キノシタが家にやってきた

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先日「古本屋にあったヤバいエロ本」というテキストをオモコロの文字そばという連載コーナーで書かせてもらったのだけど、このキノシタについては別のエピソードがあって、それはこのキノシタがなんと自分の家に親の本の買い取りに来るというあまりよろしくないシチュエーションのことである。

母親が家に眠ってる本を古本屋に売ると言い出して、量もさることながら結構価値のある本もあったらしくて、週末にキノシタがそれを取りに来るという。

そもそも俺の地元にはそんなに沢山の古本屋があったわけではないので、タウンページなどで調べた結果、キノシタが選ばれる確率というのもそんなに低くはなくて、案の定キノシタさんが見事選ばれましたよと。

まさか中学生の息子がこんな古本屋にお世話になっているなどとは母親も思ってないだろうし、家の中には本を買った形跡もないから、「あ!これはこれは、いつもどうも!(手はおっぱいのポーズで)」などやられたらたまらないと思ってキノシタがやってきたら部屋に閉じこもり、縁側で本の査定みたいな品定めをしているのを黙って聞いたりしたものである。

というか、こっちとしてはキノシタなんてただのエロ本屋だと思ってるわけなのでそんな輩にうちの大事な本の価値がわかるのか、というか、そんなエッチなヤツがうちの家の敷地に入ってきたことに強い警戒感を示したりなどしたものである。母親のパンツとか盗んでいくんじゃないかなど、平素は格別にお世話になってるくせに高まる警戒度。

まあそれからですよ、自分ちの本がキノシタにあると思うともうなんか立ち読みにも行く気もしなくなってしまい、更に誰からともなくエロビデオが回ってくるようになってからというもの、ほぼ理由は後者だけどすっかり立ち寄らなくなったキノシタであった。

 

つり革ソムリエとの遭遇

昔、仕事の移動中に乗っていた電車の中での話。

「ガーン」というドアを激しく閉める音とともに隣の車両から移動してきたのは50代の男性。服装や表情といった外見から放たれるちょっと普通じゃない感じに加え、独り言にしてはかなり大きな音量で何かブツブツ言っている状況からして、東京の電車ではほぼ毎日我々が遭遇する「関わらない方いい人」の類かと思われた。

時間は午前11時で乗客も少ない下りの列車。そのうち、彼の行っていた奇行、またなぜ隣の車両から移動してきたのかはすぐに周囲の乗客に明らかになる。

比較的空いていた電車内、彼は人が握っていない空いているつり革全てをひとつひとつ確かめるように握りながら移動しており、その姿はまるでつり革の握り具合を確かめるかのよう。次の駅で降りるからと俺は立ってつり革に掴まっており、どうやらは彼も一応人が握っているつり革は避けるという社会性も持ち合わせていたものの、接近し、通過していくときには軽い恐怖を感じた。

車内の視線を一身に浴び、また他の乗客に避けられながらもしつこいくらいにつり革のひとつひとつを小まめにチェックする男性。

そんな彼が突然足を止め、突然グッと握り締めたつり革があった。両手で握り締め、ブツブツつり革に語りかけるように10秒ぐらいそこに居ただろうか。彼の電車内の移動はそこで終わるのか。乗客もその動きをジッと見つめたが、しばらくするとまた歩みを始め「ガーン」と強めに締めた扉の音ともに隣の車両に消えていった男性。

車内の視線が彼の背中から先ほど彼が凝視したあのつり革に集まっていたのは言うまでまでもなく、そして次の駅に着き、その降り際、俺と別の男性が同時にそのつり革の何が違うのかと確認しようと同時にそれに近づき、目が合い、俺たち、それを見ていた乗客の中に妙な気まずさだけが残った。

上司に俺の愛妻弁当を食べろといわれ

以前仕事場の上司に突然「おい、俺の弁当食ってくれるか?」と言われ、持参してきた奥さんの手作り弁当を突然渡された。何らかの用事で弁当が食べられなくなったらしいその人は、俺に自分の弁当箱を渡すと俺の答えも聞かずにスタスタと去っていった。

