アマゾンがあわや息子のサッカーチームのスポンサーに

うちの子供が現在入っているサッカーチームのユニフォームにアマゾン社がスポンサーとしてロゴを入れたい、そういう話が出たときは全くのマイナーチームなのになぜ、とにわかには信じがたかったが詳しく話を聞くと納得した。

つまりは「アマゾンが共感するマルチカルチャー、ダイバーシティのなんちゃらにオタクのチームはふさわしい」というのである。うちの子供の入っているチームの実力は平凡でスポンサーがつくほどの強さなど全くないものの、確かにその視点で見たときに、メンバーが欧州、南米、アフリカ、中東、東アジアといった、周辺のチームにはあまり見られない多様な人種的バックグラウンドを持ったチームであり、彼らが人種を越え和気あいあいと練習し、試合では団結して戦う美しい姿を見ると何となくその言わんとすることは理解が出来た。

アマゾンからスポンサーとして名乗り出られるのは特段珍しい事ではないらしく、全米各地区で多くのチームに対しこれまでもスポンサーとして彼らのロゴをユニフォームに出してきたという話だった。(あまり目立たない程度の比較的ささやかなロゴのサイズらしいが)

そもそも地域貢献というか寄付の文化がそうさせるのか、少年サッカーなのに胸にスポンサーがつくことはアメリカサッカーシーンでは珍しくなく、ホームセンターや医療機関などのロゴを胸に付けた少年が週末にサッカーをするというのはそれなりには目にする光景である。

美しい建前はともかく、アマゾンの場合はどうやらノルマというか枠みたいなもんがあるようで、たまたまこの地区にいるアマゾンの中でそういうことをやってる社員が「何かいいチーム知らんかね」と身内経由でお手軽に探そうとする中で、人づてにうちの子供のチームの事を知って、父兄の一人に対し先ほどの話を持ち掛けてきたというだけの事のようであった。

しかしながら話がとんとん拍子に進み、それではこの件で具体的にチームの代表者と話がしたいとなった時に事態は急変、結論から言うとこの話は完全にナシになってしまった。先ほど出てきたアマゾン社員曰く「そのチームのコーチをたまたま知っているが」という前置きから想像される通り結論としては要は「あいつが嫌い」というのである。

話がボツになった背景として元々沢山上がった中のイチ候補に過ぎなかった可能性もあるのだろうけど、この「嫌い」っていう理由だけは確実だったと聞いた。アマゾンの掲げる崇高なマルチカルチャー、ダイバーシティへの共感も「あいつが嫌い」という人類共通のピュアなフィーリングの前ではなすすべがない。

確かに俺もアマゾンの配達トラックを追い越したら後から露骨に幅寄せをされて「俺はアマゾンプレミアムに入ってるンだぞ!」と叫んだこともあったものですが、どんなに高尚な理念、高い月額料金を払おうとも人の感情を前にすると無力であるし、アマゾンプレミアムに入ったらアマゾンのトラックに煽られないような切ないプレミアム特典がある悲しい世界も俺は全く望まないのである。

そういうわけでうちの子供のサッカーチームのユニフォームは今も真っ新できれいなままである。