フェロモンさん

フェロモンさんという友人が一年前にこの世を去った。フェロモンさんとは元々はネット経由で知り合ったが、東京にいたときには一番会っていた飲み友達でもあったと思う。そしてハイエナズクラブを最初に作った仲間でもあった。プライベートでの結びつきが少ないこうしたネット経由の友人が亡くなったのは初めての事だが、結局自分で確かめたわけではなくその関係者の方にそう伝えられただけであるからいまだに信じられないでいる。フェロモンさんのブログはまだ残っているし、更新しなくなったTwitterはXになる前から止まっているが今も残っているからである。

主にネットで繋がっていた自分のような人間が今回の事を知ることが出来たというのは改めて思えばかなり幸運なこと。つまり俺がすぐに知れたのは関係の方がわざわざこちらに教えてくれたからこそである。そうでもないと我々のような繋がり方をしている人間がそれを知ることはほぼ不可能だったと思う。教えて頂いた方には本当に感謝している。

重苦しくなるはずの記事でも当人の名前がフェロモンなことで妙に締まりが悪いが、このフェロモンさんという名前も元はカウパーさんだったし、彼がカウパーのままじゃなかったということ、本当に良かったと思う。でもこの投げやりな名前はネット活動をしていること自体への照れもあったのではないかと思う。フェロモンさんは常々ネット活動というものにある程度距離を取っているように見え、興味が無くなればいつでもやめてしまいそうなそんな雰囲気をいつも漂わせていた。飲み屋では彼が俺のインターネットネームを毎回若干バカにした調子で「のうみそさん」と呼び、俺は旧姓の「カウパーさん」で応じるのも懐かしい思い出。

一年間特にフェロモンさんの事について触れなかったのは彼のそんな性格を考えると何となくネットでは取り上げずにいてほしいのではと考えたことが一つ。あとはそれを記事にして少なからず注目を集めることがインターネットばち当たり的な感覚で捉えていた部分も多少。事件だ事件だと大声で叫んで回り注目を集めるようなことがしたくなかったという自分の中のよく分からないモラルみたいな、そんな感じである。

それでなぜ一年経った今になりモソモソと書き始めたかというと、冒頭にも書いたようにネット上の知人との別れというものは我々には全く見えないものだとこの一年間それを痛感したことから。インターネットの人って、亡くなったことを誰かが言わないと本当に誰にも分からないものなんだなって。そして誰にも気づかれずにフェロモンさんやフェロモンさんが書いた記事、Twitterに綴られた彼の日常(ほぼ飲んでただけのオッサン録ですが)が忘れ去られていくのは友人として大変さびしいものがあったし、フェロモンさんとのネット上の真の知り合いであるこの俺とその周りだけが知ればそれでヨシ!というのも思い上がりだなと考えたからであります。

既にフェロモンさんはこの世にいないし、この記事を書くにあたり誰に許可をとっていいか迷ったけれども彼の最期に立ち会った方に相談すると、「その方が嬉しい」ということだったのでこの場に書くこととした。この記事を読んだフェロモンさんのネット繋がりの皆さん、どうかまた思い出してあげてください。(もしもう少し詳しいことがお聞きになりたい方は個別に連絡ください)

正直なところこれを書くことにしたのが10月で、彼の事を偲んで色んな思い出を書こうと何度も試みた。最初に川名でとめさんと三人で飲んでからのこと、善福寺川でのガリガリ相撲、エルモさん、石井君、赤ソファさん、柴田さん、沢山の出会った人々。ハイエナズクラブを作った1か月後に揉めて一回閉鎖した話とか、団らん、大将、24時間営業をワンオペで始めて3日目につぶれたもつ鍋屋のこととか、あの当時あった色んな飲み屋の話、ハイエナズクラブが阿佐ヶ谷ロフトでやったイベントにフェロモンが来なくて寂しかった俺のお気持ち、そして今回のお別れまでについて、いい歳したオッサンがシンミリとしつついい話に仕立て上げるのはキモいよのうみそさんと彼も本望ではなかろうとその辺にはあまり触れずに終わりたいと思う。

一つ言いたいのは、こちらの転勤などもあって久しく会わなくなってしまったばかりか連絡もあまり取らずにいたにも関わらず、亡くなる少し前にも俺のことやハイエナズクラブの皆さんの話を時々していたという事を後から聞いたのはとても嬉しかった。

最後になるけれども俺が愛してやまないフェロモンさんの最高の記事を紹介してこの記事の締めとしたいと思う。

hyenasclubs.org