子供がウンコに気づく時

次男がウンコを連呼する時期に入ってしまって久しい。

下品なものは特に見せた記憶もなく、いまだなんの影響か全く不明なのだがなんぴとも男児がウンコ、シッコ、チンコなどと言い出すのを止めることはできないのであろう。

夕方になるとカエルが田んぼで鳴くように、思い出したようにウンコ、ウンコと騒ぎ出し「ウンコっていうなよ!」という俺の注意にまた「あ!ウンコって言った!」と喜んで騒ぎ出すのである。

 

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食事どきにもなおも止めようとしない息子に、これはさすがにキツく言わねばと別室に呼び出しひとしきりこんこんとなぜウンコと言ってはダメかを真面目な表情でそれこそ10分近く説明したこともあった。

真面目な顔でウンコというテーマについて説明するのも間抜けなのだが息子が流石に殊勝な表情になるのを見ているとたかがウンコぐらいでこんなに説教してしまったことをいささか反省し、もう終わりにしようと言うことで「わかったね!」と締めようとしたところ、息子ももはや体に染み付いた習慣と化してしまったのか、返事のつもりで「ウン」と言ったその勢いで思い出したように


「コ」


などとニヤリとして言うのである。これには俺も笑いを禁じ得ずバツの悪さから「バカヤロウ!」と怒鳴り声をあげて息子を叱り飛ばしてしまうなどする次第。ウンコついでといってなんだが、次男は現在オムツを外すべく日中は可愛い子供用のパンツで過ごしている。

母親からは出そうになったら言いなさいと言われているが残念ながら今のところ5割の確率といったところだろうか。

段々漏らすことの不快感を覚えることでトイレへの意識が高まれば良いと思う次第だが、ここでも問題となるのが件のウンコを連呼することである。ウンコを連呼というのが面倒なのでいい加減「レンコ」とカタカナで呼んでしまいたいほどだが、つまり彼が年がら年中ウンコ、ウンコと言うから本当の便意の訪れが全く読めないのである。民間人の中に紛れて攻撃してくる卑怯なゲリラ兵のようである。

これまでに二、三度部屋の中で脱糞をカマした息子、日頃のウンコ、ウンコと言う割には実際に脱糞するときはというと妙に神妙な表情にて人知れず部屋の隅などに行き、さも鳥が産卵するが如く静かに行うというからゲリラ兵よりタチが悪い。

長男の時から数えてこれまでに数回、部屋の中に転がるウンコを見た事があるがトイレ以外で見るあの存在感というのは笑っちゃう程で本当は笑ってる場合じゃないんだけどその非日常というか何か説明できぬアート感は独特のものがある。親が下品なものを遠ざけようと子供はどこかで覚えてくる。子供の世界に広がるあれやこれには勝てないのである。3歳でこれなのだから中学生、高校生ともなればもはや無理だろう。ウンコだけにせめて自分のケツぐらいは自分で拭ける男になってほしい。

 

 

イラスト  盛岡くん

店長の目薬にジントニックが

学生のときの話である。誰しも経験したであろう若気の至り、もはや時効と言うことでお許しいただきたいがこれは当時アルバイトをしていたカラオケ屋でのちょっとした悪事の告白である。

大学時代に一番長くアルバイトをしたのが高円寺のカラオケ屋。今はもう潰れてしまい存在しないがその時のバイト仲間は入れ替わりがめちゃくちゃ早かったけれども、場所柄バンドマンや劇団員、芸人の端くれなど入る人入る人皆面白い人々ばかり。何人かは今でも時々連絡をとっているくらいだ。

そんなカラオケ屋のバイト仲間と共謀し、そのカラオケ店の店長が眠気覚ましに使っていた目薬にジントニックを混入させたことがある。

「なぜそんなひどいことを...」

皆さんはそうお思いだろうが一応我々なりの理由があった。細かくは言わないが労働環境、待遇への不満、そして何より店長の息が死ぬほどクサかったことがこの若き労働者の暴動発生の原因だ。店長が、勤め先を解雇された果てに個人経営のカラオケでまさかの雇われ店長をする45歳独身の、あの学生をナメていた横柄な店長がとにかく皆嫌いなのであった。

