アメリカに来てもうすぐ1ヶ月

日ごろの日記からは微塵も感じさせないが、俺は8月からアメリカのミシガン州で暮らしている。ミシガン州と言われてもピンと来ないだろうが、皆さんも中学生のときに地理で習ったはずの五大湖がある、カナダとの境目にある最北の州である。
中心都市・デトロイトを抱え、自動車産業の中心地として名高い工業都市であるが、いかんせん土地が広く日本のそれと比べると全くイメージの異なる自然豊かな田舎町といった風情がある。
また「デトロイト」と言うと治安の事を言われるが治安が悪いのはデトロイト市のダウンタウン(いわゆる中心部)及び、それを囲む近隣エリアと言われている。
犯罪が多いのは徒歩移動か公共交通機関車が機能する範疇で、車移動が必須の距離になると全くの別世界が広がっている。
むしろデトロイトから車で30~40分離れた郊外には全米でも有数の高級住宅地が広がっているなど、日本人のイメージとは若干異なるはずである。
(ちなみにメタルのライブが多いのは皆様のイメージどおりです。)

 

依然としてホテル住まいのため「アメリカ暮らし」という表現が少し微妙だが、先日住む家も決まり9月の後半からようやく長いホテル暮らしから開放されるわけである。
日本を発つ前、5月から続いた引継ぎ出張、研修三昧により俺のホテル暮らしは日米通産4ヶ月。
俺の人生でまさか「日米通産」という言葉が関与するとは思わなかったが、ホテル暮らしとかいうどうでもいい日米通産で悲しいです。

渡米初日から今日までを振り返ると色々あってもう3ヶ月ぐらいいる気になっているが実はまだ1ヶ月にも満たない。色んな人が言うことではあるが、英会話学校では聞き取れていた英語が全く聞き取れず、最初はアメリカ人恐怖症に悩まされ、今も正直あまり必要に迫られなければ積極的に一人で買い物や飲食店に行くことはない俺である。(というかアメリカの街に一人で出歩く用事がマジでないのである)
マクドナルドぐらい誰でも注文できるやろ!」

と言われる事もあるが、そもそも日本ですら行ったことの無かったマクドナルド。油断すると「つ、ツキミ・ブァーガ...、プリーズ。」などといったジャップ・ブァーガを指名して恥をかく危険性もあるので毎回ロボットのように「No.2、プリーズ。」とメニュー表の「チーズバーガー」に与えられた「No.2」を指し事なきを得ている次第。アメリカでのマクドナルド経験値は既に日本での経験値を凌駕しつつある。

なにせ思うのは、渡米前は話せない方を恐れていたが聞き取れない方が不便という事。
人が話しているのをジッと聞き耳を立て、あるときには会話を録音してホテルでその会話内容を分析する。やってる事はほとんどCIAです。
既に日本とアメリカの違いみたいなものも自分なりに強烈に感じているものはあるが
まだ1ヶ月もいない人間が偉そうに述べる事でもないのでもう少し経験値が増えたところで偉そうに語りたいと思っている。とりあえずアメリカに来て3週間のジャンル別の感想を書いてみたいと思う。

 

1.時差ぼけ

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片道12時間のフライトである。
普通の人は12時間のうち時差ぼけも見越して寝るはずなのだが、緊張していたのか全く眠れずついには機内で視聴できるアメリカドラマ「ファーゴ シーズン2」をコンプリートしてしまった。
その後俺を待っていたのはその後数日にも及ぶ強烈な時差ぼけである。昼間強烈な眠気が襲い、夜は1時間ほどうとうとするとすぐに目が覚める。胃腸の不調に悩まされすげえデカい屁が7発連続とめどなくさながら見事なたすきリレーのようであると、そうするといよいよ寝てないテンションも手伝ってか得意の英語で「Yeah!!!!」と叫んだ夜中2時。

 

2.手続き
手続きが色々と大変である。アメリカに来るときにやった手続きも色々と大変だったが、こちらに来て短期間でこなす諸手続きの意味不明なことといったら甚だしく、またその量のおびただしいこと。しかもやる事なすこと全て英語と来るから狼狽するものである。時差ぼけのまま、同僚に連れられ色んな諸手続きに死体の様に無言でついて周り発する言葉といえば「Yes」のみ。
サラリーマン・イン・ジャパンの経験からこわいときはイエスマンでいれば安全と本能的に判断しずっとイエスでここまで来たがなんら問題が起きていないので恐らく正解であった。

