ヨシイさんの結婚式

※これは過去ブログからの転載です

 

ブログを長く続けていると色々あるもので読者の人の結婚披露宴に行くことになった。このブログを古くから読んでいただいているヨシイさんである。

誰も読んでいなかった頃からこのブログを熱心に読んでくれているヨシイさんは、これはマジな話で既に俺よりこのブログのことに詳しく、約9年間、870もの記事によって自分の半生を小出しに書いている訳だからそれはつまり俺自身のことを家族並みに心得ているといっても過言ではない。(よく考えるとここは個人情報のジグソーパズルみたいなもので、分かる人が丁寧に読めば俺が特定できてしまうはずだ)

そうなるとそんな事実上の親類がこの度めでたく結婚するというのであればWeb親戚としてはそれに参加してご挨拶のひとつでもカマすのがスジというものでもあると三日ほど思案していたのだが、そのようなボクの心を察したのか、ヨシイさんときたらご親切にも披露宴に招待してくれたばかりか、「一言お願いします」などというイキな演出まで用意してくれたりなどして俺はもう、とても憂鬱な気持ちでその日を迎えたのであった。

場所は帝国ホテル。GHQのアレである。俺のような漁村出身の平民からすると完全に名前に気圧され、どんな備品を幾つパクろうかというような前向きなカルキュレーションにソワソワするしか手立てがないのだが、この日はハイエナズクラブの赤ソファさんという山村出身の同じ平民も一緒に参加するのが唯一の救いであり、大の大人が二人「前もって早めに入ろう」などと示し合わせ、約30分帝国ホテルのいたるところを視姦しつつ最初で最後の帝国ホテルでのささやかな思い出作りをしたお茶目な一幕もあったのである。

またこの度、赤ソファさんも参加する背景も説明しておくと、現在ヨシイさんが先のハイエナズクラブの法務的なサポートを無償で行ってくれているということであり、従って「一言お願いします」という挨拶にしても、「新婦が法務部を勤めるインターネットサイトの会長から一言」というやんごとない前振りが帝国ホテルが用意した超一流の司会者のマウスから放たれた後であるというから麻酔した後によく切れるナイフで楽に殺して欲しい次第である。

さて、敵情視察も完了し、それでも幾らか早めに着いたので待合室にて時間を潰そうと案内された所には、我々のようなオンラインの気持ちの悪い間柄など到底受け付けてはくれそうにない、どこまでもオフライン然とした厳粛な雰囲気。そこではお互いを赤ソファさん、ズッキーニさんなどと呼び合うことははばかられ、「あの」「その」などと代名詞で呼び合う無駄なピリピリムードには嫌でもヒクツな気分にもなるというものである。

それにしてもであるが、辺りから聞こえてくるのは「先生」「先生」という声の掛け合い。あまり詳しく書くと山でシバかれるのですが、今回のお二人はいずれも世間では「先生」と呼ばれるご職業で、結果周囲にはその職場の同僚、先輩、上司などが大集結。

もちろん「先生」以外の方も居るのだが、その様な徳の高い方々のご学友ともなるとクオリティも半端ではなく、たとえば、良くは分からないが、幹部候補とかフロアリーダー、エリアマネージャーなどといったクラスのとにかくその辺のフロントオブファミリーマートでハンパしてる奴らとは全然違うカタガキの恐ろしい職業であることはご理解いただきたく、一方で我々のようなある意味では道端の銀杏を拾ってそれを茶碗蒸し工場に卸すのと大差ないレベルの、人から不当に利益を奪うのに近い、大変に卑しいショクギョウに就いて糊口をしのぐ身としては、その背中から放たれる後光の眩しさに、つい「この光でソーラー発電」などとさらに輪をかけて卑しさが浮き出る有様なのである。

さて、このような大変厳粛なアレの中で「インターネットサイトの」などとのたまわれちゃうとそれだけで「ドヨドヨ・・・(けしからんッ)」ってなるのは明らかであり、しかもその日は髪の毛のセッティングに何かと判断ミスが生じ、髪型がある種のホリエモンみたいになっていたこともあるため、そこで「会長」などと紹介されると「ア・・・アイティッツ!アイティ!」と、先生がたが唯一知ってるインターネット単語を叫びながらテーブルを揺するだけのパニック的な状況に陥ることも予想され、その様な方々を刺激しないよう、うまく緩和した表現でもってリリース出来ないかと赤ソファさんに知恵を絞ってもらいながら本番を迎えたのだが、出てきたのが「電脳メディアの電子新聞」というもはやコンピューターに支配された近未来SFしか連想させない物騒なワードだったものの、冷静さを失った会長は「それでいこう。」とボルタレンCMの東チーフトレーナーばりの棒読みでそれを承諾するのであった。


「テイコクとなりましたので」

という帝国ホテルJOKEで幕を開けた結婚披露宴であるが、さすが帝国ホテルの結婚式とあって、「打倒アメリカ」の掛け声で全員が一斉にシャンペンを空けると、そこから色んな方面の先生方のアカデミックなご挨拶が代わる代わるBGMのように流れ続ける様はまさに放送大学のようであったのだが、ヨシイさんはというとその都度きちんと反応し、あわよくばメモまでとらんとする様子を見て「こういう方々はこういう時にも"学び”の姿勢を忘れないのだな・・・」などと感心をし、世界不思議発見でどうでもいいVTRでもメモを取る黒柳徹子の姿を重ねていたものである。

