子供の頃、建設会社の「○○組」を全てヤクザだと勘違いしていた

小学生のときまで、建築会社、工務店によるある「○○組」というのは全てヤクザの会社だと思っていた。ヤクザが小銭を稼ぐためにやっている副業だと。

友達の家に遊びに行った際、リフォームだか増築だか分からないがとにかく家の周りに足場を設けて何か大掛かりな工事をやっていたのだが、それをやっていたのが「内山組」と書かれた業者。

《これはあきまへんで・・・》

友達の家を今、まさにヤクザの会社が工事していると知った俺はいてもたっても居られず、もう自分の家に帰りたくてたまらなかった。窓の外から見える作業員の方々のルックスは確かにガラの悪い感じで、ヘルメットの下で光る鋭い眼光は極道モンの貫禄である。

お昼三時頃、休憩時間の構成員、いや作業員に、「はいどうぞ~」とタメ口で麦茶を振る舞う友達のお母さん。極道をも恐れぬその果敢な姿勢に「こらこらッ・・・敬語をつかいなさいッ!」と一人緊張感MAX。

自分の家をちょっとキレイにしたい、部屋を一個増やしたい、どんな理由か知らないがきっと些細な願望のためだけにやんごとなき極道様をこの様にこきつかったりしてこのアマは恐ろしく無いのだろうか。そんな気落ちで一杯。

そんなワケで友達のお母さんは休憩中の構成員の方々と結構フランクに話していたのだが、それを眺めながら俺は警察署の前で見た「暴力団追放3ない運動」なる標語を思い出していた。

暴力団を 利用しない お金を出さない 恐れない」

そういう意味では、友達のお母さんは「利用しない」「お金を出さない」の禁忌を既に破っており大ピンチである。唯一今、構成員の方にタメ口を使ったりフランクに話すことで「恐れない」をギリギリ死守、今何とか必死で「3ない結界」を張っている状況というわけだ。これが何かのきっかけで「ビクッ」と恐れたりしてしまったら・・・・そのときはヤツラ、一気に来るぜ。

この家は子供には到底理解できないよく分からない理由で「おとしまえつけろ!」って因縁付けられ格安で売り飛ばされて、友達一家は金庫に入れられ玄界灘にドボン・・・、そして「お前、俺の顔を見ただろう」って俺も命を狙われるかもしれない・・・。

そういう話を家に帰って母親にしたら、「それはただの会社名よ、あんたも幼稚園のとき『はと組』だったでしょう」と、妙に納得のいく説明をされて「なんだ俺もヤクザだったのか」と完全に勘違いした。

サイレンサー付の銃について思っていること

殺し屋が人を殺したら業務上過失致死になるのではと思って調べたら普通に殺人罪になるのだそうだ。当たり前だ。

殺しのことを「仕事」とかいうから職業かと勘違いしがちだが殺し屋という存在は非合法であるし、そもそも反社会的な存在である。ラインセンスもなければ殺し屋はその覚悟と行動力があれば基本的に名乗るだけで誰でもなれるのだろうが、依頼人がそう呼び始めて初めて人は「殺し屋」になるのかもしれない。

我々一般人は殺し屋と接する機会など皆無であり、そのイメージを作り上げるのは映画や漫画といったフィクションの世界。そしてそれらに出てくる殺し屋は大抵粛々と、静かに「仕事」をこなすクールなイメージではないだろうか。ある場合には美化され、カッコいいもののように扱われる殺し屋であるが、殺される側になればたまったものではない。
そんな殺し屋といえば服装はコートにハット、皮の手袋である。殺し屋がロンTやポロシャツを着ているイメージもなく、夏場の殺しではいかなる格好をするものか甚だ疑問であるが、ともかく殺し屋は基本的に厚着をしている。
そして殺し屋と言えば人を殺すための武器である。殺し屋は静かに、秘密裏に殺人をするため、その武器はめちゃくちゃ切れる小さいナイフか、遠くから撃てるライフル銃、またはサイレンサー付の銃であろう。

ところで果たして我々が殺し屋の殺人現場以外でサイレンサー付の銃を見る機会があるだろうか。サイレンサーでソッと人を殺す必要があるのは殺し屋ぐらいである。
サイレンサーの仕組みを俺は知らない。何か先端につけると音がしなくなるらしい。あの技術を応用して何かの音を消せないだろうかと思うのだが、闇の技術は表社会には出てきにくいのか、そもそも技術的に火器類に特化したものなのか、きっとそうもいかない事情があるのだろう。そもそも思いつくのがケツに付けて屁の音を消すといった類の小学生レベルの発想なので俺にはそれを想像する資格はないのかもしれない。