ちなみに運転免許だが、日本の免許に対して日本で取得できる「国外運転許可証」があればしばらくは運転が可能であるが、最終的にはアメリカの運転免許を取得する必要がある。自宅住所がないと運転免許は取得できないのだが、家を借りるには日本で言う年金番号の取得が必要という具合で手続きはステップバイステップである。
  
3.移動手段

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ダウンタウンを除くが90%の人が自動車移動である。
街を見渡しても歩いている人が殆どいない。少々乱暴な言い方だが、街中を歩いている人が多いほど治安が悪いと言っても良いかもしれない。電車や路線バスもなくタクシーなども見当たらない。自転車も移動手段ではなく趣味ものである。ウォーキングとしての歩行者しか見当たらない。自家用車なくして生きてはいけない社会である。 
「だからアメリカ人はデブなのか」と思いがちだが、スポーツジムに行くお金と時間の余裕があるアメリカ人はもれなく痩せている。デブは冨の象徴とは言えないかもしれない。

既に通勤に片道30分ほどかけて車で通っているが左ハンドルには面食らったものである。交通ルールも日本と微妙に異なり最初はドキドキしたものであるが、後述するがアメリカ人はみな礼儀正しいというか親切な人が多く運転はおおむね安全であると思われる。(スピードはすごいです)

 

4.食事

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個人差があると思うが日本で散々言われていた「アメリカの飯はマズい、ワンパターン」という言葉は否定しておきたい。移民大国だけあってメキシコ、イタリア、中国、タイ、ベトナム、、色んな食事が楽しめる。和食もなかなかのものである。
ただし飲食店の物価の高さには驚いた。外食すると12~13ドルは覚悟が必要である。チップも含めると15ドルを超えてくる。日本の様に500円で何でも食べられ、高いサービスを求める社会を健全と見るかは複雑な話になるので避けたいが、日本の外食の異様な安さと安さの割りに高いサービスに思いをはせながら、巨大なアメリカン・ファーストフードに食らいつく俺である。

 

5.アメリカ人

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最後にアメリカ人である。
あるガイド本で「アメリカ人はとってもフレンドリー!」と書いてあり「いやいや、俺も結構フレンドリーやがな。」と思ったもんだが、あの本が言っているのはこういうことかとこちらに来て理解した次第である。
すれ違うときは挨拶するか最低でも微笑みかけてくるのに始まり、目が合うと知らない人でもいきなり話しかけてくる事が日常茶飯事である。エレベーターや飛行機の隣の席など、人が横にいたら会話が始まり分かれるまで話し続けるのである。それはいいのだが俺はそこまで英語が堪能ではなく得意の「Yes」かオナラしたときに使う「Yeah!!!!」しか手持ちがないのである。

 

こんな感じでビギナーなりに最初の1ヶ月未満での感想をざっと書いてみたが、またしばらくすると違った感想も出てくるものと思う。何せ思ったより英語で苦労している事が行動の全てを決めている感があり、しばらくした後に家に住み始め、家族も来ると広がりが出てくるだろうと期待している。

今はまだ日本に若干の恋しさもあるのが正直なところ。早くアメリカかぶれして「日本はここが変!」みたいなことを書き始めるウザいブログになりたい...。

今も苦しむ7年前の古傷について

2010年のある日を境に、睡眠不足が続いたり、強いストレスを感じたりすると決まって右足の一部分が小さく腫れ上がるようになってしまった。
その「ある日」と言うのは他でも無い、俺が人生初の野外フェスから帰って来たあの日である。
友達に誘われ人生初の某野外ロックフェスに行ったらば「てめえこのネクラ、こんなところ来やがって場違いなんだよ!」とばかりに案の定悪意あるブヨという虫に噛まれて大変な目に遭った。
すなわち、俺が今でも悩まされる足の腫れとは他でも無いこの7年も前にブヨに刺された痕。 それは死すらも覚悟した壮絶なストーリーの傷痕でもある。

