お前の分も買えよ

職場を歩いていると遠くから50がらみの上司に手招きされ、近づくと小銭入れを渡された。

「いつもの俺のコーヒーと、あとお前の分も買えよ」

そういうと上司は早く行けとばかりにタバコに火をつける。

渡された小銭入れを握り締めてダッシュ自動販売機へ向かった。あれは俺がまだ24歳、最初に就職をした職場でのことだった。

いつもの自動販売機に着くといつものコーヒー、BOSSのブラック無糖を買うはずだったが、小銭入れをあけると中には70円しかなかった。あとなぜかクリップが入っていた。

 

≪いつもの俺のコーヒーと、あとお前の分も買えよ≫

 

自分の財布から小銭を出し、自分の金で上司のコーヒーを買い、別に飲みたくもないのに自分の分のジュースを買ってダッシュで上司のところに戻る。

「いただきます!」

若者らしい無駄に元気のよい声をだして、上司の目の前で自分の金で買った当たり前のジュースをゴクゴク飲んだ。

上司は≪フッ、若いな≫という顔をしながら俺がおごってやったコーヒーをゴクゴク飲んだ。それは俺のおごりだ。

俺はまだ24歳、社会のことを学び始めた頃の話である。

人と人、そこにある慣性の法則

それを習ったのが中学か高校かも覚えていないことから俺の理系科目への関心の低さが知れるが「慣性の法則」という言葉だけは覚えている。

「物体がその運動をそのまま続けようとする性質」という程度の簡単な理解である。動いているものはそれを続けようとし、静止しているものは静止し続けようとする。理解の浅い事柄についてそれっぽく説明してもボロが出るだけなので深く突っ込まないが、とにかく覚えているのは電車の中の急加速、急ブレーキのくだりである。慣性の働いているものに急にそれとは異なる力を加えるとヤバいすよ、とそこだけハッキリ覚えている。

その後慣性の法則を本来の物理的な用途で用いたことは皆無であったのだが、俺の場合はこれを人と人の関係の中で度々この慣性に似た現象を見出してしまい、その度に「慣性に抗ってはならない」と思う次第。

例えばどういうことか。

知り合ってそんなに日が経っていない、そこまで親しくない人とそれなりに気を使った言葉遣いで話しているときに突然

「ずっと気になってたんだけど、敬語は使わなくて良いよ

などと言われることはないだろうか。

これは非常に困るご提案である。今まで敬語で喋っていた相手に急にタメ口になれるはずがない。そこには「さん付け」「丁寧語」という類の慣性が働いているのであり、急に「呼び捨て」「タメ口」などという急ブレーキを加えると絶対に電車の中の皆が転んじゃうじゃんなどとは思わないだろうか。

もちろんずっとよそよそしい態度を続けるのは、それはそれで不自然であろうし長い付き合いになるのであればいつしか丁寧語も変だという事にもなるだろう。俺とて勿論どこかでその時がとは考えているのだが、それは知り合った俺たち二人が徐々に色んな経験、エピソードを通じ、時に困難などを乗り越えるなどして育んでいくべきものであって、このように急に「敬語はやめてよ」などと雑に提案を受けるべきではないと思うのである。電車は徐々に減速して停止すべきなのである。

100歩譲るとして、もしそれを言うのでならばまだ電車のスピードが出ていない頃、出会って一番最初に言って欲しいと俺は思う。

 

もっとも、敬語かタメ口という言葉の問題だけであればマシなのかもしれない。それは日々の習慣的なことであるから「敬語やめて」などという無理な提案さえなければ相手との関係が変わり行く中で徐々に親しみを表明する方向へチューニング出来るものだと思う。しかし相手の呼び名に関してはそうもいかない。皆さんはどうか知らないが俺は無理である。

例えば「山田太郎」という人と知り合ったとして、最初に山田君と呼んでしまったらどんなに仲良くなろうとも太郎君とか、太郎、ターくんなどと途中で変更するのは困難である。

その実俺は高校のときに特に仲のよかった友達を最初に苗字で呼んでしまったがために高校三年間は当然のこと、今でも苗字で呼ぶハメになっている。今更変えられないのである。逆も然りで、前まで俺のことを苗字で呼んでいた人がいきなり下の名前で呼び捨てにしてくると何かこっちがオドオドしてしまう。皆さんはどうだろうか。

