蜂への恐怖

我々の蜂という虫への恐怖心は一体何なのだろうか。蜂とひとくくりにしているが、実際には何もしなければほぼ刺さない蜂の方が多かったりする中、似たようなアクティビティをなさる虫の中でも実は蜂よりもよりアグレッシブに刺してくるアブや、刺されると蜂より厄介なブヨといった虫は蜂ほどその恐怖が周知されてないように思われる。俺も蜂は怖い。子供の頃に手を刺された思い出が今も記憶に残っているほどに。

20代の頃、午前中の外回りから帰って来た俺が会社の駐車場に車を停め、車内に散らかした書類をかき集めてバッグに仕舞いさあ外へ、というとき、出口ドアのすぐ向こうには楽しそうに飛び回る一匹の蜂の姿があった。サイズはなかなかのもので、さすがにギョッとした俺は外へ出るのを少し待つ事にした。

素人の観察の結果、手足が長いので安直にアシナガバチだろうと思った。≪アシナガバチは刺す≫Eテレの番組で渡辺徹のナレーションがそう言っていた気がする。実際何の蜂だったかはともかく蜂は怖い。なんせスタイルのいい生き物は全般的に人を見下しており、大体怖い。

よく見ると一匹だけではなかった。正面にもう二匹仲良く飛んでおり俺は三匹のアシナガバチに包囲されていた。さらに辺りを見れば、駐車場のもっと遠くのほうにも同じナリをしたアシナガバチの姿が沢山。この駐車場、巣が近くにでもあるのか、いつのまにかアシナガバチの社交場になっていた。とんだ蜂鳴館だったというわけなんですね。

アシナガバチは相変わらず車の周りを離れようとせずなかなか車から出られる気配がない。俺が出てくるのを狙ったかのように運転席側のドアで完全なる出待ち状態。

窓ガラスに何度も接触を試み、隙あらば入って来そうな雰囲気を醸し出す恐怖のアシナガバチ。一回開けようものならすぐさまナイス・タイミングで中に押し入りろうとする怒りのアシナガバチ!それからなんと30分ほど、俺は車内で悲しみのアシナガバチの退散を待ったが彼らの執拗な妨害活動はそれでも終わらず。

時間は正午、訪れる空腹に「これは兵糧攻めやも…」。あいにく今この車の中に食糧と言えるようなものは俺の荒れた唇の皮ぐらいしかなく、グルメな俺にこの長期戦は圧倒的に不利。イチかバチかの脱出を決意。(蜂だけに…)

《リーチの長い相手には手数で闘え》かつて日テレでファイティング原田さんの解説がそう言っていた気がする。脇を締め、腰をかがめると後は出来るだけ多くジャブを打つだけである。ついつい漏れる俺の中のボクシング・ヴォイス「セイッセイッ」の奇声とともに、おや、打たれたのはシャブの方でしたかと言われかねないムーブ、奇声と共に片手をブンブン振り回しながら勢いで脱出!

蜂がいようがいまいが一心不乱に、腰をかがめ腕をブンブンしたまま、ここなら安全と見た場所まで行ったところで振り返り、キーリモコンで華麗に施錠。恐怖で軽くジャンプしてしまった。

「こんにちは~?」

その刹那、背後からふいに挨拶の声。同じ駐車場を使っている会社近くの不動産の女の人に俺の脱出からの一部始終を見られていたみたいだけど、アシナガバチに刺されることに比べたら全然痛くございません。

「この駐車場、手足の長い蜂がいますから気を付けてください」

平和な一日は今日も守られた。