少年野球の思い出

兄について行く形で小学二年のころに少年野球チームに入っていた。もともとの動機がそれだったので結局兄が一年もしないうちに辞めるのに伴い俺も一緒に辞めることとなったのだが、子供ながらに今思い返しても居心地の悪さばかりが記憶に残る子供のころのいやな思い出のひとつでもある。

そのチームは硬式の野球チームで、中学部門も抱えるほどの本格的な野球チームで、特定の校区に限定せずチーム加入の募集は市内全域に及んでいた。本人、家族もある程度野球に対して情熱があり、その目線の先には高校野球での成功、或いは皆がそうであるようにプロ野球選手の夢などもあったのかもしれない。

兄がどういう動機でその野球チームに入ったのか今となってはよく分からないが、特段特定の趣味の片鱗も見せず、何かスポーツに対する熱意、愛情も見せたことのない息子がある日突然野球をやりたいと言い出したのだから両親もようやく熱中するものを見つけたのだなとそれに反対する理由もなく、月謝を払い、道具を揃え兄をそれに送り出したのであろう。俺がそこで「俺もやりたい」と言い出したのかもはや覚えていないが、「お前もやるか」にコクリと頷いた程度の、その程度の動機で俺も少年野球チームに加入することとなったのである。

その野球チームは市内から車で30分ほど離れた山の上にある専用練習場を持っており、遠方の少年はバスでの送迎により練習へ通う。その初めての練習参加では兄弟二人自己紹介をしたわけだが、その時に当時小学二年生の俺が最年少であることを知るのである。小学二年生などいわゆるミソクソのような扱いで、全体練習などで俺の番が来ると皆が優しい声援を送り、俺のバットにボールが当たろうものなら盛り上がるというご想像通りのマスコット的な扱い。小学二年とはいえ根がネガティブ性に満ち溢れていた俺はというとその様な扱いを全く嬉しいとも思えず、バカにされていると斜に構えただ恥ずかしさだけを感じてひたすらに居心地の悪さを感じたものであるが、それを俺より更にネガティブに、斜から眺めている男の存在をするに知ることとなる。

ヒャクタケくんという小学三年生の男子生徒は俺が来る前までこのチームの最年少メンバーであり、同じように可愛がられるマスコットの様な存在に甘んじていたのであろう、俺が来てその座を奪われた事を悟ると、それがすべての原因かは知らないが、ともかくチーム加入初日から何かにつけて1つ下の俺にナンクセをつけて来る様になったのである。

田舎の小学三年生にそのような心の余裕、面倒見のよさを期待するのも間違いかもしれないが、歳が近いからとキャッチボールのパートナーに組ませられた俺に対するこの男の投げるボールに込められた悪意と、それを取れなかった時に都度発せられる悪態の数々、練習の合間合間に発せられる罵声の類に対して小学二年生なりに段々とストレス感じるようになり、結局辞めることとなったときにはある種の安心感しかなく、その後一切野球というスポーツに接近することもなくなったのは無理もないことかもしれない。

そんな野球チームで12月に年に一回のチームの忘年会兼クリスマス会なイベントがあったときのことである。午前中にチーム内で紅白戦をし、午後はお菓子やジュースを広げてのパーティ。メンバーは各々前で出し物をし、監督やチームに関わる皆様と盛り上がるという趣旨。この日の出し物ではいつものとおり歳が近いからと、俺は出し物のパートナーにもヒャクタケくんと組まされ当日を迎えていた俺は、その会の当日の朝にヒャクタケくんに呼ばれ「わすれんぼうのサンタクロース」を二人で歌うことを告げられた。

彼の説明はこうである、「俺が1番を歌うから、お前が2番歌え」それならお安い御用であるが、しかし問題はその後である。

「その代わり、"まっくろくろけのおかお"のところを"まっくろくろけの死体"で歌え」

あの歌の2番はあわてんぼうのサンタクロースが煙突から落ちて顔が黒くなる話、それを改造し煙突から落ちて転落死、或いは焼け死んだといいたいのか「まっくろくろけの死体」と俺に言えというのである。ウケは狙いたいがスベって自分はヤケドしたくない、体育会系で時折見られる集団芸のときに後輩にオチを任せる先輩の典型的なマインドである。

