違反学生服の回収とヤンキーへの販売ビジネス

皆さんは違反制服をご存知だろうか。一般には変形学生服と言われているらしいが、俺の地元では「違反制服」「違反ズボン」と呼んで慣れ親しんでいた為こう呼ばせてもらいたい。

それはつまり何かというと簡単にいえばヤンキーが着ているサイズ、デザイン面が個性的なワルい学生服のことである。ベースのデザインこそ皆様ご存知の普通の学ランなのにコートのように長いものから逆にめちゃくちゃ短いもの、ズボンを見ればジーンズタイプやフレアカットなど制服のデザインを著しく逸脱したもののことである。

違反制服は地域の学校の提携先でもあろうはずの街の学生服屋で普通に売っており、信じられないことに欲しいと言えば「まいど!」なる愛想の良さなどもみせつつ積極的にカタログを出し自由に閲覧させてくれる。カタログには警棒やヌンチャク、メリケンサックなどの”武器”も載っていることがあって、一端の街の学生服屋がこんなモンを堂々と商いしていいのかという気になったものである。

もはや時効ということにしてどうかお許し頂きたいのだが、そんな違反制服を、俺は中学生のときにヤンキーの皆さんに売りさばいていた時期があった。

どこから仕入れるのかという問題だが、そこは裏ルートの活用である。気になる仕入れ方法は実に簡単、「生徒指導室」と呼ばれる教室に侵入し盗んでくるだけである。

「生徒指導室」とはその名の通り、素行不良者の指導(つまり説教)と、その際に没収した物品の保管がされている部屋のこと。いわば学校の警察署のような場所である。各地各年代から仕入れられた違反制服も当然ここに着荷していた

この生徒指導室だが、当然のように職員室の真横にあったので周囲をうろついていると怪しまれるのだが、そこまで頻繁に生徒を指導する機会も無かったのか、通常はもぬけの殻でいわば倉庫状態になっていたのである。

幸いその生徒指導室というのが丁度あの当時入っていたバスケット部の屋外練習場近くであったため、例外的にバスケ部だけはその周辺をウロウロしても別段怪しまれないということに気づきそれを利用した格好である。

「生徒指導室にはエロ本が沢山保管されている」といういにしえの伝説を信じて侵入したのが事の発端。生徒指導室は一カ所だけ開いている窓があり、仲間で手分けして見張り役、侵入役、運搬役を分担した。

残念ながらエロ本は初回に大乱獲されあえなく絶滅したが、それをきっかけにそこに広がるレア・アースの存在を我々は知ることになるのである。それこそが今回の主役「違反制服」である。

忘れもしない、初めて侵入した生徒指導室の内部は独特の雰囲気だった。あれは呼び出されたりしない限り入る事の出来ない、つまり選ばれし民だけが入る事を許された魅惑の部屋。中に入れば選ばれし民が先生にはぎ取られた奇抜なデザインの違反制服たちがまるでアパレルショップの様に丁寧に展示、保管してあった。没収品は多岐に渡り、スカジャンやMA-1、竹刀や折りたたみ式の警棒、漫画本に花札、おもちゃの類も多数発見された。つまり「学校に持ってきてはいけないもの」が没収されここに集っているわけである。

生徒指導室に大量の違反制服が保管されている事を知った我々は、それと同時にそこに誰にもバレずにアクセス出来る事を知ってしまったのである。

 

「我々の手に取り返そう」

 

これが誉れ高き没収品十字軍結成の瞬間である。我々などと言いながらトランプやゲーム、漫画本をバレない程度に少しずつ回収してはバスケット部の部室に持ち込み私物化する。最初はささやかな楽しみだったこの活動も、幾度と無く行われたかつての十字軍による聖地回復運動と同様、回数を重ねるに従い徐々に首をもたげるよこしまな気持ち。

 

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「違反制服はヤンキーに売れるのでは」

 

ある時そう気づいたのである。今まで見向きもしなかった違反制服を見て、そう思ってしまったのである。そして案の定ヤンキーが喜んでそれを買うのである。

一着数百円のささやかなビジネス。今思うとハイリスク・ローリターンなのだがこのビジネスの素晴らしいところは、売った商品がしばらくすると再び我らの流通センター(=生徒指導室)に舞い戻ってくるところである。違反ズボンは着用しているのが見つかれば必ず教師に没収され再び生徒指導室に里帰りしてきてくれる素敵な流通システムなのだ。

