俺のキャバクラ経験について

前勤めていた職場で、先輩や取引先の人々に連れられ、東京の下町、門前仲町に飲みに連れて行ってもらったことがあった。

入ったのはスナックのようなたたずまいの、何かアダルトな雰囲気を醸し出すちょっと暗めなお店。客は地元のジジイが主と思しきアットホームな感じの飲み屋だった。

スナックだとカウンターがメインだが、そのお店はカウンターよりむしろ、ソファー席が異常に多く、人数の多かった我々はその中でも一番広いところに案内され、そこで飲んでいたわけである。

普通のスナックだとカウンターに女性、彼女らと適当な世間話をするところだが、このスナックの場合、女性スタッフも多めとあって我々の座るソファー席にはゾロゾロと女性が数名やってきて接客をしてくれた。

酒を飲んでカラオケを歌って、その間女性はずっと隣に居て酒をついでくれたり、どうでもいい話をしても相づちを打ってくれたり。何を話しても「おもしろい」と笑ってくれてとても楽しかった。試しにデビッドボウイのグラムロック期、そしてアメリカ進出期に見られた音楽性の変化について熱っぽく語ってみたのだが、俺の隣に座った女性は「すごおい!」と言ってくれた。ただ酒を飲みに来ただけなのにデビッドボウイの話も出来てなんだか分からないがとても楽しかった。

「いやあ、先輩、今日のスナックなんなんスか!なんかわからないけどめちゃくちゃ楽しかったわあ!」

興奮冷めやらぬ!といった赤ら顔でアツい感想を述べる俺に、先輩は淡々と返す。

「馬鹿野郎、ただのキャバクラだよ」

衝撃だった。さっきまでいたあの空間。それがキャバクラだったのだと。あんなに楽しかったのに、「ただの」だと。てことはあの「すごおい!」は...!

俺はあまりにもスナックしか知らな過ぎた。それまで付き合ってきたジジイにあまりにもスナックに連れて行かされ過ぎたのである。「ばっかもーん!そいつがルパンだ!」のような、何だか良くわからないのが俺のファースト・キャバクラであった。

知らないうちに注射を打たれた子供のようにアッサリとキャバクラ童貞を捨ててしまった俺なのだが、実を言うとそれまでキャバクラというものをもの凄く恐れていたのが正直な気持ちである。

先入観とか無知から、人生経験の乏しさとエロ知識の偏りにより何か別のもっとスケベなものと混同していたためか、恥ずかしながら俺のキャバクライメージは最終的には「ショウタイムに羽飾りをつけたダンサーがポロンとオッパイを出してベリーダンス」に行き着くほどに混沌としていた。混沌とし過ぎていつの間にか「キャバクラ」という言葉を聞くと何故か頭の中に「美空ひばり」が思い浮かぶようになっていた。苦しんでいたのである。

大人になるにつれ色んな人にキャバクラに関するお話を聞くとある程度偏見や誤解も解け、それが如何なるものかを大分知るようになりはしていたが、知ると今度はまた別の恐怖が俺を苛むようになる。

男がオンナに騙されて金を巻き上げられる...という嘘や暴力と隣り合わせの恐怖の世界だ。欲望の代償はカネ、実はコレ、ドラマ「愛という名のもとに」でフィリピン人キャバ嬢に真剣に入れ込んで騙された結果、人生を悲観して自殺した中野英雄演じる「チョロ」という登場人物が死に際に発令したキャバクラ警報(ゴキブリが死ぬ間際に仲間達に発する警報に近いものである)に従った結果なのだ。

「キャバ嬢に近寄ると、最悪死ぬ」

インターネットで「最悪死ぬ」と調べると実に色んなものが出てくるが近寄るだけで死ぬのは多分キャバ嬢だけである。

そんな全てが嘘の恐怖の世界に、元々人一倍警戒心が強く人見知りで用心深い俺が放り込まれて楽しめるのだろうか、不自然な会話とか作られた空気に敏感な俺はきっとキャバ嬢が気を遣っていたり、少しでもやり辛そうな顔をしていたら、死にものぐるいで会話を盛り上げたり嬢のトークに対し決死のオウム返し&相づちを繰り返すに違いない、俺が「すごおい!」って言ったりしてそれではどちらがサービス業なのやら、辛いばかりで楽しい筈が無い。そんな風に思っていた俺であったが、

「いやあ、久しぶりに女と目が合いましたよ!」

あの日はそんな極端に低い俺のハードルを満たすだけのものが、門前仲町のキャバクラには確かにあった。キャバクラは楽しかった。キャバクラはとても優しくて、全く吠えたりしないし、触っても全然噛み付いたりしなかった。