言うまでもなくめちゃくちゃつまらないのだが、特に言いたいのはその語呂の合わなさ、そして「シタイ」という発せられた音としての弱さ、それを絵もなしで一発で伝わる可能性の低さ、更にいえば、それをこの俺が、普段マスコット的な扱いをされている最年少、小学二年生メンバーが、この会で突然「サンタの死体や!ドヤァ!」などという柄にもなく刺激的なユーモアを発したときの皆様に与える印象なども含めて一切ナシなのである。

このあたりの細かい分析などあの当時出来ようはずもないのだが、あの時はただ本能的に拒絶反応だけがあり結局本番は一切の替え歌ナシで「まっくろくろけのおかお」とオリジナルのまま歌い上げ、会場は普段一緒に練習している小学二年生と三年生の仲良し二人組みメンバーによる特にオチもないさわやかなクリスマスナンバーでした!!!パチパチパチパチパチィ!となって終了。

終わった直後、不本意にもクリスマスナンバーを大真面目に歌ってしまい大恥をかいた赤面のヒャクタケくんに呼び出され「お前なんで言うこと聞かなかったんだ」とものすごい剣幕で詰められ、何か取り返しのつかない物凄く悪いことをしたように思って小学二年生なりにただ「ごめんなさい、ごめんなさい」と小さく謝っていた。

おいしいミカンの見分け方

 

丁度冬のこの時期、築地市場の青果部門で働いていた時のことを時々思い出す。あれは全国の産地から送られてくる怒涛のミカン段ボールのパレット組みを強いられていた季節。

1パレットに何十箱と組まれたミカン入りのダンボールの山、山、山。市場に収まりきれず屋根もない駐車場にブルーシートをかぶせられたミカンの壁、ミカンの迷路の中を俺はひたすら検品に奔走していた。それがあの頃、あの冬であった。

嫌と言うほどミカンを見て、色んな産地のミカンにも詳しくなった。産地、銘柄、等級、そして外観。仕事の合間、高く積み上げられたミカン段ボールの摩天楼の影で、東京湾から吹く冷たい風に震えながら、抜いた昼飯に腹がなり時に盗み食いしていたのは今だから言えることだが、そうやって味を覚えたのもよい思い出である。

だからというわけではないが、ミカンには多少の見識はあるし美味しいミカンの見分け方というやつにも一般の方よりは詳しいつもり。

うちの妻も築地で鍛えた俺の目利きを信頼しており、ミカンを買ってくれば食べる前にはいちいちどっちが美味しいのかと尋ねてくる。水道トラブルへの対処、日曜大工から軽い電気工事まで、あまりに俺が不器用なのでいつしか家の中のブルーカラー仕事を何でもやるようになったマルチな妻だが、そんな妻に俺が頼りにされている数少ないもののひとつとして今のところこの「ミカンの選別」が挙げられる。(ちなみにもうひとつは米とぎである)

あるとき冷静になって考えたことではあるが、ほとんど何も出来ない俺が、ミカンの選別と米とぎ以外に取り柄のない俺がである、仮にこのミカン選びでしくじりでもしたら、よもや考えたくもないがはっきり言って俺の存在している理由が一気にゼロに近づく訳で、「これとこれ、どっちが美味しいのか」と聞かれるたびに心中穏やかではなく、「ほんとだ、美味しい」と喜ぶ我が妻のそばで、《ミカンの季節、早く終わらないかな》などと心から願う日々なのであった。

以前、コタツでテレビを見ながらミカンとしけ込むかと箱買いをカマしていた段ボールの中からミカンひとつ、妻に取ってもらったときのことである。選んできたミカンは見た目、手触りからして酸味が足りず味が薄そう。目利きは五感で味を知るのである。うーん、まだまだやなと思いつつもいささか表現をやわらかめに、まるでアドバイスをするがごとく「これはこの辺がこーであーで」とミカンの専門家らしくマイナスポイントを指導し、相手を傷つけぬよう、角が立たぬようもう一度ミカン選びを依頼。練習という形でもう一回選んでもらった。

「じゃあこれは」

目利きの指示、指導が的確だったのか、今度は先ほどより美味そうなヤツを持ってきてくれた。いわゆるミカンのオシリにある凹み具合、色、手触り、パーフェクトとはいかないまでもまあOK。80点である。

