テレビ会議が苦手である

皆さんは多拠点間での電話会議、またはテレビ会議をやったことはあるだろうか。

普通の会議と違って大人数にも関わらず完全なフェイス・トゥー・フェイスではないというのは妙にやりづらいものであって、特にマイクや画面の向こうにいるであろう大人数に向かって発言するときの独特の緊張感というのはなかなか慣れるものではない。先日も電話会議中に誤ってゲップをしてしまい「聞き取りづらかったのでもう一度良いですか」と言われたばかりだが、このように電話会議、テレビ会議は勝手が違うというかどうも苦手である。そんな俺も1年前から海外赴任が始まると日本側との会議は当然こうしたシステムに頼らざるをえず、その頻度は高まるばかり。向き合っていかねばならない。

全国10箇所近くの拠点、及び海外拠点を持つ我が社も早くから電話会議システムは導入されていたが、最近ではより実際の会議に近いスタイルでと、テレビ会議システムもここに続き、今でははなくてはならない存在となっている。とはいえ、急に進められたテレビ会議システム導入。当初は社員、特に年配の方々の中には戸惑いもあったようで、色んな珍プレーも見られたと聞く。

これはメーカーにもよると思うが、我が社で多拠点でのテレビ会議が実施される場合が多く、スクリーンには参加拠点の一覧が、それを映す画面として並びマイクが音声を拾った拠点、つまり発言拠点が「発言者」という表示とともに中心に大写しとなるスタイルになる。

マイクを切り忘れて、他拠点の発言中に不要な音声を発信していまうと画面がアップになった上「○○さん、マイクを切って下さい」と注意され大変カッコ悪いため、発言する予定のない拠点はマイクを切るなりして不規則発言が全社に配信されぬよう気をつけるのだが、逆に言うとミュート中の画面は小さくなり音もしないのでそこで何をしているか、全く分からず俺のように完全に油断しきって他の拠点から寝てるのがバレてメールが来ることもある。

f:id:bokunonoumiso:20180818194826j:plain

このようなテレビ会議の性質は会議参加の参加意識、緊張感を低下させる一因のようでなかなか難しいものである。

一方で、どんなに注意していてもマイクをきり忘れる人は会議のたび必ず一人いるもので、中には全社会議の始まる直前、各拠点が揃ってさあこれから始まりますよというタイミングでミュートし忘れたマイクに向けて「ヴェー」とゲップをしてしまい、私がゲップをやりましたとばかりにアクティブになった大画面の中でジジイが「発言者」として大写しになったこともあるがあれはとても悲しい事件であった。最初に書いた俺のケース同様、この手の遠隔会議システムにおいてゲップは天敵なのである。

また、頻繁に起こるのが誤って違う会議に参加してしまうオッサンである。チャットルームのように、10ほどあるトークルームの1つを予約し、そこに同じ会議に参加する社員が入っていくシステムにおいて、ジジイの誤入室が多いこと。しかもよそのテレビ会議に間違ってオンしたときに限ってテレビ会議システムを起動させたノートPCの内蔵カメラがオンになってまさかのセルフィ、間抜けヅラどアップでの登場である。

この手の迷いジジイのすごいのは状況を認識するまでに結構時間が掛かるということで、しばらくボケーっとよその会議をセルフィどアップの画面のまま見つめたかと思うと無言で退室していくのを見るにつけ、チャットレディは毎日このような光景を何十回と見せられるのかと甚く感心した次第。

使う側の問題かとも思うが、現状ではなかなか実際の会議と同じようにはいかないのがこの手のシステム。マイクを切った小さい画面の中で落書きをしながら、会議自体なくなればいいのにと今日も思う俺である。

どういうゴキブリなら俺たちは許せるのか

アメリカの俺の住む地域は緯度が北海道とほぼ同じ。冬はマイナス20度にもなり、ゴキブリもいない。ゴキブリが大嫌いな者にとってはそれだけで永住したくなるというもの。そう、俺も皆様と同じくゴキブリが大嫌いである。

