街の電気店でケーブルを一本だけ買った時のこと

愛知県の片田舎に暮らす俺がリビングの模様替えをしていた時のことである。
色々試した結果最終的にレイアウトはバシッと決まったものの、それにはテレビアンテナケーブルの長さが足りない事が判明し、夕方になり近所の量販店に買いにいく事になった。
我が家に必要な長さは4m。だがあいにくお店にはどこをどう探しても3mまでしかなくガッカリして帰宅。他の量販店に行っても良いが少し距離がある上、ほぼ毎日渋滞する大通りを通らねばならない。日も落ち始めると弱気になるのは人の常であるが、ケーブル一本買うのに見合わない労力のように感じられた。
それに先ほど行った電気量販店はそこそこ大きな全国チェーンである。次の電気量販店に行って置いてある保証も無い。
たまたま品揃えが悪いのか、4mというオーダーが悪かったのかは分からないが少なくともアマゾンを調べると4m以上のアンテナケーブルは「在庫あり」となっており、こうして実店舗は全員アマゾンに負けるのだ!と悪態をつきながら、今日頼めば明日には来るしなと考え帰宅している途中、目の前に小さな街の電気店が現れた。

「まあ、無いだろうけど」と、全く期待せずにその家族経営の街の電気店へ入る。
寒い中わざわざ外へ出る決意と準備をしてせっかく買いに行ったのに、お店を1つしか回らなかったというのも何かシャクな気持ちもするし誰に向けたアピールでも無いが、アマゾンで買うのは2軒回った結果としたい、と思ったわけである。
案の定ケーブルのコーナーと思しきところを詳しく見るまでも無く、遠目から「無いな」というのが分かった。アンテナケーブルはおろか、ケーブルの類がほとんど陳列されていないからである。そこにピンポイントで4mのアンテナケーブルがある確率は極めて少なかろう。
しかし入店後「いらっしゃいませ」など夫婦、そしてその親と思しきおばあさんから気さくに声をかけて貰ったものだから、一応彼らの商人としてのプライドのためにも最低限客のテイをなす為に、客として有り体のムーブを果たすべくケーブルコーナーへ足を運び「うーん、ないなあ!(チラッチラッ」などとわざとらしく客然とした声を出してゴキブリの様にその場を去ろうとした時、「何かお探しですか」との声掛けされる。いささか決まり悪く立ち止まらざるを得ない。
「こんな用事ですいません」という雰囲気をかもし出しつつも、来店した目的であるケーブルと、その背景などを説明すると「それなら作りましょうか」という意外な返答。

40代後半と思しき店主は奥から巨大なケーブルの塊を持ち出すと、「量販店は決まったモンしか置けないからねえ」などと言いながら見事な手際でアンテナケーブルを製作する。「4.2mぐらいにサービスしときますよ」という嬉しい心遣いも入りつつ、チョキンチョキンとやって先端に端子を付けて瞬く間に完成。で、できた・・・
豪快にそのまま手渡しされた出来立てほやほやのケーブルの束。取り寄せようとしていたものが目の前であっさり出来たことに、俺は妙な感動を覚えた。

そして「で、でも、こういうお店ってやたらお高いんでしょう・・・?(チラッチラッ」と『量販店は正義!』の思想に毒された悲劇の消費者をあざ笑うかのように、電卓に提示された価格は頼もうと思っていたアマゾンの半分以下。
日本にはアマゾンは無いが、愛知県には矢作川がある!と心の中で10回ほど叫んだ次第であるが、本日中のケーブル入手を半ば諦めていた事を思うと一連の流れは感動に値するもので、「ありがてえ!ありがてえ!」と何度も深々と御礼をする俺に不思議そうな顔をしながらもさらに施しのサービスキャンディをくれた一家には感謝しかない。

