友人に結婚式のBGMを任され

同じ大学に友達ができなかったのでずっと近所の中古のCD屋に通い、バイト代の大半を中古のCDにつぎ込んでいたのだからそう思われてしかるべきであるし、そういう扱いを受けでもしないと学生時代の俺が心底浮かばれないというもんであるが、地元やバイト先などの数少ない知り合いの中では音楽に詳しい、音楽が好きな人間であると認知されていた。

高校時代の友人が就職先でもある地元で結婚式をするとなったときに、そこに招待された俺にBGMをお願いしたいという流れになったのは、彼もまた同じ上京組で俺が学生時代に友達も作らずひたすら音楽を聴いて過ごしていたことを知っていたから、さらには俺が彼にこれまでにおすすめして来た音楽を彼が気に入ってくれていたからに他ならない。

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かつてこの記事で紹介したとおり、俺とて結婚式を経験した結婚式の先輩。しかも何の因果か、今回の依頼主は上記の記事中で友人代表の挨拶をしてくれた友達でもある。元来義理堅い中にも時にはそのような義理を無視するフレキシビリティ性のある俺ではあるが、さすがに彼には借りがあると言わざるを得ない。

結婚式のBGMには実績があるし一家言持たせていただいている。しかしどうだろう、自分の結婚式のBGMならまだしも他人の結婚式である。彼が俺の選曲に全幅の信頼を寄せる証という意味では光栄ではあったが、その責任の大きさには正直躊躇もし、何度もいいのかと尋ねたりもしたものである。

最終的には彼の「お前じゃなきゃだめだ」という熱烈なラブコールに思わずジュンとなり俺が結婚してしまうところだったが、そのように人に信頼され、責任のある何かを任されたのは「近くのコンビニでiTuneのプリペイドカードを買うのを手伝って欲しい」とカタコトで言われたとき以来。ならばと覚悟を決めて快諾し、久しぶりに訪れたこのような大役にはさすがの俺も武者震いしながら気合を入れて選曲にまい進、期限よりだいぶ早くにそのCDを無事納品。大役は果たした、後は出席し俺の選曲の流れる会場で友人を祝う参加者各位をコッソリ会場の隅っこから眺めるのみ。選曲は文句なし、俺はやりきったのである。

 

「彼女が気に入らなくて」

そのような返事が来るのにあまり時間は掛からなかった。「や、やり直したい!もう一度!」と別れを切り出された哀れなサンオツのようなうめき声を上げ、やり直しを申し入れたが「彼女側にも音楽に詳しい友達がいる」らしく、その子に選んでもらいたいらしいのだという。俺の選曲はボツなのであるという。

「・・・・」

仕方がない、いや、・・・そうよな、そうであるべき!そうだそうだ!と心の中のデモ隊がデモをし反政府組織がゲリラ活動を開始する。結婚式の主役は女性。カマキリやチョウチンアンコウのオスに分かるようにオスは生殖における脇役であり、そもそも不潔で足なども臭く、暇があればサンプル動画で毎日オナニィをしていると聞く。結婚式のBGMなど、元来任せていい類の手合いではないのである。

「しかしまあ、どんなツラをして結婚式に行けばよいのやら」

元来切り替えの早い中にも根に持つタイプの俺であるが、未来の心配もする先見性もあるため問題はこのような双方気まずい状態でどのようなFaceをして彼と彼女の結婚式に出席すればよいのかという事である。とはいえ、先に申しましたとおり、彼には自分の結婚式で友人代表の挨拶をピシャリと勤め上げてくれた恩もあるので、当然最終的にはそのような気まずいとか、恥ずかしいといった未熟な感情に左右されずに正装をしご祝儀を包み遠方よりはるばる彼の結婚披露宴に馳せ参じたものであった。

そして当日である。「新郎側 音楽に詳しい友人」として出席した俺は新婦側音楽に詳しい友人の選んだ泣けるR&Bみたいなズカチャカしたやつを聴きながら彼と彼女の素晴らしい結婚披露宴を堪能した。すてきな式ね、そうね、など、別れた男の結婚式に呼ばれた元カノの気持ちとはこのようなものであろうか。大学生活の大半、友達も作らずに没頭した音楽に詳しい友人はここに敗北したのである。

