「抱く」という言葉の性的な意味を知ったときの衝撃

最近気づいたのだが30代半ばの俺より少し下の世代、大体20代前半~後半では既に確認済だが「仲良くしている」という表現が男女間に適用されるとき、どうも大体「ヤッている」のである。ここ最近聞いた「仲良く」の結論は、残念ながらほぼほぼヤっていらっしゃいました。

俺はピュアネスの権化なので例えば会社の後輩の言う「仲良くしてる女の子」などという表現を真に受け、ああ、男女の友情、素敵ですね、アリですねとストレートに受け止めていたのだが、聞くとそいつはその時点でヤっていたのである。アツい友情が高じてセックスフレンドに昇華されて、それってもう何でも話せる大親友じゃないスカみたいな感じなのであるが、それを「仲良く」という具合にマイルドに表現されると全然わからない。

 

少し趣は異なるが、そういえば子供のころ、小学6年とかその辺だったと思うが「抱く」という言葉に性的な意味もあることを知ったときは衝撃だった。

例えば歌謡曲の歌詞における「抱いた」「抱かれた」の大半がセックスの隠語として使われていた事を、子供のころには全く知る由もなかったのである。

性行為をというものの存在を知った後に性知識はこれですべてコンプリート、太平洋を眺めながらこの世の秘密をすべて知ったゼヨ!のような気持ちになるのが男子というものだが、そうなると、その当時の視点で見たときの、例えば週刊誌の「抱かれたくないタレント」とか「私を抱いた有名芸能人Y・T!」とかそういう場面での「抱く」という甘っちょろいプレイを見ては「いい大人が抱くだけか ペッ」とバカにするような態度でそれを誤認識するなどし、「この世にはなぁ、おセックスさまってお方がいらっしゃるんやで・・・」などと世間知らずを棚に上げ知った風な上から目線の感想を抱いていたものであった。

しかし皆様ご存知のとおりの、「抱く」のそこでの意味を知ったときは衝撃であった。それがいつであったかはハッキリ覚えていないがクラスのアイツとアイツが付き合っていたなんて!みたいな、そういう「いってよぉ~」の驚き方に似ていたのは覚えている。

それからである。今まで全く気にもしなかった演歌の歌詞をよくよく見れば何とまぁ「抱く」の使われていること!それまでは何気なく聞き流していた演歌ってのが実は性欲の旺盛な大人のとってもスケベな歌なんだとショックを受けたものであった。

「スケベは不真面目な大人の娯楽!」「大人は忙しくてスケベなことなんて考える暇がない!」というストア派のアンチスケベ教を信仰していたものだから、俺が思っているより世の中には性描写が、スケベってヤツが堂々と姿を晒しており、世の中の大人は実は相当に性を意識して生きているということをようやく悟ったのであった。

 

それから二十ウン年後、久しぶりに同じような思いをしたのが今回の「仲良くしている」である。「抱く」ほど市民権は得ていないものの、完全に肌感覚だがパーセンテージの高まりを感じる。

思い返すとおそらくそう言うシチュエーションで使われたであろう「仲良くしてる人がいて」は数知れず。その意図を全く理解せず、「へえ、俺にもいるよ」みたいなトンチンカンな返しを割としてきたように思う。

「仲良くしているオジサンがいる」とスカして言っていた女性にノンキに「へえ、俺にも仲良くしてるオジサンがいるよ」などと返していたが、そういうことだったのだろうか。勘違いならいいのだが。

エビちゃんからのメッセージ

まだ俺が築地市場の青果部門、果物担当として働いていたときの話だ。

キウイのブランド「ゼスプリ」という名前を一度くらい聞いた事のある人は少なくはないだろう。夏が終わった頃にCM、キャンペーンが盛んに行われ始めるニュージーランド産のキウイだ。
日本で取り扱いしているのが大手商社だからか、毎年シーズンスタート時のキャンペーンはかなり派手。果物のブランドとしてあそこまで大々的にキャンペーンをやるのは他にはあまり無く、以前近所のイトーヨーカードーへ行ったら大々的な試食コーナーが設けられていてものすごい人だかり。1個買う俺に2個も試食させてくれる大判振る舞いであった。

