孤独のグルメ さくら水産のB定食(500円)

居酒屋チェーン「さくら水産」の日替わり500円定食には大変お世話になった。

どの店舗もそうなのかは知らないが、20代後半、当時の勤務地でもあった為頻繁に通った立川店ではA定食が魚、B定食が肉料理と決まっていた。

魚より肉のほうが価値があると思ってしまうチャイルドなので、今まで一度もA定食を頼んだ事はなく、A、Bそれぞれが今日は一体何なのか一切確認せぬまま、駆け足で入って来た勢いそのままに、一瞬の迷いも無く券売機の「B定食」ボタンを押す日々。
俗にいうBダッシュである。

あの日はやや遅めの昼食ということもあり、店の混み具合も大した事もなかろうと駆け足もせず落ち着いて入店。
この日も押すのは勿論Bのボタン。もはや定番、いつもの作業。厨房の大将とアイコンタクトだけで「いつものヤツね」と言ってもらいたいくらいだが、厨房にはスリランカ人である。

券売機を一瞥、B定食が「肉野菜炒め定食」であることだけを確認したときには既に俺の500円玉は券売機へ吸い込まれ、出てきた食券を店員に渡せばあとは座敷の4人掛けのテーブルへどっかと座る。

「Bテイ、イッチョー!」

愛想のよい中国の女の子がいつものように元気にシャウト。
すると大体、よほど混雑していなければ30秒もしないうちに俺のテーブルの上にはB定食がやってくる。俗にいうBダッシュである。

20代やそこらの男にはこの爽快なまでの肉へのショートカットがたまらなかった。さらにご飯おかわり自由、生卵/味付け海苔使い放題とくれば文句は言えない。日替わりの定食にも外れは無く、いつだってさくら水産は俺の期待通り。

だけどあの日はいつもとちょっと違っていた。


「ビー、一丁」へのアンサーとして厨房から帰ってきたのは非情なアナウンス・フロム・厨房である。

「Bはさっきので終わりました~!」

「ガッデム!」という表情を、俺はあえて隠さなかった。Bが終わりだというのである。男女のアレコレだって「A→B→C」の順序だってのに、Bまで知ったおマセな俺が今更しょっぱいAなどに戻られるはずがあるでしょうか。

《ええい!Bが無いならCじゃ、Cを持てい!》

「緊急でC定食を作らせるぞ」という表情を、俺はあえて隠さなかった。「落とし前をつけろ」という表情を、俺はあえて隠さなかったのである!
しばし続報の無いまま待たされる。テーブルの上には取りあえず運ばれたみそ汁と白ご飯だけ。4人掛けのテーブルで腕を組み、にわかに忙しくなった店員の対応を、まるで夜空に輝く北極星の如く、一人4人掛けテーブルにて微動だにせず凝視していると、北北西の方向にある厨房から状況の変化を知らせる速報が。

「い、いえ、Bは、Bあと1名様まであります!」

歓声でもあがりそうな、あれは消息を絶った宇宙探査機無事を確認したときのNASAの管制塔のような言い方であった。

そんなんどうでもいいから早くもってこい...みそ汁が、ライスが冷えるじゃろがい!という表情を、俺はあえて隠さなかった。

ともかくこうして、大好きなB定食が品切れになる一歩手前に、まさに滑込みセーフで今日もB定食に、肉に間に合った。ありつけた。

俺の後にB定食の食券を購入した為にB定食を逃したもの達もいる。そんな彼らから注がれるセンボーのマナザシ。三度の飯より肉が大好きなチャイルドな彼らには申し訳ないが大人の階段登る、ということで今日は目くるめくアダルトなAの、お魚の世界へ足を踏み入れてもらいたい。忘れよう、Bの野郎は死んだのさ。Bはイケメンだったよ。Bは特攻野郎だったよ。BはBカップだったよ。南無。

そうして運ばれてきた本日最後の「肉野菜炒め」は、鍋底からかき集めて無理矢理捻出したのか若干肉が少なく野菜、特にキャベツがかなり多めだった。ひょっとしたら本当はもう肉野菜炒めはラスト一人分も無かったのかもしれないが、俺の「B以外受け付けませんが?」という地蔵顔に怯んであちこちにへばりついていたカスを無理矢理かき集めたのだろうか。

《そこまでして肉にこだわる必要はあったのか...》

念の為、本日のA定食を確認すると「焼き魚」である。...まあ、手負いの肉野菜炒めでもまだ勝てる相手だ。

いただきます、と手を合わせて食事にとりかかろうとする。時間は13時過ぎ。遅めの昼食が始まる。それにしてもB定食にありつけなかった方々はどうするのだろう、まあ、私の知ったことではないのですが...。

などとほかの人々の心配をする余裕などみせつつ割り箸を割ろうとしたその刹那、とそこへ、厨房から実に信じられない続報が耳に飛び込んでくる。

「本日、肉野菜炒め終了なので、B定食はトンカツに変更です!すいません!本当に、すいません!」

トンカツと聞いて思わず手が止まる。トンカツ、あのトンカツか...?!