そしてある日気づくのである。

 「ひょっとしてコレ...永久機関では...」

何しろヤンキー市場に制服を流通させなければならない。

最近違反ズボンを失ったヤンキーの情報が入れば「新作が入りました」と営業をかける。県内有数のマンモス校だったためヤンキーの数もマンモス級。市場はデカい。

市場調査もぬかりなく。今の流行をキャッチしなければ危険を冒して手に入れた違反制服は行き場をなくして手元に残ってしまう。それこそ不良在庫である。上手い事言っちゃいました。

俺はまじめな中学生である。違反制服は手元にあってもマズい代物、それが売れ残れば面倒である。膠着在庫を作らぬために、巷の違反シーンでは一体何がホットな違反なのかを知るために...すべてはお客様の満足のために...!「何見てんだオラ」リスクにおびえながら、今まで馬鹿にしていたヤンキーのファッションをチェックする日々なのであった。

そして或る日のこと、俺はこの実に手間のかかる循環型違反制服ビジネスにおいて、そのリピート率を大幅にアップさせるある方法に気付く事になる。それはまさに禁断の手法...。

「先生にチクればいいじゃないかしら...」

まさに鬼畜である。

《先生、○○君の制服の裏地がちょっと変でした。気のせいでしょうか。》
《先生、○○君の上着はライダースタイプ、ズボンはカーゴパンツタイプ、なお内ポケにはメリケンサックを所持してますがお気づきですか。》
《先生、違反制服を持っているヤンキーのリストがありますが1,500円でどうでしょうか》

自分で違反制服を販売し自分で通報する。

正直これは真のゲスのやる事と判断し実行に移すことは無かったが、結局この販売活動は俺が部活を引退し生徒指導室に近づけなくなるまで続いたのであった...。

 

 

※イラスト:盛岡

後世に残したい、これが「青木理論」だ!!

中学のとき青木という体育教師がいた。

彼のことは以前性別集会の記事に登場させているが、あの記事では彼に関する情報が「変わった手淫をする」という事以外あまりきちんとふれられなかったため、それでは彼が不名誉だということで、今回はそれ以外の彼の人となりを、教師・青木を少し紹介しようと思った次第。

 

bokunonoumiso.hatenablog.com

 

件の性別集会の記事にも書いているが体育教師であるがゆえに当たり前のように体格はガッシリ、背は180cm超えだっただろうか、その上運動神経抜群、しかも草刈正雄そっくりのイケメンである。更に付け加えるとしたら、とんでもない巨根であった。もし仮に巨根の意味がわからない人がいたらいけないので念のため説明するがチンポがすげえデカいという意味である。

それはそれは、さぞかし他の先生、生徒からも人気で、ジンボーも抜群だったことでしょう...と思われるだろうが実はそうではなかった。野球一筋ウン十年、気付いたころにはガチガチのスポーツ脳で、それが原因なのかしらないけれども融通は利かない、冗談も通じない、職務に忠実で生徒には妙にドライ...という具合に性格的には「つまらない」という評価が男女から与えられていたように記憶している。

またこれは田舎ならではの残酷な定めであるが、通常地元では教師になるべき人間が通ってしかるべきとされていたやんごとなき進学高ではなく、そこからは数ランク落ちる辺境の普通高出身という面も幾らかマイナスに作用し、青木先生をどこか筋肉バカのような扱いをする心無い人もいたという。

俺はそんなヒドいことはしようとは思わなかったが、それでもちょっと理不尽に怒られた放課後には中学生なりのプライドが傷つけられなどし「アオキの出身高校ではいまだに天動説を正として教えている」という心ない噂も流したくなったというものである。

そんな青木先生は、俺が中学一年生のときのバスケ部の顧問であった。忘れもしない、根っからの野球ファン、自分自身も小中高と野球部だった青木先生はバスケ部への取り組みにはあからさまにやる気が感じられず、中学生の最後の大会である中体連の前にも関わらず部活には来ない、土日は休み、練習試合もやらないなど部活の顧問がボランティアである事を差し引いてもその態度があからさまに後ろ向きであったことは中学生にも明らかであった。