かつて職場にて「なぜゴキブリはあんなに気持ち悪いのか」について話していた。大嫌いだから真剣だ。まずゴキブリという名前に関してである。一介の虫のくせになぜあんなに特殊な名前がつけられているのだろうかという疑問が生じ、そこからゴキブリの気持ち悪さのヒミツを分析した。元々は「御器被り(ごきかぶり)」、皿にもかぶりつくほどなんでも食べることから命名されたらしいのだが、だからってその俗称をそのまま正式名称にすることもあるまいとは思ったが、そもそもこの「御器被り」という漢字のまま、和風で中世日本を思わせるようないささか雅なネーミングでさえあれば、非日本語的で虫を超越したような現在の「ゴキブリ」という名前より何万倍もマシだったかもしれないと今では思えてくる。

まあ、そこまでは求めないにしても、最低でもその名前をゴキブリ以外、ただただシンプルに「○○ムシ」などというおあつらえ向きなものにしてくれさえすれば、『ヒトにとっては取るに足らないムシの一種』という、人対虫という圧倒的な力の差、パワーの違いを持ち込めるし、現代、ますます高まるゴキブリの”超虫的”別格の扱いも、あの気持ち悪さも幾分かは薄らぐのではなかろうか。

では仮に「クロムシ」という名前にしよう。そしてある家族のすむ家にクロムシが出たとしよう。

「あっ、お父さん、クロムシが出たよ」
「ああ、クロムシか。クロムシね。クロムシとて取るに足らないムシの一種。網で捕まえて捨てなさい」
「お父さん、クロムシなんか気持ち悪いね」
「うーん、でもただのムシの一種なんだぞ。捕まえて捨てなさい。」
「えー、クロムシなんかすばしっこいよ。お父さんがクロムシ捕まえてよ 何か気持ち悪いんだ」
「よーし、しょうがない、クロムシは別格にキモいからクロムシホイホイを買ってこよう」

結局ゴキブリの気持ち悪さっていうのは名前の問題ではないのだ。今更いうまでもないか。

この親子の会話の中で使われている「クロムシ」という言葉が連呼されるにつれ次第にあの虫をイメージさせる独特の気持ち悪さが加わっていったのを感じたのは俺だけだろうか。結局生き物の名前というのは、その生き物の存在自体が強烈だった場合は生き物それ自体の印象や性質を表現する「媒体」でしかなく、いくら他の言葉で表現したってどんな名前だって、最後には同じ印象を与えるものに戻っていくのだと俺は思う。

ならばと、仮に「ミッキー」という名前に改称されたとしても、やはり同じなのである。「ミニー」も残念ながらあの虫の気持ち悪さを薄めることはできない。むしろ何かあの触覚の長い感じをより的確に表現したような名前で、「ゴキブリ」とは別の気持ち悪さを出す可能性もある。ならばもうわざわざ見当違いの名前や、そのムシの印象をあえて薄めるような名前にしたって無駄だといういことだ。どうせ気持ち悪いのが変わらないのであれば、出現時にその名前を出すだけで警鐘を鳴らせるような強烈な名前にしたほうがかえって良いのかもしれない。

世の中にいる虫の名前が最初は全て「○○ムシ」だったとしよう。昔の人はそれら「○○ムシ」を見るうちに次第にそこに嘘っぽさを感じたのかもしれない。ゲジゲジに名前をつけた人はやはりそこにゲジゲジ感を見たのだろうし、蚊の小ささ、そして人に叩かれる彼らの儚さを「か」という一文字で表現した人もいたのかもしれない。御器被りが例えばゴキカブリムシではなく、そこからさらに非日本語的で超虫的な気持ち悪い「ゴキブリ」になったのも、仮説の中での話しだがなんだか頷ける。やはりゴキブリはなるべくしてゴキブリになったのであろう。普通の虫を超越した、そういう生き物なのだ。

こうして俺の脳みその中でまず、なぜあんなに気持ち悪い名前にするのかという疑問にある程度理由をつけることができてしまった。

名前はもういい、ゴキブリが気持ち悪いのはその動き、色形、性格、枚挙にいとまがなさすぎる。この中にゴキブリの関係者がいたら申し訳ないが簡単に言うと存在全てが気持ち悪いわけである。もうこれはゴキブリが人間に忌み嫌われるために生まれてきたとしか言いようが無いのではないだろうか。

