ティラミスを知ってから実物を見るまで数年掛かった

いつのことか覚えていないが日本でティラミスがものすごいブームになったときがあった。少し前のタピオカに近いような流行り方だったのかもしれない。

昔はネットもなく口コミはほとんどなく、テレビか雑誌が火付け役だったのだと思う。当時まだ子供だったし「ティラミスが流行っている」という大まかな事実しか認識出来ておらずティラミスが果たして何の食べ物かすら全く分かっていなかったが、みんながティラミスを美味しいと言いだし、みんながティラミス食べたいと騒いでいた。なんかそんな風にぼんやりとだけ覚えている。

当時はティラミスを食べられるところなど地元になくティラミスが身近な存在でなかったことやそのスカした名前に馴染めないこともあって、結局ティラミスという言葉だけを知った俺はティラミスをそもそも何の食い物かもわかっておらず、それが何であるかをきちんと追求することなく思考停止し概念としてただ「自分には関係ないすごいもの」というぼんやりとした認識の中において理解していた。

そんなティラミスの姿をようやく見たのはブームが去って数年経った後、10年とかいうと言いすぎかな、ブームが去ったからこそ逆にお目にかかるまでに時間がかかったのかもしれないが、それはコンビニが積極的にデザート類を取り扱い始めそこにティラミスが登場した時であった。

「つまりケーキやんか」というのが第一印象。結構な肩透かしを食らったのを覚えていて、頭の中では有史以来存在しなかった新しい形態の何かだと思っていたらケーキだったわけであるから、あんなに徳が高く我々のもとには手の届かないはずのティラミスをコンビニで売っていいのかという動揺もありつつ、ようやく自分のもとにまで降りてきて頂いたティラミスさんは割と庶民的な感じのうまさでこれは流行るわと大流行の終わった数年後に一人で納得したものであった。

大人がやたらとすごいもの贅沢なものとそう決めてありがたがるものについて子供の頃は一応認識だけはしていたがその凄さをきちんと理解できるほど経験も好みも成熟していないが一応は意識してみた結果、自分の経験や想像しうる範疇で頑張って捉えようとする動きは色々あって、例えばステーキとハワイはその類。今はもう違うが子供の頃、ステーキは庶民の贅沢な食い物として度々引き合いに出されたもので、しかし子供の頃はステーキが何の食べ物か分からず甘いお菓子の何かなのだろうかとぼんやり思い浮かべたのも今思えば無理はない。

ハワイはもっとぼんやりしていて海外、贅沢という、庶民のあこがれの文脈でハワイが出されていることは分かっていたが、信じられないことにハワイがそもそも何のことなのか全く分かっておらず、食い物の可能性すら残していたほどであった。

知識が及ばぬ中で無理やり理解しようとする動きは何も子供の頃だけのものではなく大人になっても度々経験することではあるが、今はすぐに調べることが出来て正解が1秒で目の前に現れる時代。俺のティラミスのように認識してから正確にするまでのスピードは格段に上がり知らないことを自分なりにぼんやりと想像して数年かけて答え合わせをするということは過去より少なくなったものと思うが、こんな時代になったとしてもたった数秒の「調べる」が億劫で謎の概念のまま数年経つ言葉が沢山あるのも事実なのだなとふとこのティラミスを知るまでの数年間のことを思い出して考えた次第である。

多目的トイレのヒヨコ

多目的トイレは広い。仕方がない、目的が多岐に渡るためだ。しかし純粋にトイレとして見たとき、例えば入り口から便座まで3、4歩あり、広い個室スペースの中で便座が妙に孤立しているのはどうだろう。少し落ち着かないのは何か申し訳ない気持ちからかもしれない。

そして便意をもよおし、急いで入ったトイレがたまたまそんな広い多目的型のトイレだったとき、ズボンを下ろし無事Do itと相成ってふと、いつもこう思うのである。

「鍵を閉め忘れた気がする」

最近のトイレの鍵は多種多様で、目でみて閉めたかどうか分からない鍵も多くなった。青や赤、開や閉の文字がないと、「締め忘れ?!」と、ハッとそう思うケースが多いのである。加えて、最近鍵をかけても内側からは簡単に開くものもあり、外側から本当に開かないのだろうかといまいち施錠に確信が持てないものも不安の原因かもしれない。

一般の広さのトイレならば手を伸ばし締め忘れがあろうととっさに対処できるかもしれない。次の利用者の急襲があったとしてもとっさの瞬発力でドアノブを押さえることは可能かもしれない。それが多目的トイレ、入り口から遥かかなたに便座を構える広いトイレであったならばどうか。広いトイレではそれは出来ない。出来ないのである。歩けば数歩の距離も今は遠くかすんで見える。となればその最中のハラハラ感たるやおびただしいものがある。