たかがケーブル一本で感動、感謝など大げさな話だが、勿論、街の電気店と量販店、その果たす役割が少し違う事は分かっており、街の電気店安い!すごい!最高!と手放しで褒めたい訳ではない。
こんなに些細で、簡単な事ではあるが、手に職を持ったプロの仕事を久しぶりに体感して「昔は何でもこうだった」事を思い出した訳である。
そういえば中学生のときまで、近所にあった清水電気という街の電気店が実家の家電の面倒を見てくれていて、そこのおじちゃんが据付や修理、ちょっとした配線工事などを、謎の工具やパーツで手際よくやって行くのを見てカッコいいと感じていたものだ。
とうとう俺が「将来、清水電気で働きたい」と言いだした事も数%ほど関係しているかもしれないが、両親がいつしか「安いから」と新しく出来た電気量販店に乗り換えた結果、清水電気のおじちゃんが家にやってくることは無くなったのである。
仕事ぶりもそうだが、作業しながら放たれる軽快なトーク、夕食の時間に現れてたまにうちの飯を食っていくコミュニケーション能力の高さ。俺が憧れる仕事人像は潜在的にあの人なのかもしれない。

今回のケーブル一本みたいな仕事は電気店にとってはちょっとしたサービス程度のことだと思うけれども、いつの間にか量販店でしかモノが買えない体になっていたからこそ、今回のことがここまで楽しい経験になったのかもしれない。

後日談ではあるがその後自宅の洗濯機が壊れた折、真っ先に思い出したのはあの電気店。大手量販店、ネット通販にも負けず街の電気店が残り続ける意味を俺なりに、身をもって理解した気がする。

専門店でモノやサービスを買う経験、こうも楽しいものか。電気店に限らずもっと利用してみたいと思ったものである。

3日間寝てない人たちと会った時のこと

前職での話である。
昼の1時にフラリと立ち寄ったのはとある町工場。社員数は50人に満たない、中小のオーナー会社だ。この日は事前に約束などしておらず、ちょっと近くに来ていたので顔みせという感じ。

こんにちは、と事務所に入ると事務の女性が1人居るだけで社長とその息子である専務、及びいつもなら誰かしら居るはずの技術スタッフが1人も居ない。
女性に聞くと「納期ギリギリの仕事の対応で現場に総出」らしい。タイミングの悪いときに来てしまった。

残念、「またきます」と事務所を出て駐車場に停めた営業車に戻ったとき、後方からヒステリックな叫び声が聞こえてきて振り返る。

「ごーーい、ごごごーい!」

声の主は会えないかと思ってい専務であった。彼は30代前半ながらなかなかのしっかり者。この会社の跡取りである。彼が次に控えているならこの会社は安泰!よし帰ろう!と、する俺を遠くから専務はおいでおいでと手招きする。なんだなんだ。

なにかタンの詰まったようなガラガラ声で「ごいごい」怒鳴っているが、どうやら俺を呼んでいるようだ。
いつも穏やかな専務がいつもと違う声で「なあんだ、ぎでだの!!」と怒鳴るように言うものだから何か異様なものを感じた俺は「すいません、お忙しそうだったもので今日は帰ろうかと・・・」と脱出を選択。
しかしそんな俺の言葉にかぶせるようなタイミングで、さらに専務が上ずった声で「いやさ!3日寝でないんですよお!」と目を血走らせて言った。

専務によるシャウトの連続に驚く間もなく、奥から彼の父親である社長がスッと現れ「3日寝てないんだよ、俺たち」と妙な笑顔でそう語りかけて来きたかと思うと、別の方向から「そうです、3日間…」ともう1人。なんだなんだこのミュージカル仕立ての寝てない自慢は…!

気づくと俺は3日寝てないゾンビに囲まれていた。軽く引きつる俺に対し、ニヤニヤとした3人に。妙にピースフルなこのムードはもしやトルエンなどをやってしまっているのだろうか。
「なに~かえんのぉ?せっがぐだから寄っていげばいいじゃないでずがあ!」と相変わらずの上ずった調子で専務に肩を叩かれ、社員休憩所の一角で3日寝てない人達と話すことになった。

「ミカンしか食(ぐ)ってないんですよ・・・」

席に着くなり第一声は一転、元気の無い一言。事情を聞くと先ほどの女性が言うように、納期が厳しい仕事に苦しみ特にこの3日間は工場に缶詰。壮絶な日々だったようだ。だがそれも午前中にヤマを越えたらしく、安堵の言葉が各人から出てくる。

