大学を出て築地の青果部門にある会社に入って間もない頃、千葉の東側、九十九里浜沿いにある旭市というところへ一人で派遣された。名目上は農業研修だが要は農家の作業を手伝う労働者である。市場と関係のあるJAに対し、こうして新人を派遣することで関係を強化しようという狙いもあったのかもしれない。
東京駅から電車で70分、海沿いにあるはずだったがそれを全く感じさせない一面広大な畑が広がる農業エリア。地元農協でこの地域の農業云々について簡単に説明を受けたあと、これから1週間、俺が世話になる農家の人とご対面、山崎さんという50代半ばの恰幅の良い男性である。
挨拶もそこそこにお迎えの車でまずは宿泊する宿まで送ってくれた。山崎さんは語尾がダッペのめちゃくちゃとても気さくな人で、後で聞いた話ではこの辺の農家の部会長を勤めている方だったそうだ。世間話も上手くできない俺に気をつかい色々と街の説明をしてくれた。宿にもうすぐ着きそうになった車中で、明日からよろしくお願いしますといおうとする前に、山崎さんから「夜飲み会があるんだけどくっか」とのお誘い。快諾すると、じゃあ後で迎えにいくからと降ろされたのは街外れにソッとたたずむ家族経営の小さな素泊り宿であった。
こんな場所のこんな宿にいったいどんな宿泊客がと思ったが、駐車場には東京、埼玉ナンバーの営業車、電気工事関係の車が停まっており、この手の素泊り宿の需要を知る。
こっそり見て回ったが、畳張りの六畳程度の部屋が宿内に30ぐらいあっただろうか。みんな入り口など開け放ちテレビの音が漏れている。宿というより寮の雰囲気に似ている。客はどうも男ばかりである。
夕方過ぎ、荷物をほどき着替えなどをした後、部屋でテレビを観ていると携帯電話に電話がかかってきた。山崎さんである。今から車で迎えに来てくれるのだそうだ。
山崎さんに連れられ、街の中心部らしき場所にある個人経営の居酒屋に着くとすでに飲み会は始まっていた。案内された座敷のテーブル席には既に4人の男性がいて、必要以上に社会人らしく丁寧な挨拶をして席についたが、彼らはというと揃いもそろってしかめっ面で何かを真剣に 話し合っている。それは飲み会というより会議、場違いではないかと思って見ていた俺を察した山崎さん、
「今日は野球チームの会議なんだ」
なぜそこに俺を呼んだのかと、それから40分ぐらい自分とは全く関係ない野球チームの話し合いに黙って立ち会っていたが、とにかく下位打線の打順でやけに揉めていたのを覚えている。
料理にも酒にも手をつけず傍らで打順の話を聞いていたが、集中力も切れかけた頃にようやく「んじゃ、それでいくべ」という山崎さんの言葉と共に飲み会が始まった。飲み会が始まると同時にその場に突如三人のおばさんが入ってきた。歳はそれぞれ40代、30代、20代後半ぐらいだろうか。
「今日は私たちhappyの三人が皆様の宴会をお手伝いさせていただきます!」
おもむろにシャウトである。名前の通り、エプロンの胸には 「happy」と書かれている。それは地元で「エプロンおばさん」と呼ばれているコンパニオンの一種だという。コンパニオンというのは大規模な宴会でしか呼ばないものだと思っていたので大変衝撃を受け、他のお客さんも見ているようなごくごく普通の居酒屋の座敷でのコンパニオン接待を甘んじて受けた次第。エプロンおばさんは本当にただそこに黙っていてニコニコしているだけで、時々酒を注いだり、注文をとったりと飲み会の手伝いをしてくれる。何なんだこのシステムは、他の客もまったく気にする素振りもなくエプロンおばさんを受け入れている。
飲み始めて程なくして、俺が山崎さんのところに研修で一週間手伝いに来ているという話題になると、他の皆さんもどうやら全員農家らしく、突然「じゃあ、おれんところも来てよ」と山崎さんに言うと、俺が「実は今回は...」と返事する前に山崎さんが「行かせるわ」というので勝手に別の人の所にもいくことになった。これはカリキュラムに載っていないのだが勝手に決定。俺は農奴。何でもありなのだ。