「おっ、こりゃ美味そうだ。ありがとう」と皮を剥き始めると案の定の好感触。食べるとビンゴ、とても美味しい。さすが目利きである。「うまいうまい」とテレビを観ながらミカンを食べる俺に向かって妻は言う「さっき選んだのと同じだけど」

 

《やりやがった...!!》

 

何ということだろう。俺は試され、そして負けた。消えてしまいたい気持ちかはたまた存在意義を体が表現しているのか、その瞬間、自分が透明になって行くのを感じた。

皆さん、このように以前我が家で大変恐ろしい出来事が起きました。あれから数年、今でも米とぎを頑張ることで何とかお願いして家に置いてもらっている俺です。米とぎは繊細な作業といわれ、とても難しく、誰もが出来るわけではありません。皆さんもどうか気をつけてください。では、さようなら。

コンビニで行われる男たちの満腹計算

omocoro.jp

先日文字そばにてご飯の量が少ないのを恐れていることについて書いた。

学生の時、社会人になってもそうだったかもしれない。コンビニで「500円以下でいろんなものをたくさん食べた錯覚に陥るコンビネーションはどれか」という素敵な逡巡タイムを満喫、「満腹計算」と呼んでいたあの日々が懐かしい。選べるというのは素晴らしいこと。食事、文化、趣味、付き合う相手、この前帰って思ったのは日本には、特に東京にはそういう選べる楽しさがある。アメリカは自由の国かもしれないがコンビニがない。

満腹計算に掛ける時間はせいぜい5分。特に社会人ともなれば大事なランチタイムを削るわけにはいかない。かといって単に安く腹いっぱいになりたいという訳でもない。たった1アイテムだけで満腹になるのはむなしい。満腹計算とは「量」に、さらに「バラエティ」を内包したとても奥の深い世界なのである。

短い時間で最良の選択。350円の弁当を買い、子分格としてボリューム対策でデカい惣菜パンをつけるか。それとも健康と様式美を気にして豚汁で整えるか。弁当はやめてカップラーメンにすれば実質汁がついてくる。おかわりした気になるからパン2個とオニギリ2個で細かく刻むか。など。文字にすると実に冴えないが、お前は何が食べたい、お前ならどうすると、日々行われる己との対話。

地方の営業周りが主だった頃、コンビニには車で行き食べるのは車の中。かつての満腹計算には「車中で食べられる」の条件付き。汁が飛んでシャツが汚れそうなもの、こぼれやすいもの、ご飯とカツの間に1枚フィルムが入ってて食べるときにそれを滑り台みたいにしてうまくカツをスライドしてご飯にサーッと着座させないといけない、あの例の無駄にカツを敬い、丁重に扱う通称「繊細カツ丼」とかああいうものは、そもそも選択肢に入らなかったのである。(どうでもいいけど、あれなぜか普通の弁当と比べて温めてもらったときめちゃくちゃ熱くならないすか)

コンビニ飯の進化は日々続いている。最近では揚げ物コーナーの充実度もすさまじい。そしてコンビニ自体のあり方も変わろうとしている。この前帰国して感じたのはイートインスペースの拡張、充実。2階建てのコンビニで1フロアを全てイートインスペースにしているコンビニも見た。

こうして満腹計算の選択肢は広がり、終わりが見えない。先日日本に帰った初日、外食する気力も無く、俺は家族の分も含めホテルの前のコンビニにその日の晩飯を買いにいったわけだが、上記理由から完全に満腹迷路に迷い込み満腹方程式も満腹関数もわからない、満腹計算のイロハのイの字も分からない、ただの満腹文系大学生になってしまった。そして満腹計算の入り口である惣菜パンコーナーの前で呆然と立ち尽くし人々の邪魔となってしまったのである。

突然突きつけられた選べる自由、無限の選択肢に思考が停止し、今までなら買うことの無かった鮭おにぎりとかヤマザキのランチパックのような素人が買うものをひとしきり買い込みホテルに帰った。久しぶりに食べた鮭おにぎりは極楽浄土で、ランチパックに桃源郷を見た俺はうまいうまいと感動しながら久しぶりに帰ってきた日本をかみ締めていた。

オカヤスの「おかず丼」

昔食べたものでいまだに忘れられずに記憶に残っているものが幾つかある。味そのものに感動したという類のものとは違う、思い出、エピソードと共に思い起こされる印象深い食べ物が皆さんにもあるのではないだろうか。