「なら辞めろよ...!」

皆さんはそうお思いだろうが待ってもらいたい。俺たちはそれでもあの店自体は愛していたのである。ただでさえ格安の時給には深夜割り増しもなく、空調も効かない、交通費も出ない上に客層が最悪という劣悪な労働環境でも「バイト同士が仲がいい」というただその一点だけでピュアな学生は働き続けられるのである。

だからこそ、それがゆえにますます店長憎しだけが高まるばかり。

「一回アイツをこらしめよう」

日本昔話の鬼が村人にそう言われるかのように、店長撃退作成の準備は粛々と進められていた。

夕方4時に出勤する店長は翌朝3時まで働いていたが、夜中12時ごろに1時間ほど「休憩」と称してバックヤードの細い長テーブルの上でジッとファラオのように器用に寝ていたのであるがジントニック混入作戦はそのとき行われた。

コップに入れた業務用ジントニック原液の中に目薬をケースごとイン。スポイトのような原理で幾つかの泡が出て行った後にジントニックが目薬に無事潜入。恍惚とした表情でそれを眺め、皆はつぶやく。

「これでジ・エンドだ」

1時間の仮眠から戻ってきた店長。普段クサい息も寝起きは倍増しである。

「おっす」というその息はとしよりの猫のしょんべん並にクサく、そこにいた誰もが息を止め、決して返事をしようとしない。いつものことだ。そして休憩後の習慣が例の目薬に他ならず、皆の密かな注目の中、いつもの置き場にあるブツを大事そうに手に取ると何も知らずにそいつを眼球へポタリ...。

《よし、ジ・エンドだ...》

白々しく黙りこくるバイト連中の傍らで店長は「うォォォ...」とわなないたあと、無言で目を見開き、「効ックー!」と言わんばかりにキメッキメのすごく充実した表情になったかと思うと、その後急におとなしくなり奥の小部屋にふらふらと消えていった。それは死期を悟った猫が人前から姿を消すような寂しい足取り...

《やばい、やりすぎたか...店長ったら、死んじゃうの??》

皆の不安もその一瞬だけ。1分後にはにこやかな笑顔と共に奥からカムバックし、「なんか元気が出てきた。」と語る店長の元気な姿でそれが杞憂と分かった。

《元気が出ただと...》

最初のジントニックで足を洗った俺だが、なおも店長許すまじを掲げる一部の過激派から店長の目薬にはその後長い期間かけてモスコミュール、焼酎、日本酒などが地道に追加されていったという。色味のついてしまうカシスオレンジを入れる挑戦者も居たという。「革命の赤だ!」って、バレるだろばか野郎。やめんかバカタレ。

その後「熱燗にしよう!」とか、「ソルティドッグのように注ぎ口に塩をぬろう!」とか、「カットレモンを入れよう!」という店長の目薬大喜利に昇華され、もはやそれはただのドリンクメニューなのである。

減らない目薬にも全く気づかない店長。恐らく最後のほうはただの酒だったと思うがそれを目薬と信じ、その後も気づかず毎日酒を目にぶち込んでいたとしたら本当に酷い話だ。

しかし俺がバイトをやめた後たまたま高円寺であったら凄く元気そうで安心すると共に、「おー、相変わらず冴えない顔だな」と馴れ馴れしく俺の肩をポンと叩くその息は相変わらず死んだイカ並みの臭さで、あのときの目薬の中身をすべてファブリーズと入れ替えとけばよかったと後悔したものである。

お前の分も買えよ

職場を歩いていると遠くから50がらみの上司に手招きされ、近づくと小銭入れを渡された。

「いつもの俺のコーヒーと、あとお前の分も買えよ」

そういうと上司は早く行けとばかりにタバコに火をつける。

渡された小銭入れを握り締めてダッシュ自動販売機へ向かった。あれは俺がまだ24歳、最初に就職をした職場でのことだった。

いつもの自動販売機に着くといつものコーヒー、BOSSのブラック無糖を買うはずだったが、小銭入れをあけると中には70円しかなかった。あとなぜかクリップが入っていた。

