子供の頃のチーム分けが残酷な方法だった

のび太が絶対に向いていないはずの草野球をいつまでも続けているのも、絶対に遊び相手として合っていないはずのジャイアンスネ夫と遊び続けるのも、結局はその遊びしかないし、遊び相手の選択肢が限られていたからだと思われる。俺の子供の頃よりもっと前、子供の遊びが今よりもっと限られていて、価値観であったり、世界といったものが今よりもっと狭く小さかった頃、いつも遊ぶ公園や友達関係の中に色んな不条理があってもそれを与えられた宿命として、逃げることも考えず受け入れていた沢山ののび太がいたはずである。

 

地方や世代によって呼び名も様々かもしれないが、俺の地域ではそれを「とりげん」と呼んでいた。「とり」は「取る」から、「げん」は「じゃんけん」の「けん」が変化したもの。これが使われるのは草野球や草サッカー、ドッヂボールといったチームスポーツを行う際にチーム分けを行う場合。集まった大人数を首尾よく2つのチームに分けて遊ぶ必要がある場合に、子供の中で権力のある子2名が勝手に始めるドラフト会議なのであった。

2名の選ぶ者とその他大勢の選ばれる者たち。そこに何ら話し合いは無く運動神経やガダいのデカいところに神は現れ王権を授けるとされた発育式王権神授説に基づき決まるのである。

そこから先は俺とお前で世界を分けようの世界。2人の子供がじゃんけんを始め、あとの大勢はぼんやりその様を眺めるのみ。「こいつもらう」だの「お前来い」と選んでゆく様は世界地図を眺めながら「ここはウチの領土」と勝手に線を引いていった18世紀の帝国主義国そのものであった。

自分が奴隷のように買われる順番を気にしながら黙って待つ残酷なシステムは、その実これは子供を迅速に2つのグループに分けるのには実に効率的で且つ能力の偏りを作らない優れたシステムでもあった。選ばれる順番がつまりドラフトの指名順。選ぶ人間が子供となるとそのチョイスや決断は実にシビア。気を遣うとか気まずさいう配慮、躊躇によるタイムロスもなし、いくら仲が良かろうとヒットを打てないやつは選ばれず、いつも一緒に下校していようが足が遅いと後回しにされる。

たかだが草野球程度の場であろうと、能力の優劣がこの世には存在するのだということを子供たちはこのシステムで早々に理解させられ俺たちは平等じゃない、みんなちがってみんないい、などというノンキなポエムを吟じているとこいつらに全て奪われてしまう力の世界。なかなか呼ばれない自分の名前を待ちながら

「僕は絵などをがんばろう(棒読み)」

そう心の中で強く決意した少年もいたという。その少年、今はインターネットで10年以上にもわたりブログをがんばっているそうです。今、幸せなのでしょうか。とりあえず関係ないので話を進めましょう。

このシステムの残酷性は最後の1人が余った時に発揮される。例えば、集まった子供が偶数できっちり2つに割り切れれば良いのだが常にそうとは限らず集まった人数が奇数であれば必ず1人は最後に余ってしまうという割り算の悲劇。そこで売れ残りを突きつけられるのである。更に売れ残ったという事実を受け入れる間もなく、次に行われるのが、俺の地域の呼び名で失礼すると「いる/いらんじゃんけん」である。

ストレート過ぎてもはや説明不用と思うが、字のまま、余ってしまった1人を「要るか、要らないか」、じゃんけんで勝った方が選択できる制度。ここで注目すべきなのは「勝ったほうが自動的に余った1人をもらって数的有利を作る」のではなく「いらない」の選択肢も与えられているという点。

さすがの子供も勝てば数的有利を考え大概は「いる」と言うがたまに「いらない」と言ってしまうケースもあり、それでそのまま「プレイボール!」とか言われてももはや公園の敷地内にカウンセラー常駐で草野球させてほしいレベル。

余ってしまった事実に加え、目の前で自分が「いるかいらないか」をジャンケンされた上、勝ったやつが「いらない」と。要するに「居ると戦力が落ちる」と判断されたということ。なんて非情なんだ。俺もかつて「いらない」宣告されたことがあるキッズなのだがおいおまえら!俺の将来を考えて思い直せ!と子供ながらに思ったものである。

すごいのはそんな屈辱を受けても俺たちはイジけて家に帰ることもなく言われたままチーム分けに従い、そのまま何食わぬ顔で遊び始めていたこと。あれはなんだったのか。一応はそういうことがありますよという不文律を理解し、誰一人として気を悪くすることなく、毎日同じように自然と集まって来ていたってことは、あの頃は何となく頭の中で力関係のピラミッドのどこに自分がいるかということを分かっていたのか、または遊びのバリエーションも少なかったあの当時、ここに居ないと居場所がないということを理解していたのだろうか。

ジャイアンスネ夫が年に一回、映画のときだけみせる友情がそれまでにのび太に浴びせて来た罵声や暴力の償いになるのか俺には分からないが、のび太はそれだけで彼らと野球をやる理由になっていたのだろうか。