周りを見渡せばみんな童貞ばかりであった

高校時代、周りを見渡せばみんな童貞ばかりであった。一応進学校であったからみんなそれなりに真面目だったのは間違いないが、それにしても、というレベルである。童貞率は90%ぐらいだったのではないか。湿度じゃなかったのが唯一の救いだ。

進学校といっても大した進学校じゃないし、そんなに勉強ばかりしていたわけではないはずなのだが、ド田舎であるが故のピュアネスがそうさせたのかとも思ったが、しかしなぜか同じ市内にあるはずの他校と比較しても男女のアレコレという部分においては明かに大きく遅れを取っていたのは、他校の女子と付き合っていた我が校の男子生徒が彼女から「これで連絡とろうよ」と渡されたポケベルの使い方がわからず「4649」とひたすら送り続けていた事からお察し頂きたく。

そんな童貞率も、特に俺の学年はヒドいもので遂には「セックスに及んだ者は我欲に負けた精神的弱者である」のようなラディカルな童貞文化が花開いてしまい、考えられないことかもしれないが、我が校では脱童貞者が自らの性体験を殊更自慢げにひけらかすということもあまり無く、むしろ彼らはマイノリティ然とし粛々と日陰を生きたのち、3年の終わり頃に申し訳無さそうに「実は俺、童貞ではなく...」とカミングアウトするほど。

ナマをいってんじゃねえよ、それが童貞であろうと家族だろうとプライドだろうと、自分の力でそれを守りきれなかったヤツは負け犬。授かったモンは守り通せっていってんだよ。つーわけで、失ったものは決して自慢されるべきではないのだ。

従って、「童貞ではない」という事がバレてしまった場合、待っているのは悪質な嫌がらせ。童貞による恐怖政治、ないしは童貞による衆愚政治の幕開けである。

嫌がらせの内容は至極シンプルなもので、名前をセックス仕様に改造されてしまうだけである。江戸時代、罪を三回犯した者が額に「犬」という刺青を施されるのと同じように、自分の顔である名前に堂々とイヤラシい言葉が付けられる。なんという悪質かつ残酷な仕打ち。

「フェラ田」「セク岡」「ヤリ村」

まずはヤッたことを、罪状を皆様にわからせるような安直なニックネームが付けられ、さらに「このようなプレイをしたらしい」という、行為内容の情報が多ければ多いほどそのネーミングはより具体的になり、例えば「バック川」などという、情報が加わったたとて依然なんのひねりもない名前にされてしまうわけだから、とてもじゃないが自慢なんてしてる場合ではない。中には苗字が漢字一文字で全く語呂が合わないことからそのまま「セックスさん」とダイレクトで呼ばれていた女子も居たほどである。

加えて、これは嫌がらせというべきか、非童貞となったものの責務とばかりに何度となく開催を強制されるのが彼らの性体験発表会。運転免許の更新で同じ光景を見ますね。当たり前ですが、体験者にはそれを語り伝承する義務があるというものである。

同じ部活にいたセク岡君による「いかにして俺はナオンを抱いたか」という全50回、部活後に行われた講義の盛況ぶり、質疑応答の白熱ぶりからは、当たり前であるが童貞たちがいかに性行為に憧れているかを感じさせた。しかしこの長年続いた童貞見張り合い運動の悲劇というべきか、気づけば性体験発表会に参加していた男子も、3年生にもなると実は半分が既に童貞ではなかったということが次第に判明したりして、それも知らずに株主総会の総会屋のような偉そうな口調で「なりゆき、って今おっしゃいましたけどそこが一番知りたいワケよォ!?」などのピュアネス全開の質問を連発していた自分の格好の悪さを思い出すとテメエこそみんなから「貞島」って呼ばれてたんじゃねえかよと思う次第。

そんな俺も今では二児の父、すっかりセク島です(笑)