埼玉様

日本の商談中によく使うビジネス用語というか慣習というか、どうにも馴染めないものがあった。

それが客先の事業所なり工場なりにまで「~様」を付ける呼び方である。メール、書面であれば概ね「貴○○工場」「貴社 ○○支店」でOKかと思うが、この珍妙な「様」付け現象が発生するのが、商談など実際に先方と相対してその名を呼ぶときである。

「横浜支店様」「千葉工場様」など、実際の日本語のルール上厳密に正しいかどうかは置いておいてこれらは大事なお客様の一部、とにかく丁重に扱って損はないということでおしなべてセーフティに「様」を付けるということなのだろうが、無生物に様を付けるという根本的な違和感が邪魔をして今でも慣れる事はない。

結構前の話なのだけど、ある商談の中でその商談のキーとなる「埼玉事業所」について意見のやり取りが活発になり、最初は「埼玉事業所様」と言っていた出席者だったのだが、ちょっと長くて言いづらいというシンプルな理由も手伝い、いつしか誰かしらによってこれが大幅に短縮、「埼玉事業所様」はついに「埼玉様」になり、「埼玉様の設備ですが...」「埼玉様への人員は...」「埼玉様のご家族は...」と大の大人がよってたかって埼玉を敬い尽くすというお笑い地獄絵図が発生したことがあったわけである。

俺はそんなワケの分からない埼玉信仰には同調する気はなく、むしろここで「埼玉君」と親密さをアピールするか、状況次第では「埼玉」と呼び捨てにして出席者全員「おおお!」ってビビらせてから商談のイニシアチブを鷲掴みしてやりますわ、と身構えていたのだけども、いやあ社会人生活にもどっぷりつかってしまいましてとてもお恥ずかしい話なのですがやっぱり「さ、さいたま様ァ...!」と言ってしまった。昔から長いものと埼玉様には巻かれろといいますし、呼び捨てにすると商談の後でプンプンの千葉様と茨城様がやってきて埼玉様の待つ体育館裏に呼び出されるのではないかと地方のド田舎から転校してきた佐賀様はそう思ったのである。

このように仕事中でも不必要なことに頭を働かせ過ぎているのだが、これでも真剣に仕事に取り組んでいるつもりである。

部活の沖縄遠征での思い出

bokunonoumiso.hatenablog.com

 

以前この記事で書いたように高校のバスケ部が俺のいた年だけまあまあ強く、下手すれば県大会で優勝も狙えるゾという事でOBから寄付などを募り、3年生メンバーだけで沖縄に遠征に行った事がある。インターハイを2ヶ月後に控える春のことだった。

同じ九州に住んでいたとはいえ俺が沖縄へ行ったのは後にも先にもその時限り。記憶にあるのはこの遠征の思い出だけとはいえ今でも沖縄の風景は時々思い出し、次は旅行で再訪したいと願うばかり。

そんな遠征の中身と言えばとにかくしんどかった。春とは思えない暑さにも苦しんだが、何より沖縄バスケのレベルの高さに驚愕。行く先々で地元の強豪高と対戦してはボコボコにされ、むしろ我がチームは自信を失って帰ったようなものである。沖縄バスケは伝統的に速攻と個人技のアメリカン・スタイルに近い。チーム同士の相性もあるだろうが、今まで同じ県内で対戦した事のないプレイスタイルに戸惑い、県内ベスト4に入った我が校も20点差以上のスコアでことごとく敗れるわけである。

前に書いたように俺は補欠であったから、そんな中にあってもそこまで試合に出ることもなく基本的に心の傷は最小限で済んだのだが、その遠征の中でただの一度だけフルで試合に出ざるを得ない場面があった。

それは沖縄ベスト8クラスのそれなりに強い高校が集まる合同の練習試合に参加したときのこと、予定されていた全ての試合を消化した後、「せっかく遠方から来られたので」という配慮でベンチメンバーにも経験を積んでもらうためにBチーム同士の試合もやりましょう、と言うことになった。

