車のカタログの後半に必ず出てくるヤンチャな仕様について

18歳で上京して15年ずっと東京暮らしであったから、それまでは当然のように車がない生活をしていた。

東京の中に蔓延する、よく知りもしないのになんとなく「車持っていると生活を圧迫する!」とような風潮の中に居たのでそれまでの人生で車を買ったことも無かったのである。

なので長年車についての知識は小学生並み、車はちょっと頑張ればウイリーをするとか思っていて、排気量とか税金とかFFとかCVTとかもってのほか、俺はそういうアレコレを一切知らずに無駄に歳をとって生きてきた目だけが妙に若々しいオッサンなのである。

 

「ボクは車を一度も買ったことがないんです」

 

30ウン歳にもなろう男性がこんなことを言おうとも、東京では当たり前の話で誰も驚かない。思い出せば俺の周囲ではほとんどが車を持っていなかったし、俺と同じように車について本来知っておくべき事柄について全く無知な連中もかなり多かったように思う。

しかし田舎ではどうだい、「車を買ったことがない」などと言うと童貞を見るかのような哀れみの目で眺められ、「レンタカーを借りに」などと言うと風俗に行くかのような悲しみの目で見送られるし、「は、排気量ってなんですか・・?」などと問えば、女の性感帯を教えるような優越感でもって親切に教えてくれる。そう、つまり車はセックスなのである。運転テクがしばしば床の上手い下手にたとえられるように、車は何かと男性の強さのシンボルに例えられる、時代錯誤の九州男児野郎なのである!!

若者の車離れというが、あれは「東京の若者」に限ったことのような気がしてならない。車から離れることが出来るのは東京だけだからだ。

そもそも電車があれほど発達しておれば車は移動のファーストチョイスにはならないわけで、場所によっては月3万円を超えてくる駐車場代を考えると、コストの掛かるぜいたく品、娯楽品というイメージしか持てず、自分とは無縁のもののように思えてくる。

(車を「買おう」とと入力すると「飼おう」と出てきたがあながち間違っても居ない表現だなと感心した次第。東京において車は必須の装備ではなく、ペットの様な愛玩品に似ているからだ。)

 

前置きがとても長くなったが、そういう小難しい事を書きたいのではなく、そういう背景から、俺が人生で初めて車のディーラーに行った話をしたいのである。

2年前の初夏のころ、当然のように徒歩で接近したディーラーにフラっと入り話を聞いた俺であるが、いきなり歩いてキョロキョロと敷地内に入ってきたのでクスクス笑われた話は今度するとして、そこでとても気になったのがどんなメーカーのどんな車種にも大体「ヤンチャ仕様」みたいなオプションが付いてくることである。あれは一体どういうことなのか。

例えばですけど、色気もファッションセンスもないほのぼの系ファミリータイプのミニバンでも、カタログの奥へ進むと急にめかしこんだ感じの、何かよくわかんないけど「夜蝶」って感じの?すげえカツアゲ感溢れる悪そうなデザイン仕様が用意されているではないですか。

元々のファミリーカーのほのぼのデザインとの乖離もあり、えっ、あの真面目だった、アノ娘が・・?親が離婚・・・?彼氏がナマ主・・・?というような変なキモチになる。または地味な団地妻の夜の顔を垣間見たような、そんな背徳感・・・

もっというと、例えばですね、クソみたいにダサくてシャバい、トラクターって言う名前の香水でもかけてんのかというぐらいの田舎くさいセダンでも・・、カタログのページの奥にズンズン進んでいきますと、アレアレアレ~!「夜をまとえ!」「闇をかきわけろ!」「絵の具を全部混ぜて黒にしろ・・・!!!」みたいなド黒い、ド悪い文言と共に大学デビューしたクソ理系のような、すごーくあさっての方向にエッジの聞いたデザインがご用意されているのである。とても、物騒なのである。