例外的に、ある人のニックネーム誕生の瞬間に居合わせた場合のみ、俺はその人の名前を変えることが出来る。いわゆるバイトのオープニングスタッフのようなやつである。

皆が同じタイミングで「太郎!」と呼び出した時に「この波に乗ろう」と一緒に山田君を「ォイ、太郎!」と急になれなれしく呼び始めるのであるがそれが出来なかった場合、ふと気付くといつの間にか俺だけが頑なにある人物を苗字で呼んでいるという事例はかなり多い。本当に多いのである。

 

高校の時、同じクラスの友達がそのときに好意を寄せていたやはり同じクラスの女子生徒のことを、もっとお近づきになりたいという一心からか、大胆にもいきなりの下の名前呼び捨てに変えた瞬間に偶然立ち会ったことがある。

仮にその女子生徒の名前を山田春子さんとしよう。ディテールは割愛するが端的に説明するとこうである。それまで「山田さん、山田さん」と言っていた彼であるが、ある日の昼下がり突然目を見開き、とても普通とはいえない圧力で接近し「やま...やッ、は、はる...春子...ねえ、春子ォさあ!」と開眼したのである。ビックリしたのはその後である。彼は話しかけた目的までは考えていなかったのかその春子に「えっ...なに」と返されて「今日、暑いね」という程度のどうでも良い事を言ったことである。アツいのはお前だけだばかやろう。

その惨劇を見て俺は改めて確認した。

「慣性に、逆らってはならない」

 

人と人の関係にも慣性に近いようなものが存在していると思う。それを見誤り、間違った力、ベクトルでこれを強引に変えようとするとそこにはギクシャクした現象が起こるのではないだろうか。俺はそれが非常に苦手である。

Pait It, Black(黒く塗れ)

同じ中学に白石君という若白髪の男子生徒がいた。とはいえ彼の白髪は頭髪全体を覆うものではなく頭の一箇所だけに、それはまるでミステリー・サークルの様に、直径五センチほどの場所に白髪が密集して生えているというもの。

本人も白髪のことは気にしていたようなので、周囲は本人の前ではそのことについては触れることはなかったのだがある日とうとう彼の白髪に異変が起きたのである。

おそらく彼自身が長年気にしていたその白髪を、彼はおそらく母親のものと考えられる白髪染めによって隠すことを決意したのだろうが、ともかく彼が白髪染めを施したと思われるその翌日、学校に現れた彼を見て一同あ然。

何と彼の頭にあった白髪は、一晩でかなりパンチの効いた鮮やかな茶髪になっていたのである。黒髪の中にバツグンに効いてくる茶色のアクセント。察するに、彼の母親が使っていた白髪染めはたまたま「ブローネ おしゃれ白髪用」という、白髪がほんのり茶色に染まるワンランク上の奥様向けのものだったのだ。彼の名誉のために言っておくがとても真面目でワルに憧れるような生徒ではなかったことだけはお伝えしておきたい。

しかし、そんな事情は他人には理解されることはない。これが悲劇の始まりだ。天然の、生まれもっての白髪であればそれは君の個性だ、君のあるべき姿だと何らお咎めもない個性としての扱いであったのだろうが、これが茶髪となれば話は違う。ただの「反逆のシンボル」なのである。

こうして「ブローネ おしゃれ白髪用」の魔法によって意図せず頭上に戴冠した反逆のシンボル。彼の頭は当然のようにその日のうちに教師の目にとまり、思想的な反逆性などは一切確認されないままに

「お前その頭、ナメてんのか?黒で染めてこい」

Pait It, Black―彼は不幸にも黒塗りの宣告にあってしまった。染めたものをさらに染めるというこの染めの二重構造。染ノ助・染太郎もビックリである。おめでとうございます、とは言ったものである。

だが圧巻だったのはそれから3週間後だ。元々茶髪に染め上がってしまった彼の白髪、黒にするには日々の黒髪スプレーしかなく3週間が経過するころには黒髪スプレーの染めムラで微妙に茶髪が顔をのぞかせているところにオリジナルの白髪が成長、そこに現れたのは黒、茶色、白の共演。協調、反逆、純真...まさに思春期の葛藤を描いた現代美術である。