そもそも皆さんはブヨという虫をご存知だろうか。渓流や山間部に住む虫だ。ハエの仲間らしく見た目もハエのような感じだがこれほど恐ろしいとは知らなかった。
虫で一番恐ろしいのは今まで蜂だと思っていたが考えは改めなければならない。ブヨも相当ヤバい。だのになぜこんなにマイナーなんだブヨよ…。俺がお前をシーンにフックアップするよ。

 

というわけでブヨにやられたと思われるのが10月10日。刺された時は気付かず、件の野外ロックフェスから帰宅したその日、足を見て初めて異変に気づいたわけだ。
右足のヒザから太ももの辺りに三箇所、血豆のようなものが三つある。その血豆を中心として周囲半径1.5cmほどが蚊に刺された様に盛り上がっている。
それがブヨの仕業だと気づかぬ俺だったが「おやッ、なんかブヨブヨしてるッ!」なんていうハイレベルな昆虫JOKEを無意識のうちに成立させてしまい、この辺りはもう笑いの神様に見初められた天賦の才能というしかない。それが面白いかどうかは別として…。
ただ、そこから数日。さらに症状が悪化してきた頃、黒ずんでただれたような患部に「さらにブヨブヨしてきた」と改めて自らスペシャルヒントを出していたことを思い出すと、ひょっとしたらこれは過去にブヨに噛まれたことが原因で死んでしまった亡霊からのありがたいメッセージだったのかとも思えた。

このように、ブヨに噛まれるとまず噛まれた場所に出来る血の塊を中心とした赤い腫れが広がる。ここから先は個人差はあれど二週間後には痛みにも近い痒みが患部を襲い、掻かずには居られなくなる。
痒みが更に痒みを呼ぶシステムで、掻けば掻くほど毒が回るかのようにその範囲がどんどん増していく有様。噛まれた三箇所は広がり続け、気づくと三箇所の腫れが完全に合体。噛まれた部分はドス黒くなり、足全体が腫れ上がっていたのをみると流石に恐ろしくなるものである。

最初に異変に気づいてから実に3週間後、ようやく得意のインターネットでこの腫れの原因として「ブヨ」にたどり着いた俺は、続いて「リンパ腺炎」という病名、さらには「死ぬこともある」と出てきたところでようやく病院行きを決意。俺はインターネットしか信じない。

翌日、急いで病院へ行くと医師は「ブヨだね」と一発で原因を言い当てる。「だってブヨブヨしてるもん」が理由だったらどうしようと思ったが特に説明が無い。病院あるあるみたいなもんなのだろうか…などと思いを巡らす俺に対し、先生は患部を触りながら「これはリンパ腺炎の一歩手前だね」と軽くおっしゃるので「ネ、ネットでは『死ぬこともある』と書かれておりましたが・・!」と思わずうれしはずかしネット情報をポロッと口に出してしまいとても後悔したが、医師は「ふっ…」と失笑する以外は完全にシカトだったので俺はむしろこのままリンパなんとかで安らかに死んでもよいと思った。

先生にもらった薬を飲んだその晩、毒素を外に出せい!とばかりに体クンが張り切っちゃったのか、夜中に尿意に叩き起こされる程のものすごい量のションベンが二回。
それがもう「うおおおおとまらねえ!!」って実際に口に出して言ってしまうほどのレベルで、このままションベンしながら夜が明けるんじゃないかと冗談抜きで思ったほどのモンが何と一晩に二回もあって、「人間の体の60%は水分」が本当なら俺は今緩やかに危険エリア突入中やもしれないという不安の中、なぜか無事一通りションベンが終わったあとになぜかウンコもしてしまった。ウンコにしてみれば血気盛んなションベンに刺激されて「俺もいるぜ」といったところか。やかましいわ。

 

こんな形で足に刻まれたブヨの噛み痕。冒頭説明した通り、どういうカラクリなのか今でも時々姿を現わすのである。
俺が言いたいことは野外ロックフェスなど行くものでは無いということです。

チンパンジーに白目が無い理由

昔、伊豆にあるシャボテン公園という割と小さめの動物園に家族で行った時のことである。
それは閉園間際、出口付近にあるチンパンジーコーナーに最後に立ち寄った際のこと。
「知能的には同じだな」などとシツレイなことを言いながら自分の息子をチンパンジーコーナーに連れてゆき、バカ親覚悟でチンパンジーを手招きしては思い出にと息子とのガラス越しでのツーショットを試みんとしていた。