 

かといって自費で行くつもりは毛頭なく、それから二度目のキャバクラに至るまで2年以上を要することになるのであるが、その二度目のキャバクラへ行く動機もやはりおごってもらったためだ。

それは殆どチャイナパブとしか思えないが自称キャバクラだそう。俺はその辺のスタイル、思想の違いには寛容なので「わけえオンナがいればええがな、ガッハッハ」と中小企業の社長のようなノリでそこに赴いたわけである。

最初に誘われたときにも「キャバ?ああ、いいっすよ」と、さもキャバはダチ公ですぐらいのフランクさを醸し出してみせたものだが、内心はどきどきしていた。初めて行ってから数年が経っていたことが俺を再びキャバ童貞に戻していたのもあったのだろうが、そもそも俺のファースト・キャバクラはそれがキャバクラであると知らずに入って知らずに過ごした奇襲キャバクラだったわけであるから、こうして「今からキャバクラに行きます」という事前の作戦発布の下、戦闘準備を整えて「いざ」と入店するとなるとこれが初めてになるわけである。

 

そんなわけでドキドキしながら集合し、いざキャバクラだ!と勇んで入店するとその気合を往なすように、店内は私服状態のキャバ嬢が無言で掃除をしていた。既に開店時間である。入店してきた我々を見ると従業員の女子は一応振り返り「イラッシャイマセ」と無表情で言ったが、そのまま掃除は継続された。

とりあえず座って待ってて下さい、と言われたので言われるがまま待っている中で我々より後にどんどんキャバ嬢と思しき女子が出勤してくる始末である。

「あのドレスみたいなやつで出勤するわけじゃないんだな...」

などという当たり前の事実にも新鮮味を覚えるほど俺のキャバ・エクスペリエンスは少ないのだが、その一方でその日のキャバをおごってくださった御方はというと、それを見て「何だよコレはよ~、なってねえなあ」とフロアに響くほどの大きめの声で一言。まさか二回目にして「店長呼べ」が出るのかとドキドキしたが、とにかくさすが、御大はキャバクラに慣れておいでだ。

俺などはやんごとなきキャバさんの中にあってそんな大それた、失礼な事などを言おうものなら奥から果物ナイフを持った黒い服の人がやってきて「嫌なら15万出せ」と理不尽な鶴の一言をカマされるのではないかと凄く怯えたのだが、最初にチラつかせた「キャバはワシのダチ公やでェ」のスタンスをここで崩す事は出来ず、俺もそれに合わせる形で「念入りに掃除やれよ、マジで!」など不平とも取れないギリギリのコメントを虚空に放つ攻めることでなんとか切り抜けたものである。

して女性登場である。チャイニーズ・キャバクラと聞いていたのだが、俺の隣に座ったのはタイ人だった。後で確認したのだが、実は日本人も混じっていたそうである。お前ら全てまとめて中国やと。中華思想を体現しているようだ。中国のお店に来ておいてなんだが、内心オール中国人でなくてほっとした。先ほど店内で叱責をカマした御大の態度はお店についてから妙にえらそうであるし、何かのきっかけで彼を起点に反日暴動が局地的に発生しないとも限らないからだ。中国人が怒ったら大日本印刷だって小日本印刷である。

それにしても俺の横には初めて話すタイ人である。相手が何人であろうと漏れなく気をつかってしまう性質なので何か共通の話題をと、自分の知っているタイランドを頭の中からひねり出し高校の歴史の授業で学んだ「パガン朝」と「チャックリー朝」というタイ王朝の名前を連呼していたが途中でパガン朝がビルマの王朝であったことに気付いた。中国人の前で歴史誤認は危険である。

次は知っているタイの有名人の話をしようとしたがそこで出て来たのが「シリモンコン」である。辰吉丈一郎と闘ったタイ人のボクシング選手だ。子供ながらにシリという名前が尻のようで印象的で覚えていた。ただそれだけである。

残念ながら彼について大した記憶も無かったので「シリモンコン、強かった シリモンコン、かっこ良かった」とよく覚えてもいないシリモンコンを30分程度ずっと褒め讃え続けたものだが、その後また30分シリモンコン以外の話題が思い浮かばずに「シリモンコン、眉毛の形がよかった シリモンコン、車の運転がじょうず...」と、シリモンコンについてもう他に褒めるところが無くなろうとしていたとき、ようやく「じゃあ、帰りますか」の助け舟が来て、全てが終わったとき、俺はぐったりしていた。

俺のキャバクラ経験はこれだけである。