それから数日間、彼のミステリーサークルは日々推移する三色グラデーションにてさらにミステリーさに磨きをかけて我々を楽しませたのであった。

 

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行為、存在がある記号として認識される場合

shirouto-kenkyu.com

自分が運営しているサイトなので手前味噌という形で恐縮だが、最近読んだものの中でもかなりいいもん読んだなという気にさせられたweb記事である。

 

この記事に似た話を俺も持っている。

あれは小学生の時、図工の時間に色画用紙を使った工作をしていたときのことだったと思う。もう随分昔のことなので記憶の大半が曖昧な状態であるが、今でも鮮明に覚えていることがある。

隣の席にいた女の子が桃色の画用紙に黒ペンで何かを書いている途中、間違ったのであろう、突然手元の修正液でその文字をなぞるように消し始めたのである。修正液の色は当然白だ。消す対象が白地であることを想定して作られた、何の変哲もない白の修正液なのである。

当然、桃色の紙の上で白の修正液でなぞるように消された文字は、ただ色が白に変わっただけで元の文字はそのまま読める状態。しかし隣の女の子は「よし」という表情などして、その上に本来書きたかったはずの文字を再び黒ペンで上書きし始めたのである。

これを見て「バカだな」と一蹴するのは簡単だが、これには日本的な趣を感じずにはいられない。大人になってからのことであるが、NHKで視聴率が限りなくゼロに近いと思われる割といい時間の人形浄瑠璃放送を見ながら、俺は気づいたのである。

「あの子の修正液は黒衣(くろご)だったんだ」

黒衣そう、時に「くろこ」と呼ばれる舞台上で働く黒づくめのあの人たちである。実際にはめちゃくちゃ存在感があるのだけど「本来見えないことになっている」「そこには無いことになっている」という文化、共通認識、社会のルール、マニュアルなどといったアレコレを経て、我々はこの黒衣を「見えない」ものと認識し、無視出来ているのである。

先ほどの修正液も同じである。修正液は消すものである、という社会の常識があれば、紙の色が白色だろうと桃色だろうと全く関係がない。彼女にとって修正液を使ったこと、その行為自体が重要である。

日本文化において重要なのはその行為であることが多い気がする。実際に効果がどの程度あるというよりも「その行為を行った」という事実、意味が重要視されるケースが極めて多くはないか。

色々と思い当たる節があるが、例えば掛布雅之の前髪である。事実上ハゲなのに、前髪を立てていることで頭髪はそこに潤沢にあることになってしまう日本文化の趣。

オイ、何なんだアイツは。潔くハゲろよこの!

掛布が毎月やってくる床屋のことを思うと仕事が辛いなどとはいっていられない。

フォークリフトの免許を取った時の話

社会人になると業務上必要となる色んな免許、資格を取らねばならない場面が出てくる。

俺が社会人になって初めて取ったのはフォークリフトの免許である。前回の記事で書いたとおり、大学卒業後になぜか築地市場のセリ人として社会人生活をスタートした俺であったが、セリ人たるもの自分で売った商品も自分のフォークでトラックに積み込まねばならないと言われ、まさに流通の上から下へといった塩梅で俺は言われるがままにフォークの免許を取りに生かされた次第。

フォークリフトの免許をとるために向かったのは都内湾岸部にある某技術センター。学科、実技含めた四日間で3万5千円である。世間はキャリアアップを声高に謳い、資格だスキルだのと喧しい。俺も労働者の端くれ、何であれ世の流れには乗りたいところではあるが、流れに乗るどころか目の前で「乗れ」と現れたのはまさかのフォークリフトである。

キャリアアップどころかまずはフォークのリフトアップを果たすべくフォークリフトの免許資格を取得に向かった俺を待っていたのは受付に並ぶ堂々たるブルーカラーの面々。申し訳ないが「これはキャリアダウンだ」とようやく気づいた次第である。

 

