使い道の限られた筋肉に想いを馳せる

昔会社が所属する業界団体の交流を兼ねたソフトボール大会に参加した時のこと。さすが製造業同士の試合とあって野次や応援の声といえば、納期がなんだ、品質がどうしたといった現場用語を絡めたヤジが飛び交う仕事の延長感甚だしいビジネスソフトボールであったのだが、その内容はさておき俺が最も心を奪われたのが一塁の塁審であった。わずか1試合だけ、人生初めての一塁の塁審をやったのだが、アレはとてつもない楽しさだった。

「アウトーーー!」

大して声を張り上げる場面でなくても、大げさに叫んでみなさい、試合を見守る両チームが俺の判定に一喜一憂。次第にこちらも興奮してどんどんヴォイス面で張り切っちゃうというもの。ジジイになってしまうと世間様に何ら不審に思われることなく堂々と野外で大声を出せる機会はそうないんですね。

「セーーーーフ!!!」

際どい判定が来たら大チャンス。大げさなジェスチャー込みで「セーフ」などと叫んでみなさい、何か俺がすげえことでも言ったように攻め側のベンチが大盛り上がり。こういう具合にしやしゃんせとは言ったもので、アウト、セーフと人前で叫ぶことで得られるカタルシスはものすごく、「何だこれは・・・、もっと際どい判定をしたい!」という判定欲は高まるばかり。

プロ野球の放送でチラリとみただけの俺がボンヤリ覚えているプロ塁審の判定ムーブなどを思い出し、それを真似てサッと派手に腕を動かせば、それに応じてオーディエンスのため息と歓声が呼応する、何て素敵な職業なんだ。

ただこの一塁係のつらい所はシンプルに段々飽きてくるところで、最初少し張り切ってやれば後は「アウト!」などと真面目に叫ぶのも青臭い様に感じられ、そもそも親指を上げて少し人に見えるようにしてあげればアウトであることは人々に周知されるのだから声のほうは「アウッ」などと短く言ってもよいだろうという気持ちにもなってしまう部分である。その様な気持ちもあり、段々この作業に慣れてきたころにはさも長年一塁塁審をしているベテランであるかのような生意気な振る舞いにもなっちゃうというもの。

徐々に声を出すのも面倒になった頃、明らかにアウトの場合には一塁ほぼノールックで「アッ」とだけ言ったりする横着行為が傍から疲れたとでも誤解されたのか「キミ、疲れただろう、そろそろかわろう」などと腹の出たいかにも一塁の塁審然とした端的に言うとデブのオッサンに言われて《オイオイ 笑、一塁の塁審に疲れたもあるかい》とは思いつつも、お役御免となった次第。

しかしながらその日の晩。風呂から上がって体を拭いている最中、まず俺もデブのオッサンであったこと、次に明らかにわき腹の辺りに鈍痛がするな、というこの二点に気づきそれまでのソフトボールの練習では決して感じることの無かった場所の、その初めての類の痛みに狼狽しつつも「これは一塁塁審により人生で始めて使った筋肉の痛み・・・?」と言う結論に至るまでそう時間は掛からず、アウト、セーフのあのようなシンプルな挙動にもご立派に専門の筋肉があるのだなあと思い、感心した次第。

そう思うとプロ野球の審判のゆるめの体はああ見えて特定の筋肉だけは一丁前に発達しているのだろうかと、彼らの上半身に思いをはせ何事も追求すればどこかマニアックな筋肉が発達するのだなあと思った風呂上り、夜のしじまであった。