 

≪いつもの俺のコーヒーと、あとお前の分も買えよ≫

 

自分の財布から小銭を出し、自分の金で上司のコーヒーを買い、別に飲みたくもないのに自分の分のジュースを買ってダッシュで上司のところに戻る。

「いただきます!」

若者らしい無駄に元気のよい声をだして、上司の目の前で自分の金で買った当たり前のジュースをゴクゴク飲んだ。

上司は≪フッ、若いな≫という顔をしながら俺がおごってやったコーヒーをゴクゴク飲んだ。それは俺のおごりだ。

俺はまだ24歳、社会のことを学び始めた頃の話である。

人と人、そこにある慣性の法則

それを習ったのが中学か高校かも覚えていないことから俺の理系科目への関心の低さが知れるが「慣性の法則」という言葉だけは覚えている。

「物体がその運動をそのまま続けようとする性質」という程度の簡単な理解である。動いているものはそれを続けようとし、静止しているものは静止し続けようとする。理解の浅い事柄についてそれっぽく説明してもボロが出るだけなので深く突っ込まないが、とにかく覚えているのは電車の中の急加速、急ブレーキのくだりである。慣性の働いているものに急にそれとは異なる力を加えるとヤバいすよ、とそこだけハッキリ覚えている。

その後慣性の法則を本来の物理的な用途で用いたことは皆無であったのだが、俺の場合はこれを人と人の関係の中で度々この慣性に似た現象を見出してしまい、その度に「慣性に抗ってはならない」と思う次第。

例えばどういうことか。

知り合ってそんなに日が経っていない、そこまで親しくない人とそれなりに気を使った言葉遣いで話しているときに突然

「ずっと気になってたんだけど、敬語は使わなくて良いよ

などと言われることはないだろうか。

これは非常に困るご提案である。今まで敬語で喋っていた相手に急にタメ口になれるはずがない。そこには「さん付け」「丁寧語」という類の慣性が働いているのであり、急に「呼び捨て」「タメ口」などという急ブレーキを加えると絶対に電車の中の皆が転んじゃうじゃんなどとは思わないだろうか。

もちろんずっとよそよそしい態度を続けるのは、それはそれで不自然であろうし長い付き合いになるのであればいつしか丁寧語も変だという事にもなるだろう。俺とて勿論どこかでその時がとは考えているのだが、それは知り合った俺たち二人が徐々に色んな経験、エピソードを通じ、時に困難などを乗り越えるなどして育んでいくべきものであって、このように急に「敬語はやめてよ」などと雑に提案を受けるべきではないと思うのである。電車は徐々に減速して停止すべきなのである。

100歩譲るとして、もしそれを言うのでならばまだ電車のスピードが出ていない頃、出会って一番最初に言って欲しいと俺は思う。

 

もっとも、敬語かタメ口という言葉の問題だけであればマシなのかもしれない。それは日々の習慣的なことであるから「敬語やめて」などという無理な提案さえなければ相手との関係が変わり行く中で徐々に親しみを表明する方向へチューニング出来るものだと思う。しかし相手の呼び名に関してはそうもいかない。皆さんはどうか知らないが俺は無理である。

例えば「山田太郎」という人と知り合ったとして、最初に山田君と呼んでしまったらどんなに仲良くなろうとも太郎君とか、太郎、ターくんなどと途中で変更するのは困難である。

その実俺は高校のときに特に仲のよかった友達を最初に苗字で呼んでしまったがために高校三年間は当然のこと、今でも苗字で呼ぶハメになっている。今更変えられないのである。逆も然りで、前まで俺のことを苗字で呼んでいた人がいきなり下の名前で呼び捨てにしてくると何かこっちがオドオドしてしまう。皆さんはどうだろうか。

例外的に、ある人のニックネーム誕生の瞬間に居合わせた場合のみ、俺はその人の名前を変えることが出来る。いわゆるバイトのオープニングスタッフのようなやつである。

皆が同じタイミングで「太郎!」と呼び出した時に「この波に乗ろう」と一緒に山田君を「ォイ、太郎!」と急になれなれしく呼び始めるのであるがそれが出来なかった場合、ふと気付くといつの間にか俺だけが頑なにある人物を苗字で呼んでいるという事例はかなり多い。本当に多いのである。