その途中である。お情けのつもりか俺が選んだ曲が1曲だけ流れたのがめちゃくちゃ恥ずかしくて「・・・そういうのはやめろ」という気持ちでハードリカーが進み、最後の新郎新婦による「ゲストお見送り」の際には新婦の口から「ごめんね」と言われると恥ずかしさというか居た堪れなさはいよいよ極大となり二次会では必要以上に酔っ払い、次の日にその時のはっちゃけぶりと空回りを思い出して「アーーー!ウンコウンコ!」と声に出して叫んだ。俺は生きているのが辛い。恥の多い人生だよ。

ドアを壊すプランでいきます

$354というと、今の為替で言うと日本円にして約38,500円。これが昨日かかった自宅の鍵閉じ込めの解決に掛かった費用である。経緯は割愛するが、俺は、俺の家族は手持ちの鍵すべてを家の中に置いたまま、外側から手で鍵がかけられる(が鍵がないと外側からは開かない)ドアをバタンと閉めて外出してしまった。

夕方、出先でポケットに家の鍵が一個もないことに気づき慌てて戻るといやな予感は的中し、先述の通り鍵はすべて家の中、また窓という窓は冬の寒さを僅かでも遮断したい気持ちが行き渡り、全てロックされていた。

ガレージにあった工具、クレジットカードや細い金属部品などを持ち出し何とか自力で鍵を開けようとしたがいずれも無理だった。俺と同じ1982年に立てられたこの家のドアノブが異常に堅牢でいかにも融通の利かなそうなことは日ごろ使っていて良くわかっている。

家から5分のところに住むウクライナ人の大家さんに連絡をする。アメリカの自動車メーカーでエンジニアをしているアラさんという女性である。近所に住むこともあり家賃の小切手は直接手渡しに行ったり、割と顔を合わせていることもあり関係は良好。家賃更新の度に家賃が$2、300値上がりするのが当たり前とされるアメリカの家賃が据え置きであったことは日ごろから顔を合わせているからか、もしくは自営業をしているロシア人の旦那さんと合わせた世帯収入に余裕があるからかもしれない。

スペアキーがないかと聞くと、5分ほどですぐ来てくれたが20もの鍵の束が一緒になったものを持ってきて「この中にあるかもしれないし、ないかもしれない」と言う。作ったかどうかは覚えていないそうだ。合うものがあればいいけど、望みが薄い。

「これは○○の時の鍵だから違う」「これは前のっていた車ね、もう無い」

20もの鍵の束は長年作ったあらゆるスペアキーの記録であり、アラさん一家の生活の記録でもあった。アラさんは10代のときに政治的な理由で家族と一緒にアメリカに移住してきたのだそうだ。当初は英語も出来ず苦労したそうだが、今は大きな会社に勤め、人に家を貸し、生活は安定しているように見える。そんな歴史の中に日本人に貸したこの家の鍵が入っていることを願ったが、結論としては無かった。

「ありがとう、僕らで鍵屋を呼びますよ」

そうなる時点である程度鍵屋を呼ぶことを覚悟していたのは、すぐ近くにあることを事前に調べていたことと、そこまで費用も掛かるまいと高をくくっていたからである。しかし結果としては冒頭に書いたとおり$354、しかもドアを破壊してこのお値段である。

鍵屋、こちらではLocksmithと呼ぶらしい。Smithという言葉は古い英語で「職人」を意味し、Goldsmith(金細工師)、Swordsmith(刀鍛冶)などの呼び名は今でも使われる。Locksmithもこの文脈でいうと鍵職人のようなものだろうか。

15分ほどするとLocksmithが到着、しかしドスドスとカーステからビートの漏れ出る大きなピックアップトラックで現れたのは全身黒づくめ、フードを被り東欧訛りのイカつい男性。本当に申し訳ないが、工具箱を片手に現れたその外見はいかにもこんにちは泥棒ですといった感じで、勝手にチェックのシャツにベストなどを合わせた丸メガネの小柄なおじいさんを想像していた俺としてはLocksmithとはおよそ似つかわしくないこの男性にはいやな予感しかしなかった。

「お値段はコレ」

事前に値段の説明があった。良心的である。サービス料$29は必ず掛かり、それにプラスされる作業料として2つのプランがあるという。手書きで明細書にサラサラと書いていく。