■座学

座学の教室にはいかにもフォークリフトに乗ってこの道ウン十年と見えるベテラン作業員然とした教官が現れ、さあ講習開始と思いきや、彼が行うのはリモコンのスイッチをオンにするのみ。再生されるのはVHSの教材ビデオである。朝8時半から昭和産の教材ビデオはなかなか辛く、部屋の明かりが落とされビデオが再生された瞬間、自己防衛だろうか、強烈な眠気が襲ってきた。

根が真面目ゆえ、それがどんなものであれ授業中に眠るのははばかられる。何とか眠らないよう耐えたが敵も然るもの、延々流れる倉庫とフォークリフトの退屈な映像の数々に何度もKOされそうになる。

 

≪フォークの種類には様々なものがあり...≫

教材ビデオ特有のクソ真面目なナレーターの説明が眠気を加速させる。

≪クレーンアーム、ヒンジドフォーク、回転クランプ...≫

「...。」

≪マニプレータ....≫

「...。」

≪スプレッダ、ロードスタビライザー...≫
「(ウッ、眠い)」

 

眠さに耐えかね気を紛らわそうとふと横の席のおっさんを見た。真剣に観ていると思いきや、何とそのおっさんはいい年して寝ているではないか。それを見た俺は「負けてらんねぇな」とばかりにすぐさまおっさんを追いかけるようにバタリと寝た。

座学は朝の8時半から夕方5時半まで続いた。午前中はすべてVHS。午後から教官による生授業スタートである。

講師の授業からはさらに眠気がハンパなく、フォークリフトひとつでここまで多岐に渡る話ができるものかと感心するほどの豊富なバラエティ。フォークリフトを構成する各部名称等の基礎知識に始まり、専門的な内部構造の話、さらには力学や電気抵抗といった難解な話に至るフォークリフトのすべてを今日一日で詰め込むのである。

力学や電気抵抗の話になるともう何のことやら。楽しそうなのは教官一人で、ホワイトボードにフリーハンドで描かれた謎のピラミッド図に、親切な説明と謎の斜線を加えるたびに一人、また一人と気絶者が続出した。 俺もその一人。これが力学の威力か、、と、薄れ行く記憶の中で力学のその魔力に甚く感心した次第。

 

■試験

高校、大学と、授業中に眠気を感じ「寝よう」と思って寝たことは何度もあったが、今回のように気絶するように寝ているというのはあまりない。 寝る、起きるを繰り返すうちに夢かうつつかもはや判断不可能となっていた俺がようやく正気に戻ったのは、≪では、学科試験をおこないますッ≫という教官の声によってであった。

「受験すれば誰でも合格できる」

そういう話を聞いていたがさすがにそれは「一応話を聞いていれば」こそのことだろう。話を聞いていないばかりか意識すらなかった俺が果たして合格できるのだろうか。試験は三択問題、6割正解で合格というが自信がない。

朦朧とする意識の中で持参したバッグの中からシャーペンと消しゴムを探し出す。大学時代にペンケースなど捨てているから家の机の上にあった1本のシャーペンと消しゴムをバッグの中にポンと放り込んだだけである。バッグの中に手を突っ込むも、なかなか出てこないシャーペンにいらいらしたが、ようやく手につかんだペンのようなソイツを机の上に出してみてびっくり。

「おっと失敬失敬、君はボールペン君だったか…」

そう、そこにあったのは体長13cm、体重10gの立派な男の子のボールペンだったのだ。

こうして≪こんなちょろい試験、消しゴム不要だ!≫とばかりに俺一人、一発勝負のボールペンで挑むこととなった。俺の机の上の異変に気づいた教官の目が語りかける。

≪ホウ、いい度胸だ…≫

授業を聞いていなかったばかりかボールペン一発勝負はさすがに勘弁。素直に事情を説明し、教官に鉛筆を借りようと思ったその刹那、不安な面持ちで横の席を見てびっくり、なんと隣のおっさんもまさかのボールペンでの参戦だったのだ。おっさんの目はこう言っていた。

