マサルセックス

中学の頃、近所の電柱に緑色のスプレーで「マサルセックス」と殴り書きされていた。

最初はよく読めなかった。雑な字であったし、スプレーとはいえ風雨にさらされたのかところどころ線は消えかけている。それでもセックスだけはハッキリと読み取ることができた。問題はセックスの前の三文字だったが、あくまで実存する日本語の範疇でその意味を考えつつ、数人で解読してみると「マサルセックス」に着地せざるを得なかった。

マサル・セックス」

マサルセックス。言葉の意味は分からないがとにかく凄く自信に満ち溢れた言葉だった。全員セックスをしたことがなかったのでなおさらである。通るたび、その電柱からはえもいわれぬ神々しさすら感じられた。

ただ不幸にも、当時所属していたバスケット部にはマサル君が居り、彼はその落書きのせいでしばらく「マサルセックス」という中学生らしい安直さでとても残酷なあだ名を付けられる事となった。マサル君もまた、もれなく童貞である。

我々より読書量、映像教材の経験が多く、より性知識を持った平たく言うとめちゃくちゃエッチなことに詳しい連中により、我々が「マサルセックス」と読解していたものが実は「アナルセックス」の間違いだと嘲笑と共に指摘されたことにより、我々のエロ知識には遅まきながらアナルセックスが伝来した。

「そのような裏ワザがあるんですねえ」

と同時に、思い出されるのは我々の勘違いで不幸にもマサルセックスと名づけられたマサル君の心のケアであるが、「ならば」とばかりにその後マサル君はしばし「アナル君」と呼ばれる暗黒時代を迎えるのであった。