ゼスプリは特にテレビCMにかける費用がものすごい。俺が築地に居たあの当時はキャンペーンソングには浜崎あゆみ、CMに出演するのはエビちゃんこと蛯原友里、そして坂口憲二が起用されていた。
あの当時、浜崎あゆみエビちゃん坂口憲二といったら全盛期広島の「前田、江藤、金本」並みの超一級のラインナップと言っても間違いない。伝わりにくいかと思うのでもう少し詳しく説明すると、前田はライト、江藤がサード、なんと金本はレフトだったと、そういうことである。

特にエビちゃんはあの当時が全盛期。水産用語的には「水揚げされたばかり」の状態でかなり新鮮なネタだった頃。思い出してほしい「エビちゃんOL」なんてのが各地に大量発生し、「エルニーニョの影響か」なんていわれたこともあったとかなかったとか、とにかくアツかった、すごかった、ヤベえ時代。

そんな大変エビちゃん熱の盛んな時代に、エビちゃんはおろかヒトの女ともまったく接点の無いような荒んだ築地市場関係者に対して、やんごとなきゼスプリ様から信じられないお知らせが届き、我々は心から沸き立った。


「いつもゼスプリの販売にご協力いただいている築地市場の皆様向けに、蛯原友里さんと坂口憲二さんから皆様だけの超限定メッセージが!!」


そんなお知らせに心躍らされ、昼飯の後ゾロゾロと会議室に集まった築地市場内の大小色々な会社の面々。参加自由だったがそこには結構集まっていた。
全員作業着の築地市場関係者を前に、パリッとしたスーツを着た大変育ちのよさそうな商社の担当者がキチッと挨拶。「では、」とプロジェクターを使い、ゼスプリについての説明や、販売戦略をプレゼンテーションしようと照明が落とされたその瞬間、「よし」とばかりに全員が長机に顔を伏せ、眠り始める。
少しでも座れるところは仮眠のチャンス、暗くなったら迷わず寝よう、それが市場の常識だ。

「・・・というわけで、以上で説明を終了します」

という言葉と同時に会議室の照明がつけられると、全員が眠りから覚め、長机からむっくりと顔を上げる。老いも若きも全員まぶしそうに目を細めながら、「パラパラパラ・・・」と、とりあえず拍手をするその情けない姿。半目で「ったく・・なんだよオイ」なんて言いながら迷惑そうに起きる馬鹿もいる。お前が自ら来たのにこの態度はどうですか。

「では、最後になりましたが昨年に続き、今年もゼスプリマスコットキャラクターとなった蛯原友里さんと坂口憲二さんからの皆様への超限定メッセージをご覧いただきたいと思います!」

 

《どよどよ・・・》


眠そうだった雰囲気も一転、急に沸き立つ会議室。仲卸の小汚いオヤジも一丁前にエビちゃんのことは知っていたらしく妙に興奮している。テメエの歳でいまさら一体何に興奮しているのかまったく理解出来ないのだが、ここは完全なる男だけの社会、とりあえず「女が見られる」という原始的な欲求から興奮しているのかもしれない。

映像が始まると再び照明は落とされたが、今度は誰も眠ろうとしない。真剣そのもの、単純そのものである。映像はゼスプリのCM撮影現場と思しきセット裏でのインタビュー形式のものであった。やはりといえばやはりだが、二人のスターからの画面の前の我々への呼びかけ挨拶は「築地市場のみなさん」とかましてや「○○株式会社のみなさん」なんてわざわざ言ってくれるはずはなく汎用性があってとっても便利な二人称「みなさん」だった。