≪そのチキンレース、乗った…!≫

おっさんのアクセルはすでに全開。ボールペンでの消せないアンサーは既に半分まで進んでいた。

結論から言うと筆記試験は一発合格。開始5分で「めちゃくちゃ簡単だ」ということはすぐに明らかとなった。全問「誤っているものを選べ」形式の問題なのだが、選択肢をみると誤ってるやつが明らかにキラキラ光っているわけである。「場合によっては手放し運転をしてもよい」みたいな感じで誤り方が尋常ではなく、異彩を放ち、ひとりキラキラ光っているのである。こうしてできた答案用紙を教官の所に持っていけばその場で採点、即「合格」。拍子抜けである。こうして無事座学をクリアすると、次の日からいよいよ実技開始である。

 

■実技講習開始

同じ日に受付をし、当然の様に座学をクリアした全14名は、筆記試験後の残り三日間の日程を全て一緒に過ごす。この日からいよいよ実技を交えた講習が始まるのだが、ここからはこの14名を7人の2グループに分けて行われることとなった。

A班、B班と名づけられた二つのグループは別々のコースで講習を受ける。名簿の順番に従い1番から7番はA班、8番から14番がB班である。12番の俺はB班専用の練習所へ向かう。12と書かれたバッジを付けて。

残念ながらB班にはオッサンしか居なかった。特にバッジ番号8番、9番、10番は同じようなめがねをかけた気の弱そうなオッサンで、初めはこの三者の見分けがつかず服の色だけを見て「8番=黄色、9番=灰色、10番=白」といった具合に判別していたものだが、二日目にちょっと冷え込み全員一枚着込んで来たらもう終わり、朝会ったときもう誰が誰なのかまったくわからなくなっており大変困ってしまった。

「8番=黒、9番=黒、10番=黒…」といったが具体に全員黒になっていたのである。その日からようやく彼らの顔を見るようになった。

A班に比較的若者が集まったのと比べ、我がB班は俺以外全員オッサンであった。A班が待ち時間に楽しそうにおしゃべりしながら親交を深める一方で、B班は「あくまでこれは教習、雑談は不要」とばかりにあくまで最終日の実技試験を見据え「あそこはマストを早めに垂直にしなければならない」「荷を揺らさぬようにリフトを下げて低速走行で」などとストイックにフォークリフトの技術論を闘わせる。

一方のA班、女性が混ざっていたからか教習終了後に電話番号を交換している一方で、B班は最後まで互いの名前も職業も明かさず、互いに「10番さん」「12番さん」と番号で呼び合うまま。果たしてどちらが普通の教習のあり方なのかは俺にはわからない。

しかしB班は優秀だった。教官はストイックにフォークリフト道に邁進する我々B班を甚くお気に入りで、「こんなに優秀な生徒が集まることはあまり無い」とベタ褒め。俺を含め、皆ここに来る前から各々の職場でフォークリフトを無免許で乗り回していたのだから無理も無い。この実技試験、結果としてはA班、B班ともに全員合格だったわけだが、合格するまでの三日間はなかなか過酷であった。あの教習内容を少し振り返ってみたいと思う。

 

■実技教習1日目

実技講習の初日、全員が事務所に集められ、ヘルメットが配られる。番号の入ったバッジが配られるとそこでA班、B班に分けられた。

俺のバッジには「12番」と書かれている。その番号に従いそれぞれの班に分かれると、自己紹介も無いままB班の教習が始まる。コースは二箇所あり、A班、B班がそれぞれに分かれて使用。各班一台のフォークリフトを7人で乗るわけだから、待ち時間は長い。コース横に置かれたベンチに身を寄せ合いながら他人の教習を眺めるのみ。季節は四月であったが湾岸地域であった為か風が強く、ストーブが置かれていても肌寒い。それでも普段は10人で一台乗るらしく、7人はまだましなほうなのだそうだ。

初めは立てられたコーン(円錐のやつ)で作られた簡単なコースをグルグル回るだけの初歩的な訓練から。右回り、左回り、バック走行などが繰り返される。
最初はみんな緊張した面持ちでこれに挑んでいたが、元々簡単なミッションであるため、次第に飽きてくる。反復するのはいいことだが、あまりに単調過ぎたからか「一人二周」と言われたにもかかわらず、9番のおっさんは持ち前のうつろな目で一人グルグルと何週もカマしている。