だがいくら嫌ってもゴキブリは居なくならない。頭のいい、偉い人がいうには、人間が居なくなってもゴキブリは生き続けると言われているからもう絶望的である。かといってゴキブリと共生するのはやはり不可能。我々が高度な知能を持ってしまった以上、相容れぬ生物であると考えざるを得ないのである。

こうなったらもう空想の世界に逃げ込むしか道は無いじゃあないか。日本は今まさにゴキブリの季節の只中であろう。そんなこのハイシーズンに、一体どういうゴキブリだったら許せるのかという想像の世界を楽しもうではないか。それしかない。

まずあの茶黒い色を何とかしたいものですね。あれがなければひょっとすると全く別の生き物に見えるかもしれない。仮に白だったとしよう。白くて大きな虫がカサカサカサ...おおおおおおおお、なんと言うことっすかね、余計気持ち悪い。むしろ茶黒でよかったとさえ思える別の不気味さ。それに気付かせてくれた今回の白色。白さんありがとう。ゴキブリが出たときは「白よりはマシかー!」と軽くかわせるくらいになりたいものだ。

では、あまり刺激の強そうではないカーキはどうだろう。カーキの大きな虫がカサカサカサ...あららら、白と比べて衝撃は少ない。しかも茶黒よりはマシかもしれない。だけどもなんだか彼らに「擬態」というの更なる特殊能力を与えてしまったようであり、今までのブラックの自己主張が無い分より生物としての狡猾さ、能力を増されてしまったようなそんな脅威を感じる。いよいよイルカを越えたかと言う感じだ。越えられてたまるかよバカ野郎!

そもそもゴキブリという生き物の不思議な点は、発見したくは無いがかといって音などによって一度その存在を確認してしまうとスグに発見して殺さないと気が済まない。見たく無いけど居るのならすぐに発見したい、そんな難しい生き物だ。よって発見がされにくいカーキ・茶色・灰色などの地味な色はだめだ。

じゃあ逆にということで赤は考えるまでもない。ショック死する人続出だ。

頭の中では他にも色々考えてみたがどれもそれぞれの色でものすごく恐ろしかった。みんな違ってみんなキモい。NIKE IDのように頭の中で色を変えてみて分かったのだが、どうもオリジナルの茶黒が一番マシかもしれないとも思い始めた。おかしい。ひょっとするとこれは我々の諦めを含んだ「慣れ」というやつが作用しているのかもしれない。悲しい。

では色はもう諦めよう。次はルックスだ。あの変にテカった背中に無駄に長い触覚。触覚と言う単語を聞くとまずはゴキブリのそれを想像してしまうほどに彼らのトレードマークでもある。じゃあこれを何とかすればどうにかなるかもしれない。思い切って全て変えてしまおう。ちょこちょこ変えてもらちがあかない。ルックスに対して我々が抱くマイナスイメージを根本から変えるには、いささか乱暴だが完全に他の虫のルックスを借りてくるしかない。

ではボクらが大好きなカブトムシにしてみましょう。家の中にカブトムシが突然カサカサカサカサ....うーん、全くつかまえる気にもならない。出て行ってほしい。そもそもカブトムシもまあまあキモくないでしょうか。とんだとばっちりではあるがそういう事も思い始めてきた。

大体、カブトムシは山に分け入り、蜂の襲撃、農家の説教、カナブンとカブトムシのメスを間違えてしまうなどの幾多の苦労を越えてつかまえるからこそのカブトムシであって、冷静に考えてあいつだってちょっとルックスは気持ち悪いと思う。あれだって家の中に何匹も居たら相当嫌ですよね。

トキが群れで飛んでるのを見て一匹一匹にトントンだかキンキンだか名前をつけるやつなどいようか。日本に二匹しか居なくてこそのトキだったのだ。俺はそう思う。なんか話が違いますか。

結局ルックスの考察から分かったことは、ゴキブリは勿論それ自体図抜けて気持ち悪いのだが、「家の中に居る」という状況下、そして人間の生活圏にガンガン入ってくるという設定では多少の衝撃の度合いは違えどルックス如何に関わらず大体の虫は気持ち悪いということだ。

