仕事が大変

俺の仕事が営業であることだけは知っているらしく時々、仕事から帰ると長男が「今日もたくさん売れた?」と聞いてくる。お父さんはそんな猟師とか行商みたいなその日ぐらしの不安定なお仕事の類でアメリカまでやってきたのではないのであるが、息子に「売れたか」「儲かったか」と聞かれる度に、俺は仕事で家族を養っているという当たり前の事実を思い出し、ともすれば惰性になりがちな働くことの意義を今一度見つめなおす。

会社員は、サラリーマンの仕事は特に単調でつまならないものである。ぼくらがそう決め付けているのかもしれないですね。会社員、サラリーマンと一言でくくられている人々、ともするとそれ以外の仕事、例えば農業や自営業やフリーランス、スポーツ選手や芸能人、作家やアーティストのような仕事と比べたときに変化に富まず楽しさややりがいみたいなものとは無縁のような扱いを受けてしまうのも、世の中の大半が会社員、サラリーマンであるゆえだろうか。結局サラリーマンがつまらないと決め付けているのはサラリーマンで僅かに存在するそれ以外に対する過剰な憧れによるものではないか。サラリーマンとそれ以外の両方を知ったものでしか、両方を知ったとしても誰も正解を出せる話ではない。

サラリーマンという括りの大雑把さを我々が看過し続けているのもどうかと思うが、しかし日々変化に富まない単調な毎日というのは、その実大局的に見たサラリーマンの規則的な生活サイクルのことであってその中身というのはご存知のとおり日々小さなドラマに満ちており、例えば島耕作のようなエリートサラリーマンが主役の華々しい世界、大それた物語でなくても、我々の日々の業務の中には予想だにしないトラブルと、そしてそれを解決していく小さなストーリーが日々転がっている。

大した額でもビッグプロジェクトでもなんでもないほんの数万円の注文書の手配ミスで生じた絶対無理な納期を守るため色んな部門の精鋭に声をかけ、時には上司を欺き、客に嘘をつき、起案だなんだと急き立てられながら上司同士の合意に基づくウルトラCの技を使って何とか間に合わせるような、街で見かけるその辺の冴えないリーマンにも彼らの背後には大なり小なり日々ドラマがある。冒険があり、感動があり、教訓がある。

俺がこちらで出会った日本からの駐在員。会社を代表し、日本を代表して祖国を離れアメリカで孤独に戦うその辺にどこでもいそうなオッサンばかり。英語も出来ないのに派遣され、片言の英語で欧米人相手に熱心にプレゼンをし商談を成功させるそんなオッサンの姿には妙な感動を覚える。我々が普段街で見かけるとてもインターナショナルには見えない普通のリーマンのオッサン。そんな人にも海外で戦うまでのドラマがある。

俺もみんなと一緒で本当はサラリーマンではない何かになりたかったけれども、なりたかったものが今より楽しかったものかは今となってはもはや分からないし、ただそう思うしかないのかもしれないしとにかく今は働く理由があるので日常に僅かなドラマを見出しながら日々やるだけである。