多目的トイレの広がりからか、このような広いトイレには縁があり、今までに何度かそのようなシチュエーションに遭遇している。

ある日のこと、例によって便座に座り、いわゆる大きなお便りを水洗式ポストに投函しようとしたところ、「切手は貼ったかしら」とばかりににわかに鍵のことで不安になり、呼吸を止めて1秒、真剣な目をしたのち器用に尻のみを突き上げ、姿勢そのままに遥か3歩先に構える便所のドアめがけてスタタタと小刻みに、足首に絡まるパンツ、ズボンを気にしながら丁寧に歩き始めることにした。

話は変わるけど、多目的トイレってなぜか知らないけど姿見レベルのどデカい鏡が便器の真横にすえつけられていることが多くはないだろうか。自分のモノとはいえ、大小に関わらずああやってまさに致さんとする場面をマジマジとこちら側に見せ付けられるのは気持ちの良いものではないすなあ。。

で、話を戻すがつまりそのトイレにも姿見があったと、そういうことである。鍵のほうは調べてみると安心、きちんと閉まっていた、杞憂に終わりましたと、折り返し便座に戻ろうとしたそのとき、振り返ると例の巨大な姿見に映った俺が一人無残に尻を突き出し、まるでヒヨコのような姿勢でこっちをみていたのであった。それはいささか好意的に見ればティラノサウルスのようでもあったことから「恐竜の子孫はね、鳥だよ」ということをあの時多目的トイレ側が示唆していたのかもしれない。

それにしても、突き出した尻のまま移動するヒヨコのそのあまりの情けなさに、そのまま黙ってヒヨコとして便所を出ていっそのこと選別でもしてもらおうかと思った次第である。

バーガーキングで全然オーダーが通じなかった

アメリカにいて英語にはいまだに苦労しているがさすがに仕事の話となると共通の話題を共通の用語を用いて話すので大分ましである。使われる単語や表現にはお互いにある程度予想がつき、多少発音が悪かろうと先方が文脈の中から汲み取ってくれるのである。

しかし仕事から離れたときにはなかなかそうはいかず、それはお互いが共通の文脈の上にいない、全くのフラットな状態の中で英語でコミュニケーションをとらねばならないからに他ならない。例えばマクドナルドなら何とかなるだろう。メニューはおなじみでマニュアル通りの接客。お互いに想定される記号のような流れで淡々と話が進むからだ。しかし初めていくレストラン、想定外の質問や表現、単語が出てくるとやはり聞き直さないと会話は難しい。

ドライブスルーでオーダーするのは日本人にとっての高いハードルである。お互い電話より聞き取りにくく、またうまく通じなかった場合に指さしたりスマホで調べるなどの逃げ道もなく、そして最悪の場合後続車のプレッシャーにも耐えなければならない。例えばVanillaは難関である。Vの発音は唇を軽く噛み震わせないといけない。これが難しい。なんだろう、音としての違いよりも何か唇を噛んでいるその行為によってVとBを区別しているようにすら見える。従ってドライブスルーでVanillaを頼むのは難しく、日本人の同僚は何回Vanillaを頼んでもバナナの飲み物は無いと断られ発音が得意なスプライトにせざるを得なかったという。

ファーストフードの店員は若さゆえか多様な顧客に対応する経験も少なく、つまり日本人の英語に慣れていないし、外国人相手にゆっくり話す広い度量も持ち合わせていない。アメリカに来てすぐの頃度胸試しのようなノリで行った初めてのドライブスルーでは早口の若い店員相手に散々な目に遭い、結局助手席の同僚に頼んで貰った。コーヒーすら通じなかったからだ。

先日家族とドライブしている最中、必要に迫られバーガーキングのドライブスルーを利用する羽目になった。コロナの影響で営業が制限され、今目の前にある店舗ではあいにくドライブスルーしか利用できなかったからだ。

「俺は昔ドライブスルーで嫌な目にあったので行きたくない」

などと、家族の前で恥ずかしげもなく弱音を吐くが息子たちは「バーガーキングを今すぐ食べたい」など飢えた畜生のように騒ぎ出し、妻にも子供がうるさいからすぐに行くようにとたしなめられ嫌々ながらドライブスルーの列に加わった。

予めオーダーするメニューをスマホで表示させ、読み上げるだけの状態で待機し、俺の番がくるや程よい緊張感の中満を持してバーガーキングの定番であるWhopperのセットメニューであるWhopper Mealをできる限りの巻き舌で、そして大声でオーダーした。