しかし閉園間際というタイミングが悪かったのか、はたまたお待ちかねの夕食前とあってか、チンパンジー諸兄姉はなかなかこちらへ寄って来ない。手を叩いたり声をかけたりなどして呼んでみても「そんな鯉みたいな下等生物の呼び方はお断りですね…」とばかりに一瞥もなく、一向に寄ってくる素振りを見せないチンの字達に苦労していたとき、遠くから救いの手が差し伸べられる。

「ぼくが呼んであげましょうか」

それは少し離れたところから我々家族を眺めていたシャボテン公園のチンパンジー担当の飼育員であった。
さすが飼育員様、彼らの名前と思しき文字列を一声かけただけで空腹のチンパンジーが寄って来て、息子とのガラス越しでのツーショットは無事達成できた。

飼育員の男性、年齢は30後半ぐらいだろうか。
長年このチンパンジーコーナー担当らしく、ここシャボテン公園のチンパンジーについて、生まれたときの事や性格などといったことから、チンパンジーにまつわる豆知識をマンツーマンで教えてくれた。

チンパンジーと人間の毛穴の数はほとんど同じです」

チンパンジーと人間のDNAの違いがわずか数%ということは何度か聞いた事があるが、あの毛むくじゃらの猿と人間様の毛穴の数もほぼ同じなのだという。チンパンジーの毛が太くて長いだけで、人間も同じような毛が生えればチンパンジーのようになるのだそうだ。

このような形で他にも色々と専門知識教えてもらったが、最も衝撃を受けたのは「チンパンジーに白目がない理由」についてだ。皆さん何だと思いますか。

チンパンジーに白目がないのは、お互いどこを見ているか分からないようにするためです」

「目が合って争いにならないように、最初からどこ見てるのか分からなくしてるのです」

驚いた。そしてピンときた。それはまさかのグラサンの理論だ。
進化の過程で人間と別れたチンパンジー。人間が必要に迫られグラサンを発明した一方で、チンパンジーはそいつを標準装備とシケ込んでいたのである。

「なに見てんだオラ」

有史以来、争いの原因はほとんどがこれだった。
ポエニ戦争百年戦争ナポレオン戦争第一次世界大戦第二次世界大戦、最近ではガチンコファイトクラブの揉め事の実に90%が「なに見てんだオラ」から始まっていた。(残りは「ジョートーダコラ」だったと記憶しています。)

いまだ人間の世界では争いごとがなくなる気配は無い。しかしそれがすべて白目があるせいだったのだという事実。にっくき白目なのである。
チンパンジーより進化では先を行ったと思っていた我々人間。しかしそれはどうだろう。チンパンジーは平和のために自らを変えたのである。
ぁなたわ、どちらが進んでいるとぉもぃますか??

チンパンジーを見習わないといけませんね」

そう締めくくろうとした飼育員の顔を、そのとき初めてマジマジとみたのだが、何と彼の目、その目には白目は無かったのである。ボクは正直めちゃくちゃ笑いそうになりました。
不躾な物言いだが、ペットと飼い主が似るように動物と飼育員にも同じことが起こるのか、それとも彼もこのシャボテン公園で飼育員同士の争いを避けて生き残るために、必死で進化を遂げたのだろうか…!

「でもヒューマンは…ヒューマンときたら、目と目が合わなきゃ…恋に落ちないジャン…!」

そんなことを思いつつなおもチンパンジーを見たがる息子を「ほら、行くぞ、海鮮丼食いに行くぞ」と引っ張りシャボテン公園をあとにしたのであった。

メンバー全員がヤリチンのフットサルチームに所属していた時のことですが

学生の頃、バイト先に居た1コ上のライトなギャル男でヤリチンを絵に描いたような茶髪にロン毛の大学生に誘われ、その人の地元の友達らで作るフットサルチームに参加させてもらったことがある。
チームと言うにはかなりルーズな集まりでメンバーは5~8人、それも毎回知らない人が来たりして今思うとただの「集まってサッカーやろうぜ~」ぐらいのノリだったように思う。
それにしてもさすがはヤリチン、集まると全員いいにおいがして、俺以外全員見事なまでに茶髪かロン毛もしくはその両方な上、ほぼ全員、程度は違えど日焼け済みだったりするので、そうした中で一人黒髪短髪、普通の肌の色をした普通のナリの俺がプレイしていると異国のチームに挑戦しにやって来た日本人感があって妙に奮い立つ気持ちになったものである。

