増水した川に浮かんでいたダッチワイフ

あれは確か中体連が終わり、3年生が抜けたバスケット部が我々2年生のものになっていた夏休み中の出来事だったと思う。

その週の大半は大雨であった。特にひどかった前日の大雨が上がると急に天気は良くなり、久しぶりに自転車で部活に行ったその帰り、俺は自宅とは真逆の、チームメイトが住む地区を彼ら2人と一緒に自転車で走っていた。

部活帰りに寄り道したその用事が何であったかはもはや覚えていないが、我々の自転車が川沿いにある飲み屋やラブホテルが立ち並ぶ大人のエリアに差し掛かったときのことである。

中学生らしく道幅いっぱい3列に広がり自転車を蛇行させながら川沿いの道を立ちこぎで走っていると、川側を走っていた小太りの渡辺が急に「人だッ」と叫ぶのである。

人が川にいたという渡辺の証言に一度は通り過ぎたその場所に3人でUターンし急いで戻ると昨日の大雨で増水した川の中には渡辺が先ほど目撃したであろう人の姿が確かにあった。橋の真下にある柱と川岸の間の草やゴミが滞留した場所に引っかかっているのを川の上から確認する。

背の高い田中が歩道と川の間にあるガードレールを乗り越えより近くで見ようとした次の瞬間彼は接近するまでもなくその正体を理解し「ダッチワイフだッ...!」と叫んだ。

それは紛れもなくダッチワイフであった。発見した瞬間に概ね分かっていたが首だけのダッチワイフであった。なぜ川にダッチワイフがあるのか分からないが、自立歩行しないダッチワイフのことだから、大雨に乗じて処分に困った持ち主が投棄したぐらいの推測しか俺には出来ない。ともかく今目の前にそのダッチワイフがあるのである。

「助けよう」

助けることにした。中学生なのでダッチワイフを助けることにしたのである。川の中からこちらに向かって顔を向けているダッチワイフ、ずっと目が合っている。助けずに去ることは出来ない。

「あれまだ使えるかな」

皆が心の中で密かに思っていたことを第一発見者の渡辺がポロっと口にした。言わないでくれと思った。実際、使える可能性を信じて助けようとしているという事実を認めたくなく、そんなわけないだろうと笑ってごまかした。

名前は忘れたが同じ中学の剣道部員がそこを通りかかったのはそんな川の中のダッチワイフ発見から程なくしてであった。彼のもつ竹刀は男根のメタファーでもあり、そのリーチからして適任であるとしてすぐにダッチワイフ救助にあてがわれる事となった。

増水していたとはいえ、歩道からダッチワイフまでの距離は数メーター。竹刀があれどガードレールを超えてコンクリートで舗装された護岸を降りていかねば届かないだろう。

幸い川の両岸は緩やかな坂道状になっており、またそのコンクリートの護岸の表面もデコボコとした作りにもなっていたことからガードレールを越えた後、ダッチワイフのあるかなり近い場所までは行くことが出来るように思われた。

名前は忘れたが同じ中学のその剣道部員を救助の役割に任命し、バスケ部の3人は川の上からアドバイスをすることとしたのだが、名前を忘れたほどの存在であるから彼の手際ときたら、誰しも川に落ちているダッチワイフを助けた経験はないということを差し引いたとしても非常に悪く、そのうちいいから竹刀だけかせッと背の高い田中が彼に代わって救助を買って出る。

「竹刀を水につけないでくれ」と懇願する名前を思い出せない剣道部員の願いも空しく、田中は竹刀を川の中に大胆に入れてダッチワイフ手前に引っ張ろうと試みる。あともう少し、あともう少しで竹刀がワイフをとらえるゾッ…!

「ウ、ウアアアーーーッ」

上で見ていた3人、そして最前線でがんばる田中の4人が同時に驚きの声を上げたのは首だけのダッチワイフが竹刀につつかれクルリと回転し、それまで水の中にあった後頭部をこちらに向けたときのことであった。

なんと、なんとであるがそのダッチワイフときたら、後頭部になぜか女性器がついていたのである。

どういうことなのか理解出来なかった。取りあえず最初にそうすると決めたので一応ダッチワイフは剣道部員の竹刀を使って、具体的にはダッチワイフの後頭部に竹刀を挿して救助したのだが、ともかく引き上げられたワイフのこの謎のデザインに全員ドン引きしたものの人の目もある事から取りあえずその場を離れ、助けたダッチワイフを連れ公園で乾かすこととした。

ワイフは相変わらず口を空けたままであるが、先ほど川の中に居たときよりも表情にも安心感がうかがえる。しかしまあ、かなりの旧式なのか申し訳ないがめちゃくちゃブスであった。ブスなのは許すとして問題は後頭部である。申し訳ないがこの謎のデザインは何なのか。性にアグレッシブな男子中学生であってもこの唐突な性器へのアクセスは理解の範疇、性的好奇心の限界を越えており怖くて後頭部を見ることができなかった。男でいうと頭から男根、平たくいうとチンポが頭から生えているということである。そんな鬼に村を襲われたらどうしますかみなさん。

 

「…とりあえず部室に持っていこう」

あと当時、3年生の引退により部室という天国を得た我々の口癖にもなっていたこのセリフにより、我々は乾いたダッチワイフをスポーツバッグ押し込み、学校に引き返し、部室にそれを設置する事とした。取りあえず部室に、という形で集まってきた同じような拾ったゴミたちと一緒に、彼女はその後ずっと部室の棚の上に置かれ続け、俺たちを見守ってくれた。

 

その数ヵ月後である。私物などの持込みの疑いがあるとして教師によって抜き打ちで各運動部の部室がチェックを受けることが分かったその当日の昼休み、その日までずっと部室に置かれていた件のダッチワイフだけは絶対に見つかるわけにはいかず「森に隠せッ!」という知性も計画性のかけらもないアイディアにしたがい、部内で一番肩の強い男の手により高台にあった学校の、部室裏にある森の中に投げ込まれた。彼女を見たのはあれが最後であった。