「ひとつは、ドアを壊さないプラン、$275」「もうひとつは、ドアを壊すプラン、$325」

ドアを壊すプランの方が高いんかいと思いながら説明を聞くと、彼曰く

「俺はまずドアを壊さないプランで進めるが、どうしてもあかない場合は、ドアを壊すプランになります。」

ドアを壊すプラン。ちなみに彼の字が汚すぎて、また東欧訛りがキツすぎて値段の$275を$27、$325は$32だと思っていた俺は「意外と安いじゃん」とこの時点では完全に勘違いをしていたのであるが、しかし結果は$354、余裕のドアをブッ壊すプランでありました。 

Locksmith先輩がドアを壊さないプランで頑張ってくれたのはわずか2、3分のことであった。色々と小道具を持ち出してやってくれたが、基本的にパワーで空けようとしていたのが印象的。素人なりに「その道具はもうちょっと耳を当てたりしてコチョコチョやるやつじゃないのかね」と思ったやつを鍵穴に挿した後にバールのようなものでガシガシと力でねじ伏せようとして曰く、聞きたくなかったあのセリフ

「ドアを壊すプランでいきます。」

Locksmith先輩がイキイキしだしたのはそこからである。電動ドリルを持ち出しドアノブに挿しては保護メガネも手袋もせずにワイルドにドアノブを破壊するさまはまさに泥棒。目の前で泥棒に侵入されているのを見ている気分である。 ドアは開いた。そりゃあドリルを使えば開くワイな!と思いながら破壊されて開いたドアを眺めていた。電動ドリルで鍵を開けるLocksmith(鍵職人)...。

お会計は彼のピックアップトラックの中、彼のスマホ端末を利用しカード払いで。そこで実は$354であることを知り衝撃を受けるのだが、更に彼の差し出すスマホでの支払い画面が「チップを渡すか?」と聞いてくる、チップを入れると$400になる。明らかに衝撃を受けている俺の顔を見て察したLocksmith先輩、「どうする?これは別にまかすけど...」と聞かれ「すいません、思ったより高かったので、ナシで」とアメリカに来て初めてチップナシで彼を帰した。

「あまりくれるひといないからいいよ」

ハバグッドイブニングと挨拶をして去っていく彼にもアウーとしか返事を返せずに、$354とぶっ壊れた1982年製ドアノブの重みを感じながらぶっ壊れたドアから無事家の中に入ることに成功した。本当に辛いことがあると眠くなる俺はそのままソファで2時間寝た。

ご示唆いただきありがとうございます

人はビジネスメールでたまに、本当にごくたまに「ご示唆いただきありがとうございます」という返事が来ることがあるという。俺の社会人生活でわずかに1回、このお返事を頂いたことがある。示唆、つまり直接的ではなくともそれとなく伝え本人に分からせる行為である。

最初は聞きなれない返事に物珍しさだけを感じて「そんなお礼の文言もあるのだな」程度でスルーしかけたが、よくよく考えたときに「ご示唆」という言葉の持つ妙なムズ痒さ、示唆という行為自体のこっ恥ずかしさに軽く身悶えたりしたものである。

「示唆」と聞くとどういうものを想像するだろうか。すべてを知っているけれども答えははっきり言わない、回りくどい言い方で物事を伝える面倒くさい輩である。

ハットを被り、マントに身を包んだ謎の紳士。柱の影からそれとなくヒントを与えて去っていく物語の黒幕。または主人公に訪れる試練をそっと見守りころあいを見て「西へ行け...」など示唆して去っていくおっさんのことである。

「~されたほうがいいかもしれません」

そいう曖昧なアドバイスをした俺が悪かったのかもしれないが、それがしたつもりもない示唆をしたと断定されあの時はとても恥ずかしい思いをした。甘すぎる示唆判定。

逆に自分が上司や取引先にいきなり示唆されたらどういう気持ちになるだろうか。

「西へ行き、ノのつく書類にナのつくアレをされたほうがいいかもしれません」

よく分からないが西濃運輸のセンター止め荷物をとりに納品書に捺印したらいいのだろうかと一応考えてはみるが「ご示唆サンクス」と感謝はする気には到底ならない。お前のなぞなぞに付き合っている暇はなく普通にいえやという気持ちしか沸いてこない。

しかしご示唆いただきありがとうございます、という表現は決してレアではなく割とビジネスシーンでは登場するお礼のようである。実際問題、質問に質問で返すジジイや、なぞなぞ形式で答えにたどり着かせようとする輩は多い。あれも示唆だったのだろうか。