「ゥワッパーミィール、プリーズ」

しかし俺の放った会心のオーダーは虚空の彼方へ。返ってきたのは「アイムソーリー?」という辛い現実。あの日のつらい思い出がよみがえる。妻が苦笑い。息子が不満そうにため息をつく。まあまあまあまあ、まてまてまてまてと落ち着かせ二投目である。いくぞ、

「ワッパー!、ミィーーール!」

きっと声量が足りなかったのだろう、声量は万物の基礎、倉木麻衣も声量があれば宇多田を軽く超えていたはずなのだからと、先ほどよりもっと大きな声でマイクにオーダーしたのだがしばらくの静寂ののち、「ここはバーガーキングで、あなたがオーダーできるのは〇〇と、××と」という類のゴニョゴニョした説明が始まったことからハテナとしばらく聞き耳を立ているとどうもHappy Meal(日本でいうハッピーセット)と聞き取られ、つまり「ここはマクドナルドではありませんよ」という親切な説明が始まったことに気づき俺のプライドはズタズタに。その後何度かトライするも通じず悲しみが止まらない。

「本当にみんなバーガー食いたいかな」

などといいながらゆっくり前進し、オーダーせずにその場を立ち去ろうとすると家族が「うわーーー!」と騒ぎ出し無念のブレーキ。お前らお父さんをこんなに傷つけてまでバーガーが食いたいのかよ。このお父さんをよ。

アメリカに来て3年、アメリカの学校で英語を学んだという小学2年生の長男は後部座席から「全然だめだよ!アとオの間の声出してよ!」などとやかましく、お父さんの代わりに僕がオーダーするからと後部座席からまるで猿のように「ウオゥァッパー!」「オゥァッパー!」騒ぎ立て、それにはこのくそジャリ、うるせーーー俺がやるから黙れという気持ちにもなるというもので、今やる今やる今やるからと息子を黙らせつつも言うとおりにハとオの間の声を出すとオエエェェェェという吐き気音しかせず、スピーカーからは「アイムソーリー?」という辛い現実。アイムソーリーとは俺のセリフである。あなたに謝罪がしたい。

結局その後俺の発音を徐々にアメリカ側に寄せていった結果、幾度目かでとうとう正解が出たらしく目的のWhopper Mealを無事ゲット、家族からは「お父さん、頑張ったね!すごい!」などたかがファーストフードのオーダーだけでめちゃくちゃ褒められ、俺も何かまるで大冒険でもしたかのような充実の表情で戦利品のバーガーを手に取り、バーガーキングを後にしたのであった。

 

ポジティブワードでピンチをチャンスに

もはやよく知られた話ではあるが、アメリカではどんなときもポジティブなことが好まれるというか、ポジティブが通常であり、例えば一般的な挨拶であるHow are youの答えとしてはほぼ「良い」「素晴らしい」しか選択肢がないと言っても過言ではなく「普通」や「良くない」という回答は、その後にちょっとしたスモールトークが控えるような、親しい間柄の半分冗談染みたやり取りでないとあまり聞くことはない。

アメリカ人のポジティブさは彼ら自身の性質がポジティブだからというわけでは決してなく、その実彼らの中身は日本人と大差がなく、彼らとて不安に駆られることもあれば、ネガティブな気持ちになる。心配性のアメリカ人も沢山いるしマイナス思考のアメリカ人には何人も会ってきた。ただそれを言わないようにしているだけの様に見える。

回りくどく心配を表明したり、時には冗談でぼやかしたり、しかしその言葉の端々には強い心配やネガティブな感情が見え隠れすることは多々あり、「極力ネガティブなことは言わない」、これは人の性質などとは無関係な歴史や文化、教育がそうさせる習慣やマナーの一つに過ぎないようである。

アメリカに来て取引先に何度か謝りにいく事があった。相手のアメリカ人に対し先方を失望させるに至った理由を拙い英語でお詫びし、説明するのである。

「かくかくしかじか、つまりこう言う理由でうちの問題によりご迷惑をおかけしてすいませんでした。今後はこのように再発防止をしますので二度とこのようの無いようし、またいついつまでに挽回しますので何とかお許しください。」

日本式ではこれが通常である。まず謝り、原因と対策、そしてリカバーをどうするかの報告。アメリカでこの様な説明をすると元々日本人以上にストレスに弱いからこそリラックスした雰囲気が大好きなアメリカ人が若干ひいて聞いているのが分かってしまう。お詫び、反省、相手の沈痛な表情、ネガティブなムード。これも結局当人の性質とは無関係の習慣、マナーではあるのだが、アメリカ人は常にナイスガイでいたいのであり、ナイスガイは取引先という優位な立場を利用して人を謝らせたり、無理な約束を強いることはしないので今俺が謝られているのなんかめっちゃ心地良くない、恐らくそういうことなのではないかと思う。

