アンソニーさん

俺のオフィスの入っているテナントが契約している清掃会社から派遣されてくる清掃員がまた変わっていた。4人目である。

新しく来た人に聞くと前の人は清掃会社自体を辞めてしまったのだそうだ。他の会社のことであるし代わりがきさえすれば我々は彼らが辞めたければ辞めればいいと思うのだが、面倒なのは彼らの前任がやっていた清掃の手順をなぜか俺が教えてあげなければならないことである。

「これはうちが捨ててた?」

などと聞いてくれればまだいいが、前任がやってくれていたことをやらなくなったりするといちいち声をかけて教えてあげなければならない。

どの業界でもアメリカ人には引継ぎという概念はあまりなく、またそもそもいきなり辞めてしまうのだから聞くことも出来ない為結果として、彼らの会社でも契約しているテナントでもなく、事務所にいる我々が指導せざるを得ない。

人が変わるたび、段々清掃の質が落ちている気がする。アメリカに来て最初の頃にいたアンソニーさんという40代のバハマ人男性はとても几帳面で、またフレンドリーであった。デスクに座っている人が仕事中だと見ると後回しにして、頃合を見て「掃除していいか」と聞いてくる気の利いた人であった。

事務所の受付の来訪者リストにあるサインから彼の名前がアンソニーであることを知り「ハイ、アンソニー」など時々話しかけたりしていたのだが、そんなアンソニーさんがある日突然来なくなり、代わりにやってきたのは仕事中ずっと誰かと延々大声で電話をしながら清掃する態度も愛想のよろしくない黒人男性、彼はどこを掃除していいのか全く分かっておらず毎回アンソニーさんの半分以下の時間で清掃を終わらせ、アンソニーさんが毎回していた便所掃除は2,3回に1回となり、案の定1ヶ月ほどで来なくなった。

そんな彼の次にやってきた清掃員もそれと同じ塩梅であったが彼はまだ若く言えばやってくれるところがあったので、ところで彼の名前はなんだろうとまた受付にある来訪者リストを見たらなんと彼もまたアンソニーだった。そこでようやく気づいたのだがアンソニーは清掃会社の名前だったということである。

アンソニーさんの事を思い出していた。俺からある日突然、会社名でアンソニー、アンソニーと呼ばれはじめた名も知らぬ清掃員のおじさん。どういう気持ちだっただろか。彼の名前は何だったのだろうか。

アンソニーさんだと思っていた清掃員のおじさんが辞めてから2人目の清掃員である若いアンソニーさんもその後4ヶ月で辞めてしまい、今俺は4人目のアンソニーさんに掃除の仕方を教えている。

スナックのママ

そもそも自分の親のことをママなどと呼ぶ家庭ではなかったものだからスナックの「ママ」という表現には強い抵抗感があり、あまつさえ大の大人が「ママ」などと発しているのを見るのはかなり辛いものがあるというもんであるが、しかし社会人になるとスナックの一つにでも行く機会はあり、ママの一人でも呼ぶ機会もあるというものである。

「おい、ママ呼んできて」

そう、あれは前に勤めていたクソの会社のクソ上司にママを呼びに行かされた時のことである。

ママは、俺のお母さんでもないくせにそう呼ばされようとしているママはというと、我々の席から一番遠い場所で別の客と話をしている最中、それを俺に呼び寄せさせようというのである。

最初に言ったとおり自分の親にもそう呼んだことのないけがれを知らないママ童貞の俺が、最初にママと呼ぼうとしているのが眼前にて爪楊枝かと見まごうばかりの細いタバコを吸いながら片手で腕組みをし、おたくのカラオケは全曲デスメタルすかと尋ねたくなるようなしゃがれた、低周波の、肩などにあてがうととても気持ちのよさそうな低いヴォイスでもって客と談笑などをカマす60がらみのおばさんなのである。

「マ...」

あの、すいません。と他人行儀に言い直し、この手の場所では馴れ馴れしさや図々しさが溶け込む最善とは分かっていたが、子供の頃からこういった誰からもニックネームで呼ばれ、皆が疑いも警戒心もなく馴れ馴れしく接している人物に、俺も俺もと一緒になって馴れ馴れしくするのが極めて苦手な俺はこの日も他人行儀でやり過ごし、

「あらーー○○ちゃん、来てたの~」

など、俺には半分無反応なまま、上司にはプテラノドンのように両手を半開きに広げて向かっていくその女の背中をぼんやり見つめながら、近所の駄菓子屋のおばちゃん、部活のマネージャーの女子、後輩にやたら慕われている先輩社員など過去から最近に至る、今までに俺だけが一人よそよそしくしていた色んな人たちの顔を思い出していた。

メシを食うと5分でウンコになる俺たち

ちょっと今からウンコの話をするが、まあメシでも食いながら気軽に読んでほしい。

例えばウンコをしたい、ウンコを我慢できないというレベルが10のうちまだ半分の5ぐらいの時があったとして、その時に飯食ったらそれが突然、一気にレベル9ぐらい、野球でいうとオナラで何度かけん制しないと一塁ベースにいる足の速いウンコが二塁に盗塁しそう、っていう状況になるときあるじゃないすか。野球で例えたのが悪かったかもしれないが平たく言うと結構大便が出そうな状況のことである。けん制球が悪送球になろうものなら三塁まで一気に行かれそうな、そういう状況のことである。

話が野球になってしまいそうなので話を戻すが、つまりご飯を食べたその刹那に、それまでベンチに座って戦況を黙って見つめていた監督的な便意がサッと≪走れ≫と一塁にいるウンコに盗塁のサインを出すわけである。

≪ホームまで帰って来い!≫

ついつい話が野球になってしまう僕なのですがつまり、ご飯を食べたら5分と経たずに急に便意が旺盛になる。状況だけを見る限りでは、食った飯ってのは色んな器官の制止を振り切ってダイレクトでケツまで行くのかよと思ってしまうわけである。二塁、三塁をとばしてホームに向かって走ってこようとするのである。アウト!