よその家の手作り弁当を初めてもらったのだけどかなり嫌だった。自分の中に生じる明らかな拒絶反応に、幸せなランチタイムは地獄になろうとしていた。

子供の頃、よその家のご飯が、よそのお母さんが作った料理が味付けとかそいうものとは別のメンタルの部分で無理だったというのは誰しも経験したことではないだろうか。ちょっとばかりインターネットで調べれば同じような経験をした人の話とそれに対する専門家のもっともらしい理由付け、解説がたくさん出てくるのでここでは割愛するが、あの時上司に弁当をもらって妙に嫌な感じがした事も、もしや子供のときに感じていたよそのお母さんメシへの苦手意識と同じ類いの感情が復古したものなのかと考えていた。

しかしすぐにそれとは違うと思った。当時20歳も半ばとなっており、そこに至るまでには人並みに散々よそのご家庭でご飯をご馳走になる機会もあり、その時はといえば何の苦もなくよその家のご飯など余裕で受け付けたものであったわけである。

ではなぜこの手作り弁当を前にしてこうも真剣に拒絶反応を示しているのかという話である。ちょっと嫌とか気が進まないといった生ぬるいものではなく、全く食べる気が、蓋を開ける気すらしないという。時間はお昼前、腹は減っていたが中を見るまでもなく俺はこれを食えないだろうなと悟っていたものである。

悩んだ挙句、食べずに返すという選択肢もなくためらいつつも弁当箱を空けたら、案の定中には美味しそうなおかずが入っていた。だけど全く食う気がしなかった。

 

なぜこんなことになったのか、今回の俺のこの苦しみも分析してみた。たどり着いた結論は「これが俺用に作られていない」ということが引っかかったのではないかということ。

仮にこの弁当に「お前に食べてほしい、とウチの奥さんが作ってきてくれた」という一言があったら俺は全く苦しむことなく食っていたと思う。その一言だけである。

「他人が食べるはずだった弁当」というオーラが発生している弁当。弁当にこの例えはマジでよくないのだが、例えば犬のマーキングのように、この弁当はよその男のナワバリである。それを敏感に感じ取った繊細な俺の食欲を萎えさせたのではないか。

また、この弁当を作った上司の奥さんが、よもや部下であるこの俺が今日の弁当を食べることを全く知らないという事実も何かすっきりしなかった。なんというか「弁当・妻・上司」という約束された三角形の中に、代役として駆り出された俺が上司になりきり、その役割として、演者として入り込めていなかった。三者で織り成すランチというドラマ。もはや「弁当の流れ」に乗り切れていなかったとしかどうにも説明がつかないのである。

「弁当の流れ」

みんな初めて聞く言葉かもしれない。俺も自分で何を言っているのかよくわからない。つまり言いたいのは弁当と俺、その両者の間で何もかもがマッチしていなかったのである。それが多分俺が弁当を全く食う気がしなかった原因なんだと思った。

 そんな理論にたどり着いたところで俺がこれを食べなければならない状況に変わりはなく、心を無にし、精神を統一し、目は白目、口からよだれ、うわごとを言いながら徘徊しつつ完食に至ったものの、案の定午後から俺は吐き気をもよおし気分が悪くなった。 弁当の流れ、それに体も乗り切れていなかった。

家に居ながらにして「教室のみんな、元気?」と言われ

小学生のとき病気などで学校を休むととりあえず何もすることがないので大体午前中は寝るか、それ以外はぼんやりとテレビを観ていたように思う。

いつもより遅く起きると兄弟や父親は既におらずいつも散らかっている部屋は母親により片付けられている。いつもは飲めないリンゴジュースも病気を理由に簡単に出てくるといった平日の午前中によこたわる非日常。

大体9時か10時ぐらいまではワイドショーが放送され、子供ながらにこのワイドショーというものになんとも言いようのない俗っぽさというか、負のオーラのようなものを感じとり、それを洗濯物を畳みながら一人でぼんやりと眺める母親の背中には大人の闇の部分を感じたものだ。

そうした、午前中本来であれば自分がいない間に日々行われている母親の、大人の知られざる日常というかルーチンを垣間見ることで、世の中には二つ以上の世界が実は同時進行で動いているのだななどと妙な気持ちにもなったものであった。