ただし、油断すると「いやー!マジでまいっダまいっダ!」と突然ネジがぶっ壊れたように叫び出す専務他、専務が何か言うたびに「ニコ~」とする社長、何も言ってないのに度々「ん?」と俺に聞き返してくるコノミさんという外注の業者さん。彼らの状態を見る限り激務の爪あとは生々しい。
初対面のコノミさんはともかく、社長と専務はやはり3日間寝てないせいかその異様さが際立っている。普段と全く違う。普段はもっと落ち着いた人だ。

専務は30代前半、社長はおそらく50代後半ぐらいだろう。年齢に関係なく3日眠らないなんてことが本当に可能なのかと全く信じられず色々聞いてみた。

「それが、全然、辛ぐながっタんですよ」

これが日本のモノづくりの凄さなのだろうか、この3日間ただひたすらお客のことを、納期のことだけを考えていたので全く辛くなかったのだという。すごい。

あーでもないこーでもないとやっていたら朝が来て、気づいたらまた夜が来ていた。そんな3日間だったのだそうだ。
飯を食ったら眠くなるということで食べ物はひたすらミカン。気づいたら立ったまま一瞬だけ寝ていることもあったが基本的に3人にともまともに寝ていないというからすさまじい。

ただそんな3日間で最初に外注のコノミさんに異変が起きたという。2日目の昼ごろから段々会話が成り立たなくなると質問に質問で返すようになったり、コチラが喋りだすと同時に喋り出したりして終いには社長と専務は「彼を諦めた」そうだ。お前らは簡単に人を諦めるなよ。
そして諦めた3日目の朝、とうとうコノミさんは何か音がすると「ん?」と聞き返す仕様になりそこに立っていたという。コノミさん、早く病院へ行って欲しい。

 

3日間寝てない人達との会話は異様なもので、俺が話している間ずっと俺の目を凝視。しかも常になぜか半笑い。目が楽しそうに泳いおり、平たく言うとラリってる。
俺の話を聞いてるのか聞いてないのか分からないラリった目でもって、俺の話の割とどうでもいい部分にいちいち「ほうほう!おんおん!それでそれで?!」と続きを急かしたかと思うと突然「へえーーーー!!!」って、オーバーアクションしたり、3人同時に喋り出そうとして「あ、ゴメン、先いいよ」「いや、先言っていいよ」「いや、社長先どうぞ」みたいな譲り合いを始めたり・・・・それをもう、「キャッキャ」みたいにものっすごく無邪気に楽しそうな感じでやりやがるワケ。

《イチャつくんじゃえぞお前ら・・・・・!》

最後はコノミさんがだーれも何も言ってないのに「ん?」って言い出す霊感モードに突入して本当に恐ろしかったし、俺も色々諦めた。


そんな具合で30分ほど話した後、社長が「作ったやつ、未完成だけど外側だけ見てく?」とこの3日間の不眠の原因となったご自慢の設備を見せてくれることになった。
曰く「製作期間2ヶ月」、この会社の幹部に3日間の不眠を強いた(特に外注のコノミさんを廃人にした)という曰くつきのとんでもない設備が、そんな設備がだよ・・・・・「あれだよ」と見せてもらったら、ものすっっっごく、小さい「小箱」で噴き出しそうになった。

ボニファティウス8世の憤死

「ボニファティウス8世はアナーニ事件後、憤死した」

高校時代、大好きで最も得意だった世界史の授業において、唯一納得がいかなかったのがローマ教皇・ボニファティウス8世の死因である。教科書に載っていた彼の死因は忘れもしない「憤死」。
このアナーニ事件を簡単に説明するとボニファティウス8世がアナーニという場所でフランス国王フィリップ4世に捕らえられ一時幽閉された事件である。フランス絶対王政の発端とも言われ、国王の権力が急伸したことの象徴とも言える事件と教えられたように記憶している。
つまり教皇は「幽閉されたのがとても悔しくて死んだ」ということなのであるが、そんな、寂しくて死ぬウサギみたいな扱いでいいのだろうか。
俺の気にしすぎかとも思ったが「ボニファティウス8世」をググれば俺と同様にこの「憤死」問題に違和感を覚えた迷えるキッズ達の質問がweb上に溢れていることから必ずしもそうではないと信じている。

