ムラン君の布団

上京して最初の一年半を生まれ故郷である佐賀県の人間しかいない在京県民寮のようなところで過ごした。この寮の話も色々あって機会をみて振り返り書いてみたいのだが、今日はそこにいたムラン君という男の話である。

「ムラン」は勿論ニックネームで、夜な夜な行われるテレビゲーム、トランプ、麻雀の類の中、彼の苗字であるムラヤマをきちんと発音するのが面倒になってきて口を開かずに発音しようと努力した結果生まれたものである。

同じ年に入寮したムラン君であったが、彼は浪人したため年齢は一歳年上。彼は現役時に幾つか大学に合格していたもののその結果には納得がいかず浪人、再トライしたのだが、残念ながら現役時代に合格した大学にすら不合格というミラクルさえ起こしている。

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「浪人中にスロットにハマってね」

 

寮の1、2年生にあてがわれる4畳半の狭い部屋で、近眼の目を細め、マルボロのけむりをくゆらせながら、自身のデンジャラス・ストーリーのスタート地点をそう語っていた。

そう全てはスロットである。完全なる夜型人間の彼が大学に行っているのはほとんど見られていない。昼の12時、起きたての彼の寝癖はもの凄く、その天をつらぬかんとする髪型のまま寮の先輩や同じ学年のスロット好きとつるみ、パチスロ屋から送られてくるダイレクトメールを睨み、一年365日、暑い日も寒い日も「今日はアツい!」と言い合いながら近隣のパチスロ店へ消えて行くのである。

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「いや、奨博金ばい」

 

寮で1、2年生が最初に住まわされる4畳半の狭い部屋で、近眼の目を細め、マルボロのけむりをくゆらせながら、「奨学金を賭博につぎ込んでいいのか」という俺の質問に、そのときばかりは目を見開いてそう語った。上手いこと言うたった!という感じでもなく、淡々と。たぶんマジでそう思っていたのかもしれない。


ムラン君の部屋は汚かった。

ゴミがゴミを呼ぶ典型的なゴミ屋敷であった。小さいゴミが大きいゴミの呼び水となり、大きいゴミのせいで小さいゴミが隠れてゆく。積み重なったゴミを見かねた他の学生が掃除を申し出ると彼は言った。

 

f:id:bokunonoumiso:20180114212409p:plain「これはゴミなどではない」

 

入り口で我々を制し、そう語る彼の眼光はとても鋭く、この部屋でなら彼に抱かれてもいいと思った。だけどカビた餅を発見したときはさすがにドン引きし「餅はすてたほうがいい」と言うと「うん。」と彼は言った。そこは最後まで突き通せよ。

そんな狭く汚い四畳半だったが、なぜか他の寮生はよく集ってきた。漫画を読むヤツ、ゲームをするヤツ、自分が買って来た飯を食って帰るやつ。常時3~4人が狭い空間の中にたむろしていたがどいつもこいつも、既に汚れきったこの部屋を大事にすることはせず、まるでゴミ屋敷に栄養を与えるがごとく持ち込んだ食い物のゴミを残して去ってゆく。食い物をこぼしたり、飲み物をこぼしたり、タバコの灰を落としたり...。

そんな劣悪な環境下に今日の本当の主役、「ムラン君の布団」は敷かれていた。汚い部屋には万年床が定番である。スナック菓子、ジュース、タバコの灰・・・。ゴミ屋敷の中で万年床となっていたムラン君の布団の上には、長い間かけて色々なものがこぼされて行った。だけどムラン君はそれらが来訪者によって布団の上にこぼされる度に、ごめんと謝る我々に笑顔でこう言った。

 

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「手で馴染ませといて」

 

手で馴染ませる―。

意味が分かりませんか。ええ、私も昔はそうでした。馴染ませるとは言葉通り、つまり布団の上にこぼれたものを手で擦り付け布団にしみ込ませる行為だ。洗うとか隠すとか、捨てるとか、そういうゴミを排除する行為とは全く逆の行為。排除するどころか受け入れる、それが「馴染ませる」である。

ホントに馴染むのかと、最初は首を傾げながらやるのだが、落としたヨーグルトをゴシゴシ手てやってみるとスーッと消えてゆく。馴染むのだ。

かつて西洋人が自然を敵と見なし、攻略、開拓すべき相手だと考えたのに対し、アジア人は自然の中に神を見出し、独特のアニミズムによって、共存すべきものだと考えたという。西洋化の波に毒された我々はいつのまにか同じようにこのゴミを攻略すべき敵と見なし、忌み嫌ってその対処に莫大なコストをかけ、地球環境へのダメージを強いて来たのだ...。

そこにあってムラン君の掲げる「馴染ませよう」というあり方はどうだ。今や克服されてしまった自然に代わって我々の前に今立ちはだかるゴミという新時代の人類の強敵を前に、彼は全てを布団の中に馴染ませることで受容し、共存したのだ。

そんな時「これはゴミなどではない」とそう言い放った彼の言葉が強く思い出される。(そんなムラン君にさえ捨てられたカビた餅は一体何者なのだろうか)


俺も色んなものをムラン君の布団に馴染ませたものだ。タバコの灰が断トツ一番多かったが、忘れもしない、凄かったのはウニである。コンビニの寿司弁当に入っていたウニ。別にティッシュで取っても良かったが、一応礼儀として馴染ませていいのか聞いてみると「馴染ませていい」の許可が下りる。果たしてウニが馴染むのかと半信半疑だったが、「大丈夫、落ち着いて、馴染ませていい」というムラン君の指示に従い手で漉(こ)すように布団に馴染ませるとアラ嫌だアナタ・・・!馴染んだのである。

「ムラン君、今夜はウニの夢が見れますね」と言うとムラン君はゲームをしながら横顔で「次はアワビをこぼして」と笑った。

色んなものが馴染んでは消えて行った彼の布団の断面を見たい、どのように積層されているのか見たい!という夢は、本来は4年間退寮出来ないあの寮を俺が途中で出て行ったことで叶わなかった。ムラン君の部屋で語り合った将来の夢、今のところそれを叶えられたのは「パチスロで食いてぇ」と言って「バカやねえ」と笑われていたムラン君だけである。彼は大学を辞めてパチスロ雑誌でライターになったと聞いた。

俺が出て行くとき、ムラン君は「将来、物書きになってね」と言ってくれた。俺もそんなことを酔った勢いで言ったのだろうか。今更もう自信はないけど、でもいつか本を出して、それがムラン君のゴミ屋敷に転がるゴミの一つになれたら俺は嬉しい。

「これはゴミなどではない」

そうだね。

 

完 

 

※イラスト:盛岡くん