店長の目薬にジントニックが

学生のときの話である。誰しも経験したであろう若気の至り、もはや時効と言うことでお許しいただきたいがこれは当時アルバイトをしていたカラオケ屋でのちょっとした悪事の告白である。

大学時代に一番長くアルバイトをしたのが高円寺のカラオケ屋。今はもう潰れてしまい存在しないがその時のバイト仲間は入れ替わりがめちゃくちゃ早かったけれども、場所柄バンドマンや劇団員、芸人の端くれなど入る人入る人皆面白い人々ばかり。何人かは今でも時々連絡をとっているくらいだ。

そんなカラオケ屋のバイト仲間と共謀し、そのカラオケ店の店長が眠気覚ましに使っていた目薬にジントニックを混入させたことがある。

「なぜそんなひどいことを...」

皆さんはそうお思いだろうが一応我々なりの理由があった。細かくは言わないが労働環境、待遇への不満、そして何より店長の息が死ぬほどクサかったことがこの若き労働者の暴動発生の原因だ。店長が、勤め先を解雇された果てに個人経営のカラオケでまさかの雇われ店長をする45歳独身の、あの学生をナメていた横柄な店長がとにかく皆嫌いなのであった。

「なら辞めろよ...!」

皆さんはそうお思いだろうが待ってもらいたい。俺たちはそれでもあの店自体は愛していたのである。ただでさえ格安の時給には深夜割り増しもなく、空調も効かない、交通費も出ない上に客層が最悪という劣悪な労働環境でも「バイト同士が仲がいい」というただその一点だけでピュアな学生は働き続けられるのである。

だからこそ、それがゆえにますます店長憎しだけが高まるばかり。

「一回アイツをこらしめよう」

日本昔話の鬼が村人にそう言われるかのように、店長撃退作成の準備は粛々と進められていた。

夕方4時に出勤する店長は翌朝3時まで働いていたが、夜中12時ごろに1時間ほど「休憩」と称してバックヤードの細い長テーブルの上でジッとファラオのように器用に寝ていたのであるがジントニック混入作戦はそのとき行われた。

コップに入れた業務用ジントニック原液の中に目薬をケースごとイン。スポイトのような原理で幾つかの泡が出て行った後にジントニックが目薬に無事潜入。恍惚とした表情でそれを眺め、皆はつぶやく。

「これでジ・エンドだ」

1時間の仮眠から戻ってきた店長。普段クサい息も寝起きは倍増しである。

「おっす」というその息はとしよりの猫のしょんべん並にクサく、そこにいた誰もが息を止め、決して返事をしようとしない。いつものことだ。そして休憩後の習慣が例の目薬に他ならず、皆の密かな注目の中、いつもの置き場にあるブツを大事そうに手に取ると何も知らずにそいつを眼球へポタリ...。

《よし、ジ・エンドだ...》

白々しく黙りこくるバイト連中の傍らで店長は「うォォォ...」とわなないたあと、無言で目を見開き、「効ックー!」と言わんばかりにキメッキメのすごく充実した表情になったかと思うと、その後急におとなしくなり奥の小部屋にふらふらと消えていった。それは死期を悟った猫が人前から姿を消すような寂しい足取り...

《やばい、やりすぎたか...店長ったら、死んじゃうの??》

皆の不安もその一瞬だけ。1分後にはにこやかな笑顔と共に奥からカムバックし、「なんか元気が出てきた。」と語る店長の元気な姿でそれが杞憂と分かった。

《元気が出ただと...》

最初のジントニックで足を洗った俺だが、なおも店長許すまじを掲げる一部の過激派から店長の目薬にはその後長い期間かけてモスコミュール、焼酎、日本酒などが地道に追加されていったという。色味のついてしまうカシスオレンジを入れる挑戦者も居たという。「革命の赤だ!」って、バレるだろばか野郎。やめんかバカタレ。

その後「熱燗にしよう!」とか、「ソルティドッグのように注ぎ口に塩をぬろう!」とか、「カットレモンを入れよう!」という店長の目薬大喜利に昇華され、もはやそれはただのドリンクメニューなのである。

減らない目薬にも全く気づかない店長。恐らく最後のほうはただの酒だったと思うがそれを目薬と信じ、その後も気づかず毎日酒を目にぶち込んでいたとしたら本当に酷い話だ。

しかし俺がバイトをやめた後たまたま高円寺であったら凄く元気そうで安心すると共に、「おー、相変わらず冴えない顔だな」と馴れ馴れしく俺の肩をポンと叩くその息は相変わらず死んだイカ並みの臭さで、あのときの目薬の中身をすべてファブリーズと入れ替えとけばよかったと後悔したものである。