そしてワイドショーの時間帯が終わるとお待ちかねの教育テレビ、もはや死語であるが今でいうEテレで放送されるお勉強番組が始まるのである。ここから先は15分刻みで算数や国語や理科といった学校教育に即したテレビ番組が目白押し。

これらの番組には必ず頭の悪い役をする若い大人の男性が現れる。彼が色んな初歩的なミスや無知を露呈し、それを棒などで動く人形のキャラなどに時にやさしく、時に手厳しく指摘されたり、正されたりして賢くなっていくのが定番の流れである。

それにしてもこの時間帯にこのような番組が存在する意義はよくわからなかった。不運にも体の都合で学校を休んでしまったが、幸い教育テレビを観ることで学校の授業に遅れをとることはない、そんなことを考えながら見る子供は果たして何人いるのだろうか。

あの時間、教育テレビを観る機会としては病欠時を除けば、あとはごく稀に授業中に教師が「では教育テレビを見ましょう」などと半ば息抜きというか休憩タイム代わりにこれを唐突に差し込んでは何事もなかったように授業に進むことがあったくらいで、甚だその存在は謎であり続けたのである。

おそらく日本中の病欠の子供たちがそうであったように俺もただ単に一種のバラエティ番組という捉えかたでこれを見ていた。学ぶべきことは何も無く、娯楽として眺めるのみなのである。であるにも関わらず、登場人物である若い大人の男性が番組の冒頭に言うのが「教室のみんな、元気?」という台詞。平日のこの時間、この番組を子供たちはみな学校で見ているという前提の、お決まりの台詞。

実際観ているのは俺たちのような病欠の子供たちばかりであろう。子供とて皆そんなに暇ではないのだ。「教室のみんな、元気か」という問いかけは教室にほとんど届かず、毎日空虚に消費されていく。病気のうつろな目の子供たちに届けられていく。

ただ、間違いなく言えることは自宅で聞く「教室のみんな、元気?!」という響きが病欠の子供たちにとってある種、教室にいて日常を過ごす皆とは違うという優越感を感じさせる言葉であり、それと同時にそこに居ないことを思い知らさせ、病気で学校を休んでいる小学生の心を揺さぶる、病欠を象徴する一言でもあったということでもあったように思えてなからない。

増水した川に浮かんでいたダッチワイフ

あれは確か中体連が終わり、3年生が抜けたバスケット部が我々2年生のものになっていた夏休み中の出来事だったと思う。

その週の大半は大雨であった。特にひどかった前日の大雨が上がると急に天気は良くなり、久しぶりに自転車で部活に行ったその帰り、俺は自宅とは真逆の、チームメイトが住む地区を彼ら2人と一緒に自転車で走っていた。

部活帰りに寄り道したその用事が何であったかはもはや覚えていないが、我々の自転車が川沿いにある飲み屋やラブホテルが立ち並ぶ大人のエリアに差し掛かったときのことである。

中学生らしく道幅いっぱい3列に広がり自転車を蛇行させながら川沿いの道を立ちこぎで走っていると、川側を走っていた小太りの渡辺が急に「人だッ」と叫ぶのである。

人が川にいたという渡辺の証言に一度は通り過ぎたその場所に3人でUターンし急いで戻ると昨日の大雨で増水した川の中には渡辺が先ほど目撃したであろう人の姿が確かにあった。橋の真下にある柱と川岸の間の草やゴミが滞留した場所に引っかかっているのを川の上から確認する。

背の高い田中が歩道と川の間にあるガードレールを乗り越えより近くで見ようとした次の瞬間彼は接近するまでもなくその正体を理解し「ダッチワイフだッ...!」と叫んだ。

それは紛れもなくダッチワイフであった。発見した瞬間に概ね分かっていたが首だけのダッチワイフであった。なぜ川にダッチワイフがあるのか分からないが、自立歩行しないダッチワイフのことだから、大雨に乗じて処分に困った持ち主が投棄したぐらいの推測しか俺には出来ない。ともかく今目の前にそのダッチワイフがあるのである。

「助けよう」

助けることにした。中学生なのでダッチワイフを助けることにしたのである。川の中からこちらに向かって顔を向けているダッチワイフ、ずっと目が合っている。助けずに去ることは出来ない。