 

高校の時、同じクラスの友達がそのときに好意を寄せていたやはり同じクラスの女子生徒のことを、もっとお近づきになりたいという一心からか、大胆にもいきなりの下の名前呼び捨てに変えた瞬間に偶然立ち会ったことがある。

仮にその女子生徒の名前を山田春子さんとしよう。ディテールは割愛するが端的に説明するとこうである。それまで「山田さん、山田さん」と言っていた彼であるが、ある日の昼下がり突然目を見開き、とても普通とはいえない圧力で接近し「やま...やッ、は、はる...春子...ねえ、春子ォさあ!」と開眼したのである。ビックリしたのはその後である。彼は話しかけた目的までは考えていなかったのかその春子に「えっ...なに」と返されて「今日、暑いね」という程度のどうでも良い事を言ったことである。アツいのはお前だけだばかやろう。

その惨劇を見て俺は改めて確認した。

「慣性に、逆らってはならない」

 

人と人の関係にも慣性に近いようなものが存在していると思う。それを見誤り、間違った力、ベクトルでこれを強引に変えようとするとそこにはギクシャクした現象が起こるのではないだろうか。俺はそれが非常に苦手である。

Pait It, Black(黒く塗れ)

同じ中学に白石君という若白髪の男子生徒がいた。とはいえ彼の白髪は頭髪全体を覆うものではなく頭の一箇所だけに、それはまるでミステリー・サークルの様に、直径五センチほどの場所に白髪が密集して生えているというもの。

本人も白髪のことは気にしていたようなので、周囲は本人の前ではそのことについては触れることはなかったのだがある日とうとう彼の白髪に異変が起きたのである。

おそらく彼自身が長年気にしていたその白髪を、彼はおそらく母親のものと考えられる白髪染めによって隠すことを決意したのだろうが、ともかく彼が白髪染めを施したと思われるその翌日、学校に現れた彼を見て一同あ然。

何と彼の頭にあった白髪は、一晩でかなりパンチの効いた鮮やかな茶髪になっていたのである。黒髪の中にバツグンに効いてくる茶色のアクセント。察するに、彼の母親が使っていた白髪染めはたまたま「ブローネ おしゃれ白髪用」という、白髪がほんのり茶色に染まるワンランク上の奥様向けのものだったのだ。彼の名誉のために言っておくがとても真面目でワルに憧れるような生徒ではなかったことだけはお伝えしておきたい。

しかし、そんな事情は他人には理解されることはない。これが悲劇の始まりだ。天然の、生まれもっての白髪であればそれは君の個性だ、君のあるべき姿だと何らお咎めもない個性としての扱いであったのだろうが、これが茶髪となれば話は違う。ただの「反逆のシンボル」なのである。

こうして「ブローネ おしゃれ白髪用」の魔法によって意図せず頭上に戴冠した反逆のシンボル。彼の頭は当然のようにその日のうちに教師の目にとまり、思想的な反逆性などは一切確認されないままに

「お前その頭、ナメてんのか?黒で染めてこい」

Pait It, Black―彼は不幸にも黒塗りの宣告にあってしまった。染めたものをさらに染めるというこの染めの二重構造。染ノ助・染太郎もビックリである。おめでとうございます、とは言ったものである。

だが圧巻だったのはそれから3週間後だ。元々茶髪に染め上がってしまった彼の白髪、黒にするには日々の黒髪スプレーしかなく3週間が経過するころには黒髪スプレーの染めムラで微妙に茶髪が顔をのぞかせているところにオリジナルの白髪が成長、そこに現れたのは黒、茶色、白の共演。協調、反逆、純真...まさに思春期の葛藤を描いた現代美術である。

それから数日間、彼のミステリーサークルは日々推移する三色グラデーションにてさらにミステリーさに磨きをかけて我々を楽しませたのであった。

 

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