エビ・坂口「みなさん、こ~んに~ちわ~!」
エビ・坂口「えー、本日はみなさんに・・・」


《どよどよ・・・》


動揺が会場を包む。

その内容も内容で、カメラ目線のエビちゃんと坂口が画面横に出てくるテロップのクエスチョンに対して、いちいちイチャつきながら答えていくというとても不毛な内容だった。

暗闇の中、イチャつくタレント二人が写るTVRに視線を残したまま、隣に居た知らないオッサンが暗闇の中とてもとても汚い目をして《おいおい、コイツらおっ始めんじゃねえか・・・》とヒソヒソ俺に言ってきたが、俺はそれをシカトした。

その「超限定映像」、実際には2、3分も無かったと思う。なんというか、撮影の合間にちょっと撮りました感がものすごかったのだが、テロップが「ーでは、最後に関係者の皆様に一言お願いします」とAVの導入によくある不毛なQ&Aみたいなノリで表示されるとまずは坂口君から。

「えー、みなさん、今年のゼスプリは・・・」

続いてエビちゃん

みなさーん、とーっても甘~いゼスプリを・・・」


《この女(アマ)・・・そのセリフ、どこででも言ってんだろ!》みたいな雰囲気が会議室を包む。
いや、そんなもん、最初から分かるだろ、という突っ込みは無効である。市場の常識は世間の非常識、散々言われたものだった。

 

終了後、全員ガッカリして会議室を後にしていった。

ある授業中の性的な回答について

それは理科で地殻の授業中のことだ。

「じゃあ前回の授業のおさらいをします」と理科のクリヤマ先生。冗談が好きだがキレると平手打ちをしてくる、今でいうといわゆる暴力教師なのだが、巨大隕石が落ちて突然大量絶滅するまで、この地球上にはそんな暴力教師で溢れていた事は忘れないでほしい。

 

そんなクリヤマ先生から「じゃあー、この前の復習問題。答えて。」と、当てられたのは石田君。さすがに前回のおさらいであればと言う思いもあったのか、クリヤマ先生はあまり成績の良くない石田君を指名した。

問題は基本的な内容だった。

「地面が盛り上がることをなんといいましたか?」

石田君、ちょっと考えながらも「隆起(りゅうき)です!」と答えた。「正解!」と言う先生のクイズ番組然としたリアクションと、石田君のうれしそうな表情に、教室では軽く笑いが起こる。

しかし安どの表情で座ろうとした石田君に「まてまてまてまて!まだ終わってない」と、なおもクリヤマ先生の復習問題が襲い掛かる。

「では逆にー、逆にだぞ、地面がー、低くなることをなんといいましたか?もう一回、石田ッ!」

これも正直基本的な内容である。隆起がわかればワンセットで覚えるべき用語。沈降(ちんこう)である。しかし石田君「ええと・・・」と先ほどの正解直後とはうって変わって表情は曇り、うつむいてしまった。彼は明らかに思い出せずにいたのである。


そこでクリヤマ先生、どうもこのまま彼に答えを言わせたいらしく、ちょっとしたヒントを出した。

「男にしかないものといえばなんだ石田!」

再び教室に笑いが起こる。これはご存知「沈降(ちんこう)」と「チンコ」を掛けたセクシャル・ユーモア。クリヤマ先生、今の基準でいうと完全にセクハラ教師なのだが、巨大隕石が落ちて突然大量絶滅するまで、この地球上にはそんなセクハラ教師で溢れていた事はどうか忘れないでほしい。

クリヤマ先生渾身のセクシャル・ユーモア。しかし石田君にはそれが伝わらなかった。なぜだ石田!チンコだろ!という心の中の突っ込みもむなしく、ひょっとしたら石田君の頭の中には沈降という用語は既になかったのかも知れない。

クリヤマ先生の沈降とチンコで踏んだフリースタイルラップに反応したオーディエンスは既にクスクス笑っていたが、石田君だけ一人、起立したまま苦悶の表情を浮かべている。

それを見たクリヤマ先生、短気なクリヤマときたら!答えを導き出させようとさらに石田君を煽り、あるいは最悪「チンコ」と答えても音の響きで強引に正解にしようと思ったのか、「おい!石田よう、男にしかないものってなんだよォ!ウォウ!」と語気を強めて詰め寄った。