昆虫の中でも人気者のカブトムシでこれなのだからそれ以下の動物で代用しても結果は分かったものだろう。ゴキブリのもともとのルックスから少しだけマイナーチェンジするなんて試すまでもない。こうして色んなゴキブリの形体を空想の世界で試してみたものの、やはりどれも気持ち悪い。

こうなったら完全に動物の様子から離れなければならない。毛糸やプラスチック、紙、粘土など色々試した結果、それまでの想像からは格段に薄らいだもののまだどれもやはりどこかに気持ち悪さを持っていた。

そして頭の中での孤独な協議の結果、「もう完全に機械でなければどうしようもない」という結論に至った。これはもう生物としてのゴキブリ、全否定である。

こうして空想の世界でとことん歩み寄りを試みた俺なんですが、ごらんの通りゴキブリという生き物は人間にとって完全に相容れぬ輩なのだということを認識した次第であります。残念です。

 

パンツタオルという発明

かつて風呂あがりにタオルを取ろうとしたら脱衣所に常備しているタオルが切れていたことがあった。よくあることではあるが、風呂に入る前にタオルの有無を確認するような習慣もなく、残念ながら着替えはあれど体を拭くタオルがない。

ああめんどくさいと思いつつ、濡れた体でリビングにタオルを取りに行こうと思ったが、そこでひらめいた。

≪いーや、パンツで体を拭けばいいのでは。≫

パンツで体を拭いてそれをそのまま履くのだ。怠け者の発想である。あの日の俺はこうしてタオル切れというピンチをとっさの機転で退け事なきを得たのである。パンツはビショビショであったが。

このように、緊急避難的に活用したこのパンツで体を拭いちゃう行為。この緊急避難的なパンツの使用法から着想を得て、そこから一気に便利なパンツの新境地まで昇華させようという中で閃いたのが今回の主役『パンツタオル』。怠けの心は発明の母である。

この『パンツタオル』、最新のテクノロジーを使えば確実に商品化が可能だとふんでいる。乾きやすく、吸水性に富んだ素材を使えば、体を拭いたパンツだってものの一分もあればすぐに乾くのではなかろうか。従来別々に保管、用意していたパンツとタオルを兼ね備えたオールインワンのアイテムで新たなライフスタイルここに始まれりである。

よーしよしよしと、さっそくこの話を知人にしてみた。だが、反応は思いのほか悪かった。

どうやら世の中にはなんとバスローブというのものがあるらしい。噂には聞いていたが俺は着たことが無い。知らない人には説明しよう、バスローブといのは風呂からあがったらいちいち体を拭かずともそのまま羽織ることで体を隠すのと体を拭くのを同時に行えるものらしい。なんだと、すごい。まるで羽織るタオルである。

そんなに便利なものがあるとはつゆ知らず、俺はその真逆、パンツ側からのアプローチなどしてしまい、羽織るタオルさんことバスローブに対し、拭けるパンツその名も『パンツタオル』なる卑しいシロモノを考えていい歳して大喜びしていたのだ。なにが『パンツタオル』だ。やめだやめだ。

その話を自分の知人にまず最初にして良かったと今は思っている。「共同特許を」などと、それをいきなりどこかの会社などに持ち込んでいようものなら俺は今頃ワコールだかトリンプだかの社員の酒のネタになっていたところだ。ああ良かった。

大体、タオルで体を拭くことに面倒さを覚えたら人間終わりだよ。タオルの補充を怠るなんてもってのほかである。

ジジイ、なぜ何にでも七味をかけるのか

男はある一定の年齢に達すると何にでも七味唐辛子をかけるようになる。

うどん、ソバ、牛丼、モツ煮、時には味噌汁にまで、個人の自由とはわかっていながらも色んなものにお構いなく振り掛けられるあの七味。おいおいやめたまえよと、皆様も心の中で一度はたしなめたくなったことがあるであろうあの七味。少し乱暴な呼び名だが、あれを「ジジイ七味」と呼んでいる。

ジジイ七味とはその張本人たるジジイの着座から散布にいたる、迷いのない所作一部始終を指している。味見などをして「もうちょっとかな」などという調整作業も無く、最初から入れる気満々で席に着き、案の定、各自決められしモーションにより数度、ササッと七味を入れる。

