ひとは皆平等にポイントを持つ

たぶんせいぜい小学2、3年生ごろまでだろうけど、一人の人間に与えられたポイントのトータルは平等で、それが特定の場所に高く割り振られるとその分何かが著しく低くなると信じられていたような感じがする。

例えばどういうことかというと、顔の良い子は絶対に性格が悪いとか、頭の良い子はそれとは引き換えにガリ勉し過ぎて運動が出来ないという決めつけであり、もちろん中には運動も勉強もルックスも性格も抜群の子はいたがそういう子は無理やり「じゃあ性格が悪い」と決めつけられると言った具合である。

大した産業もない地方の小都市の平凡な地域の学校であったから確かに全てにおいて秀でた子が殆ど存在しなかったのは事実で、実際にあの街の子供達に割り振られた能力ポイントはほぼ横並びだったかもしれない。

そのはずであるというよりそうであって欲しい、そうでないと困る、バランスが取れないというクローズドな集団の中に生じる何らかの作用なのかもしれない。

思えばこの能力平等制度、能力社会主義は素晴らしいシステムであったかもしれない。例えなんの取り柄もない僕たちブサイクであろうととりあえずは余りに余ったポイントの行き場として漏れなく「性格が良い」とされるのである。

「でも、○○ちゃんは性格がいいもんね」

そこに省略されているのは「めちゃくちゃブサイクだけど」だったかと思うが、人はみな平等、与えられた能力は一定と信じて疑わなかった俺たちはこうして一応みな同じように横一線、どこかいい所があってイーブンであるという前提のもとに過ごしていた気がする。

しかしよく考えてみると、その程度こそ幾分か変われど、こうした「割り振られたポイントは一定」という考え方、もっと大きくなっても頭の片隅に残り続けたように気がしないでもない。

世間のことを何も知らなかった俺はというと、全く疑うことなく東大生は青春時代の大半を勉強に捧げ、楽しみを全て放り出して勉強ばかりしすぎたかわいそうな連中だと思っていた。彼らはポイントの大半を学力に使ってしまったのだから仕方ないのだ。大企業に勤める会社員は給料は良いがその分地獄のようなノルマに苦しめられ連日終電で帰る悲惨な生活をしているはずだと思うのも、やはり彼らが限られたポイントをお金に使ってしまった顛末だと。

世間知らずだった俺は18歳で上京してようやくそのことを知ってしまったのだが、なんと人が与えられたポイントには実はかなり差があるのである。例えば、頭がよくて金持ちでスポーツも出来て、よせば良いのにイラストも描けるヤツがいたとしましょう。イラストぐらい勘弁してやれやと思うのだが、この人はイラストも描けるんですね。オマケにいうとチンコもまあまあデカいときました。

すると俺は言うのである。

「ど、どうせ性格がすこぶる悪いんでしょうもんが!」

例えソイツの性格がめちゃくちゃ悪かったとしましょう、そこまで揃った人がどんだけ性格悪くてもお前の手持ちポイントより下回ることあるのかと胸に手を当てて考えてみよう。心のスカウターは破裂し生命維持装置への頭金100万円の36年ローン確定である。ボクちゃんたちの最後の砦である「性格がよい」「責任感がある」「やさしい」などと言ったささやかな内申点ではもはや覆せないほどの圧倒的なポイント差が、人と人には存在することを大人になると嫌というほど思い知らされるのである。

 

これは地元の友達の妹で俺も仲の良かったヒトミちゃん(仮名)が某航空会社のパイロットの婚約者を連れて正月に帰省してくると聞いたときに、同じく帰省していた俺が地元の友達と一緒に会いにいった時の話である。

このヒトミちゃん、友達の妹ながらなかなかの美人で、そのルックスを生かしたというと失礼だが子供のころからの夢であるCAを経て見事パイロットを射止めたというある種のサクセスを引っさげての凱旋帰郷というわけである。

して、会わせていただいたそのパイロットの彼氏であるが、ファブリーズもびっくりの爽やかなイケメンで身長は180cm近くあり、目が会ったとたんに緊張してしまい聞いた瞬間に忘れたが何か知らんけど玉を使うスポーツがめちゃくちゃ上手いらしく、とにかく何から何まで完璧なすごい男であることだけは俺の7MB容量のUSBに入ったエクセルデータで辛うじて記録している次第である。

「ど、どうせ性格がすこぶる悪いんでしょうもんが!」

いつものようにそんな事も考えてしまったが、「ちょっとコイツ、ゲームでコマしたろう」などと考えてこちらが得意なサッカゲーム「ウイニングイレブン」を無理やりやらせた挙句、案の定ボコボコにやられた俺より性格の悪いヤツがいるのだろうか。

「で、でも俺のほうが面白いもんッ...!」

最後は気力である。俺のほうがきっと面白い。俺のほうがユーモアがある。俺は沢山ブログを書いているんだぞ。その微かな、さして人生には役にも立たないサムシングに両肩を支えられながらその場に立っていたのだが、いやまてよ、仮にコイツがもう信じられないくらいめちゃくちゃ面白かったらよ、そのときは俺はもう死ぬしかないジャンと思うと不安で仕方が無く、その場では無言を貫き全く会話をせず、彼が俺をひとしきりウイニングイレブンでボコり尽くし飽きて去ったことで無事一命を取り留めたのであった。