練習場所は今では某大学が建つJR中野駅前の公園。
サッカーの出来る場所など少ない東京なので広い公園には皆殺到するのが常であるが、我々の「ホームコート」でもやはり、色んな集団が窮屈そうに譲り合いながらサッカーをしていた。
個々の集団が別々に、同時にサッカーを始めるとカオスなことこの上なく、結局しばらくすると「試合しませんか」など互いに歩み寄ってちょっとしたミニ大会の様な形で一つの公園を共同利用し始めるのである。

我がチームはヤリチンばかりだがサッカーの実力はなかなかのものでその公園によく集まる連中の中では強い部類に入り、練習後の飲み会などでは度々勝利者だけが味わえる美味い酒を飲んだ記憶があるが、その様な飲み会の席で飛び交う、ヤリチンによるヤリ・トークのその内容には、恋愛経験がシャケの雄並みの純度の高い田舎モンとしては度々驚嘆したものである。
電車の中でナンパした女にケジラミをうつされたというMFのヤリチンはさすがのパスワークで家族全員にケジラミをうつした話を笑顔で語り、FWのヤリチンは僕と同い年なのに20代の女に飽きたらしく、今は30代がアツいという話をたくさんヤった人特有のとても落ち着いた語り口でしてくれて「年代にアツいとかあるんだ」と思った次第。
彼らの高校では全校生徒皆SEXはおろか、3P、4P当たり前という様なスケールの大きなSEXの話を聞かされ、かたやたった一度SEXをしただけでセックス教の教祖のように崇められ、そのお方の性体験談を聞こうと参集してはメモを片手に半勃起で傾聴するクソ童貞が9割以上を占めていた俺の母校を思うと同じ時代を生きていたにも関わらず隔世の感を禁じえず、そんな高校出身のこの俺が、卒業後わずかばかりの時を経て今ここで一緒にサッカーをプレイしている事にはある種の奇跡めいたものを感じたものである。

そんな中で、高校生時点で体験人数が100人を超えていたという対人では高い攻撃能力を持つくせにポジションはまさかのDFという守りのヤリチンから、ある時ふと「君、素質あるよ。」と言われたことがあり、俺は「サ、サッカーすか?」「それとも、、セ、SEX!?」などとは聞けず、コクリと黙って頷いただけだったのだがあれは一体どっちのことを言ったのだろうか。
今でも気になっている。

優香、俺が下の名前で気安く呼べる数少ない女

優香は俺が下の名前で気安く呼べる数少ない女である。
思えば俺は女の名前を下の名前で気安く呼んだ経験が殆どなく、従姉妹の名前すら時々躊躇するほどで、最近亡くなったがゾウのはな子だって「ゾウの」をつけないと正直ちゃんと呼べるか怪しいほどである。

会社の若手の飲み会やちょっとしたスポーツサークルなどには男のセンパイから可愛がられる後輩キャラの権化の様な八方美人のかわいがられオンナが必ずいるとしよう。

「おいおい、お前らまで…ッタク、無理するなよ」とこちらが心配したくなるようなどんなネクラBOYですらもそのオンナを「○○子!」などと下の名前で気安く呼び捨てに出来るような設定の甘~いシチュエーションにおいても・・・、俺は、この俺だけは「○○さん。」と苗字で呼んじゃったりなどして、そんなフレンドリーなムードをぶち壊すような妙に小学校のクラス染みたお堅い呼び名でもって場を白けさせてしまうのである。

その点優香はいい。俺は正直よく知らないがやさしいとかスタイルが良いとか肌がきれいとか、なんかきっと優香の良いところは色々あるのだろうけど、優香には苗字がないのが一番いい。
優香を「優香。」と呼ぶとき、俺は自由である。

先日、優香はついに結婚してしまったがこれからも苗字のない女でいて欲しい。