大学2年の途中まで住んでいた寮があった川崎市麻生区にある小田急線沿いの某駅のその寂れ様は甚だしく、また駅から2,3分歩けばスグ始まるキツい坂道を経ての丘陵地帯に広がる住宅地しかないとにかく面白みも風情もない平々凡々たる無味無臭を絵に描いたような場所でもあった。

とはいえ、広大な多摩丘陵の一角にあるあの街は、世帯を持つ者の目線でみれば都会にありながら自然も豊かな、閑静な場所であったといえるかも知れず、夜になると山鳩が鳴き、夏にはカブトムシが採れるなどといった自然豊かな環境で都心の人々にはある種の贅沢品としてポジティブに受け取られるものであったのかもしれないし、一方で九州から上京してすぐの時分には都会もこういう場所があるのだなと感心するとともに、期待していた都会のイメージとのギャップに安心しつつもいささか拍子抜けもしたもの。

その様な閑静な住宅地にある学生寮であったから周囲の住民への配慮は常々留意されるべき事柄であり、学生の自治会議のようなものでも折にふれて「周辺住民への配慮」なる文言が出ているほどに、学生なりにその環境への配慮をしていたものであった。

住宅地にドンと広い敷地をもって暮らす関係上、地域住民との交流も欠かさず、年に一回は周辺住民を巻き込んでの寮の祭りを開催し、付近を山車のようなものを曳いて練り歩くなど寮自体は地域から割と受け入れられており、学生もよく統率されていたことから寮自体は比較的好意的に受け入れられていたような印象がある。

一方で、周辺には住宅しかないことから飲食店、コンビニの類も駅前まで足を運ばねばならず寮外での生活の面では若干の不便さを感じざるを得なかった。寮には食事があったが時にはやむを得ない事情で外で済ます必要もある。仕方なく利用していたのがすぐ近所にあった「オカヤス」である。

太った無愛想な眼鏡のオッサンがやっているコンビニのような外観の小さな商店。近くにあった唯一の商店ながら寮生からの評判がすこぶる悪く、緊急時の最終手段とされていた。品揃えの悪さに加え、店主の愛想の悪さ、とくになぜかすぐ近くに位置する我々寮生に対して特に愛想が悪く、嫌悪感をむき出しにしているといっても過言ではなく、過去に寮生がオカヤスに対し何かしでかしたのではないかとも議論されたこともあったほど。

理由は分からぬまま我々はオカヤスに行くと目も合わされぬままレジの支払いをされ、店内に長くいると舌打ちをされたりするものだから、結果としてオカヤスは付近の物品購入の候補からは外れ、ほぼ無いもの、必要に迫られれば仕方なく行く場所と認定されてしまっていたのである。

どうしてもオカヤスに行かねばならない場面は主に週末の昼飯時である。寮は昼飯が出ず、週末、学生が遅い目覚めをするとまず考えるのは昼飯である。自炊をするものも居たが大半は坂道を含め歩いて15分の距離をコンビニ目指して買い物に行く。ジャンケンで負けたものがその役割を任されることも多々あったが、それを厭う者の中に浮かび上がるのが近所のオカヤスの選択肢。遠いコンビニより近くのオカヤスである。

そんなオカヤスで「おかず丼」という弁当を発見したのはたまたま、ある日お昼の少し早めにオカヤスに行った一人の寮生であった。なんの捻りもなくおかず丼と名づけられたその朴訥な弁当は、味のほとんどしない炊き込みご飯の上によく分からない肉の塊と卵焼き、あとは湿ったかき揚やたくあんがきんぴらごぼうと共に載せられており、その内容はともかくとして量の割に値段が350円という魅力的なもの。魅力的というのは駅前に行く面倒さを勘案した上でのコストのことであるが、どうもこのおかず丼、午前中の割と早い時間にオカヤスに行くと幾つか置いてあるらしい事が次第に分かっていくと、寮生は週末にこのおかず丼を買い求めにオカヤスへ向かうことになった。

f:id:bokunonoumiso:20190113120420j:plain

日にたった2、3個納入されるおかず丼。程なくして、寮内でおかず丼の取り合いが始まった。週末の昼メシを安く、早く済ませるにはオカヤスのおかず丼であった。オカヤスは相変わらず俺たちに無愛想であったがおかず丼は俺たちの味方。親元を離れ、母の手料理に別れを告げて、愛想の悪い店主に金を払い全く美味しくもないおかず丼をありがたがり狭い4畳半で必死に食べる元高校生。これが登るべき大人の階段なのかと考えれば、思えば遠くへ来たもんである。おかず丼は今でも親元を離れ、上京したことを象徴する食べ物であり続ける。