あれは何なのでしょうか。日本の基幹産業である自動車業界が、このような悪そうな感じのデザインを世に提案していいのでしょうか。ワルに慮って果たしていいのか!!という俺の中の正義感が燃え上がって脱原発できるぐらいタービンを回しそうな極めてサヨク的な状況である。

俺は今の今まで、街中で走るああいう悪そうなデザインの車はどれも街中にある元ヤンクスの方が運営されるその辺の町ン中の整備工場からリリースされるインディーズ系のデザインなのかとばかり思っていたので、この度やんごとないカーメーカー各社サマがこの様なデザインを秘密裏に開発、提案されていたことには大変驚いた次第である。

 

思い出すのは中学2年の頃。

地元の学生服屋に行くと、なんとそこには通常の学生服のカタログとは別に、違反ズボンのカタログが用意してあるばかりか、メリケンサック、警棒のような武器の類も販売もしていたのである。ナパーム弾、スカッドミサイルありますかとききゃあよかったなや!!

しかしまあ、あの学生服屋のジジイとババア、物凄いいい人そうな顔して裏では違反ズボンの販売を通じてからヤンキーの担い手を育成し、そこにサック類などの武器を売るとんでもねえ武器商人だったわけよ。

だからこれはまさに今回の車のディーラーで体験した出来事とウリふたつで、そして俺は確信したワケ。世の中には確実にアッチの世界の市場があり、それをターゲットにしている企業がワンサとあるということを。。。。(学生服の主人なんてかわいいものですが)

 

ま、まあ、あまりこの世の仕組みを暴くとアレなので今日はこの辺でさようならします。

 

息子がオムツのテープを集めだした

先日からしを集めているという日記を書いたが、あまり力を入れて集めていないにしてもその後も微妙に増え続けている。

 

bokunonoumiso.hatenablog.com

 

俺の場合、物心ついたときにはそうであったから、自分の収集癖がどこから来るものか見当もつかないが、こと自分の息子に関しては明らかに父親である俺の影響を受けているように思われる。

 

f:id:bokunonoumiso:20170415003650j:plain

 

4歳の息子がオムツについているこのテープを集めているとつい最近のことで、俺がからしを集めていることを知ってから集め始めたようである。

息子の名誉のために言うと2歳の終わりごろには自力でトイレに行き、3歳になったころには既にオムツをせずに寝れるようになっていたが、寒い時期の寝るときだけは母親のお願いを聞く形でしぶしぶオムツをして寝ている。

今回コレクションはそのオムツ装着時に剥がすテープである。見せてもらったのは2枚だけであったが、これはまさか集めているとは思いもしない母親が誤って捨ててしまったことによるもので、本来はもっと沢山あったのだと言う。

集めたものを勝手に捨てた母親に対する不満を述べていたが、その実テープはその辺に放置されバラバラになっていたとすぐ横にいた妻から聞いて「コレクションとは」などと一丁前に子供の前で持論を展開してしまった。

 

とはいえ親の背中を見て育つ現象のひとつと思うと嬉しさもあるもので「すばらしい着眼点だ」などともっともらしく褒めると、コレクションの師匠に褒められた嬉しさからか息子は嬉しそうにニコニコしてオムツのテープ集めへの決意を語りはじめ、それを聞きながら俺は、一人の若い男を誤った道へ導いてしまったのだろうかとにわかに後悔しはじめていた。

受験勉強と深夜のポロリ洋画

親の教育方針が「早く寝ろ」だったので中学3年生まで特別何も無ければ夜は9時半時には寝ていた。今思うと信じられないのだが、小学生の頃はもっと早くて多分8時半だった気がする。

親が「早く寝ろ」と言うから、9時半頃になると兄と共用の部屋へ行き、布で仕切られた自分のスペースに引っ込み天井を見ながらボケーっとするのである。

PC、ケータイなど無い時代だし、その時代あるはずのゲームの類すら与えられていなかった。テレビはリビングに一台。同じ部屋の兄が聞いていたラジオや父親がカセットに録音していたよく分からないフォークソングなどを聴いたりしていると自然と眠くなっていた。それでも朝は眠くて自分では起きれなかったというから俺はあの当時何時間寝たかったのか。

