パンツタオルという発明

かつて風呂あがりにタオルを取ろうとしたら脱衣所に常備しているタオルが切れていたことがあった。よくあることではあるが、風呂に入る前にタオルの有無を確認するような習慣もなく、残念ながら着替えはあれど体を拭くタオルがない。

ああめんどくさいと思いつつ、濡れた体でリビングにタオルを取りに行こうと思ったが、そこでひらめいた。

≪いーや、パンツで体を拭けばいいのでは。≫

パンツで体を拭いてそれをそのまま履くのだ。怠け者の発想である。あの日の俺はこうしてタオル切れというピンチをとっさの機転で退け事なきを得たのである。パンツはビショビショであったが。

このように、緊急避難的に活用したこのパンツで体を拭いちゃう行為。この緊急避難的なパンツの使用法から着想を得て、そこから一気に便利なパンツの新境地まで昇華させようという中で閃いたのが今回の主役『パンツタオル』。怠けの心は発明の母である。

この『パンツタオル』、最新のテクノロジーを使えば確実に商品化が可能だとふんでいる。乾きやすく、吸水性に富んだ素材を使えば、体を拭いたパンツだってものの一分もあればすぐに乾くのではなかろうか。従来別々に保管、用意していたパンツとタオルを兼ね備えたオールインワンのアイテムで新たなライフスタイルここに始まれりである。

よーしよしよしと、さっそくこの話を知人にしてみた。だが、反応は思いのほか悪かった。

どうやら世の中にはなんとバスローブというのものがあるらしい。噂には聞いていたが俺は着たことが無い。知らない人には説明しよう、バスローブといのは風呂からあがったらいちいち体を拭かずともそのまま羽織ることで体を隠すのと体を拭くのを同時に行えるものらしい。なんだと、すごい。まるで羽織るタオルである。

そんなに便利なものがあるとはつゆ知らず、俺はその真逆、パンツ側からのアプローチなどしてしまい、羽織るタオルさんことバスローブに対し、拭けるパンツその名も『パンツタオル』なる卑しいシロモノを考えていい歳して大喜びしていたのだ。なにが『パンツタオル』だ。やめだやめだ。

その話を自分の知人にまず最初にして良かったと今は思っている。「共同特許を」などと、それをいきなりどこかの会社などに持ち込んでいようものなら俺は今頃ワコールだかトリンプだかの社員の酒のネタになっていたところだ。ああ良かった。

大体、タオルで体を拭くことに面倒さを覚えたら人間終わりだよ。タオルの補充を怠るなんてもってのほかである。

ジジイ、なぜ何にでも七味をかけるのか

男はある一定の年齢に達すると何にでも七味唐辛子をかけるようになる。

うどん、ソバ、牛丼、モツ煮、時には味噌汁にまで、個人の自由とはわかっていながらも色んなものにお構いなく振り掛けられるあの七味。おいおいやめたまえよと、皆様も心の中で一度はたしなめたくなったことがあるであろうあの七味。少し乱暴な呼び名だが、あれを「ジジイ七味」と呼んでいる。

ジジイ七味とはその張本人たるジジイの着座から散布にいたる、迷いのない所作一部始終を指している。味見などをして「もうちょっとかな」などという調整作業も無く、最初から入れる気満々で席に着き、案の定、各自決められしモーションにより数度、ササッと七味を入れる。

俺のような小心者にしてみればオリジナルの味の否定とも取れ、「大将に失礼なのでは...」などと知りもしない大将のことを気にかけ、大将と呼ぶほど仲良くもない店主のカウンター越しの視線が気になってしょうがない。だが、それを含めたすべてこそジジイ七味。もはやそれはジジイと七味が織り成す一つの現象なのである。

アクセントまたはフレーバーのレベルを超えた量で降りかけられる七味。昔は、何をそんなに掛けるのかと眉をひそめつつ眺めていたのだが、最近七味を大量に降りかけたくなるジジイの気持ちが少しずつ分かるようになってきた。

実はこの七味こと赤いあんチクショウだが、実際には見た目ほど味に迫力が無いのである。辛くない。あの赤く燃えるスパイシーな色味、また「七味」という味のミラクルを起こしそうなレインボーなネーミング。これらを根拠として元々の俺が勝手に「あいつはヤバい」と過大評価していただけで、実際に付き合ってみると割とナイスガイというか、穏やかで名前と比べると見掛け倒しの極々平凡な、なんというか、フリカケみたいな意外と話のわかる野郎なんですよね。

「味に影響なし」というとちといい過ぎかもしれないが、たとえ大量にコイツをキめたところでハッキリいって見た目ほどの味のインパクトが無いのは間違いなく、思った以上に微かな味の変化ゆえ、それなりの量をかけなければならない事情もあるが思うにアレには七味を沢山かけることによる「さあいくぜ!」という気持ちの高まりというか、舌というより、どちらかと言えば動作を通じて体に向けてのメッセージとして発するような意味合いもあるのではないだろうか...!