高校のときの友人がこんな興味深い説を唱えている。

「午前中にウンコすると昼までに腹が減るからやめといたほうがいい」

この説からも、やはり食事と便意は様々な器官を超えた固い絆で結ばれ、ほぼダイレクトに繋がっていると考えてよく、これはもはや我々が野球では説明することのできない人体の神秘なのである。

-完‐

都内

「しかし××くん、都内はアレだねぇ↑」

あれは20代半ば、前職でのことである。午前中の、まださほど忙しくない時間に、今日も上ずった声の支店長が部下とのコミュニケーションのつもりかフラリと話し掛けてきた。

とはいえこの支店長、人と話をするのが苦手なのか、話そうとする直前必ず軽く「スー」っと深呼吸をし、そして声は上ずり、雑談の中身は大抵意味不明である。

丁度俺はExcelで「23区の地図」を作っていたところ。いまさら23区の地図等作る必要など無く、勿論これは仕事に見せかけた暇つぶしだ。

「はあ、なんでしょう...?」

さも「やってました」というような顔をした俺は、その声で一旦手を休めるとクルリと上司の方へ体を向ける。

「スー」っと深呼吸をする支店の長。俺は冷たい目でそれを見る。

「ええと、都内はさぁ↑」

支店長が続きを言おうとしたとき、彼の胸に潜んでいた携帯電話が「ピリリリ」と鳴る。

「××くん、ちょっと、ごめんね...↓」

「ええ」

 

 

それから10数時間。その日は群馬まで車で行き、帰りは初めて首都高に乗り、会社のあった港区の湾岸沿いまで帰ってきた。小雨の降る夜の首都高。ちょっと緊張した。

助手席の先輩を眠らせないよう、色んな話をしてひたすら笑わせていた。「××くんは面白いねぇ」と何度も言われたが、結局力及ばずその先輩は埼玉の南のほうで寝た。

だがそんなことはどうでもいい。

自宅に帰り、黙って机の前に座ってその日あったことを思い出していた。PCのデスクトップで開いたヤフーの芸能ニュースを眺めながら考えていたのは今日の午前中のこと。

「しかし××くん、都内はアレだねぇ↑」

都内は一体何だったのだろうか。

スラムダンクの連載が始まったとき、男子はみんな流川楓になった

スラムダンクという漫画、説明するまでもなかろうが、あの連載が始まったのが多分俺が小学5年か6年生の頃で当時NBAは既に人気で観るスポーツとしては日本でも人気があったものの競技としてはまだまだ日本ではマイナースポーツだった時代にあの漫画は少なからずその今日人口を底上げするきっかけになったといっても過言ではなかった。

実際にどの程度バスケット人口を増やしたのかその定量的なデータを見たことはないが、あの当時俺の周辺ではバスケット部の部員数は急激に増え、付近の小中学校でも同じことが起こっていたのだから全国的に見てもスラムダンクをきっかけにバスケットボールというスポーツの認知度は高まり、結果としてあの漫画はかなり競技人口を増やしたのではないかと思うのである。とにかくあの当時、男子ならずとも10代の若者に与えたインパクトはそれなりのものだったと記憶している。

 

スラムダンクの連載の始まりがあの当時の小中学生に与えた影響の大きさというものを説明する上でもうひとつの説明すべきエピソードとしては、あの当時、特に男子中学生の間に「流川楓」が激増したことである。言い換えると流川的なカッコいい男子キャラクターの概念が当時の男子生徒の中に初めてインストールされたのである。

少女マンガではあの手の気だるい雰囲気をかもし出すクールなキャラクターはそれまでにも存在し割と一般的だったのかもしれないが男子はそうもいかない。女子に比べて粗暴で単純なストーリーを好むのが男子の性質なので「クールなキャラ」と言われて連想出来るのはベジータぐらい。頑張ってひねりだしてもせいぜい食パンマンである。

「シュミ...寝ることかな...」

初期スラムダンクの名言として男子生徒のハートを掴んだのが流川のこの台詞である。趣味を聞かれて寝ることと物憂げに答える流川。クールなイケメンと言えば女子の視線を少なからず慮り常にキメキメであるものと思っていた男子はこれに衝撃を受けその瞬間皆一斉に趣味が寝ることになった。

「えー、趣味は寝ることです。」

クラスの後頭部の寝癖がいつもハンパないデブの童貞が新学期最初の自己紹介で別に聞かれてもいないのに物憂げな表情でそういった。「まあそうだろうよ」という感想しかなかった。このように自己紹介、例えば卒業文集や様々なメンバー紹介の紙面上にも一斉に「趣味:寝ること」という文言が広まった。見渡せば男子はみんな趣味が寝ることになりつつあり、彼らは背は165cmぐらいで学生服のズボンは寸足らず、顔はとても不細工で性欲だけはNBA級だったが趣味を語るときは一様に流川のように物憂げに、気だるそうに「寝ること」と言った。

でも笑わないであげてほしい。あの当時のスラムダンクが与えた影響はそれくらい大きかったのだから。俺も大好きだったスラムダンク。流川の寝ること以外にも色んな名言があったが、社会人になったいま一番役に立っているのは桜木の「ごまかす!」と流川の「もみ消す」ぐらいである。