まだ小さかったころ、近所の公園での事である。
すぐ近くの小さな公園で近所の子と二人で遊んでいたときのこと、知らないおじいさんがフラフラと自転車で公園に乗り付けると、ジッと公園の中を見つめたのち中に入って来てあちこちを観察している。
近所の子と二人、馴染みの小さな公園で何かを探すその姿に興味がわき、遊びの手を休めおじいさんの行動をジッと観察していた。
しゃがんで石をいくつか拾い出しては捨て、また拾い出しては捨てを繰り返す。しばらくそれを繰り返した後、おじいさんはそこそこのサイズの石を一つ手に取るとゆっくり眺めていた。その後もしばらく物色したものの、結局その時に手に取った大き目の石だけを大事そうに持ち、自転車のカゴに。
その一部始終を凝視していた我々と、自転車のところでやっと目が合う。そのときようやく自分を観察していた子供二人に気付き、自分が一体何をしにここに来たのかを説明しにやって来た。
「こういう風な苔の着いた石を探している」
そういいながら石を見せてくれたのだが、差し出された石にはなるほど、緑色の苔が一部を覆っていた。なんだか分からないがいつも見る石と少し違って見えた。
おじいさんがわざわざやってきて、熱心に探した結果持ち帰って行くほどなのだからきっと自分には分からない何か良いものなのだろうと何となく感心するとともに、そんなに良いものがまさか自分が全く気付かないうちにいつも遊んでいるこの公園の中にあったことに軽い衝撃を受けた。
当然、貫禄とか年季とか、味とか趣とかそういう概念などあるはずもなく、それを一体どういう風に愛でれば良いのかは全く見当もつかないのだが、今やそれに何かしらの価値があるのことを知ってしまった子供二人はとりあえず感化され、おじいさんが去ったと「同じものを探そう」と公園の中を必死で探しまわった。
すでにおじいさんが探しつくしたその公園には当然似たようなものはなく、では家の近く、別の公園、と当時可能だった行動範囲の中で必死に苔の生えた石を探しまわったが結局発見できなかった。
見つからないままどうして良いのか分からず、モヤモヤした気持ちのままに、同じサイズぐらいの石の上に近くに生えていた苔をむしって無理矢理に乗せてみたのだが「これは違う」事だけはハッキリ分かった。
とはいってもそれの一体どこに原因があるのかという話になるとそれは説明できず、もどかしく気持ちが悪かったのだけは今も鮮明に覚えている。
長い月日、色んな条件により身近なものが異なる表情をする現象。そして何でも無いと思っていた公園の中から、それに価値を見出して、発見して大事に持ち去るおじいさん。長い時間をかけないと手に入れられない、子供にはとうてい理解出来ない越えられない壁のようなものがあるということを意識した日だったように思う。