仕組みのわかっていないものならではの発想だが、殺し屋がサイレンサーを付け忘れることはないのかと想像することがある。先輩の殺し屋が新人に「ちゃんと音が出ない設定にしたか」と出発前に確認するのだ。さながらマナーモードである。ちなみに本物のサイレンサー付銃は撃ったら一応撃った事が分かるように震えたりしないのだろうか。そんなわけで彼らがサイレンサーのことをマナーモードと呼んでいたら俺はとてもうれしい。

そして実際のマナーモードのように、老人の殺し屋はサイレンサーを付け忘れて毎回周囲に迷惑をかけるのではないだろうか。耳が遠いから音が出ないと撃ったか分からないという理由である。

何か久しぶりにマジでどうでもいいことを書いてしまった気がする。

死んでいたミヤザキ君

小学生のとき、「俺、死産で生まれてきたらしいんだよ」って言っていた人がいた。死産とは、あの死産である。

今なら彼が死産を何と間違ったのかは大体予想が付くのだけど、そのとき俺も小学生。あの頃はそれが一体どういうことなのかよくわからなかったし、普通にそういうこともあるのだろうと思い「それは大変だったね」と言うしか無かった。

それともミヤザキ君はゾンビだったのだろうか。体毛が異様に濃かったミヤザキ君。足が速いのに全くモテなかったかわいそうなミヤザキ君。きっとあいつはゾンビだったに違いない。

死産で生まれてきた割には頑張ったミヤザキ君。最初「死」からスタートするというまさかのハンデにもめげず頑張ったミヤザキ君。高校へ進学したところまでのミヤザキ君までしか知らないが、彼が今も生きている事を願っている。

「口説く」の具体的な行動内容について、いまだ誰からも一切説明がない

タイトルのとおりである。「口説く」という言葉を使う人も高齢化が進み今ではもう古い臭いしかしない気もするが、それでも今なおこの単語の意味が通じる以上は世間に流通する言葉と認識している。

俺は「口説く」という単語自体はあと10年近くすると消えてしまう言葉なのではないかと予測しているが、特に強い根拠はないものの昨今の男女関係のあり方には次第にそぐわない言葉ではないかと思うからである。

などとさも口説きについてわかった風を装っているがその実雰囲気でしか口説き行為のことを理解していない。そもそもであるが俺は「口説く」という行為が一体何を指すのか、コレというものをはっきりと捉えていないのだから。

「口説く」という言葉を聞いたときにまず思い浮かべるのがバーカウンターである。もうすぐ36歳になるというのにバーどころか餃子の王将のカウンター席にすら緊張して殆ど行ったことはなく、したがって俺のバーカウンター観は90%が少年漫画で仕入れた知識であるのだが、とりあえず口説き行為が行われるのはバーカウンターである。しかもなんかよく分からないけど真っ赤なドレスを着た女性がいて、その側からタキシードをまとった男が「ねえ、いいじゃん」と近づいている様がどうしても思い浮かぶ。なにが「いい」のかは少年漫画には一切書いていないのでよく分からないのだが、これが俺の想像する「口説き」概要である。

こうしたトラディショナルな口説きシーンしか知らないものだから、果たしてこれ以外に口説き行為の一連で何がなされるかまでは皆目検討が付かないのである。一応マセてはいるので口説き行為の最後には「SEX」という終着駅があることだけは分かっているものの人生経験がセミ並みの男ですから、口説きからSEXまでの乗換え方法が全く分からずいつも最後は京急三崎口駅である。もしくはどうだろう、俺が知ってる口説きボキャブラリーを駆使して、バーカウンターでドレスの女に「ねえ、いいじゃん」を100回ぐらい連呼していれば、人が徳を積むように花粉が溢れて花粉症が発症するかのようにいつか「いいわよ」となる、またはそれが口説きなのではと思ってしまいそうにもなるってもんである。

 

「口説かれた」という女性の声も気になる。具体的な口説き行為の認定方法も曖昧な中でどうやって女性が「口説き」と認定するのか、これも極めて難しいテーマである。飲みに誘っただけでそうと認識する人もいるかもしれない。そういえば俺も昔飲みに誘うときに「ねえ、いいじゃん」と言ってしまった事がある。何が「いい」のかは分からないなりに、俺もあの時先方からしたら「ヤダ、口説かれてるッ..」と思ったかもしれないが残念ながらそのとき執拗に飲みに誘ったのは前田くんという地元の友達だったのでもし思われていたらとっても大変である。