「...というわけなんだけど、どうかな。エンドー君。」

かつて会社の5歳下の若者に向けてこのジジイ七味説について力説したところ

「いや、フツーに辛いすよ、あんなにかけるの信じられない、歳とって味覚おかしくなったんじゃないですか(ワラ」というキビシいアンサーが。

「だよな(ワラ」

ジジイ七味の本質とは、信じたくはないのだがもしやエンドー君が指摘する味覚プロブレムの結果なのだろうか。ジジイのみんなには違うといってほしい。

神宮球場で東京音頭をテキトーに歌ってしまった

東京に住んでいたときに神宮球場に野球を見に行ったことがある。観たのはヤクルト・巨人戦であった。

購入したのは外野の自由席。人気の巨人戦だとは言え、夕方六時から行けば自由席には人もまばら、座りたいところは選び放題。野球観戦に慣れていない俺はどこが良い席なのかもよく分らずバックスクリーン近くに座り、早速購入したビールをゴクリ。青空の下で飲むビールは大変美味しい。

周囲にヤクルトファンが集り出すとのんびりしていた外野のはずれの方も次第に騒がしくなってくる。ヤクルトには熱狂的なファンはあまり多くなく、どちらかというと会社帰りのサラリーマンみたいなライトなファンばっかりなのかと思っていたのだが、テレビで見るような球団グッズを全身にまとった熱狂的なファンの実に多いこと。

試合開始と同時にビールが飛ぶように売れ、しばらくするとお酒が入って具合の良くなってきた方々による無秩序なヤジがほうぼうで始まる。

「ピッチャー!ジョア飲んできたのか!」
ビフィズス菌がたりねぇんじゃねえのか!」

ヤクルトだけにこのようなヤクルト製品に絡めた小粋なヤジでも聞けるのかと思ったらそうはいかなかった。

聞かれたのは相手チーム及びそのファンを貶す至極普通のヤジである。神宮球場素人の俺が、そう易々とパンチの効いたヤクルト特有のヤジなど聞けるものではないが、それでもヤクルトファンでさえ観客のヤジというものがこうも活発で聞き応えのあるものとは思わなかった。

ベテランのヤクルトファンともなると私設応援団からは距離を置き、ビール片手に単独で思い思いのヤジを飛ばす。パンチなど効いていない普通のヤジでも、初めての者には十分楽しめるエンターテイメントである。

程なくすると、酒の勢いもあってか周囲に触発されたように明らかに気の弱そうな、野球経験はいかにもファミスタだけですといったような線の細い色白の若者ですら感極まり「やいやいやーい!」と、我々野球観戦素人には全くもって意味のわからない感嘆符を神宮の空に投げかけたりする一幕もあったりして、いやはや野球場の外野席には俺の知らない世界が広がっていたものである。

回も3回ごろだっただろうか、しばらくすると俺の席の前にどっかと腰を下ろす三人組み。20代前半と思われる娘に、50代後半の両親の三人家族と思われた。大人しそうな感じだが、皆熱狂的なヤクルトファンなようで、共通の話題があるためか随分仲が良い。

これまでも仲良く家族三人で幾度となく応援に来ているのだろうと思われたのは、ヤクルトの攻撃が終わる度に、串焼き、ソーセージ、ポテト、弁当、終いにはアイスクリームと、次々に売店から食い物を買ってくるその手馴れたムーブから明らかであった。恐らくこの家族にとって、週末とはこうやって過ごすものなのだろう。

よく聞くホームランの擬音である「カキーン!」よりは実際にはもっと鈍く太い「バコン」という音がしたのはそれから間も無くのことであった。

周りの観客ばかりを観察していた俺は気付くのが大分遅れたのだが、ヤクルトの選手がホームランを打ったらしく観客席がにわかに沸いた。それまで大人しく食べることに熱心であった前の席に座る家族もこのホームランの瞬間には突如立ち上がり、どこに隠し持っていたのか小さなビニール傘を取り出すと、おもむろにそれを振り回しながら「花の都~♪」と歌い出した。神宮名物ビニール傘と「東京音頭」だ。

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前の家族三人がモコモコと足並み揃わず左右に揺れる様はかなり異様で、思わずトトロのワンシーンを思い出したものであったが、彼らに構っている場合ではない。すっかりこの東京音頭の波に乗り遅れた俺以外、気付くと周囲の皆はどこで仕入れたのか前の家族のようにビニール傘を持っている。俺はファンではないし、東京音頭など全く知らないのである。