確かにそうである。このバスケ激戦区の雰囲気を肌で感じたい、そして高い金払ってやってきたボクたちも元を取りたい!と願うのが真のバスケ人の心意気である。やりましょう、やりましょうと俺を含む我が高のベンチメンバーで構成されたBチームが急遽決まったこの試合に「ここで魅せればスタメンも見えてくる」という、インターハイ直前のアピールの場として急に闘志を燃やしはじめるのも無理は無いわけである。

いよいよ試合開始となってコートに整列したとき、我が高のベンチメンバー、すなわち普段のスターティングメンバーがスコアボードを見て何やら騒いでいる。そこには「○○高校一年チーム vs ○○高校一年チーム」と、そう書いてあるのである。冒頭に書いたように我々は全員3年生。補欠の3年生なのである。そうやって見てみると相手チームの顔は幼く、確かに高校1年生である。あれは4月であったから入学したての元中学生である。おいおい、勘弁してくれよと、ッタクようと、そういうやつである。

「ほう...ナメられたもんやな」

我々とて一応県内ではイわせている高校のメンバーである。補欠ではあるがベスト16までは補欠で勝ち上がって来れるレベルである。ようし、それならば一丁、高校バスケっちゅうもんを教えてやるか(ポキポキ)、ウェルカム・トゥー・ハイ・スクール(ポキポキ)とばかりに試合に挑んだ結果我々であったが(ちなみにポキポキというのは指を鳴らす音である)、しかしながら我々は皆様のご期待通り相手チームの”一年生”に普通に敗れ、試合終了後には全員沈黙。

そして当然のように我々の頭の中に浮かんだのが

「ボクたちが実は3年生だとバレたら恥ずかしいッ...!!」

という感情である。恥ずかしすぎる。

敗れたとはいえ実は結構な接戦であった。一進一退の好ゲームで最後の最後に試合が決まり、ちょっとした盛り上がりも見せたのであるがそれも「一年チーム vs 一年チーム」と会場の皆さんが思っているからこそである。これがボクらが高校3年生だとバレてごらんなさいよ。

「えーーー!!えッ!!えええええ??ハ、ハイ・スクールのことは、ハイ・スクールのことはですよ、こ、肛門のホクロの位置まで知りつくしたハズのこ、肛門3ね、じゃなくて、こ、高校3年生がァ??サッ、最近入学した元中学生にま、負けちゃったのォ~?!ワイジャパニーズピーポーーー!!!」

と皆々様がそのような道端に落ちたアナルでも見るような視線でもって我々を見てくるのは想像に難くなく、絶対にそれは避けねばと取った作戦が

「よし、1年生のフリをしよう」

という初歩的かつ最も効果的な作戦であった。試合後に駆け足で”センパイ”の元に駆け寄り、「ハイッ!」などとわかり易い返事で会場の皆さんにボクは高校の1年生ですよ、アイハブ・ノー・ガンですよと両手を挙げて1年生をアピール。

その後も高校1年生ぽいキビキビとした表情とムーブで試合後の後片付けを率先して行うなど、極めて高校1年生然としたアクティビティを行うことで世間体、そして自己を保つことに大成功。ただし残念だったのが、その練習試合に来ていたチームとは次の日も別の体育館で再び対面したことから、翌日も俺たちの高校1年生は続くこととなった事である。

最後になるがそんな我が高はこの遠征でポッキリ折られた自信にもめげず、むしろ危機感を抱き、巻き返すためのカンフル剤となったのかその後も近県への遠征を繰り返し、2ヵ月後のインターハイでは県3位になったことは一応お伝えしておきたい。

てんおぉうどん

昔仕事帰りに立川駅構内の立ち食いそばで肉うどんを食っていると、ものすごい小さい歩幅でヨタヨタとおぼつかない足取りで入って来たおじいさんがこう言った。

「てんおぉうどん...」

食券制のそのお店で食券も買わず、しかも金も出さず、伏し目がちのおじいさんはボソボソと呟くような声で言った。店員は当然のように「え?」と聞き返すがおじいさんはなおも「てんおぉうどん...」と続ける。