「おい、あの女を口説いてこいよ」

みたいな台詞を映画で見たことがあるが、俺が仮にそんなことを命ぜられた日には口説き方も分からず「しよッ!ねェ、しよッ!」とストレートにいってしまいそうであるし早急にこの口説きとは何かを解説してほしいものである。

 

アメリカでやってはならないジェスチャー

今年の夏、海外赴任が決まって早々に本部で定期的に開催されている海外赴任前セミナーへの参加を指示された。グループ会社を含む全国各地の拠点から、行き先は違えど同じようなタイミングで海外赴任を予定する人々がセミナールームに集められ1週間の講習を受けるのである。

平たく言えば海外生活での留意点の説明。海外と日本の違いをいろんな面から説明し、ケーススタディやグループディスカッションなどを通じてこれから異文化へ飛び込むための心構えをしてもらう、そういう内容であった。

盛りだくさんの内容で既に記憶の中から消えつつあるものもあるが、今でも忘れられないのが「アメリカでやってはならないジェスチャー」に関するちょっとした小話。講習の合間に挟まれたちょっとした息抜きのような意味合いも強かったように思う。中指を立てることの重大性などはもはやいわれるまでもないが、そうした基本的なものからなかなか知りうることのできないマニアックなものまで、単純な雑学としても興味深いものであった。

中でも記憶に残っているのが「両手を使い、自分の胸の前で丸を作るジェスチャー」について。きちんと伝えられている自信がないので珍しく絵で描かせてもらうがつまりこういう状態である。

f:id:bokunonoumiso:20171126052042j:plain

このジェスチャーが意味するのはこの時初めて知ったが「オシリの大きな女性」らしい。更に「これが使われるときのニュアンスをもっとリアルに表現すると『ケツデカ女』です。」という女性講師からの丁寧な補足説明もあったものの、会場にいた参加者はそれを笑っていいのかどうか判断が瞬時には付かずとりあえず皆一斉にノートに目を落とし「ケツ、デ、カ」とお茶を濁すようにメモをとり始めていた。

いずれにしても人種差別と並んで性差別に対する厳しい対応が当たり前になりつつある昨今、かなりタブーに近いジェスチャーであるという話。このジェスチャーの話、雑学的な話がメインであったこともあり大変面白くあっという間に終了。手の動き、表情ひとつで与えるメッセージは大きく変わる、異文化コミュニケーションの難しさを改めて認識させられた次第であった。

そしてこの後に続いたのがアメリカ人女性講師によってオール・イングリッシュで行われた「ダイバーシティ・マネジメント講習」というタイトルを聞いただけで両手の中指をピンピンに立ててしまいそうなやんごとないお話。ダイバーシティ、すなわち多様性の中でビジネスを行う我々がそれらとどう向き合うか考えましょうね、という内容なのであるがまあその内容は一旦置かせてもらって俺が気になったのはその講義中に発生したある現象なのである。

それは話も中盤に差し掛かってきたころ、話題が「多様性」という大きな枠組みの中にあって我々がこれからすぐに向き合わざるを得ないであろう「異文化」というものについて話題が移りかけたときである。

その女性講師の口から「ワールドワイド」という単語が出たとき、それまでと同じように言葉の聞き取りに難のある参加者にも極力伝わるようにという彼女の心遣いからそこには「ワールドワイド」を表すジェスチャーが添えられたのだが、それがなんと先ほどの

f:id:bokunonoumiso:20171126052042j:plain

これだったのである。ワールドワイド。世界を、地球を表現する両腕。しかしボクたちはケツのデカい女性を表すジェスチャーだと先ほど習ったばかりである。

≪ケ、、?ケツ??≫

前後左右から戸惑いが感じられた。会場のみんなは先ほど習ったばかりのこのジェスチャーを忘れてはおらず、俺も念のため復習のためにと念のため先ほどとったノートを見直したそこにはやはり「ケツデカ」と書いてあった。ふー、やっぱメモっとくもんやでえ、つーわけで、地獄の沙汰もメモ次第なのであるが

「先生、それは先ほど≪ケツデカ女≫と習いました。それは人種差別と並んで性差別に対する厳しい対応が当たり前になりつつある昨今、かなりタブーに近いジェスチャーです!」

などと習いたてアツアツの台詞そのままをアメリカ人講師に伝えられる英語力も無く、伏し目がちのままその後も何度かケツがデカい女を示すジェスチャーの添えられた異文化交流の話を聞きつつ「異文化交流...難しいッ!」という雑な感想だけが残りそのセミナーをあとにした俺である。