そういう想いもあり、久しぶりに思い出しながら記憶に任せて絵に描いてみた。こうあって欲しいという願望も加わっているかもしれないが割と美味そうである。(海苔、ソーセージ、炊き込みご飯は多分なかったと思う)

「セックスが上手い」とは何か

「○○は車の運転がうまい」「××は下手だ」という、車の運転に関する評価があるが、残念ながらその運転の上手い、下手という概念がいまだにハッキリとよくわかっていない。

MT車のギアチェンジなんて今や趣味の世界、各種センサー、カメラに守られた現在の車において、人間の技術、判断が運転に入り込む余地は昔より減ってきているがそれでもまだ我々は運転の上手、下手という話題から逃れることはできない。

しかしそれは単純にギアチェンジ、ハンドル捌きのことだけを指している様でもなく、助手席に座っていて安心感があるとか、判断力があるとか、多少無理な運転をしても目的地に早く着くとか、マナーがいいとか、判断する人によってその評価基準も様々であるように見える。抽象的で主観的な評価なのではないか。

その評価のベースに関しては、車の技能を明確に判断する場としての車の教習所を思い出して見ると、あの場では持ち点に対する減点方式で人間の運転技能をジャッジしており、それから判断すると運転の上手い、下手は少なくとも加点ではなく概ね減点方式で各人が判断していると思われる。

その上手い下手を判断する人の中にある「これをやったら減点」ポイントが何かを知らずして、評価を自分でコントロールする事は出来ないように見える。

 

「△△はセックスが上手い」

もう一つ理解できない表現がこれである。セックスが上手いか下手クソかを当たり前のように論じる人がいる。"する"か"しない"かの2つしかないと思っていたやんごとない御セックスになんと内容を問おうと言うのである。バチがあたる。居ていただいているだけでいいじゃないか、お前たちは象徴セックスという言葉をしらないのだろうか。

したらガッツポーズ、しなかったら滝行、それでいいじゃないかと思っていた俺に突きつけられる「勝ったが内容には満足していない」というサッカー日本代表のような次に繋げる姿勢。もう一度いうけどバチがあたりますよ。

ここで言う上手さというのも、自動車の運転同様、共通の判断基準もない抽象的で主観的な概念のような気がしてならず、こうした風潮に対しては警戒感を強めている。しかもどうやら車と同じく、その評価は概ね減点方式らしいのである。「良い」の状態から始まり、やらかすたびに減点されて「普通」か「悪い」になる、例えば真珠の入ったチンポなどのスペシャルな事例を除けばほぼ加点されることはなく、持ち点を守り切ったものが勝つ、そういうイメージである。

先ほど、同じくその上手い下手を論じるのに主観が蔓延っていると記述した車には自動車学校があり、ここでは最低限の共通認識として技能、ルール、マナーは全国同じ法律の下に定められたカリキュラムに準じ等しく学ぶ場所がある。セックスにそれがあるでしょうか。何が正しさを決めるのか車の運転以上に不透明な、濃霧が覆うセックスハイウェイを無灯火で進む我々にどんなカリキュラムに準じて減点をカマしてくれるというのか。

減点方式の社会は人から挑戦する気持ちを奪う社会でもある。ヤリチンほどセックスがヘタクソである、という話をよく聞くが、彼らは挑戦した結果、いろんな教官の基準により減点を受けただけなのかもしれない。その理論で話を進めれば、童貞は数字の上ではセックスが上手いことになり、持ち点をたくさんもっている「理論上の床上手」なのである。

これの皮肉なことは、そんな理論上の床上手である童貞期間が長くなればなるほど、初めてのセックスでめちゃくちゃエグいプレイをカマした結果持ち点ゼロ、一発免停になるケースである。それが礼儀と思って初体験でいきなり顔射とかするヤツのことである。