「憤死」

釈然としない言葉である。「憤死しました」と言われたとき、授業中に質問をするタイプではなかった俺でもこれには手を上げ「憤死っていうのは一体どういう状態なんですか」と尋ねざるを得なかった。
だがそれに対する社会科教師の答えはこうだ。

「簡単に言うとチクショー!って言いながら、死ぬことだ」

まさかの回答であった。チクショー!のときに少しふざけて来たのでイラついたのもあり、大体それは死因ではなく死ぬときの彼の気持ちの問題だろうが!などと、気づくと教皇の友達みたいな気持ちになっていた。
でもおかしくないか、百歩譲ってチクショーと悔しがるのは仕方ないとしても、知りたいのはどう死んだのかである。殺されたのか、自殺なのか、病死なのか。俺たちの教皇の死因がこんなに曖昧でいいのでしょうか!と前のめりで食らいつく。
ていうか気になっているのは俺だけじゃない、教室のみんなだって知りたいはずさ、ナア!みんな!オイ!という感じで周りを見渡すも誰も顔を上げようとしない。
オイオイ、お前ら、真実よりもテストの点数ですか!オォ?!などと俺の中のよく分からないウザいやつの部分がビシバシ刺激される。

「直接の死因は何ですか。それが知りたいです。」

これが最後とばかりに食い下がる俺に対し「いや、うん...体調不良だろう」というまさかの答え。「体調不良」てアンタ...女子が体育の授業を見学するようなノリでいっぱしの教皇が死んでたまりますかい!
もういい!と諦め着席すると「ほかの人はいいかな?」と形式的な確認作業の後、やれやれという雰囲気で授業が進む。

俺は今でも納得していない。後に調べたところ、ボニファティウスは幽閉から開放された後、70歳近い年齢もあって発作的な病で病死したらしい。実際に「体調不良」だったのがシャクだが、じゃあなぜ最初から「病死」と書かなかったのか。
お手本たる教科書の癖に妙に意味に幅のある言葉を使うところが高校生としては納得が出来なかった。それに加えてあの社会科教師の説明である。こうしていまだに「憤死」は俺のモヤモヤワードにとどまり続けるのである。

アフラックの鳥の声について

アメリカの生活について。

比較的日本人が多い地域に住んではいるものの、ホテル暮らしでまだきちんとコミュニティに入っていない俺はというと相変わらず旅行者に毛の生えたような状態で日々を過ごしている。

職場には日本人スタッフもあり、日本語を話す機会はそれなりにあるがそれでも周りは英語で溢れ、当然のように常に英語と向き合うわけである。

日本にいた時は海外関係の部署に所属していたこともあり、読み書きはさほど苦労しないが依然聞き取りには問題を抱えており、上司からは「しばらくはかかる」と慰められるものの急に聞こえるようになるイメージも湧かずホテルで只管英語のスキルアップに励む毎日。

とは言え、知っているはずの単語がネイティブの話し言葉になった時に全く違う音として出てくるという問題については知識として知らないと慣れるも何も、知らないと永遠に分かり合えないのではないかと思われるものも多々ある様である。

例えば「ボディ」を「バリ」と言うのは「お、おっすおっす…わしらもナイスバディと言うからギリギリセーフ…」と許容範囲であるが、「COSTOCO」を「Weらは『ト』の発音が苦手なんで」という理由で「コスコ」と言うのは全くの予想外であるし我らの日本電気こと「NEC」を「ネック」なんて呼ばれてはひとたまりもないわけである。

この様にアメリカ人の発音には慣れだけではなく知識としてある程度弁えなければ永遠に理解できない問題が多々ある様に思われる。

なのでそれはそれとして時間をかけて覚えるとしても、少なくともそれ以外のいわゆる耳の慣れについては、毎日映画で溢れかえったテレビを観るなどして体に染み込ませるしか手立てはない様である。