「男にしかなものは何だオラァ!」と生徒に詰め寄る教師。今のご時勢、かなりヤバいシーン。俺なら泣きながら「甲子園です!」と叫んだかもしれない。

だが石田君はどうだったか。その直後に彼が発した言葉は僕らの想像の斜め上を行くものだった。彼がその答えにたどり着くまで、ヒントにしたのは先ほど彼が見事正解した「隆起」であることは明らかで、「隆起・・・」「男だけのもの・・・」「りゅうき・・・」「男といえば・・・」「・・・き」という風に頭を働かせていたのは想像に難くない。

 

「あ、分かった!」

しばしの沈黙の後、前置きもなく突然石田君は吠えた。

それを聞いたクリヤマ先生、貴様ァ、俺の渾身のセクシャルヒントを無駄にするところだったなヨッシャー言うてみよ!とばかりに目を開き「おっ、よーし!じゃあ答えをいってみろ石田ァ!」

 

 

「勃起!」

 

 

 

 

 

 

 

死んだクリリンを観て母親が泣いていた話

小学生の頃の話だ。

ある日の夕方、俺が学校から帰ってきたら母親が一人、「ただいま」と言う俺に応えることなく、居間で静かにすすり泣いていた。

つけっぱなしのテレビを嫌う母親が、観てもいないテレビをつけっぱなし。様子がおかしい。

何があったのか全く検討がつかなかったが、子供ながらにきっと母親が一人で家にいる間に大変なことがあったに違いないと悟った。

俺がただいまと言っても返ってこなかったのは、そこまで気が回らぬほどのショックを受けたからなのだろうか。それならただごとではない。子供の想像力ではこういうとき「誰かが死んだに違いない」ということぐらいしか思いつかない。

俺が母親のところへ行くと母親はビックリしたように俺の顔を見た。

「どうしたの」という俺の当然の問いかけに対し、母親は衝撃の一言を発した。

 

クリリンが死んだんよ」

どてっ!

≪誰かが死んだに違いない≫はまちがいではなかったのだが、それがクリリンだとは。

涙の理由がクリリンの死だということにびっくりしたが、それ以前に突然母親の口からクリリンという言葉が出たこと自体びっくりした。

つけっぱなしになっていたテレビからはCMが終わりドラゴンボールの次回予告映像が流れた。

これでようやく話がつながった。おそらく何らかの理由でさっきまで母親はドラゴンボールを見ていたのだろう。そして話の中でクリリンが死んだのだ。

次回予告の内容を見ると、母親が言うように確かにクリリンは死んでいた。正確には殺されたのだ。

天下一武道会が終わったあとのちょっとしたすきに、さっきまで元気だったはずのクリリンはあっさりと殺されたのだ。自らの脅威となる格闘家を狙った、タンバリンと名乗るピッコロ大魔王の手先に。

クリリンの死で泣いている俺の母親だが、実はドラゴンボールなど一度も観たことが無い。ドラゴンボールはもちろんのこと、アニメ、バラエティ、騒がしいものはほとんど観ない。

そんな母親が夕方ちょっとテレビをつけてみたら、たまたまチャンネルが合っていた「ドラゴンボール(夕方再放送)」がテレビに映り、そしてたまたまクリリンがタンバリンに殺されるあたりだったのだ。

しかしまぁ初めて観たドラゴンボールでこうも泣く主婦もそう多くはいまい。母親は登場人物もここまでのあらすじも、何もかも分からないのだけども、単純に今そこで行われている緊迫のシーンにすっかり見入ってしまったのだろう。

俺も覚えている。

アニメとはいえ、クリリンがタンバリンに殺されたあのシーンは悲しかった。緊迫した闘いの続いた天下一武道会終了後、緊張感から開放された和やかなムードの中、クリリンが何か忘れたというような理由で主人公の孫悟空たちからちょっと離れたそのほんの僅かな間に、クリリンはタンバリンに襲われ殺されたのだ。

