配されていたのだが、その方法というのが大分想像と異なるものであった。

「オカネチョウダイ!」

入店してほどなく、テーブル席に案内されるとおもむろに隣にやってきた女性は驚いたことにご挨拶もそこそこに我々に対しお金をせびって来たのである。何かの料金とかそういう類ではなく完全な「お願い」であった。

「1000円チョウダイ!!」

常時かくのごとき次第でたきびさんと話している間もちょいちょいやってきてはどストレートにお金を貰おうとする。例えば何か強引にでもお金を取ろうとするサービスじみた事があるでもなく、ただ純粋に「金をくれ」とそういうのである。工夫も努力もあったものではない。

「オカネホシイ!!!」

たきびさんは「すごいでしょ」とまるで横並びでドクターフィッシュか何かを一緒に体験しているかのようなノリで喜んでいたが俺には全くそんな余裕がなかった。なぜなら彼女たちは段々と勝手に財布を触りだし、隙あらば金を奪おうとしていたからである。大胆かつ雑。工夫もないある種の強盗である。

「お金、あるじゃん。」

時々片言じゃなくなるときがあってそれが怖かったのだが酒をたらふく飲ませて酩酊させるでもなく真正面から「くれ」とぶつかってくるこのピュアネス。別名カツアゲである。オカネをあげないといけない理由を必死で探したが悲しいくらいに全くない。あるわけがない。

「オカネチョウダイ!」

俺を連れてきたたきびさんはかつては飲みすぎてベロベロになり自爆してきっと何度かお金をむしり取られているに違いない。テメエ分かってて何で俺を連れて来たんだ。お会計で高額な金額を提示されることも警戒してお酒は最小限にして早めに店を後にしたのだが支払った料金では一切ぼったくるでもなく拍子抜けするほどに極めて普通の計算であった。

俺の記憶が正しければこれが高円寺のカツアゲバーについて覚えている全て。もう今は絶対あそこに無いだろうがあれは一体何だったのだろう。

次男が4歳になった頃、突然つけた名前と違う名前を名乗りだし

次男が4歳になった頃、突然つけた名前と違う名前を名乗りだした事があった。

最初は面白がっていたが、名づけ親であるわれわれ夫婦にもその名前で呼べといいだすといよいよマズいなと感じたものの「そういうのはやめたほうがいいよ」と町で落書きをしている子供を通りがかり軽くたしなめるような距離感の注意しか出来なかったのは俺もかつて幼稚園に通っていたときに突然全くの別の名前を名乗りだしたことがあったからであった。つまり気持ちがわからないでもない。

俺が名乗りだした源氏名は「シュンスケ」である。中村俊輔を人知れず恥ずかしい気持ちで見ていた。しかし俺の名前はシュンスケではない。シュンにもスケにもかすりもしないもっと素朴な名前である。由来も謎だが子供ながらにシュンスケという響きに良さを感じたのかもしれない。でも覚えていない。自分の実際の名前を受け入れたときのことも覚えていないんじゃないかな。

「途中で名前を変えるのはよくないよ」と、かつて自らも気まぐれにシュンスケを名乗りだした俺が、今まさに同じことをしようとしている息子に向かってそう言いながら、同時に子供の頃飼っていた犬のことを思い出していた。

あれはある日家に侵入してきた知らない犬であった。庭に居付きなかなか出ていこうとしないので飼おうという事になり、野良犬だからという理由でノラと名づけたことがあった。数ヶ月一緒に過ごしてみて分かったがノラは極めて凶暴で散歩に行けば脱走し、散歩に飽きるとこちらに襲い掛かり、家に帰ると吠え立てるとんでもないゴロツキであった。兄と俺とで交代で散歩に行くたびに毎回激しく噛まれるのである日突然名前を「カム」にした。カムだ、お前はカムだよこの野郎と。

「途中で名前を変えるのはよくないよ」と、母親だけはノラと呼び続けたが俺たちはカムと呼び始めた。名前が2つになった犬は混乱し、グレて更に頻繁に家出をするようになった。今思うとかわいそうなことをしたが、次男の改名からそんなノラというヤンチャな犬の事を思い出していた。同じように次男もグレては大変である。

なお次男はもう少し小さいときに自分の兄の名前をしばらくの間「俺」だと思っていて、「俺」と呼んでいた。長男が盛んに発する一人称を名前だと思ったからである。しかしながら身近な人や、自分の名前を認識した瞬間を覚えているだろうか。文字を覚え、名前を書かされるその前まで、人からそれがお前の名前だとはっきり宣言されるまでは繰り返し聞かされるその音が名前だとまだぼんやり認識しているうちは、その名前だって好きに変えていいと思ってしまうのかもしれない。

シュンスケだったこともある俺からすると、お前の名前はこれだぞとはっきり伝えるのは多少はばかられたものであった。