こんな生活を中学の3年間ほぼ毎日していたので当然ながら夜のテレビ番組は全く知らない。リビングに一台あったテレビは夜9時以降は父親のものだ。

布団に入り電気を消すと、薄い扉越しに僅かに漏れてくる「大人のテレビ」の音と光が妙に妖しかった。テレビの中から賑やかな笑い声が聞こえる日もあった。あれは子供は観ることすら禁じられていたバラエティだったのだろうか。

 

そんな中学時代を過ごしていた俺であったが、ついに夜更かし解禁となる日がやってくる。中学3年の夏。部活の引退と共に高校受験が始まったのだ。

中学2年の秋、周りのみんなの状況を知って「塾に行きたい」と言う俺にと父親は「大学まで自力で行け」と言った。高校だなんて目先の話ではなくその先の先の大学まで自力で行けと言うのである。

当時の俺が知り得る「大学生」という存在はベンゾウさんのみであったから、「自力」「大学」のフレーズのあとにアレの死んだ目を思い出したときは身震いがした。

そんな震える息子に父親が発した《俺が何でも教えてやるから》という言葉は不安な少年にはとても心強く感じたものだが、結局その約束がようやく果たされるのは「大学、合格していました」というショートメールの場面まで待たねばならず、あの時は「お父さん教えてくれてありがとう」という感じでございました。

ともかく、助けを求めるどころか「自力で」と言われてしまった中学二年生。詰め込み教育万歳!とそこから先は孤独な暗記ロードの始まりだ。勉強の仕方など分かろう筈も無く数学も理科も国語も英語も社会も全部暗記。暗記の鬼、略して暗鬼や!

この暗記の悪習はその後高校まで引きずり、高校数学に至っても解き方を丸ごと暗記してしまった結果、表現の違いなどでちょっと問題をひねられるとすぐコロリと土俵下に投げられた。数学赤点ギリギリ、世界史満点、鋼鉄の文系暗記戦士の誕生はここに端を発すのである。

 

全国の暗記キッズのみんなには分かると思うけど暗記は時間がかかる。暗記は辛く、孤独なレース。

中学3年の夏に過酷な暗記ロードへと突入した少年の勉強量は半端無く、だけどもその効率の悪さといえばそれはもう酷いもので、敵を前に一直線で突き進む彼の視野が当時0.0004siya。分かり辛いと思いますが、これはとても視野が狭い。

ちょっと油断すると「Dick」とか「New york」なんていう人名・地名まで英単語練習帳で書きまくる始末で、「Dick ーーーー意味:ディック」と書いてしまったのはまさに詰め込み教育の勝利。ふと我に返りノート一面に「Hawaii」が書かれていたときは泣けた。(一応説明しておくが、意味は「ハワイ」です)

暗記マシーンの受験勉強は長い。「長さは成長!」と思っているからだろう。だから毎日勉強時間は4時間、5時間当たり前。おかげで腱鞘炎になりかけたが、昔読んだファッション雑誌の白黒ページに「オナニーのし過ぎで腱鞘炎になる」と書かれていたので親には言い出せなかった。(実際オナニーもめちゃくちゃしていたからです)

そんな感じで毎晩夜11時に効率の悪い暗記型の受験勉強を終え、リビングに出てみると誰も居ない。奥の寝室から聴こえてくるのは両親の奏でるいびきの競演。

「今日も120%、出し切ったゼ」

などと満足げにソファーに座り、歯を磨きながら何気なくテレビをつける。誰も居なくなったリビングで一人リラックスできるのも夜更かしの醍醐味だと気付く。

時計は夜11時30分。何気なくつけたテレビにはよく分らない吹き替えの外国ドラマが。タイトルは定かではないがあとで調べたところでは多分「マイアミヴァイス」だったと思う。ひょっとしたら「刑事ナッシュ」だったかもしれない。とにかくハードボイルドな要素が多い刑事モノだったのは覚えている。

