ままごとにおける「バブちゃん」という存在

子供の頃、家族ごっこともいうべきか、自然発生的に始まるいわゆる「ままごと」のような遊び、大体の人が経験したことはあるだろう。
夫婦だけの場合、またはそこに子供が数人いる家族の場合など、設定はそのときの人数によって様々。
集まって与えられた家族の役割を思い思いに演じるという以外特に明確なルールもなく、じわ~っと始まったかと思うとなし崩し的に終了する、そういうなんとなく不安定な遊びだった。

やっていたのは幼稚園の頃までだっただろうと思うが、忘れもしないのが「バブちゃん」というキャストの存在だ。ローカルルールがあり呼び名は違うかもしれないが、バブちゃんとはつまり赤ちゃんのこと。お父さん、お母さん役に大切に育てられ、ワガママも許される「バブちゃん」は、この遊びにおいて非常に人気が高かったように記憶している。

バブちゃんになると、「バブバブ」だけを言っておればよいため非常に楽であったし、「バブバブ」などとわめきながら、お母さんが作っているエア料理への破壊行為に及んだとしても「バブちゃん、だめよ~」だけで済ませられる。
また「バブバブ」と言いながらどこかへ雲隠れなどしようものなら「バブちゃーん」と皆総出で探しに来てくれるなど、この遊びを最も楽しめる利権の宝庫だったのである。

すると当然、このバブちゃん利権に群がる輩は多くなり、元々なんとなく自然な流れで各々の役回りを決めていたハズのこの遊びにおいて、徐々に「わたしバブちゃんやる」「ぼくもバブちゃん!」などとバブちゃんへ立候補をするものが重なるケースが増え始め、様々な対策が採られるようになっていった。

まず一つ目が「バブちゃん任期制」である。
つまりこれはバブちゃんの長期政権化による汚職と腐敗と言ったもろもろの問題を解決するとともに、それ以外の役割固定によるマンネリの脱却も目指していた。
これによりさっきまで「コラ!バブちゃんダメよ〜」など威厳を保っていたお父さんが突然「バブー」と言い出す滑稽さもあり、子供ながらに気恥ずかしさがあったように記憶している。

続いてもう一つ、これは究極の対策だったのだが、「誰でもバブちゃんになれる制度」の登場である。
長らくお父さん、お母さん、お兄ちゃん(お姉ちゃん)、バブちゃん、それぞれは「各一名」という不文律が守られてきたのだが、こうした伝統的な家族のあり方はとうとう終焉を向かえ、時代は非常にフレキシブルな一国ニバブ制度へ突入。遅すぎた雪解け、待望の自由主義到来であった。

しかしこの行き過ぎた自由化の弊害は大きく、各々の要求をすべてかなえていった結果「一家全員バブちゃん」という事態も多発。
全員で「バブバブ」言ってどこかへ消えていくだけという文明の大きな退化が見られるようになると、ついにバブちゃん自身が他のバブちゃんに「だめよ」などと言語を操るようになり、老老介護ならぬ幼幼保育がスタートするに至った。

このいびつな社会構造に対し、色んな辻褄を合わせようとした結果なのか、ついに「お母さんバブちゃん」というハイブリッドキャラが登場するようになったとき「そもそもバブちゃんとは何か」というテーマが各人の頭をもたげたようで、≪こういうのはやめよう≫という具合に自然と元のあるべき家族構成に戻ったのであった。


まだ小さかった頃の話である。