それに「すいません!」って。男がみんな胸の中に持っている「肉料理偏差値早見表」で確認するまでもなく、どう考えても肉野菜炒めよりトンカツのほうが明かにランクは上である。西のトンカツ、東のトンカツとうたわれ、金と暴力で全国制覇を成し遂げたあのトンカツではないか。肉野菜炒めの代わりがトンカツ、それじゃあバランスが取れないのでは?!下のモンに示しが付かないのでゎ?

そんなもん、あてがわれるべきテントの無くなった難民の方々に「すいません、テントが無いのでヒルトンでいいですか?」って言ってるようなもの。イエス,イエスの大合唱間違い無しである。事実、思いがけず訪れたラッキー・トンカツチャンスに、俺の後ろで食券を買ったB定食難民は「一向に構いません!」という一点の曇りの無い表情でそれを受け入れる。

 

「トンカツですいません!すいません!」

「しょうがねえなあトンカツで我慢してやるか...(ニヤリ!)」

 

「・・・・・」


4人掛けのテーブルに座った俺は、今やますます野菜が多く感じられる目の前の肉野菜炒めをジッと眺める。俺はそのとき肉野菜炒めにはまだ手を付けていなかった。これは本当。だけどどうしろと言うのです。

せめて、と思い、いつもより多く味付け海苔を使ってやった。

マミーは今日も仲間を呼んだ

最もゲームがしたくてたまらなかった小中学生を通じてずっと親にテレビゲームの類を一切禁じられていた俺は、従って殆どのゲームに関する知識を友達の家にお邪魔して後ろから羨ましそうに眺めていたあの限られた時間の中で得ていたわけである。

ゲームをやらせてもらうだけの為に、さほど仲良くない友達、さらには一度遊んだ程度のその友達の友達の家まで押しかけるなどして、「なんだあいつは」とほぼ無視されながらもゲームをやらせてもらえるチャンスを伺いじっとリビングに座って待つ事もあったが、それでもたまに「おれやりたい」などと厚かましくいってみるとやらせてくれるケースも多くその価値はたしかにあったのである。

下手くそな俺がゲームし出すとため息やあからさまな冷笑といった子供ならではの残酷な反応もあったように記憶しているが、背中から聞こえてくるそれらが気にならないほどに、俺はとにかくテレビゲームがやりたかったため全く意に介さなかった。

しかしこれも、長い時間をかけてたった一人のプレイヤーだけがコツコツと進めていくロールプレイングゲームではそうはいかなかった。ひたすら他人が進めるだけのゲームを後方から黙って眺めるだけになる。

時にはストーリーを進めるでもなく、ただ同じところをグルグル回って敵にわざと遭遇することで、プレイヤーのレベルをあげる為だけに費やされた1時間の不毛な”作業”ですらも黙って眺めていた。帰ればいいじゃないかとと思われるだろうが、ゲームを欲するあまり、自分がやらずともとにかくゲームそのものが見られればそれでよかったのかもしれない。思えば不憫な子である。

俺は当時流行っていたドラクエIIIを全くやったことがないが、ストーリーは友達がやっているのを黙って眺めて何となく覚えている。

鳥山明が描いたドラクエのキャラクターのデザインは特徴的で敵キャラの名前は今でも割と頭に入っているのだが、中でも記憶に強く残っているのがマミーである。マミーはいわゆるミイラなのだが、そんなマミーの特徴は仲間を呼ぶ事だ。仲間の名前は「くさった死体」、マミーより強くて厄介なこのくさった死体が出てくる前にマミーを殺さねばヤバいなどと友達が力説していたのを覚えている。

くさった死体、今思うと腐ってる癖に仲間思いの良い奴ではないか。どんな状況であろうと呼んだらすぐ来てくれる。(まさにくされ縁ですね)

