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トイレに近づくと勝手に作動する便意アシストサービスについて

2010年の冬。それは忘年会の帰り、最寄り駅を降りたところで強烈な便意に襲われた。
駅のトイレに寄ってみるも、この不況の中個室はまさかの全室完売。並ぶ人の列を見る限り、予約は半年先にまで及んでいる雰囲気である。
当時住んでいた家までは駅から歩いて15分ほど。緊急性は低いと考え、便意を無視してそのまま帰宅することにした。

歩き始めればなんと言うことはない。途中コンビニがニ軒あったがウンコさんはまだチェックアウトなさる様子ではなく、安心してどちらのコンビニもスルー。

そんなことよりその日は皆既月食であった。酔った眼で空を見上げてみるといつもと様子の違う月がぼんやり。メガネの無い目ではよく見えなかったが、外に出て写真を撮る人々が何やらスゴイスゴイと言うものだから、ああ凄いなあなどポツリと呟いてみせたりしてこのイベントに参加する。

そういえば月の満ち欠けと赤ちゃんの誕生の関係についてよく目にする。皆既月食ってことは、満月に加えて月食の特別なパワーも何やらやるのではないか、月食ベイビーが各地で誕生しているのではないか、自分が産まれた夜が月食だったよなどと後々言われたら嬉しいなあなど、ガラにも無く素敵な物思いにふけりながら歩みを進めるのである。

月の満ち欠け、潮の満ち引きとお産の関係についてはその程度の認識しかないのだが、ふとそれを考えたときに便意と自宅トイレまでの距離についても似た様なところがあるのではないか。そう思ったのである。

というのも、既に駅前商店街を後にし、閑静な住宅地の、到底便所など期待できないエリアに達したところになって、今まで大人しく俺の命令に従っていたはずのあの忠実な便意が、「敵は糞尿寺にあり」とばかりに突如として謀反を起こし激しい便意となって急襲を仕掛けたのである。

その便意、帰路を急ぎ自宅へ近づけば近づく増大するばかりで、変に慌てて歩みを早めようものなら下手すればサドンデスでVゴール、ウンコがその場でカズダンスと言う雰囲気である。ゆっくりジワジワと慎重にアプローチせねば、揺れ等の急激な腸内環境の変化により俺のナニは脆くも決壊することが予想されるわけである。ちなみにナニとは肛門である。

思うに徐々に便器へと近づくにつれ、それを察知した腸のバカヤロウが良かれと思って「準備しときますね」などというウンコ・アシストサービスとしての便意を働かせているのではないかと、そう考えるわけである。しばしば経験するこのおせっかいサービス、そのアシスト機能のピークたるや大抵便座にありつけたタイミングにはなく、なぜか決まってそのちょっと前、特に自宅のドアの目の前でそれも鍵を探して焦って荷物の中をゴソゴソやっている最中にやってくるという非道ぶり。

サービス社会、スピード社会の弊害とも取れるこの距離検地便意サービスの余計なおせっかいには憤りを感じるばかりであるが、かといって家路を急がねばお漏らしと相成るのも時間の問題だし、俺は久しぶりに「欽ちゃん歩き」という古典的な耐便歩行法を駆使し家路を向かうのだが、途中どうしてもくじけそうになり、二度も近所の壁際に立ち尽くし、苦悶の表情で下の口に「シャーラップだよォ...」と言って聞かせるのである。

結局自宅直前での便意ピークを経験したものの、家には妻が居り、幸いドアは簡単に開いた。ただいまも言わずにドケドケ!と乱暴に家に、便所に突入すると間髪入れず立派なインゴットが、平たく言うと巨大なクソが「オッスオッス!」と体育会系のノリで出たのであった。俺は「勝ったぞーー!」と叫んでいた。何に勝ったんだよ。

ナイト・オン・ザ・プラネット。あの日同じ月を見ていた皆さまには悪いが、これも皆既月食の空の下に起こったあの夜の一つの物語なのである。どうも失礼しました。