「てんおぉうどん」を繰り返すだけで、それ以外に言葉を発しない。しかしコミュニケーション以前にそもそも「てんおぉうどん」なんてものはこの店にも、この世のどこにも存在しないのである。店先に貼ってあった張り紙を見て「てんおぉうどん」を食べたいと思ったがいざ券売機で探すとそれが無い。だから食券も買えず、おじいさんは店員にその旨訴えようと入店してきたのだろうか。

結論から言うと「てんおう」ではなく「てんたま」だ。読み間違えたのだ。繰り返される「てんおぉうどん」、事態に気づいた人から徐々に苦笑するしかない。

店員のおばさんもついに何と間違っているのかに気付き、「それ、てんたまじゃないんですか~」と優しく返すも、おじいさんはなおも伏し目がちに「てんおお...」としつこく続ける。

ザワつく駅構内という状況に加え、会話がカウンター越しということもあり、上手くやりとりが出来ていないのだろうか。おじいさんは耳が悪いのかもしれない。それを遠くからもどかしく見ていた。

「てんおぉうどん...」

何度も繰り返し続けるおじいさん、何だか「てんおぉうどん」の存在を信じて疑わないかのよう。時間は夜8時。帰宅まで晩ご飯が待てないサラリーマン、もしくは一人暮らしの学生などで店内は徐々に混み出していた。

最初は「てんたまの間違いではないですか?」「もう一度確認してもらえますか?」などと店員らしいそれなりに対応していたおばさん達も、混み出した店内の状況にたった一人の訳の分からぬ客にかかりっきりでも居られなくなり、さらにイライラもつのったのか最後には「あのね、てんおううどんは無いの 券売機であるやつ買ってくださいませんか!」と少々強い口調で言った。状況を考えれば無理も無いと思う。

大きい声が良かったのか、はたまたようやくハッキリ指摘してくれたのが良かったのか、おじいさんはそこで初めて自分の間違いに気付いた様子。今まで見せなかった表情で「あ...」と声を漏らした。

そしてまた例のボソボソ呟くような声でこういった。

「てんおぉそば...」

 

因果応報~トイレの個室に閉じ込められた日~

20代も半ばのころだろうか、新宿のとあるデパートで便意をもよおしトイレに駆け込むと既に先客がいた。

大便所は1つだけ。あいにく上下の階は男子トイレがなく、また俺の他に並ぶ者もいない上、まだ緊急性も低かった事から一旦トイレを出て、個室が空くのを待っていた。一旦外を出たのは中の人にとっては扉のすぐ外で待たれてプレッシャーをかけられるのはあまり気持ちの良い事ではないと思った俺の優しさからだ。あと、臭いからである。

しかしである。5分経ち10分経ち、待てども待てどもトイレから誰も出てこず、実は誰も入っていなかったのか?という疑問も浮かんだため再度トイレへ入ると、やはりそれは勘違いではなかった。個室には入室中を示す赤色のサイン。その上ノックをしてみると扉の向こうからノックが返ってきた。

ここまで10分も待っているのだからそろそろ終わりも近かろうと今度はトイレの中で、個室の目の前で空くのを待つ。待ち始めてから15分。トイレの中からは「ゴソゴソ」と人が動く音はするものの、終わりを告げる肝心の流れる水の音は聞えてこない。

「さすがに長いな」

いよいよ不審に思えて来た。我慢にも限界がある。中の男は一体何をしているのだろうか。諦めてエレベータか階段を使って男子トイレのあるフロアに行っても良かったが、ここまで待たされていることを思うとそれも癪に障るし、俺をここまで待たす不届きものの顔を見たいという気持ちも強かった。

プレッシャーをかけたくないなどと親切心を見せていたのがバカらしい。今度は個室のすぐ外でイライラしながら「コツ、コツ、コツ」と足音で急かすようになっていた。一方、個室の中から聞えてくるのは時々聞える咳の音と、例のゴソゴソという音。

 

あれからなんと30分が経っていた。中の男はなおもゴソゴソと蠢いている。もう一度個室をノックする。最初とは違い音に色んなメッセージを乗せた荒々しく大きなものだ。だが結局最初と同じように、それには「ココン...」と小さなノックの音が応じるだけ。彼は二度目のノックが同じ男からされたものと分かっているのだろうか。