青木にしてもそれを隠す気はさらさらなかったようで中体連を前にしてもなお「俺は早く野球部の顧問をやりたい」などと公言していた彼のあの無神経さには、言いたいことも言えないチキンハートの俺はむしろ羨望の眼差しであり、3万円までなら金で買い取りたいほどであった。

そんなことを続けておれば無論バスケ部からの不満は高まるもの。鈍感な彼もそんな徐々に高まりつつある部員の不満をついに感じ取ったのか、ある夏の練習中、いつものように練習も終盤になってようやく姿を現した青木先生が部員を集め「なぜ俺があまり練習に来ないか」の言い訳をするかのように突如として独自の理論を展開し始めたことがあった。もう20年以上前のことになるが俺はそのときのめちゃくちゃな理論が今でも忘れられないのである。

 

「練習をたくさんすればそれは勝てます。当然勝てるんですね~。」

独特の二度言い話法でスタートしたその日の挨拶。だがその後に続いた独特な理論に、我々は耳を疑うことになる。

「え~、休日にも毎週練習したり、練習試合をたっくさん組んだりすればですね。強くなるのは、これは当たり前です。当たり前なんですね~。でもみなさん、考えてほしいんですが、練習をたくさんしてェ、練習をたくさんしてですよ?仮に負けてしまったら~どうでしょうか...。『なんだ~、あいつら!あんなに練習をしていたのに~、負けてしまったじゃないか、けしからんっ!』と、こう言われるんですね~、それだといけないんですね~。」

 

《......!》

 

「仮に負けたときにでも~、そこそこの練習でまあまあよくやった、といわれるほうがすばらしい、場合もあります」

 

《........!!!!》

 

これが後々まで語り継がれる「青木理論」である。

「なんだあいつら~、けしからんっ!」のときに妙に演技がかった言い方には「意外と器用だな」と酷く驚かされたが、それにしても特筆すべきはそのトンチンカンな内容である。指導者たるもの「悔いのないように精一杯練習し、その結果負けたのならそれはしょうがない、それでも後々にお前たちの心の中には大切な何かが残る!」ぐらい、例え綺麗ごとだとしても、それぐらい言ってほしいというものである。

だのに青木はそうではないと言うのである。

一通り自説を述べ終えると質問や意見も受け付けずただそれだけを言って「Bye」と職員室へ戻っていった青木先生。夕方6時、噂ではスポーツ新聞のプロ野球関連記事を読む時間とされている。

それにしてもである。あの当時俺の一つ上の学年は市内でも最強といわれたメンバーを揃えた好チーム。市内を制し、さらにそこから県のベスト8、ベスト4を狙おうかというチームを前に突如として宣告したのが「おいおいそうアツくなりんさいな、ただの部活だぜ?(笑)」という、沸騰したお鍋にびっくり水のような内容。

これぞ青木先生を端的に表すエピソードである。

それから二年後、晴れて念願の野球部顧問となった青木先生が、活き活きとした表情で野球部員の生徒たちの休日居残り練習に付き合う様を、俺たちは何度も見ている。真夏のグラウンドで生徒と真っ向から向き合う青木先生・・・・

「努力は君たちを裏切らない。裏切らないんですね」

バスケ部では見せなかった笑顔の奥に青木理論の柔軟性を垣間見た瞬間だ。

 

更にそれから二十数年。あの時の中学年生が今では社会人である。今回皆様に紹介したこの青木理論であるが、実は最近になって何かと思い出す機会が増えているのである。

たとえばこんな具合である。

「え~、休日にも出勤したり、ゴルフ接待をたっくさんすればですね。売り上げがあがるのは、これは当たり前です。当たり前なんですね~。でもみなさん、 考えてほしいんですが、経費をたくさんつかって、経費をたくさんつかってですよ、仮に売り上げが伸びなかったらどうでしょうか...。『なんだ~あいつら!あんなに経費つかっていた のに、赤字だしてしまったじゃないか、けしからんっ!』と、こう言われるんですね~、それだといけないんですね~」

俺もあの当時の青木先生の年齢に徐々に近づきつつある今、ようやく青木理論の本質が分かりかけているのかもしれない。

 

 

孤独のグルメ さくら水産のB定食(500円)