日本人からすると違う性質のものだが、アメリカ人からするとネガティブとの違いが分からないのが「謙虚さ」である。仕事で出来るか出来ないか五分五分のことを「やってみないと分からない」と、その根拠を示しつつ慎重かつ正直に回答して失注したような経験は多々あり、そういう場合に全く出来もしないのに何の根拠も示さず「200%出来る」と言い放ったコンペチターがモリモリ約束を破りつつもポジティブワードでごまかしながら勝ち進んでいくのがアメリカである。

ポジティブが通常の国において五分五分というのは相当なネガティブワードであり、よほど自信がないと受け取られるわけであるから、この国でより強いワードを使い、より大げさに、自信満々であることは自分を大きく見せる誇大広告ではなく、むしろ相手を安心させるための精神安定剤なのであり、それと割り切って「200%!!」とぶち上げたコンペチターが勝つのは自然な流れなのである。

昨年、完全に俺の凡ミスによって起きたとんでもない納期遅延に対し「先方が不安を表明しているので説明しにきてくれ」とアメリカ人の営業マンに呼ばれ行った先で思い出していたのはそうした過去の失敗事例の数々である。今度は失敗しないと強く誓った俺はアメリカ人が好きな極めてリラックスした雰囲気を演出すべく先方の事務所の壁に寄りかかりつつ、とてもド派手に納期遅延を起こしたマヌケ野郎とは思えないほど穏やかな表情でににこやかに、そして自信満々に遅れている納期の状況を語りだした。

「まず言いたいのは、安心してほしいということです。」

安心したいのは完全に僕のほうだったのですが、そう言うしか無いのである。昔からテレビで観るアメリカ人は大体そういう感じの自信満々のことを最初に言うのでそれを真似した格好で、実際には工場の現場のオッサンに平謝りで何とか1ヶ月ぐらい前倒しできませんかねえ(ペコペコ)とやっては見たが「んなもんやれるかバカヤロウ!」と怒鳴られただけで問題は何も解決していなかったものの

「なんと、我々は製造のゼネラルマネージャーに特別なリクエストを出し、納期の遅れをなんと二分の一にすることに成功しました。」

など言ってみると、ゼネラル!とかスペシャル!!とかハーフ!!!といった繰り出されるそれらポジティブワードが出るたびに険しい顔で腕組みをして聴いていた先方の顔が徐々に感謝の表情に変わり、どよめきは拍手に変わり、拍手の中から指笛が聞こえ始めたころ、最後には鳴り止まぬUSAコールの中「スペシャルな対応、どうもありがとう!」となぜか依然納期はバチクソ遅れてるのには変わりないのに逆にすげえお礼を言われていた。まあそう言われると何か俺もすげえ良いことをしたような気にもなるというもので「いいぜ、気にするな。では。シーユー。」と言ってこれ以上色々聞かれないように足早に帰路についた次第であった。

建物の配管をきれいにする胡散臭い白い箱

築地市場青果部門を2年で辞めて次に就職した商社が営業未経験の俺を採用したのは試験的に出店した出張所の新規開拓メンバーというチャレンジングな役割になんとなく築地で働いていたヤツなら勢いがあって新規開拓できそうという理由だったことを後に聞くことになるのだが、築地で働いていたのは就職氷河期に加えて大学生活を見事に失敗し浪費したことで自暴自棄になっていた自称行為的なものであって、根がさほど勢いもない根暗な俺が全く新規開拓に向いていないことは会社と俺の双方がすぐに知る事となった。

そんな俺の新規開拓活動も、最終的にはインターネットで見つけた「建物の配管をきれいにする胡散臭い白い箱」をメーカーの怪しいじいさんと一緒にめちゃくちゃ売りまくって会社の営業成績トップになる未来が待っているのだがそれはまたいつかするとして、商社の新規開拓というのはなかなか難しく、よほど強い製品の独占販売権を持っているとかでもしないと、各社モノを買うのに必ず数社商社と取引をしている中にでわざわざ新しい商社と取引口座を開設しようということにはなりにくいのが事実。