こうなると便意などどうでもよく、もはや中の男が見たいという気持ちだけである。俺はここで30分も待っている。普通の目的でこの中に入っているとは到底思えず、何か良からぬ事をしている可能性も高く、いや現に少なくとも便意をもよおす善良な市民を困らせる所業を行っている訳だし、このままツラを見ずに帰るわけには絶対いかないのだ。

「人を呼ぶしか無い」

相当長い時間ここで待っているのだからしょうがあるまい。俺が入ったときには中の男は既にいた、となると最低30分、ひょっとしたら1時間居るかもしれない。仮に1時間いたとしたら俺がここに来る前に俺のように待たされ、そして諦め他のフロアに行かざるを得なかった無念の男達も居るかもしれない。泣き寝入りはいけない。闘うのだ。
そんな強い思いで一旦トイレを出る。フロアで何度か見かけた制服を着た警備員を探しに出かけるのだ。

と、そのときだった。先ほど自分が居たトイレから、スーッと素早い動きをしながら何ものかが出てゆくのが見えた。

「ああッー!」

思わず声が出た。ついにトイレの中から人が出て行ったのである。その姿、遠くでよく確認出来なかったが、出て行ったのはどこにでもいそうな休日のお父さんという出で立ちの50代ぐらいの男性であった。後ろめたさからか早足でその場を離れて行くその姿。一体何をしていたのか知らないがロクな奴じゃないのは間違いない。

「あの野郎、一言いってやらないと気がすまない」

そう思い追いかけようと思ったがやめた。仮に追いついたときにその男性に一体何を言えば良いのか。トイレの中で彼が何をしていたかが分からず今のところ彼を責めるべき理由がトイレが長かったことだけであるから。

トイレへ入ると、さっきまで開かずの扉と化していた個室はだらし無く半開きになっており、中には誰もいない。この状況から判断すると30分以上俺を待たせた犯人は先ほど小走りで出て行った50代ぐらいの男性なのだろう。ここまでの不審な動きからして、変質者である可能性が非常に高く、念のため中を丹念に調べてみるがとりあえず内部で別段変わった事は何も無い。趣味の多様化も結構なことだが、おかげさまで男子便所にも何が仕掛けられているか分かったものではない。調査の結果何も無い事が分かると安心して事を実行。全くもって物騒な世の中である。

ものの数分で自分の順番を済ませると、なおさら先ほどまでの待ち時間に対する怒りが再燃してくるというもの。それはさておいさあて外へ、と「洗す」レバーを探す。ところがである。本来あるはずのアレがどこにも見当たらない。ボタン式かとも思ったがそれらしきものは見当たらない。まさか!と上空を見上げても、紐も何もあるはずはなく。

そんな折、ついに「このトイレはセンサで自動感知して洗浄します」と書いてあるのを発見した。なあんだそういうことかとそれを感知してくれるらしい「せんさくん」とやらを探す。次はこの「せんさくん」探しであるが、一向に見当たらない。それらしきところに手をかざすも流れる気配がないのである。その間も流されることのない自分のウンコと個室に二人っきりである。気づくと15分ぐらい経っている気がする。

そのときであった。

《コンコン》

それは扉を叩くノックの音。そしてあわてて返す「ココン」という控えめなノック。
そして気づいた。さっきの男の事を。

「そうだったのか」

先ほどトイレから出てこなかったあの男も俺と同じく流し方が分からず、ここで30分以上必死の思いで流す方法を模索していたのだろうか。今ノックをしてきた男、それが先ほど便所の中の不審者を待っていた俺の役割に他ならず、そして中の男が...。このときようやく一連の事件の謎が解けたような気がした。

彼はさっきどうやったか。30分外側の圧力に耐え、そして走って逃げたのである。先人の行いに倣いここは同じようにそうするしかあるまい。ウンコ知新とは言ったものである。

外には人が居る。出ようにも出られない。イライラしているのか「コツコツコツ」と靴の音が聞こえる。嗚呼、全て同じだ。俺と同じだ。宿命の、祇園精舎の靴の音が聞こええる。盛者必衰のテキストの65ページによると、イライラしている貴様も、なあにほんの数分後にはこの便所の中に入り、そして苦しむ宿命... 