「ご示唆いただきありがとうございます。」

その一言で質問になぞなぞで返してくるジジイとの会話を「はいはいシャスシャス」と終わらせられる便利ツールなのかもしれないと思ったときに、俺もそういう意味で使われたのかなと過去の自分を省みるのであった。

昔はCD1枚買うのにめちゃくちゃ時間とお金が掛かっていたものですね

定額の音楽配信サービス、いわゆるサブスクリプションで音楽を聴くようになり一年以上経つが聴く音楽の幅が劇的に広がるかと思ったが実際にはそうでもなく、気にはなっていたがリリース当時金もなく買えなかったものをサブスクにモノを言わせて一気に大人聴きしてみたり、元々ベストアルバムをサラっと聴いた程度のアーティストをもう少ししっかり聴いてみるかといった確認作業のような状態で、ほぼ自分の興味の範疇の範囲内、従来の音楽知識から大きく逸脱することもなくほぼ元々の趣味の延長線上でやや厚みが増しただけというのが実際のところ。

人間、いくら自由に使える技術や情報の選択肢が増えたとて、それを活用するにはそれに足る素養が備わっていないと難しいのだなと思った次第である。情報が自由に選び放題になったとしても、人は等しくその恩恵にあやかられ、人を等しく高めてくれるものではなく、元々高い人をさらに高くさせるのなのかもしれない。

学生のころは金がなかったが毎月CD代に5、6,000円使っていたように思う。もちろん中古、それでもアルバムにして3、4枚。Spotifyなら1,000円以下で聞き放題であることを思うと何という情報の格差。サブスクリプション様に好きに選びなさいと選択肢を与えられたとしても、今でも1枚も売らずに(もはや買ってもくれないと思うが)家においてあるそれらCDの山の中で醸成された凝り固まった音楽趣味からは大きく逸脱することも出来ずにいるのが今の俺。今では聴かれることもなくなったCDたちからの呪いのようである。

 

CDの時代はよかった!1枚1枚、自分の所有物としてお金を払うからジックリ聴きこめて、作品と向きあえる!といいたいところだが、正直CDを買うのは大変だった。まず高いです。高いですね。1枚1枚、お金を払いすぎで中古でもジックリ1,000円~1,500円、国内盤でたまに1枚3,000円とかあって叙々苑ランチかと思いましたが、こうなるといやでも作品に向き合うしかなく、たとえ失敗してもそれを選んだ自分を否定されたくなくて何かしら良いところを探すしかなく!なのでCDは親に言われていやいや結婚したが結局子供はジックリ3人つくるみたいな昔の山村の結婚とほとんど同じである。

CDが購入前に視聴出来るようになったのはCDの時代の中では本当に晩年の出来事といってもよく、それもタワレコHMVといった大手販売チェーンにほぼ限定されるサービス。特に洋楽や昔の音楽を好んで聴こうとする人々はしばしば中身も素性も分からない1枚のCDになかばギャンブルのようなヤケクソの勢いで2、3,000円をつぎ込んでいたのであるが、結果内容がクソであった場合でもそれを認めるわけにはいかんものですから歌っている側もビックリの100回ぐらい聴いて挙句「この曲にも”いいところ”があるな」など、対人関係にも積極的に活用したい他人のいいところ探しにまい進するわけである。

そもそも、普通の人は音楽雑誌のレビューを見るし、古いものがほしければ名盤を紹介するガイドブックを買っただろう。もっといえば普通、テレビとかラジオで聴いて良かったなと思って購入すると思うのだけど、そういう情報も動機もなく男が手淫をするがごとく手癖でCDを買ってしまう輩が中にはいて俺もそれなのだけど、そういう輩はというと自分のなけなしの感性に従い、なけなしの1,500円を握り締め、時には”ジャケ”を眺め、”帯”を読み込み、目をばクワッと見開いて「これください」とレジにいき、家に帰っては「この曲にも”いいところ”があるな」と言って泣くのである。

しかしそうした苦い経験も時が経てば徐々に精度は高まるのも事実で、友達がいなかったため本来は交友関係に使われるはずだったエネルギーをCD購入に投入していた狂った俺は、本来は交友関係に使われてしかるべき時間をCDショップ滞在に投入し、毎日CDについた帯に書かれた文言の読み込みに充てた結果、帯に書かれているわずか数行、50文字にも満たない簡易的な紹介文から内容を推察するところまで精神を研ぎ澄ますことに成功した。