ヨシイさんとは9年の付き合いになるWeb親戚には間違いないとはいえ、ヨシイさんの実態については実はよく知らないことが多く、恥ずかしながら今回の披露宴でその正体の大半を知ることになったのだが、なにしろ一番驚いたのはヨシイさんのご学友の男性(おそらくエリアマネージャーか)のYシャツの襟の高さがハンパなかった事である。ヨシイさんがそのような襟の高い男性と交友があるとは思ってもみなかったため、これには大変驚き、同時にその懐の深さにまた感心した次第。

ご学友と言えば、この度新たに夫婦と成られたお二人は何れも慶應義塾という、ある種の学習塾の類のご出身で、ご存じない方にわかり易く説明すると自動車学校のようなものであるのですが、そのように学問が大好きなお二人ですから、ご友人もまた同じようなタイプの方が参集し、話題は慶應慶應慶應一色の様相。

慶應と言えば母校には商学部への指定校推薦枠があったが商学とぜんぜん関係ない理系のクソ女が先生に擦り寄っていきなり文転して枠を強奪するという、終戦間際の北方領土じみた悲劇を思い出し、今日のよき日にそのような物騒な苛立ちはよそうと、努めて笑顔に徹して宴に集中した次第である。

その日はまさに慶應フェスといった様相で油断しているといきなり慶應JOKEが投入されなどし、それをJOKEとみとめ笑うまでの反応時間でその者が慶應義塾の一門かどうかチェックされるという恐ろしい雰囲気。

当方、M治大学という、各種ハラスメントに長けた「多様性」がモットーの明るい大学出身、授業の大半は東進ハイスクールのサテライト校にお邪魔して、教室の後ろで立って受けるほか、先生が個人的に録画していた「テレビ寺子屋」の古いVHSを視聴する以外は道徳の授業が大半で、卒業する頃には卒業を率業と書き間違える学生の割合はコンマ台まで下がるような攻めの教育を受けてきたため、このようなJOKEの類は大得意。

結果、慶應のシャワーを浴びた俺は慶應豆知識も十分となり、丁度よくヨシイさんのご母堂がご挨拶にみえられたので「普通部出身」という慶應嘘をつくも、大層感心した様子で去っていかれたがWin-Winな関係なら嘘もまた良しとニンマリ。

このような具合に披露宴は厳粛な雰囲気の中で粛々と進行し、ついに「各テーブルから一言」のコーナーに突入。俺が事前に依頼されていた「一言」とはこれであり、冒頭書いたとおり、新郎新婦との関係をイントロに、お二人に一言お祝いの言葉を述べるというイベンツである。

「時間が押したら省略されますので」と聞いており、各人の挨拶が出来るだけ長引くことを強く祈ることで自分の順番がキャンセルになるのを真顔で期待していたが、さすがの帝国ホテルともなればこの辺りのタイムキーピングは見事なもので、よせばいいのにちゃんと俺の番まで回してくれるのである。

会場のざわつきに加え、緊張感もあったのだろう、俺を紹介する司会者の台詞は「インターネット!」しか耳に入らず、インターネットを代表するようなIT顔で起立し、誰の心にも残らないどうでもいい小話を40秒程度したところで「はいー」と、終了。街頭インタビューに引っ張り出された田舎の素人のようなジャガイモのような佇まいでそのまま着席と相成った。

「他の人の時には何かもっと色々と司会者とのトークがあったのでは・・・」という被害妄想じみた疑念もあったが、あるいは「時間が押してる...コイツで調整しよう...」という司会者の魂胆があったのかもしれない。さすが百戦錬磨の帝国ホテル司会者だけあって、俺が早く座りたいのを察知したのだろうか。あの時はありがとうございました。
一応シュミレーションでは非常に気の利いた冗談で会場の人たちに「あいつやるジャン」ってウケるケースと、一切闘わずに大人しく座るケースを想定していたのだが、見事に後者に逃げ込んだ格好。楽なほうを予め用意すると大体そちらに逃げ込むのがヒューマンなのである。


ヨシイさん及びご主人について全く触れないまま俺の気持ちばかりを書いてしまって申し訳ない気持ちで一杯だが、ヨシイさんの結婚披露宴はこのようにして無事シャンシャン。
ヨシイさんのご主人は頭が良くて仕事も出来るのは言うまでもなく、気さくで楽しい方である。何よりヨシイさんが楽しそうなのを見ると幸せな家庭を築かれるのは間違いなく、Web親戚としてもうれしい限り。

ブログをやっていて良かったなと思うことはこれまでもあったが、ブログがきっかけでこのようなめでたいイベントに行けるなんてこんなにうれしい事はなく、これからもブログを続けていこうと心に誓った俺であった。

改めまして、ヨシイさんお幸せに。