俺のような小心者にしてみればオリジナルの味の否定とも取れ、「大将に失礼なのでは...」などと知りもしない大将のことを気にかけ、大将と呼ぶほど仲良くもない店主のカウンター越しの視線が気になってしょうがない。だが、それを含めたすべてこそジジイ七味。もはやそれはジジイと七味が織り成す一つの現象なのである。

アクセントまたはフレーバーのレベルを超えた量で降りかけられる七味。昔は、何をそんなに掛けるのかと眉をひそめつつ眺めていたのだが、最近七味を大量に降りかけたくなるジジイの気持ちが少しずつ分かるようになってきた。

実はこの七味こと赤いあんチクショウだが、実際には見た目ほど味に迫力が無いのである。辛くない。あの赤く燃えるスパイシーな色味、また「七味」という味のミラクルを起こしそうなレインボーなネーミング。これらを根拠として元々の俺が勝手に「あいつはヤバい」と過大評価していただけで、実際に付き合ってみると割とナイスガイというか、穏やかで名前と比べると見掛け倒しの極々平凡な、なんというか、フリカケみたいな意外と話のわかる野郎なんですよね。

「味に影響なし」というとちといい過ぎかもしれないが、たとえ大量にコイツをキめたところでハッキリいって見た目ほどの味のインパクトが無いのは間違いなく、思った以上に微かな味の変化ゆえ、それなりの量をかけなければならない事情もあるが思うにアレには七味を沢山かけることによる「さあいくぜ!」という気持ちの高まりというか、舌というより、どちらかと言えば動作を通じて体に向けてのメッセージとして発するような意味合いもあるのではないだろうか...!

「...というわけなんだけど、どうかな。エンドー君。」

かつて会社の5歳下の若者に向けてこのジジイ七味説について力説したところ

「いや、フツーに辛いすよ、あんなにかけるの信じられない、歳とって味覚おかしくなったんじゃないですか(ワラ」というキビシいアンサーが。

「だよな(ワラ」

ジジイ七味の本質とは、信じたくはないのだがもしやエンドー君が指摘する味覚プロブレムの結果なのだろうか。ジジイのみんなには違うといってほしい。

神宮球場で東京音頭をテキトーに歌ってしまった

東京に住んでいたときに神宮球場に野球を見に行ったことがある。観たのはヤクルト・巨人戦であった。

購入したのは外野の自由席。人気の巨人戦だとは言え、夕方六時から行けば自由席には人もまばら、座りたいところは選び放題。野球観戦に慣れていない俺はどこが良い席なのかもよく分らずバックスクリーン近くに座り、早速購入したビールをゴクリ。青空の下で飲むビールは大変美味しい。

周囲にヤクルトファンが集り出すとのんびりしていた外野のはずれの方も次第に騒がしくなってくる。ヤクルトには熱狂的なファンはあまり多くなく、どちらかというと会社帰りのサラリーマンみたいなライトなファンばっかりなのかと思っていたのだが、テレビで見るような球団グッズを全身にまとった熱狂的なファンの実に多いこと。

試合開始と同時にビールが飛ぶように売れ、しばらくするとお酒が入って具合の良くなってきた方々による無秩序なヤジがほうぼうで始まる。

「ピッチャー!ジョア飲んできたのか!」
ビフィズス菌がたりねぇんじゃねえのか!」

ヤクルトだけにこのようなヤクルト製品に絡めた小粋なヤジでも聞けるのかと思ったらそうはいかなかった。

聞かれたのは相手チーム及びそのファンを貶す至極普通のヤジである。神宮球場素人の俺が、そう易々とパンチの効いたヤクルト特有のヤジなど聞けるものではないが、それでもヤクルトファンでさえ観客のヤジというものがこうも活発で聞き応えのあるものとは思わなかった。

ベテランのヤクルトファンともなると私設応援団からは距離を置き、ビール片手に単独で思い思いのヤジを飛ばす。パンチなど効いていない普通のヤジでも、初めての者には十分楽しめるエンターテイメントである。