居酒屋チェーン「さくら水産」の日替わり500円定食には大変お世話になった。

どの店舗もそうなのかは知らないが、20代後半、当時の勤務地でもあった為頻繁に通った立川店ではA定食が魚、B定食が肉料理と決まっていた。

魚より肉のほうが価値があると思ってしまうチャイルドなので、今まで一度もA定食を頼んだ事はなく、A、Bそれぞれが今日は一体何なのか一切確認せぬまま、駆け足で入って来た勢いそのままに、一瞬の迷いも無く券売機の「B定食」ボタンを押す日々。
俗にいうBダッシュである。

あの日はやや遅めの昼食ということもあり、店の混み具合も大した事もなかろうと駆け足もせず落ち着いて入店。
この日も押すのは勿論Bのボタン。もはや定番、いつもの作業。厨房の大将とアイコンタクトだけで「いつものヤツね」と言ってもらいたいくらいだが、厨房にはスリランカ人である。

券売機を一瞥、B定食が「肉野菜炒め定食」であることだけを確認したときには既に俺の500円玉は券売機へ吸い込まれ、出てきた食券を店員に渡せばあとは座敷の4人掛けのテーブルへどっかと座る。

「Bテイ、イッチョー!」

愛想のよい中国の女の子がいつものように元気にシャウト。
すると大体、よほど混雑していなければ30秒もしないうちに俺のテーブルの上にはB定食がやってくる。俗にいうBダッシュである。

20代やそこらの男にはこの爽快なまでの肉へのショートカットがたまらなかった。さらにご飯おかわり自由、生卵/味付け海苔使い放題とくれば文句は言えない。日替わりの定食にも外れは無く、いつだってさくら水産は俺の期待通り。

だけどあの日はいつもとちょっと違っていた。


「ビー、一丁」へのアンサーとして厨房から帰ってきたのは非情なアナウンス・フロム・厨房である。

「Bはさっきので終わりました~!」

「ガッデム!」という表情を、俺はあえて隠さなかった。Bが終わりだというのである。男女のアレコレだって「A→B→C」の順序だってのに、Bまで知ったおマセな俺が今更しょっぱいAなどに戻られるはずがあるでしょうか。

《ええい!Bが無いならCじゃ、Cを持てい!》

「緊急でC定食を作らせるぞ」という表情を、俺はあえて隠さなかった。「落とし前をつけろ」という表情を、俺はあえて隠さなかったのである!
しばし続報の無いまま待たされる。テーブルの上には取りあえず運ばれたみそ汁と白ご飯だけ。4人掛けのテーブルで腕を組み、にわかに忙しくなった店員の対応を、まるで夜空に輝く北極星の如く、一人4人掛けテーブルにて微動だにせず凝視していると、北北西の方向にある厨房から状況の変化を知らせる速報が。

「い、いえ、Bは、Bあと1名様まであります!」

歓声でもあがりそうな、あれは消息を絶った宇宙探査機無事を確認したときのNASAの管制塔のような言い方であった。

そんなんどうでもいいから早くもってこい...みそ汁が、ライスが冷えるじゃろがい!という表情を、俺はあえて隠さなかった。

ともかくこうして、大好きなB定食が品切れになる一歩手前に、まさに滑込みセーフで今日もB定食に、肉に間に合った。ありつけた。

俺の後にB定食の食券を購入した為にB定食を逃したもの達もいる。そんな彼らから注がれるセンボーのマナザシ。三度の飯より肉が大好きなチャイルドな彼らには申し訳ないが大人の階段登る、ということで今日は目くるめくアダルトなAの、お魚の世界へ足を踏み入れてもらいたい。忘れよう、Bの野郎は死んだのさ。Bはイケメンだったよ。Bは特攻野郎だったよ。BはBカップだったよ。南無。

そうして運ばれてきた本日最後の「肉野菜炒め」は、鍋底からかき集めて無理矢理捻出したのか若干肉が少なく野菜、特にキャベツがかなり多めだった。ひょっとしたら本当はもう肉野菜炒めはラスト一人分も無かったのかもしれないが、俺の「B以外受け付けませんが?」という地蔵顔に怯んであちこちにへばりついていたカスを無理矢理かき集めたのだろうか。

《そこまでして肉にこだわる必要はあったのか...》

念の為、本日のA定食を確認すると「焼き魚」である。...まあ、手負いの肉野菜炒めでもまだ勝てる相手だ。

いただきます、と手を合わせて食事にとりかかろうとする。時間は13時過ぎ。遅めの昼食が始まる。それにしてもB定食にありつけなかった方々はどうするのだろう、まあ、私の知ったことではないのですが...。

などとほかの人々の心配をする余裕などみせつつ割り箸を割ろうとしたその刹那、とそこへ、厨房から実に信じられない続報が耳に飛び込んでくる。

「本日、肉野菜炒め終了なので、B定食はトンカツに変更です!すいません!本当に、すいません!」

トンカツと聞いて思わず手が止まる。トンカツ、あのトンカツか...?!