教官が「ちょっとやってて」とその場を離れていたこととまだお互いに遠慮しているのもあり、9番は我々から何ら突っ込まれぬまま一人、ウイルスに感染して狂ったイルカのように延々コーンの周りを回り続けていた。よっぽど携帯のムービーで撮ろうかと思ったがやめた。

 

■実技講習2日目

二日目の午後、雑談もせず粛々とストイックに訓練に励むB班はすでに教習内容のすべてを消化。早くもあと一日を残した形でB班全員が試験本番のコースを制限時間内でクリアできる状態に仕上がっていたのである。

制限時間の5分以内でパレット(フォークのつめを刺す板)に乗せられた荷物をA地点からB地点に移動させるのが本番の試験であるが、B班の全員がこの5分を切るどころか3分半でクリアできる状態。そうなると目的を失ったB班の興味はもっぱら最速タイムになるのは必然であった。

 

■実技講習3日目

三日目の朝、なおもお互いにほとんど会話を交わさないストイックなB班であったが、だからこそ研ぎ澄まされる互いのライバル意識はフォークリフトの運転技術を高めあうには充分すぎるほど。

朝一で出した俺の2分50秒という最高タイムを破るべく、その日一日のB班はそれまで大好きだった技術論もほったらかしに皆こぞってスピード狂と化していた。加熱するスピードレースは、俺がその後叩き出したコースレコード2分35秒をピークに終結

コースレコードを出した俺が、フォークを降り喜び勇んで遠くでなにやら集合しているB班の元に駆け寄り「世界記録!!」とばかりにはしゃいでいったらばその輪の中にはいつぞやの教官殿の姿が。「あんなに高速でフォークを走らせて歩行者の足を引っ掛けるとどうなるか」というグロい話がされていた。

「空気読めなかったッス!」

 

 ■試験本番

そんなことをしているうちにようやく試験本番を迎えることとなった。A班が先に試験を行う間、我々は練習を許された。

いよいよ本番前最後の練習とあらば練習にもこれまで以上に気合が入る。オッサンだらけとはいえ、三日間の実技をともに過ごした仲間だ、本番前ともなると急に激やアドバイスの声が飛ぶようになる。

≪ギアもどせ!!≫
≪荷が浅い!!≫
≪角度角度!!≫
≪よし、そこだ!いけ!攻めろ!≫

最初は急変したB班のこの異様な空気に戸惑いを隠せなかった俺であったが、次第にアツいものがこみ上げてきて気づいたらいつのまにか人の練習を見てはアツくなり、≪角度角度ッ!≫と大きな声で叫んでいた。

A班が終わるといよいよB班の実技である。B班のトップバッター、「8番」さんが呼ばれる。ベンチにすわり8番を送り出す気持ちは柔道の団体戦に似ていた。

「気持ち気持ち!!」

8番はいつも最初のカーブで大きく膨らむクセがある。そんなことを考えていると、隣に座っていた10番が「ふくらまないように!」と叫ぶ。僕らはいつも以心電心、である。その声を受けた8番が「グッ」と親指を立て、余裕のサム・アップ。8番は案の定膨らんでしまった。

9番、10番、11番、順調にコースをこなしいよいよ俺の番。

「ふくらまないように!」

10番がまた叫ぶ。俺は別に膨らまねえよ。さっき以心電心なんていったがテメエ誰にでも言ってんじゃねえよと思いつつ、とりあえず俺も「グッ」とサム・アップ。その直後膨らんでしまった。

 

 ■アツい4日間が終わった

初めのほうで書いたとおり結果は全員合格である。最初から全員が合格するのを予期したかのように、試験が終わって僅か一分で全員分の免許証が交付された。何事も先を読む時代、スピードの時代である。解散式も何もなく免許をもらうとB班の一同は皆それぞれの家に散って行った。

我々は次の日からそれぞれが働く倉庫なり工場なりに戻り、再び通常業務をこなすのだ。異業種で交流することのない我らブルーカラー。ここに来ていなければ絶対に知ることのなかった日本のアンダーグラウンド・ブルカラーシーンに触れることで、俺はまた一つホワイトカラーから遠ざかっていくのを感じていた。