いやあ、小生もかつては散々騙されたものである。

「初期の佳作!」「次の高みへの可能性を感じさせる意欲作!」「逆回転テープを多用した実験的な作品!」

これらはダメCDあるある文言の最たるもの。恥ずかしながら村のみんなとは違ったカルチャーに憧れの強い田舎モノなのでとにかく「実験サウンド」とか「逆回転テープ」という”トガった”文言にめっぽう弱く、その挙句購入したCDが「ぼえ~、ぼえぼえぼえ~」みたいな消費者をバカにしているようなボエ音でよ、それでも当然100回ぐらい”いいところ”を探しましたが、結局「バカにしてんじゃねえよ!!!!!」とわかってようやく目が覚めた次第。

まあしかし結局研ぎ澄ましたのは精神だけだったのでその後も手を変え品を変え現れる「中期の問題作!」「その後の方向性を決定付けた意欲作!」「アート・ロックの金字塔!」みたいな文言に引き続き翻弄され続けた俺なのであった。

100mという距離がいまだによく分からない

アメリカに2年以上いるがいまだに今何月かを英語ですぐに答えることができない。たとえばエイプリルフールだから4月、メーデーは5月だったな、ジューンブライドは6月のことだったな、んでジューンの次がジュ繋がりでジュライだったな、などと何か分かりやすいものを思い出し、それを基点に順番に思い出していくしか手立てがない。

曜日も同じである。毎回あのサンデマンデチューズデーの歌を脳内で口ずさまないとマンデーすら出てこない有様。しかしこの歌とて後半の展開が今でも曖昧でサーズデイとサタデーの区別がいまいち微妙なものだから、結局サタデーナイトフィーバーのサタデーだなぁとやはり何か分かりやすいもので連想させないと怪しい始末。ひどい有様。

もっとも、月や曜日は実際のところ日常生活や仕事上ではさほど困るケースは少なく実際差し迫った問題としては数字に関することである。特に桁、なかでもハンドレッドとサウザンドはどうしても即座に出てこない。どちらにも強そうな語感があり両者優劣つけ難い感じがするのが原因であろう。

そうすると、サウザンドが何であったかを思い出すときには、聖闘士星矢に出てくる、実力が拮抗したもの同士が戦ったときに互いに一歩も動けず長く膠着状態が続くとされる「ワンサウザンドウォーズ(千日戦争)」を毎回頭の中に浮かび上がらせないとそれが「千」であることが連想されない。仕事中に毎回ワンサウザンドウォーズのコマを思い浮かべるのは結構辛い。

このように日常に溢れているにもかかわらず英語による基本的な時間や単位表現の理解をおろそかにしているのはひとえに俺の教養のなさと努力不足によるものといえるが、恐らくそれらはその気になればいつかは知識として覚えられるかもしれないという根拠のない自信があるため放置されているとも言える。

よく身の回りに登場する割には全く覚えられないものとして距離の認識というものがある。例えばカーナビに100m先を右ですといわれ、更にご丁寧に曲がるポイントを指し示されたとしても直前までどこで曲がっていいのかいつも自信がない。100mという距離が頻出の割にはいまいちどの程度の長さなのか分からない理由はその長さをあまり体験したことがないからかもしれない。

例えば50m先と言われると瞬間的に小中学校で散々走らされた50m送を思い出し、頭の中で少年に戻った俺は瞬間的に50m走を始めることで、何となく50mを理解するし、25mと言われればプールで泳ぐときのあの長さを思い出すだろう。俺の場合、100mを走ったのは高校の一、二年のときぐらいで、あの当時はもはや短距離走が人より早いとかどうでもよくなっていたのかほとんど印象に残っていない。小学校から何度も経験してきた25mプールや真面目に頑張っていた50m走と比べると記憶に残りづらいのかもしれない。

子供のころは50m走を真剣に走る意味など全く理解できなかったが大人になった今まさか子供の頃の50m走で距離を認識するなど思ってもみず。サンデマンデチューズデーの歌しかり、聖闘士星矢しかり、その中身はともかくモノは知らないでおくより知っておくほうが良いのかもしれない。それらが別の知らない何かを不恰好ながら頑張って補ってくれることだってあるから。100m走はもっと真剣に走ればよかったと今では思う。