商社といっても色々あるが、俺の場合は産業資材を取り扱う商社。特定の分野に偏らず一応産業資材の総合商社という位置づけだったかと思う。幾つかの製品に強みのある商社で、売りたい製品は幾つか決まっていたが、それら拡販したい製品に拘らずマーケティングもかねてその地区の顧客をあらゆる角度からとにかくたくさん回るようにと、雑居ビルの一角に借りたスカスカの小さな事務所で毎日与えられた過去の展示会来訪者や休眠リストを眺めながらひたすら電話をかけてアポイントを取る日々である。

テレアポのキツいところは俺が説明するまでもなく調べればその苦労はいたるところで経験者により報告されているだろうから割愛するが、そもそも狙っている人に辿り着けないというのが最初のハードルであろう。代表電話で受付の人に断られ、転送しますといいつつ切られ、部署の代表電話まで辿り着いたと思ったら「居ない」と避けられ、本人に辿り着くまでに体力を削られ、ようやくご本人とご対面というときにはまさか辿り着くとは思っておらず何の話をしたかったのか完全にド忘れしたこともある。

何回も失敗を経験すると段々コツというかテクニックが磨かれ徐々に研ぎ澄まされ、面会に漕ぎ着ける確率も上がっていくのだが、最終的に辿り着いたのが古いリストで既に退職してそうな人を見つけ出して、死人に口なしとばかりに「○○さんには大変お世話になり」とリストに書かれた僅かな情報を極大まで膨らまして知り合いアピールをし後任に約束を取り付ける作戦なのだが、一度その作戦で会った後任の人から根掘り葉掘り聞かれて架空の展示会で僕らは出会い、架空の案件に興味を持ってもらい見積もりをした架空の製品など全ストーリー架空で作り上げた大変に心の痛い打ち合わせを経た後に「こんなことをしていてはいかん、これからは製品力で勝負」と一念発起して探したのが例の「建物の配管をきれいにする胡散臭い白い箱」になるのだがこれはこれでウケるのでまた今度します。

そんなテレアポが全く上手くいかなかった時に「訪問件数が少なすぎる」と、営業はよくこの訪問件数をとやかく言われる生き物なのだが、そう上司に指摘されやむを得ず飛び込み営業に手を出したことがある。飛び込んで先方の誰かと話をした瞬間に「1件」とカウントされるからである。まさに目的と手段の入れ替わりの典型で意味もなくそもそも経験として最悪であったことからも、結果テレアポの方がマシだという結論に至ったのでやって損はなかったかもしれない。

飛び込み先として狙われるのは守衛門や受付のない会社で、テレアポと同じくハードルが1つ、2つ下がる為。一番良いのは無人の受付に部署名と内線電話がご丁寧に書かれているものである。ある日飛び込んだ三鷹市内の会社は守衛も受け付けもないばかりか、内線電話もなく、エントランスで一体どうしたものかとまごまごしているとそこに現れたのが清掃のおばちゃんで「誰に用ですか」と言うので正直に飛び込みで来た営業で製品を紹介したい旨伝えると「ついてきて」と言うではないか。おばちゃんに連れられ階段で2階に上がり、廊下を歩いたおそらく建物の一番奥にあろうと思しき部屋の前に来たときそこには「社長室」と書かれていた。「おばちゃん、トゥーマッチだよォ...」と思った刹那、振り返るとおばちゃんは無言で去って行きドアが開け放たれていた社長室の前で、つれてこられた俺と中にいる社長は今まさに目が合っている。

「...。」

社長は無言で睨んでいる。歳は50代後半だろうか。よせばいいのに顔が怖い。待っていましたとばかりに飛び込みでやってくる若手営業マンのことが嫌いそうな顔をしている。失礼します、飛び込みできました、今日は天気が、エット、サーセン、今日はこの商品のごしょ、イェッス、会社紹介だけ、ウイッス、置いていかせてください...とモゴモゴいうと、無言で睨み続ける社長の机に会社案内と名刺を置いて去るまで、失礼しましたの言葉も出ずに無言でその場を去ることしかできなかった。

「...。」

おばちゃんと歩いた廊下、階段を元来たルートで戻ると入り口におばちゃんがいて「どうだった」とばかりにニコリとしたが返す余裕もなく、ここに入る前に降りそうだった雨がやはり降って来たところで持っていた折り畳み傘が手元にない事に気づき、焦ってカバンからカタログを出すときにあの社長の部屋に置き忘れたことにそのとき気づいたのだった。今頃捨てられているであろうカタログと名刺と、俺の折り畳み傘のことを思いながら雨の三鷹市内を歩いて駅を目指した辛い経験。結局、唯一まともに成功したのがこのときだけ。成功とはいえないが、きちんと人に会えたのはこの1回のみであった。

「建物の配管をきれいにする胡散臭い白い箱」と出会う2年前のことである。