何気なく観ていたテレビ番組、衝撃のシーンが飛び込んできたのは突然のことであった。

何の前触れも無く画面上に現れたのはストーリーとは全く関係の無いと思われるストリップバーのシーン。そして唐突に、何の説明もなく、それでいてさもそれが普通であるかのようなノリで!なんとそこにはおっぱいがポロリしていたのであった。

おっぱいサンの出演時間は多分10秒程度だったと思うがそのインパクトたるやハンパなく、その唐突でいて飾らないポロリの仕方には「さすがU.S.Aや!」と大興奮、寝るのを後回しで結局そのままストーリーも理解しないままに全部観てしまった。残念ながらその後おっぱいサンのご出演は無かったが、ところどころPaiを期待させるシーンが登場し、夜のリビングにて「いけ!ぬげ!」とひとり湧いた。

夜のリビングで一人、堂々とテレビを観るというシチュエーションも手伝ってかあのときの興奮は相当なもの。子供の頃から何となく「アメリカ=エロ」という印象を持っていたのだがそれを確かめる機会は少なかった。しかしその晩俺の中でそれは確信へと変わった。

《アメリカさんの後ろについていけばポロリが落っこちてくる》

受験勉強を終えた俺は夜のリビングで一人テレビを観るようになっていた。何度か別の洋画が放送されていたが何も起こらない、そんなことが何度か続いたが、あるとき少し早めに切り上げてリビングにやってくると、なんと前回おっぱいポロリを見せてくれたあの名作刑事ドラマと同じものが放送されているではないか。

大興奮のうちにオープニングから見始めるが、ちょっと惜しいシーンこそあったものの、残念、大したことは起きなかった。

「そんな日もある」

それからというもの、何かにつけて外国のドラマに反応するようになった俺は、明らかに期待が薄いと思われる当時のNHK教育テレビで夕方再放送されていた「大草原の小さな家」ですら何かを期待して眺めていたが、残念ながらポロリしたのはヤギのパイオツだけだった。

あの晩画面上にリリースされたおっぱいがたまたまで、アメリカがそんなにエロくない、むしろエロいのは日本。ジャパンである気付くまで、俺は何かにつけてアメリカの映画に反応していた。もはや病気である。

「二匹目のドジョウ」という話をご存知だろうか。あの日少年がハマったのはそんな古典落語的な罠だったのだろうか。

中華街といっても結局は一軒しか入れない問題

中華街に行こうと誘われたとき「中華街っていうけども、結局その中の一軒しか行けないから近くの中華料理屋でよくないか」という趣旨のことを言って相手を怒らせたことがある。

改めてみてみると楽しみは食いモンだけじゃないし、街を楽しむとかそういう趣に欠けた屁理屈のような発言であるし、そもそもせっかくの相手の誘いに対し我ながらバカなことを言ったなと思い今でも思い返して反省するばかりだが、それでも根本的な中華街に対する考え自体は今もあまり変わっていない。

「中華街といえど結局は一軒しか入れない」それは紛れもない真実ではなかろうか。

確かに、歩いているときは中華街だが、入るのはその中の一軒。俺はいま、いま...中華街にいるんだッ!中華料理店に囲まれているッ!というポジティブな自己暗示は努めてするけれども、それでも食べているときはお店と俺のマンツーマン、そこに全く「街(がい)」を感じることができないのである。

 

「カラーバリエーション」にも同じことが言える。例えば、車や携帯電話で「選べるカラーバリエーションはなんと12色!」など宣伝されたとしても、買えるのはその中の一つだけジャンと思ってしまうのである。