それに「すいません!」って。男がみんな胸の中に持っている「肉料理偏差値早見表」で確認するまでもなく、どう考えても肉野菜炒めよりトンカツのほうが明かにランクは上である。西のトンカツ、東のトンカツとうたわれ、金と暴力で全国制覇を成し遂げたあのトンカツではないか。肉野菜炒めの代わりがトンカツ、それじゃあバランスが取れないのでは?!下のモンに示しが付かないのでゎ?

そんなもん、あてがわれるべきテントの無くなった難民の方々に「すいません、テントが無いのでヒルトンでいいですか?」って言ってるようなもの。イエス,イエスの大合唱間違い無しである。事実、思いがけず訪れたラッキー・トンカツチャンスに、俺の後ろで食券を買ったB定食難民は「一向に構いません!」という一点の曇りの無い表情でそれを受け入れる。

 

「トンカツですいません!すいません!」

「しょうがねえなあトンカツで我慢してやるか...(ニヤリ!)」

 

「・・・・・」


4人掛けのテーブルに座った俺は、今やますます野菜が多く感じられる目の前の肉野菜炒めをジッと眺める。俺はそのとき肉野菜炒めにはまだ手を付けていなかった。これは本当。だけどどうしろと言うのです。

せめて、と思い、いつもより多く味付け海苔を使ってやった。

マミーは今日も仲間を呼んだ

最もゲームがしたくてたまらなかった小中学生を通じてずっと親にテレビゲームの類を一切禁じられていた俺は、従って殆どのゲームに関する知識を友達の家にお邪魔して後ろから羨ましそうに眺めていたあの限られた時間の中で得ていたわけである。

ゲームをやらせてもらうだけの為に、さほど仲良くない友達、さらには一度遊んだ程度のその友達の友達の家まで押しかけるなどして、「なんだあいつは」とほぼ無視されながらもゲームをやらせてもらえるチャンスを伺いじっとリビングに座って待つ事もあったが、それでもたまに「おれやりたい」などと厚かましくいってみるとやらせてくれるケースも多くその価値はたしかにあったのである。

下手くそな俺がゲームし出すとため息やあからさまな冷笑といった子供ならではの残酷な反応もあったように記憶しているが、背中から聞こえてくるそれらが気にならないほどに、俺はとにかくテレビゲームがやりたかったため全く意に介さなかった。

しかしこれも、長い時間をかけてたった一人のプレイヤーだけがコツコツと進めていくロールプレイングゲームではそうはいかなかった。ひたすら他人が進めるだけのゲームを後方から黙って眺めるだけになる。

時にはストーリーを進めるでもなく、ただ同じところをグルグル回って敵にわざと遭遇することで、プレイヤーのレベルをあげる為だけに費やされた1時間の不毛な”作業”ですらも黙って眺めていた。帰ればいいじゃないかとと思われるだろうが、ゲームを欲するあまり、自分がやらずともとにかくゲームそのものが見られればそれでよかったのかもしれない。思えば不憫な子である。

俺は当時流行っていたドラクエIIIを全くやったことがないが、ストーリーは友達がやっているのを黙って眺めて何となく覚えている。

鳥山明が描いたドラクエのキャラクターのデザインは特徴的で敵キャラの名前は今でも割と頭に入っているのだが、中でも記憶に強く残っているのがマミーである。マミーはいわゆるミイラなのだが、そんなマミーの特徴は仲間を呼ぶ事だ。仲間の名前は「くさった死体」、マミーより強くて厄介なこのくさった死体が出てくる前にマミーを殺さねばヤバいなどと友達が力説していたのを覚えている。

くさった死体、今思うと腐ってる癖に仲間思いの良い奴ではないか。どんな状況であろうと呼んだらすぐ来てくれる。(まさにくされ縁ですね)