自分の運命も知らずに無邪気に「ちょっといってくらぁ」と走っていくクリリンの姿が涙を誘う。彼のこれまでの人生、人柄を知るものには余計に辛い。それを知らない俺の母親ですら涙を流すのだから。
今までのクリリンの回想シーン、ついさっきまで元気だったクリリンの顔などがこれでもかと流れる。さながら葬式のよう。

それを観た母親が涙を流したとしてもそれはもうしょうがないのではないだろうか。これは一つのドラマなのだ。泣いている母親を見ると「クリリンはあと二回死ぬよ」とはとても言えなかった。

 

その日の夜、母親を元気付けようと「クリリンはあとで生き返るよ」と教えてあげた。母親思いのいい子だ。

 

すると母親は言った。


「誰ね、それは」

母親と言うのは大体この様なものである。


元中日・種田の逮捕と、二の腕の根性焼き

プロ野球選手の種田が逮捕された。

 

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無免許、スピード違反だったそうだが、住所不定だったことと引退後に内装業の営業をしていたことに驚いた。結構名の知れた選手だったはずだが、それでも引退後の人生の方が長く、多くの選手が引退後に野球に関われる訳ではないという厳しさを改めて実感した。

種田逮捕とプロ野球選手の引退後の人生云々は置いといて、俺はこの種田という選手には色々と思い入れがあり少し昔のことを思い出していた。


種田の登場はセンセーショナルだった。今では知る人も少なかろうが、打撃フォームが独特で、はっきり言ってカメムシであった。打席に限らず、ヒットを打って一塁へ走るその姿は追いもしないのに勝手に逃げるカメムシの様で、顔も若干昆虫系だったし、彼には悪いがともかく種田にはカメムシっぽい印象しか持っていない。

ただし、種田は打撃フォームが物珍しいだけの選手ではなかった。横浜時代は代打としてワンポイントで起用される事が多かったが、その勝負強さから「代打の種田」として名実ともにそれなりに知られた選手だった様に思う。横浜に移籍したのも実力を買われてのこと、スターティングメンバーにも名を連ねていた様に記憶している。

今思うと種田という名前も良かった。それまで種田と言えば山頭火だったが、あの時代は「代打の種田」だった。そもそも小柄で種っぽい感じがハマっていたのと、あとは「代打の種田」という妙にリズムの良い響きも良かった。「代打の種田」略して「種打」、それで良いじゃないかと、それで意味が通じるジャンという、そんな気持ちにさせられる収まりのよさ。

ちなみに種田が塁に出る事を「発芽」と呼んでいた。「出塁する種田」略して「発芽」、それで良いんじゃないか、それで意味が通じるジャンという、そんな気持ちにさせられる種田の貴重な出塁シーン。


このように愛されていた野球選手、種田。だからこそ今回の逮捕は悲しい。

種田を知っている人間であれば、一度くらいはあのバッティングフォームを真似したはずだ。体育のソフトボールや地域の野球大会、あの当時何人の人間が種田の真似をしただろうか。

俺もその一人だ。そのとき種田が現役だったかどうか記憶にないが、当時大学生だった俺はある晩、どういうつもりか酔っ払ってタバコを口に咥えたまま、無性に種田のバッティングフォームを真似したくなってしまった。

これはもう「そういうものだ」としか説明出来ないのだが、タバコを咥えたまま種田のバッティングフォームを真似すると、何ぴとであろうと丁度二の腕にタバコの先端が当たる仕組みになっていて、酔っ払っていた事もあってか熱さに鈍感なまま2、3秒間タバコを二の腕に押し付け続けた結果、そこには見事な根性焼きが完成していた。

ドライアイスで除去した左手のイボの痕を「これは根性焼きだ」と中学3年間嘘をついた事はあったが、マジの根性焼きはまさかの種田のバッティングフォームで出来てしまった。火傷が辛くて、ヤンキーの凄さを大学2年でようやく知った。

 

だから今回、俺が種田逮捕のニュースを聞いたときは真っ先にこの二の腕の根性焼きの事を思い出した。久しぶりにまじまじと見る自分の二の腕。だらしない二の腕であったが、そこには薄くなったものの、あの時ついた根性焼きはまだ微かに残っていた。