とりあえずビールを片手に立ち上がり、前のおばちゃんの背中を眺めながらそれっぽく揺れるしか手立てはないがいかんせん傘がない。井上陽水はまさかこの状態を歌っていたのではないか。傘がない。神宮球場で。濡れるより辛い、新解釈。

ひとしきり東京音頭を満喫した神宮球場が一斉に座りだす。ビニール傘と東京音頭に囲まれた俺もさえない顔で孤独に座る。温度差ならぬ音頭差。とんだ神宮名物である。

ホームランが出るたびにこれをやられたんじゃかなわんと思った俺は、それ以降ヤクルトの選手がちょっとしたフライを打つたびにビクビクしていた。今更席を移動する気にもならないし、試合も5回ともなれば外野自由席はそう思ったところに座れるわけではない。

それに俺はさっき見てしまったのである。前のほうに座っていた若いカップルが、6回あたりに荷物を持って席を立つと後方から「帰るな!」「まだ見ていけ!」などと矛先・オブ・ヤジが一斉に向いて行く様を。途中で帰るなんてお前らはホンモノのヤクルトファンじゃない、おうちに帰ってママのピルクルでも飲んでろや!そんな殺気と共にヤクルトだけに悪玉菌は集団でシバくカゼイ=シロタ株システムが発動する瞬間を、見てしまったのである。

それからほどなくして本日二本目のホームランがヤクルト側に飛び出す。わわわわわまたかよと思ったが今度は取りあえず速やかに立った。立っていれば、周囲との高さの差さえ無くせば何とかなるのだ。歌は分からない。歌の方は「そういう具合にしやさんせ~ そういう具合にしやさんせ~」と一人で野球拳の歌を改造したそれらしい歌をうわ言のように繰り返し何度も歌うことでなんとかやり過ごした。もうこんなの懲り懲りである。

そしてこれが、別にホームランでなくとも普通に点が入っても歌うもののだと分ったとき、さすがに俺はもう席を立ち、《俺は普段「ラブミー・エース」というヤクルトの偽者を飲んでますッ!》と心の中で懺悔しながら、駆け足で出口を目指していた。

 

イラスト:盛岡 (@kozzzo) | Twitter

忘れられない、学生寮の納豆の味

納豆が好きになったきっかけは大学2年の夏まで入っていた学生寮の朝飯で出てくる納豆であった。

パック納豆が各自に与えられるのではなく、ボウル状の大皿に何パック分かわからないがネギとタレが加えられ、よくかき混ぜられた納豆。ある朝食べてみたら美味かった。今も思い出すなつかしの味。今まで美味しい食べ方を知らなかっただけなのかもしれない。理由は分からないがとにかく敬遠していた納豆であったが、寮の納豆のその味に感動しそれから日常的に納豆を食べるようになったものである。

そう思って食べるようになった納豆。暮らしていた寮の朝飯は前日の昼間での注文制であった為、おそらく人数分の納豆になるよう計算されていたはずだが遅めに食堂へ向かうと必ずといってその大皿は空になっていた。早朝必ず一番ノリする大の納豆フアンであるデブの、2コ上の寮生が一人いて、その男が半分以上を平らげていたのは明らかであった。多少太っていた程度だと記憶しているが憎しみが俺に彼をデブと呼ばせてしまうのである。使いたい、デブという言葉を。

また、ついでにいうとこの男は朝食を注文し忘れた朝には、用もないのに食堂に出向き、朝食時間が終わりかけ、寝坊して時間に間に合わなかった寮生の朝食を食べるのを常としているまことに貪欲な男で、朝食時間の10分遅れで食堂に行くとこの男がギラギラした目つきで自分が食べるはずだった朝食をがっついている姿などを見るとはらわたが煮えくり返るような思いであったのだが、当人は残った朝食を処理してあげているという善意のつもりであったし、その実寮の食堂側からするとこの男の存在のほうが有難いものだから、クレームも言えずそれを看過するしか手立てがなかったのであるが、僅か1、2分の遅刻すらも「ルールだから。」とばかりに、待ってましたとばかりに待ち構えて平らげていくその姿に、やはり使いたいデブという言葉を。

納豆に話を戻すと、この男が半分近くを食べていたというその根拠は皆がその様子を目の前で見ていたからに他ならず、かといって別に一人何グラムとルールも決まっていない以上何もいえないわけではあるが、それでも過去に彼より年が上の学生が「お前、食いすぎだろ」と常識と納豆の適正配分に照らし合わせそれを咎めたこともあるらしいのだが、その対策としてこの男は早朝一番乗りで納豆を食べるという手を思いついたようである。

「カン、カン」という朝7時に鳴る拍子木の音が朝食の合図である。するとドアの開く音がする。あのデブである。納豆を目掛けていくデブの、太った朝の始まりである。しまった、7時だ、と一瞬出遅れると勝負は決まってしまう。納豆はもう半分に減っているのである。