かたや俺の友達はどうだ、仲間が後ろで仲間になりたそうにじっと見ているというのに放ったらかしでRPGですかい...など、自ら勝手に押し掛けておいてアレだが、くさった死体の仲間を思う気持ちを前にすれば少しは俺のことを考えてもいいではないかと思いたくなるもの。くさった死体によって友達のパーティーが全滅したときに感じた爽快感はこの辺からくるものだったのだろうか。

そんな訳でドラクエの、マミーとくさった死体という敵キャラは、結局一度もやった事もないドラクエの中でなぜか今でも印象の強いキャラクターとして俺の記憶の中に残り続けているのである。

 

随分とマミーに関する説明に時間をかけてしまったが、ここから話はその後十ウン年後、東京にいた時に入ってた社会人バスケットサークルでの話に移したい。アラサー、アラフォーひしめくそのサークル内に、メンバーの親戚の子で間宮くんというとても素朴な高校一年生が途中からチームに入ってきたときのことである。

ひと際若々しい間宮くん、当然のようにみんなから可愛がられると、ほどなく名前のマミヤをもじってマミー、マミーと呼ばれ愛されるようになったのである。そんな彼には時々連れてくる同じ高校の同級生がいて、もうお分かりかと思うが、俺はもう本当に悪いとは思いながらも陰でそのお友達の事をマミーが呼んでくる仲間という事で「くさった死体」と呼んでいたのである。

くさった死体はマミー以上に素朴な高校生で、無口な中にも秘めた熱い闘志が垣間見える線の細い高校生。直接サークル内に知り合いは居ないためドラクエと同様、マミーに呼ばれないと体育館に現れる事はなかったからか、結局俺は一言も会話する事はなかったのであるが、そんな彼を心の中でとはいえ「くさった死体」呼ばわりした罪悪感もあり今でも記憶には強く残っている。今ではもう離れてしまったバスケットチームではあるが、マミーとくさった死体、二人ももう大学生になっているだろう。元気なのだろうか。

俺も誰かのくさった死体でありたいと思う36歳の冬である。

ムラン君の布団

上京して最初の一年半を生まれ故郷である佐賀県の人間しかいない在京県民寮のようなところで過ごした。この寮の話も色々あって機会をみて振り返り書いてみたいのだが、今日はそこにいたムラン君という男の話である。

「ムラン」は勿論ニックネームで、夜な夜な行われるテレビゲーム、トランプ、麻雀の類の中、彼の苗字であるムラヤマをきちんと発音するのが面倒になってきて口を開かずに発音しようと努力した結果生まれたものである。

同じ年に入寮したムラン君であったが、彼は浪人したため年齢は一歳年上。彼は現役時に幾つか大学に合格していたもののその結果には納得がいかず浪人、再トライしたのだが、残念ながら現役時代に合格した大学にすら不合格というミラクルさえ起こしている。

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「浪人中にスロットにハマってね」

 

寮の1、2年生にあてがわれる4畳半の狭い部屋で、近眼の目を細め、マルボロのけむりをくゆらせながら、自身のデンジャラス・ストーリーのスタート地点をそう語っていた。

そう全てはスロットである。完全なる夜型人間の彼が大学に行っているのはほとんど見られていない。昼の12時、起きたての彼の寝癖はもの凄く、その天をつらぬかんとする髪型のまま寮の先輩や同じ学年のスロット好きとつるみ、パチスロ屋から送られてくるダイレクトメールを睨み、一年365日、暑い日も寒い日も「今日はアツい!」と言い合いながら近隣のパチスロ店へ消えて行くのである。

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「いや、奨博金ばい」

 

寮で1、2年生が最初に住まわされる4畳半の狭い部屋で、近眼の目を細め、マルボロのけむりをくゆらせながら、「奨学金を賭博につぎ込んでいいのか」という俺の質問に、そのときばかりは目を見開いてそう語った。上手いこと言うたった!という感じでもなく、淡々と。たぶんマジでそう思っていたのかもしれない。


ムラン君の部屋は汚かった。

ゴミがゴミを呼ぶ典型的なゴミ屋敷であった。小さいゴミが大きいゴミの呼び水となり、大きいゴミのせいで小さいゴミが隠れてゆく。積み重なったゴミを見かねた他の学生が掃除を申し出ると彼は言った。

 

f:id:bokunonoumiso:20180114212409p:plain「これはゴミなどではない」

 