翌日、農業研修のスタート。ミニトマトを栽培するビニールハウスの中で余計な葉っぱを切る作業。農協からもらったJAマーク入り蛍光色の帽子をかぶって地下足袋を装着、そういう格好で1日農作業に従事する。周りはまっ平らなのどかな水田地帯。農作業中に聞こえてくるのはBGM代わりのNHKラジオの音以外はひたすら虫の声、あとは遠くから聞こえてくる農機のエンジン音だけである。一人喋り続けるラジオの音が逆にそれ以外の静けさを強調し、作業への集中力を生む。
時間はあっという間に過ぎるのだが。思ったより休憩が多い。8時に朝飯を済ませたが、10時にはおやつの時間、12時から1時間半の昼休みを山崎さんの家でだらだら過ごすと、作業の後には3時のおやつ。5時になると「帰ってよい」といわれる。俺が居るからこうなのかもしれないし、繁忙期はこうもいかないのかもしれない。農作業をしている間はとても楽しかった。いいなと思った。
3日目、初日の飲み会で勝手に決まった別の農家のお宅へ手伝いに行く日。
伊藤さんという、40代のガタイがよく的場浩二に似た地元農業界が期待する若手である。伊藤さんの実家は何代か続くキュウリ農家であり、伊藤さんも跡を継いだ格好。そんな伝統あるキュウリ農家でもやはり余計な葉っぱを切る作業。農業における「余計な葉っぱを切る作業」の比率は結構高いのかもしれない。農家の人々は大抵余計な葉っぱを切っていると言っても過言ではない。作物はミニトマトからキュウリに変われど、余計な葉っぱの見た目は若干変われど、同じくジッと自分を向き合う孤独の作業。余計な葉っぱじゃないヤツを切って伊藤さんに怒られたりもしたが、説明を聞くとそれはおそらく俺が山崎さんのミニトマトでも切っていたっぽいやつである。後で怒られるかもしれない。
作業終了後、伊藤さんと奥さんが焼肉を食わせてくれるというので喜んで同行。伊藤さんは酒に弱いらしく、酔っ払うと途端に饒舌になり、聞いてもないのに奥さんと出会った頃の話をし始める。奥さんへのボディタッチも健在で、40オーバーの伊藤さんだが、これはまだまだ奥さんとシていそうだ。
後で山崎さんに聞いた話だが、伊藤さんは奥さんにプロポーズするとき電車の線路の上に寝て「お前が嫁にきてクレねぇなら俺はこのままうごかねだ!」と言ってゲットしたという。まさにドラマのような所業であるが、そういわれてみれば奥さんはかなりの美人。言うなればいい歳してだだをこねて嫁をゲットしたわけで、後で考えてそんな伊藤さんに少しゾッとした。
でもそんなことができるのは千葉の奥地ならではのこと。東京でそれやると YesかNoか答える前に、お前が嫁に来る前にたくさん人が乗った電車が伊藤さんの体の上にやって来るのだ。
千葉での一週間はあっという間に最終日。最終日の前日、山崎さんが奥さんのいない所で俺にコッソリ「最後だからイイとこ連れていってやっから」と耳打ちをするものだから完全に「ソープだ」と思って行った先がスナックでとてもがっかりした。社会人が「イイとこ」というとソープランドなのだとばかり思っていただけにその落胆たるや相当なもので、最終日の前夜に色んな良い話をしていただろう山崎さんの声が全く耳に入ってこなかった。
一つだけ覚えているのは「おめえ、明大出てこんな仕事してたらダメだよ」という割とリアルなご指摘。それは俺が一番分かっていた。俺も何とかしたいんだが、それは今じゃない。合金旅館に降ろしてもらい、その別れ際「この仕事やめてもこの街にはまた来いよ」という言葉には、ああ、ソープ無くしても、かくも人は感動するのだなあ、と痛感した次第。
千葉を発つ朝、帰り際に山崎さんは「おめぇにやれるのはこれしかねぇ」とクオカードの5000円分をくれた。俺はそれで何を買ったか覚えていない。山崎さんとはその後一度電話をしたきり、いままで一度も会っていないのだが、その後転職した俺は千葉のあの辺りへ行くたびにあの一週間のことを思い出したのであった。