そう思うには失敗した経験も手伝っていて、昔血迷ってかわいい黄色いiPodを買ってしまい甚く後悔したことがその一因である。ある年突如としてカラーバリエーション豊富に売り出したiPod。買う前はそれを見ていろいろあって楽しいな、カラフルだなー、黄色もいいなーなどと思って買ってみても、結局手元に来るのはその中の1つなのであるから、その中で黄色を買ってしまうと当然のように「ただの黄色のiPod↓」という事実に向き合わなければならず、俺はなんでこんなケッタイな色をこうてもうたんや...と妙に恥ずかしくなったわけである。

沢山の色の中でキラキラしてこちらに手を振っていたときのあの黄色サンが、ソロに、単体になった途端、初めてその色自体の絶対的な評価の下に「うわ...黄色って変だな」って思う現象。

たとえば人気グループが解散して各々ソロになったときに、ファンには少なからず同じような気持ちの変化が起きるんじゃなかろうか。或いはファンがその中の一人に抱かれようとしたその刹那、「うわーコイツ、単体では無理」みたいな!揃っていてこそ、遠くからその様を眺めていこそ魅力を発揮するものがこの世にはある。

 

よくわからない話になったので最後になりますが、言いたかったのは中華街は結局一軒しかいかないことが多いので帰りの「うーん、近くの店でよかったな」感で毎回微妙な気持ちになるということです。それだけが言いたかったんです。

近所の公園にあった苔の生えた石

まだ小さかったころ、近所の公園での事である。

すぐ近くの小さな公園で近所の子と二人で遊んでいたときのこと、知らないおじいさんがフラフラと自転車で公園に乗り付けると、ジッと公園の中を見つめたのち中に入って来てあちこちを観察している。

近所の子と二人、馴染みの小さな公園で何かを探すその姿に興味がわき、遊びの手を休めおじいさんの行動をジッと観察していた。

しゃがんで石をいくつか拾い出しては捨て、また拾い出しては捨てを繰り返す。しばらくそれを繰り返した後、おじいさんはそこそこのサイズの石を一つ手に取るとゆっくり眺めていた。その後もしばらく物色したものの、結局その時に手に取った大き目の石だけを大事そうに持ち、自転車のカゴに。

その一部始終を凝視していた我々と、自転車のところでやっと目が合う。そのときようやく自分を観察していた子供二人に気付き、自分が一体何をしにここに来たのかを説明しにやって来た。

「こういう風な苔の着いた石を探している」

そういいながら石を見せてくれたのだが、差し出された石にはなるほど、緑色の苔が一部を覆っていた。なんだか分からないがいつも見る石と少し違って見えた。

おじいさんがわざわざやってきて、熱心に探した結果持ち帰って行くほどなのだからきっと自分には分からない何か良いものなのだろうと何となく感心するとともに、そんなに良いものがまさか自分が全く気付かないうちにいつも遊んでいるこの公園の中にあったことに軽い衝撃を受けた。

当然、貫禄とか年季とか、味とか趣とかそういう概念などあるはずもなく、それを一体どういう風に愛でれば良いのかは全く見当もつかないのだが、今やそれに何かしらの価値があるのことを知ってしまった子供二人はとりあえず感化され、おじいさんが去ったと「同じものを探そう」と公園の中を必死で探しまわった。

すでにおじいさんが探しつくしたその公園には当然似たようなものはなく、では家の近く、別の公園、と当時可能だった行動範囲の中で必死に苔の生えた石を探しまわったが結局発見できなかった。

見つからないままどうして良いのか分からず、モヤモヤした気持ちのままに、同じサイズぐらいの石の上に近くに生えていた苔をむしって無理矢理に乗せてみたのだが「これは違う」事だけはハッキリ分かった。

とはいってもそれの一体どこに原因があるのかという話になるとそれは説明できず、もどかしく気持ちが悪かったのだけは今も鮮明に覚えている。

長い月日、色んな条件により身近なものが異なる表情をする現象。そして何でも無いと思っていた公園の中から、それに価値を見出して、発見して大事に持ち去るおじいさん。長い時間をかけないと手に入れられない、子供にはとうてい理解出来ない越えられない壁のようなものがあるということを意識した日だったように思う。