入り口で我々を制し、そう語る彼の眼光はとても鋭く、この部屋でなら彼に抱かれてもいいと思った。だけどカビた餅を発見したときはさすがにドン引きし「餅はすてたほうがいい」と言うと「うん。」と彼は言った。そこは最後まで突き通せよ。

そんな狭く汚い四畳半だったが、なぜか他の寮生はよく集ってきた。漫画を読むヤツ、ゲームをするヤツ、自分が買って来た飯を食って帰るやつ。常時3~4人が狭い空間の中にたむろしていたがどいつもこいつも、既に汚れきったこの部屋を大事にすることはせず、まるでゴミ屋敷に栄養を与えるがごとく持ち込んだ食い物のゴミを残して去ってゆく。食い物をこぼしたり、飲み物をこぼしたり、タバコの灰を落としたり...。

そんな劣悪な環境下に今日の本当の主役、「ムラン君の布団」は敷かれていた。汚い部屋には万年床が定番である。スナック菓子、ジュース、タバコの灰・・・。ゴミ屋敷の中で万年床となっていたムラン君の布団の上には、長い間かけて色々なものがこぼされて行った。だけどムラン君はそれらが来訪者によって布団の上にこぼされる度に、ごめんと謝る我々に笑顔でこう言った。

 

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「手で馴染ませといて」

 

手で馴染ませる―。

意味が分かりませんか。ええ、私も昔はそうでした。馴染ませるとは言葉通り、つまり布団の上にこぼれたものを手で擦り付け布団にしみ込ませる行為だ。洗うとか隠すとか、捨てるとか、そういうゴミを排除する行為とは全く逆の行為。排除するどころか受け入れる、それが「馴染ませる」である。

ホントに馴染むのかと、最初は首を傾げながらやるのだが、落としたヨーグルトをゴシゴシ手てやってみるとスーッと消えてゆく。馴染むのだ。

かつて西洋人が自然を敵と見なし、攻略、開拓すべき相手だと考えたのに対し、アジア人は自然の中に神を見出し、独特のアニミズムによって、共存すべきものだと考えたという。西洋化の波に毒された我々はいつのまにか同じようにこのゴミを攻略すべき敵と見なし、忌み嫌ってその対処に莫大なコストをかけ、地球環境へのダメージを強いて来たのだ...。

そこにあってムラン君の掲げる「馴染ませよう」というあり方はどうだ。今や克服されてしまった自然に代わって我々の前に今立ちはだかるゴミという新時代の人類の強敵を前に、彼は全てを布団の中に馴染ませることで受容し、共存したのだ。

そんな時「これはゴミなどではない」とそう言い放った彼の言葉が強く思い出される。(そんなムラン君にさえ捨てられたカビた餅は一体何者なのだろうか)


俺も色んなものをムラン君の布団に馴染ませたものだ。タバコの灰が断トツ一番多かったが、忘れもしない、凄かったのはウニである。コンビニの寿司弁当に入っていたウニ。別にティッシュで取っても良かったが、一応礼儀として馴染ませていいのか聞いてみると「馴染ませていい」の許可が下りる。果たしてウニが馴染むのかと半信半疑だったが、「大丈夫、落ち着いて、馴染ませていい」というムラン君の指示に従い手で漉(こ)すように布団に馴染ませるとアラ嫌だアナタ・・・!馴染んだのである。

「ムラン君、今夜はウニの夢が見れますね」と言うとムラン君はゲームをしながら横顔で「次はアワビをこぼして」と笑った。

色んなものが馴染んでは消えて行った彼の布団の断面を見たい、どのように積層されているのか見たい!という夢は、本来は4年間退寮出来ないあの寮を俺が途中で出て行ったことで叶わなかった。ムラン君の部屋で語り合った将来の夢、今のところそれを叶えられたのは「パチスロで食いてぇ」と言って「バカやねえ」と笑われていたムラン君だけである。彼は大学を辞めてパチスロ雑誌でライターになったと聞いた。

俺が出て行くとき、ムラン君は「将来、物書きになってね」と言ってくれた。俺もそんなことを酔った勢いで言ったのだろうか。今更もう自信はないけど、でもいつか本を出して、それがムラン君のゴミ屋敷に転がるゴミの一つになれたら俺は嬉しい。

「これはゴミなどではない」

そうだね。

 

完 

 

※イラスト:盛岡くん