とはいえ毎日ホテルに帰りアメリカのアメリカによるアメリカの為のテレビ番組ばかりを観ているのも辛いもので一体彼らが何で興奮して何で爆笑しているのか全く理解できずに真顔で画面の前に佇むのも寂しいものである。

そういえば昔ビリージョエルの東京ドームコンサートに行った際、ビリージョエルが時々何か冗談を言ってもそこに居た日本人の誰も理解できずに微動だにできない中、英語の分かる一部の日本人だけが「ッタク〜、ビリーったらよ〜〜  ワラ」みたいに盛り上がって居てとても切なかったので次にビリージョエルがなんか言った時に俺がハハハッ!ビリーさん冗談キツいっすよ!と知った風に爆笑したらただのバンドメンバー紹介だったことがあり客の拍手の前の刹那、俺の声がドームに小響きしたわけだが、言葉の壁が生む疎外感というのはこの様に海外生活における最重要課題と思われる。

 

そんな俺が、昨日もテレビで健気に英語のお勉強をしている中、相変わらず聞き取り困難な英語をジッと耐えている孤独な時間において急に懐かしい、日本でもお馴染みのあるサウンドが唐突に耳に入ってきたのである。

それはアフラックのあの鳥がCMの途中、馬鹿の一つ覚えで発する「アフラック!」と言う皆さんご存知のあのヴォイスである。なんとここアメリカでもあの鳥の声は日本と全く同じ。もっとも、あの様な鳥の声をわざわざ吹きかえる必要性などハナから有るわけがないのはその後気づきなどしたが、まさか突然聞き慣れたあのアフラック!が聞こえてこようなど思ってもみなかったわけで、その感動たるや異国でまさかの同郷人に会う様な喜びで俺は人知れず興奮し「アフラックは日米共通!日米の共通点!」という今思えばどうでも良いことをこうして日記にしたためるに居ただったわけで有るが、こう、最後まで書き進めるに従い俺はなんてどうでもいいことで1500文字超もアツく書いているのかと段々情けなくなくなってきてもうこの話はやめることにします。

 

初めて女の子と手をつないだときずっと勃起していた

初めて女の子と手をつないで帰った中学何某のサムデイ、俺はその間ずっと勃起していた。

ほんの20分程度の帰り道だが、その間ぎこちないながらも必死で取り繕ったコイキなトークなどを挟みなどして、賞味1時間ぐらい、その間俺はずっと、ずっと勃起していたのである。

メソッドは割愛するとして、ポケットに手を突っ込むふりをして俺は完全に勃起を隠していた。
それでもあまりに長時間無駄に勃起をしたせいなのか、その女の子と「では、またね」などと努めてスマートにサヨナラをしたその時も当然のように勃起していたのだが、別れた後急に膀胱っていうか、自分の思う膀胱の位置のちょっと上のあたりが強烈かつデリケートな痛みに襲われてまるでみぞおちでも蹴られたかのような鈍痛に耐えかね、うずくまる格好で暫くうごけないわけである。

「ああこれが生理か・・」など、素敵な勘違いもつかの間よろよろと歩みを進めて身を寄せた農道の脇にうずくまっていると、アグリカルチュアルなOba‐changが「どやんしたとね?」などとカタコトの方言で声をかけてきたので、にこやかに「あー、いやぁ心配せんでください」と言うと「いやさ、ここはコンバインが通るけん、あっちに行って」と非道いことを言われて「すいません、すいません、ちょっとまってください、すいません」と半泣きながら謝りに謝り、10分ぐらいその場に座ってチン静化を待っていると、マジでコンバインが目の前にコンバインしてきてやな、「あぶなかぞ!」とか言うているわけだ。
コンバインは俺をギリギリかわしながら農道をコンバインしていって、避けなきゃマジで轢かれそうになったのだけど、動かざること山のごとし、膀胱痛きこと生理のごとし!とは誰が言ったか、とにかく動けなかったのでしょうがないじゃないスかね。 

というわけで今回のおさらいだが、

『長時間意味も無く勃起しつづけると膀胱の辺りが強烈に痛くなり動けなくなる』

このような現象、恥ずかしながらその後何度か俺の身に起こったのですけど、同じ経験に心当たりのある男子は是非名乗り出てきて欲しい。