趣味は何かと考えたときに路上観察であるというのが最近出た結論である。街を歩いて観察する。対象は何でもいい。その時々に気になったもの、ただそれだけ。これを趣味と言っていいのかは分からないが、残念ながら今のところこれしか無い。
そんな路上観察においては極力自分なりの考察というか、正しいかどうかは別としてそうなった背景を推測したいと思っており、それこそが醍醐味だとも思っている。
「なんかいい」という感想は勿体無いと言うか、それだと確かに「良い」と思った自分の気持ちがどこにあるのか分からず、モヤモヤして消化不良になる様に思うわけである。
そんな感じで路上観察に取り組む俺であるが、それでもやはり「なんかいい」としか言えずに撮ってしまったものは確実に存在し、モヤモヤしたまま保存された写真は行き場も無くPCの中でくすぶっている。
いくつか挙げてみたい。
1.なんでもない場所
例えば街を歩いていると微妙な位置にこうした「なんでもない場所」が存在する。広さは微妙、住宅地の中の微妙な位置に突然現れ、状態は手付かずでありながら囲われていて妙に存在感がある。撮ったのはもう5~6年前だが「なんかいい」としか言えずずっと眠っている。
ジャンルは空き地になるのだろうが、妙な存在感ゆえ「なんでもない場所」というジャンルで区別したい気持ちだ。これも追求していけば全国にかなりの類似例が沢山出てくるものと思っている。
住宅地のこの場所が妙に気になり始めつぶさに観察していくと色んな活用法があることを知った。自販機が設置されているケース、公共の場所である場合は地域の掲示板が設置されているのも見たことがある。
大半はこの様に何でもない状態でただそこにあるだけの状態が多く、その無駄な様からは「なんかいい」としか言えない良さがある。
ただそこに存在するだけの三角形のスペース。正式名称があれば教えてほしいが、三角形のスペースと呼ばざるを得ない。
場所によってはこうして住宅の入り口と合流するケースもあるし、
面積がある場合は立派な庭になる。さまざまである。
2.ポジショニング
ジャンルが曖昧だが、その絶好のポジショニングにより「なんかいい」が発生してしまうケースも多い。この立派な盆栽はアパートの駐車場に無造作に置かれていてとても良い。盆栽も良いけど、場所が良い。
畑のそばに設置されたタイヤ。畑の傍というポジショニング、また目的が全く分からないがゆえの「なんかいい」案件。
ポツンと置かれたポールは、どこかから引っこ抜かれた様だ。なぜここにこれが。「なんかいい」以外に感想が見当たらない。
そこに畑を作ったか、というやつ。っていうか良いのかこれは。
3.説明が出来ないがなぜか好きなもの
例えば扉である。扉を見るのが好きで意味も無く撮ってしまう。扉の良さを説明する術がなく「なんかいい」のまま集め続けている。
スーパーマリオ世代だからか勝手口のような小さい扉を見るとワクワクする。
とってつけたようなこの扉もなんかいい。
これはあわせ技なのだが、扉を開けた先に小さな崖があり、キリスト看板が「永遠の命を持つ」とおっしゃる。
色々紹介したがまあこんな感じである。「なんかいい」以外に感想がない。
こういうものはまた時々このブログで発表していきたいと思う。