オカヤスの「おかず丼」

昔食べたものでいまだに忘れられずに記憶に残っているものが幾つかある。味そのものに感動したという類のものとは違う、思い出、エピソードと共に思い起こされる印象深い食べ物が皆さんにもあるのではないだろうか。

大学2年の途中まで住んでいた寮があった川崎市麻生区にある小田急線沿いの某駅のその寂れ様は甚だしく、また駅から2,3分歩けばスグ始まるキツい坂道を経ての丘陵地帯に広がる住宅地しかないとにかく面白みも風情もない平々凡々たる無味無臭を絵に描いたような場所でもあった。

とはいえ、広大な多摩丘陵の一角にあるあの街は、世帯を持つ者の目線でみれば都会にありながら自然も豊かな、閑静な場所であったといえるかも知れず、夜になると山鳩が鳴き、夏にはカブトムシが採れるなどといった自然豊かな環境で都心の人々にはある種の贅沢品としてポジティブに受け取られるものであったのかもしれないし、一方で九州から上京してすぐの時分には都会もこういう場所があるのだなと感心するとともに、期待していた都会のイメージとのギャップに安心しつつもいささか拍子抜けもしたもの。

その様な閑静な住宅地にある学生寮であったから周囲の住民への配慮は常々留意されるべき事柄であり、学生の自治会議のようなものでも折にふれて「周辺住民への配慮」なる文言が出ているほどに、学生なりにその環境への配慮をしていたものであった。

住宅地にドンと広い敷地をもって暮らす関係上、地域住民との交流も欠かさず、年に一回は周辺住民を巻き込んでの寮の祭りを開催し、付近を山車のようなものを曳いて練り歩くなど寮自体は地域から割と受け入れられており、学生もよく統率されていたことから寮自体は比較的好意的に受け入れられていたような印象がある。

一方で、周辺には住宅しかないことから飲食店、コンビニの類も駅前まで足を運ばねばならず寮外での生活の面では若干の不便さを感じざるを得なかった。寮には食事があったが時にはやむを得ない事情で外で済ます必要もある。仕方なく利用していたのがすぐ近所にあった「オカヤス」である。

太った無愛想な眼鏡のオッサンがやっているコンビニのような外観の小さな商店。近くにあった唯一の商店ながら寮生からの評判がすこぶる悪く、緊急時の最終手段とされていた。品揃えの悪さに加え、店主の愛想の悪さ、とくになぜかすぐ近くに位置する我々寮生に対して特に愛想が悪く、嫌悪感をむき出しにしているといっても過言ではなく、過去に寮生がオカヤスに対し何かしでかしたのではないかとも議論されたこともあったほど。

理由は分からぬまま我々はオカヤスに行くと目も合わされぬままレジの支払いをされ、店内に長くいると舌打ちをされたりするものだから、結果としてオカヤスは付近の物品購入の候補からは外れ、ほぼ無いもの、必要に迫られれば仕方なく行く場所と認定されてしまっていたのである。

どうしてもオカヤスに行かねばならない場面は主に週末の昼飯時である。寮は昼飯が出ず、週末、学生が遅い目覚めをするとまず考えるのは昼飯である。自炊をするものも居たが大半は坂道を含め歩いて15分の距離をコンビニ目指して買い物に行く。ジャンケンで負けたものがその役割を任されることも多々あったが、それを厭う者の中に浮かび上がるのが近所のオカヤスの選択肢。遠いコンビニより近くのオカヤスである。

そんなオカヤスで「おかず丼」という弁当を発見したのはたまたま、ある日お昼の少し早めにオカヤスに行った一人の寮生であった。なんの捻りもなくおかず丼と名づけられたその朴訥な弁当は、味のほとんどしない炊き込みご飯の上によく分からない肉の塊と卵焼き、あとは湿ったかき揚やたくあんがきんぴらごぼうと共に載せられており、その内容はともかくとして量の割に値段が350円という魅力的なもの。魅力的というのは駅前に行く面倒さを勘案した上でのコストのことであるが、どうもこのおかず丼、午前中の割と早い時間にオカヤスに行くと幾つか置いてあるらしい事が次第に分かっていくと、寮生は週末にこのおかず丼を買い求めにオカヤスへ向かうことになった。

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日にたった2、3個納入されるおかず丼。程なくして、寮内でおかず丼の取り合いが始まった。週末の昼メシを安く、早く済ませるにはオカヤスのおかず丼であった。オカヤスは相変わらず俺たちに無愛想であったがおかず丼は俺たちの味方。親元を離れ、母の手料理に別れを告げて、愛想の悪い店主に金を払い全く美味しくもないおかず丼をありがたがり狭い4畳半で必死に食べる元高校生。これが登るべき大人の階段なのかと考えれば、思えば遠くへ来たもんである。おかず丼は今でも親元を離れ、上京したことを象徴する食べ物であり続ける。

そういう想いもあり、久しぶりに思い出しながら記憶に任せて絵に描いてみた。こうあって欲しいという願望も加わっているかもしれないが割と美味そうである。(海苔、ソーセージ、炊き込みご飯は多分なかったと思う)