した覚えなき痔の手術

アメリカにいようが会社の指示で日本式の人間ドッグに近いものを受けねばならず、地元の医療機関にお願いして指定項目を毎年受けている。人間ドッグは別にいいのだが、いい歳したオッサンとはいえその結果を日本にいる人事総務の担当に送るのが毎年嫌すぎる。そういう決まりなのか分からないが「体重が増えられましたね、健康管理にお気を付けください」など医者でもないのにそれっぽい所見が述べられ、軽く指導をされるためである。「分かりました」という他手立てがないが暴飲か暴食、または薪に火をつけて燃やすくらいしか娯楽がないのでほっといてほしいものである。

日本にいた頃の健康診断を思い出す。たまたま選んだところがやたら若い女性スタッフだけを沢山集めていた人間ドッグセンターであった。俺にはどうみても学生のバイトに見えたが、そうでなかったとしても恐らく若くまだ経験値が低いスタッフなのかその実珍プレーも多くなかなかスリリングであった。

ある年、リピーターとして訪れたあそこで2回目の人間ドッグのこと。受付の女性が出してきた俺の個人カルテみたいな紙には前回初めて来た際に回答したのであろう既往歴が幾つかあったのだが、そこには全く心当たりのない「痔の手術あり」と堂々と書かれてあってひどく狼狽した。した記憶がないがそういえば確か昨年この窓口でのやり取りにて事前に提出する既往歴には極めて軽い気持ちで「痔」にチェックしたのを思い出したがあれはちょっぴりお尻が痛いよという事を皆さんに伝えたかっただけで特に手術したとまでは言っていないはず。

そもそも以前ちょぴりお尻が痛くなった程度にも関わらずそれをわざわざ「痔!」などチェックしてしまったのも履歴書の内容が寂しいと妙に心細い就職活動のときの反動なのかもしれず、まるで取得した資格を自慢するかのように俺はこんなにたくさん既往歴もってるんだぞと、些細な病歴も漏らさずチェックしたからに他ならなかった。書面をにぎわす、心臓病、甲状腺異常、ガンとかいうイカつい面々の中にまさかあると思わなかった痔を見つけちゃった嬉しさ、知り合いにヤッホーと挨拶するような軽い気持ちもあったのが本心である。

昨年、この既往歴の項目を執拗に問うてくる受付の若い嬢に回答の一つ一つに関して事細かに尋ねられ、その際に「××様、この痔は治療済みですか?!」と割と大きな声で尋ねられてとても興奮した次第だが、その時には確かにはい治りましたとは小声で言ったものの手術しましたとは一言も言っていないのであって、あの嬢はきっと痔という病(やまい)は手術でしか治らないと言う思い込みもあったのであろう。従って俺のカルテには無残にも「痔の手術完了!」と記載された様である。

そのような背景は良いとして、差し当たりこの「痔の手術あり」というデマ、心身に残った傷跡を否定し先方の履歴から削除してもらわねばならないという強い気持ちから即座にこれを削除せしめんとする想いが、先ほど受けた不意打ちのその狼狽と相まって、カルテを見てすぐ「私は『痔の手術』なんてしてません!」とおおきな声になってしまったものだから、先方も、また待合室にいる人々もギョッとして、しばらくの後クスクスという実に恥ずかしい類の笑いの気配を感じることになってしまった。

俺の突然の申し出に受付の女性は謝りながら、すかさず重ねての「もう今は無いですね」というミサイルを発射してきたのだが、「ええ自然に治りました…」と消え入る様な声で答えると二重線で「痔の手術あり」は消された。言ってはみたものの手術より自然に治りましたの方がなんか格好悪い。本当に治ったのかという自問自答。確かに痔という病(やまい)は手術で治ってほしい。

痔の手術なんてそんなに珍しくないのだから、大人しくしたことにしておけばよかった。