そして俺は手塚治虫の「火の鳥~異形編~」に出てくる「八百比丘尼」というストーリーを思い出していた。残虐非情の父を恨み、その復讐のために、ある日難病となった父を治そうとする尼を殺しに行く女が、殺害後、気づくといつのまにかその尼自身となっており、かつて自分がそうしたように、同じく自分殺されるのを待つというものだ。
因果応報、つまりそういうことだ。

30分ほど経っただろうか。いまだセンサは反応しないままだ。気づけばトイレには俺以外の音が無く、おそらく外に人が居ない。奴が俺なら諦めたか警備員を呼びに行っている。確信があった。俺がこの個室に入ったときそこに前の男のウンコは無かったことだけは最後まで謎だが、俺にどうすることができよう。ここにウンコは残したままだがやむを得ない。ダッシュで外へ出て、なりふり構わずエスカレーターを駆け上ればもう俺の知った事ではない。

ソッと、まずは小さく扉を開ける、外をのぞくと案の定誰も居なかった。

「今しかない」

俺は勢いよく外へ出て駆け出す。そしてその瞬間だった。

 

《ジャーーー》

 

何と言う事だろう、個室を出た瞬間、便器から水が流れる音が聞こえて来たのだ。どういう仕組みか分からないが、設置ミスかセンサ不良か、今思えば便座から人がある程度離れないと反応しないというものだったのだろう。しかしもう後戻り出来ない。30分以上便所に立てこもった不審者が俺が何を言おうともはや無駄。外で待っている彼に俺が何を説明できようか。

小走りで駆けて行く俺を見て遠くで誰かが、こちらへ向かってきているような気がしていたが、なりふり構わず俺は逃げた。

今頃あのトイレがまた別の人間を飲み込んでいる筈だ。

俺は1年365日、とにかく手汗が凄い

昔から手汗が凄い。もの凄い。ちょっと拳を握っているだけで、その手を開けば必ずジュンッ...!

例えば机の上に何となく手をおいておくだけで、ものの数秒で振れていた部分は湿るわけである。窓ガラスに手をかざせばそこは瞬時に結露である。どんな季節であってもだ。忘れもしない中学のフォークダンス。俺と手をつないだ女子は全員濡れていた。あ、手がですね。

触るもの全て濡らし尽くす俺の魔法の手。それを観て「ディズニーシー」と呼ぶ人もいるとかいないとか、確か一人もいないし行ったこともないです。しかし、あれは中学のときだったか、ほとばしる俺の手汗をみた国語の吉森先生って人が「お前こそ乾きの土地の救世主だ!」と言ったのも当然嘘です。吉森もいない。

握手をしたら大体の相手が「うわっ」という顔をするのを長年見て来た俺が今思うのは、とにかく手が湿っているととても恥ずかしいということ。それに尽きる。

「エッ、濡れてる!」

ジトッとしている俺の手を≪おてての方は正直だな≫とばかりに驚く様を幾度と無く見て来た。やっぱり湿っているってのは何か汚い感じするし気持ちは分かる。なので俺だって気を遣って握手する前にきちんと手を拭いているのだけども、それがまあ相手と握手した瞬間、ジワジワジワッと、ランドからシーに早変わり。シーというのは先ほど言ったディズニーシーのことね。

そんな俺を唯一慰めるのがかつて兄に言われた「手汗が凄いヤツは太古の昔、猟りの名人だった凄いヤツだ!」という説である。一体どういうことか。つまり手汗が凄いヤツというのは、獲物を見つけた際にとっさに手に持った武器がすべらないように、何かを掴むと汗が自然にジワッと出るようになっている生粋のハンターである!という説である。握手する相手すら武器とみなすパワフルさも含めて、全国の手汗人を勇気づける力強い説だ。

で、ついこの前の話だが、車に乗っていて手汗でハンドルすべってあわや事故起こす所だった。何もいいことねえじゃねえか。