「あれまだ使えるかな」

皆が心の中で密かに思っていたことを第一発見者の渡辺がポロっと口にした。言わないでくれと思った。実際、使える可能性を信じて助けようとしているという事実を認めたくなく、そんなわけないだろうと笑ってごまかした。

名前は忘れたが同じ中学の剣道部員がそこを通りかかったのはそんな川の中のダッチワイフ発見から程なくしてであった。彼のもつ竹刀は男根のメタファーでもあり、そのリーチからして適任であるとしてすぐにダッチワイフ救助にあてがわれる事となった。

増水していたとはいえ、歩道からダッチワイフまでの距離は数メーター。竹刀があれどガードレールを超えてコンクリートで舗装された護岸を降りていかねば届かないだろう。

幸い川の両岸は緩やかな坂道状になっており、またそのコンクリートの護岸の表面もデコボコとした作りにもなっていたことからガードレールを越えた後、ダッチワイフのあるかなり近い場所までは行くことが出来るように思われた。

名前は忘れたが同じ中学のその剣道部員を救助の役割に任命し、バスケ部の3人は川の上からアドバイスをすることとしたのだが、名前を忘れたほどの存在であるから彼の手際ときたら、誰しも川に落ちているダッチワイフを助けた経験はないということを差し引いたとしても非常に悪く、そのうちいいから竹刀だけかせッと背の高い田中が彼に代わって救助を買って出る。

「竹刀を水につけないでくれ」と懇願する名前を思い出せない剣道部員の願いも空しく、田中は竹刀を川の中に大胆に入れてダッチワイフ手前に引っ張ろうと試みる。あともう少し、あともう少しで竹刀がワイフをとらえるゾッ…!

「ウ、ウアアアーーーッ」

上で見ていた3人、そして最前線でがんばる田中の4人が同時に驚きの声を上げたのは首だけのダッチワイフが竹刀につつかれクルリと回転し、それまで水の中にあった後頭部をこちらに向けたときのことであった。

なんと、なんとであるがそのダッチワイフときたら、後頭部になぜか女性器がついていたのである。

どういうことなのか理解出来なかった。取りあえず最初にそうすると決めたので一応ダッチワイフは剣道部員の竹刀を使って、具体的にはダッチワイフの後頭部に竹刀を挿して救助したのだが、ともかく引き上げられたワイフのこの謎のデザインに全員ドン引きしたものの人の目もある事から取りあえずその場を離れ、助けたダッチワイフを連れ公園で乾かすこととした。

ワイフは相変わらず口を空けたままであるが、先ほど川の中に居たときよりも表情にも安心感がうかがえる。しかしまあ、かなりの旧式なのか申し訳ないがめちゃくちゃブスであった。ブスなのは許すとして問題は後頭部である。申し訳ないがこの謎のデザインは何なのか。性にアグレッシブな男子中学生であってもこの唐突な性器へのアクセスは理解の範疇、性的好奇心の限界を越えており怖くて後頭部を見ることができなかった。男でいうと頭から男根、平たくいうとチンポが頭から生えているということである。そんな鬼に村を襲われたらどうしますかみなさん。

 

「…とりあえず部室に持っていこう」

あと当時、3年生の引退により部室という天国を得た我々の口癖にもなっていたこのセリフにより、我々は乾いたダッチワイフをスポーツバッグ押し込み、学校に引き返し、部室にそれを設置する事とした。取りあえず部室に、という形で集まってきた同じような拾ったゴミたちと一緒に、彼女はその後ずっと部室の棚の上に置かれ続け、俺たちを見守ってくれた。

 

その数ヵ月後である。私物などの持込みの疑いがあるとして教師によって抜き打ちで各運動部の部室がチェックを受けることが分かったその当日の昼休み、その日までずっと部室に置かれていた件のダッチワイフだけは絶対に見つかるわけにはいかず「森に隠せッ!」という知性も計画性のかけらもないアイディアにしたがい、部内で一番肩の強い男の手により高台にあった学校の、部室裏にある森の中に投げ込まれた。彼女を見たのはあれが最後であった。