程なくすると、酒の勢いもあってか周囲に触発されたように明らかに気の弱そうな、野球経験はいかにもファミスタだけですといったような線の細い色白の若者ですら感極まり「やいやいやーい!」と、我々野球観戦素人には全くもって意味のわからない感嘆符を神宮の空に投げかけたりする一幕もあったりして、いやはや野球場の外野席には俺の知らない世界が広がっていたものである。

回も3回ごろだっただろうか、しばらくすると俺の席の前にどっかと腰を下ろす三人組み。20代前半と思われる娘に、50代後半の両親の三人家族と思われた。大人しそうな感じだが、皆熱狂的なヤクルトファンなようで、共通の話題があるためか随分仲が良い。

これまでも仲良く家族三人で幾度となく応援に来ているのだろうと思われたのは、ヤクルトの攻撃が終わる度に、串焼き、ソーセージ、ポテト、弁当、終いにはアイスクリームと、次々に売店から食い物を買ってくるその手馴れたムーブから明らかであった。恐らくこの家族にとって、週末とはこうやって過ごすものなのだろう。

よく聞くホームランの擬音である「カキーン!」よりは実際にはもっと鈍く太い「バコン」という音がしたのはそれから間も無くのことであった。

周りの観客ばかりを観察していた俺は気付くのが大分遅れたのだが、ヤクルトの選手がホームランを打ったらしく観客席がにわかに沸いた。それまで大人しく食べることに熱心であった前の席に座る家族もこのホームランの瞬間には突如立ち上がり、どこに隠し持っていたのか小さなビニール傘を取り出すと、おもむろにそれを振り回しながら「花の都~♪」と歌い出した。神宮名物ビニール傘と「東京音頭」だ。

f:id:bokunonoumiso:20180728203128p:plain

前の家族三人がモコモコと足並み揃わず左右に揺れる様はかなり異様で、思わずトトロのワンシーンを思い出したものであったが、彼らに構っている場合ではない。すっかりこの東京音頭の波に乗り遅れた俺以外、気付くと周囲の皆はどこで仕入れたのか前の家族のようにビニール傘を持っている。俺はファンではないし、東京音頭など全く知らないのである。

とりあえずビールを片手に立ち上がり、前のおばちゃんの背中を眺めながらそれっぽく揺れるしか手立てはないがいかんせん傘がない。井上陽水はまさかこの状態を歌っていたのではないか。傘がない。神宮球場で。濡れるより辛い、新解釈。

ひとしきり東京音頭を満喫した神宮球場が一斉に座りだす。ビニール傘と東京音頭に囲まれた俺もさえない顔で孤独に座る。温度差ならぬ音頭差。とんだ神宮名物である。

ホームランが出るたびにこれをやられたんじゃかなわんと思った俺は、それ以降ヤクルトの選手がちょっとしたフライを打つたびにビクビクしていた。今更席を移動する気にもならないし、試合も5回ともなれば外野自由席はそう思ったところに座れるわけではない。

それに俺はさっき見てしまったのである。前のほうに座っていた若いカップルが、6回あたりに荷物を持って席を立つと後方から「帰るな!」「まだ見ていけ!」などと矛先・オブ・ヤジが一斉に向いて行く様を。途中で帰るなんてお前らはホンモノのヤクルトファンじゃない、おうちに帰ってママのピルクルでも飲んでろや!そんな殺気と共にヤクルトだけに悪玉菌は集団でシバくカゼイ=シロタ株システムが発動する瞬間を、見てしまったのである。

それからほどなくして本日二本目のホームランがヤクルト側に飛び出す。わわわわわまたかよと思ったが今度は取りあえず速やかに立った。立っていれば、周囲との高さの差さえ無くせば何とかなるのだ。歌は分からない。歌の方は「そういう具合にしやさんせ~ そういう具合にしやさんせ~」と一人で野球拳の歌を改造したそれらしい歌をうわ言のように繰り返し何度も歌うことでなんとかやり過ごした。もうこんなの懲り懲りである。

そしてこれが、別にホームランでなくとも普通に点が入っても歌うもののだと分ったとき、さすがに俺はもう席を立ち、《俺は普段「ラブミー・エース」というヤクルトの偽者を飲んでますッ!》と心の中で懺悔しながら、駆け足で出口を目指していた。

 

イラスト:盛岡 (@kozzzo) | Twitter