納豆にむさぼりつく男をケーベツのまなざしで眺めつつ自分の番を待つ。半分に減った納豆から朝飯を食べるであろう残りの学生の数を計算し少量に留める。そんなことも彼はしらんぷりである。

ある朝、俺は7時前に目が覚め、拍子木の鳴る前に食堂に向かっていた。6時50分。部屋に戻るのも億劫で食堂の前で待っていると、食堂のおばちゃんが「もうできてるからいいですよ」と中に入れてくれた。大皿に満杯の納豆がテーブルに運ばれてきた。抗えなかった。これを大盛り食べたいという気持ちに、抗えなかったのである。半分取ったつもりはなかったが少なく見ても3分の1は俺のご飯の上に乗っていたはずである。

7時、自分より早く食堂にいることに多少の驚きを見せつつ、件のデブが入ってきた。一瞬皿に残った納豆と俺を見比べたように思ったが無心で納豆を食べた。

人より早く起きて、人より沢山食べる納豆の味はとても美味しかった。

まだ時々、ゆっくり留年する夢を見続けている

今でも時々夢を見る。目の前でゆっくり留年していく俺である。防げたいくつものミスをほったらかしにして確実にゆっくり留年していく俺を目の前で止めることもせずに眺める夢である。

俺は大学を留年した。単位が4単位足らなかったためだ。本気を出せば取れていた単位である。母親から怒りの電話があったあの日のことは今でも忘れない。第一声に「さぁアンタ、大変なことになったよ!!!」といわれたときには新しい弟でも出来たかと思ったものだ。

だがそれは留年のお知らせ。第4の審判が電光掲示板でロスタイムを表示した。彼の掲げる電光掲示板、その電光掲示板には赤いデジタル文字で「半年」と表示されていた。実況を担当するアナウンサーは言った。

≪おっ、ロスタイムはまだ半年ありますね!≫

つづけて解説者

≪まだこれ十分チャンスはありますよ≫

チャンスなどあろうか。

こうして22歳の春、俺の半期留年が決定した。それから半年間、留年の理由と思われていたバイトは親に禁じられ、学校と家の往復だけとなると元から一人の俺はますます一人になった。一学年もしくは二学年下の若者と一緒に授業を受け、終われば一人で帰る。同い年ぐらいの大学生が皆卒業し仕事を始めている。そして飲み屋で騒いでいる。俺は学生で最低限の食費と家賃を仕送りしてもらったが困窮していた。

いつもの無洗米に100円ショップで買ってきたレトルトシチューをかけるだけの食事が週に5日。留年の原因にもなったイタリア料理屋でのアルバイトだが、あのとき食ったまかないが忘れられず自分でスパゲッティをゆでたこともあった。ソースはシチューしかなくシチューをかけた。シチューごはんとシチューパスタ、シチューを食うためにガス代を払っていた。

曜日の感覚がなくなるのが嫌だったので、週末の夜には必ず発泡酒を買って飲んだ。ドラフトワンの500ml、週末を感じさせる唯一の存在。発泡酒一本で酔っては街を徘徊し、何も起きない月曜日がまたやってくる。

家には風呂が無かった。銭湯は400円。バイトしていたときならともかく、貧乏なあの時分、高くて行けない。家から自転車で5分ほどのコインシャワーは100円で5分。100円で済ませるために100円玉を入れる前に脱衣所で体にボディソープを適度に塗りこむ。お湯を少し出してぬらしたタオルで一気に体をこするはずが、コインを入れた瞬間開いたままの蛇口は俺に大量の放水を浴びせることもあった。目論見は外れ、塗りこんでいたボディソープが全部流れ落ちるのを「ちくしょうちくしょう」と一人個室内で叫びながら慌てて体を洗ったあの日。自転車で10分行けば100円で7分のコインシャワーがある事を知り真冬の夜に2分を求めて走ったこともあった。

≪まだこれ十分チャンスはありますよ≫

本当にそうなら信じたいとヘロヘロのままスーツをまとい殆ど死に掛けのメンタルで築地市場へ向かっていた。悪臭に近いあの潮の匂いで故郷の玄界灘を安直に思い出すほどに弱っていた俺は「もうここで働きたいなあ」という気持ちで、簡単に貰った内定に飛びつき、半年後には朝5時半から築地市場フォークリフトに乗っていた。

≪まだこれ十分チャンスはありますよ≫

まだあるのかよと思いながら転職を繰り返し幸い俺は今それなりに大きな会社で働き、アメリカで駐在員をやっている。人生どうなるか分からないものであるがそれでもまだ時々、ゆっくり留年する夢を見続けている。