かたや俺の友達はどうだ、仲間が後ろで仲間になりたそうにじっと見ているというのに放ったらかしでRPGですかい...など、自ら勝手に押し掛けておいてアレだが、くさった死体の仲間を思う気持ちを前にすれば少しは俺のことを考えてもいいではないかと思いたくなるもの。くさった死体によって友達のパーティーが全滅したときに感じた爽快感はこの辺からくるものだったのだろうか。

そんな訳でドラクエの、マミーとくさった死体という敵キャラは、結局一度もやった事もないドラクエの中でなぜか今でも印象の強いキャラクターとして俺の記憶の中に残り続けているのである。

 

随分とマミーに関する説明に時間をかけてしまったが、ここから話はその後十ウン年後、東京にいた時に入ってた社会人バスケットサークルでの話に移したい。アラサー、アラフォーひしめくそのサークル内に、メンバーの親戚の子で間宮くんというとても素朴な高校一年生が途中からチームに入ってきたときのことである。

ひと際若々しい間宮くん、当然のようにみんなから可愛がられると、ほどなく名前のマミヤをもじってマミー、マミーと呼ばれ愛されるようになったのである。そんな彼には時々連れてくる同じ高校の同級生がいて、もうお分かりかと思うが、俺はもう本当に悪いとは思いながらも陰でそのお友達の事をマミーが呼んでくる仲間という事で「くさった死体」と呼んでいたのである。

くさった死体はマミー以上に素朴な高校生で、無口な中にも秘めた熱い闘志が垣間見える線の細い高校生。直接サークル内に知り合いは居ないためドラクエと同様、マミーに呼ばれないと体育館に現れる事はなかったからか、結局俺は一言も会話する事はなかったのであるが、そんな彼を心の中でとはいえ「くさった死体」呼ばわりした罪悪感もあり今でも記憶には強く残っている。今ではもう離れてしまったバスケットチームではあるが、マミーとくさった死体、二人ももう大学生になっているだろう。元気なのだろうか。

俺も誰かのくさった死体でありたいと思う36歳の冬である。

ムラン君の布団

上京して最初の一年半を生まれ故郷である佐賀県の人間しかいない在京県民寮のようなところで過ごした。この寮の話も色々あって機会をみて振り返り書いてみたいのだが、今日はそこにいたムラン君という男の話である。

「ムラン」は勿論ニックネームで、夜な夜な行われるテレビゲーム、トランプ、麻雀の類の中、彼の苗字であるムラヤマをきちんと発音するのが面倒になってきて口を開かずに発音しようと努力した結果生まれたものである。

同じ年に入寮したムラン君であったが、彼は浪人したため年齢は一歳年上。彼は現役時に幾つか大学に合格していたもののその結果には納得がいかず浪人、再トライしたのだが、残念ながら現役時代に合格した大学にすら不合格というミラクルさえ起こしている。

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「浪人中にスロットにハマってね」

 

寮の1、2年生にあてがわれる4畳半の狭い部屋で、近眼の目を細め、マルボロのけむりをくゆらせながら、自身のデンジャラス・ストーリーのスタート地点をそう語っていた。

そう全てはスロットである。完全なる夜型人間の彼が大学に行っているのはほとんど見られていない。昼の12時、起きたての彼の寝癖はもの凄く、その天をつらぬかんとする髪型のまま寮の先輩や同じ学年のスロット好きとつるみ、パチスロ屋から送られてくるダイレクトメールを睨み、一年365日、暑い日も寒い日も「今日はアツい!」と言い合いながら近隣のパチスロ店へ消えて行くのである。

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「いや、奨博金ばい」

 

寮で1、2年生が最初に住まわされる4畳半の狭い部屋で、近眼の目を細め、マルボロのけむりをくゆらせながら、「奨学金を賭博につぎ込んでいいのか」という俺の質問に、そのときばかりは目を見開いてそう語った。上手いこと言うたった!という感じでもなく、淡々と。たぶんマジでそう思っていたのかもしれない。


ムラン君の部屋は汚かった。

ゴミがゴミを呼ぶ典型的なゴミ屋敷であった。小さいゴミが大きいゴミの呼び水となり、大きいゴミのせいで小さいゴミが隠れてゆく。積み重なったゴミを見かねた他の学生が掃除を申し出ると彼は言った。

 

f:id:bokunonoumiso:20180114212409p:plain「これはゴミなどではない」

 

入り口で我々を制し、そう語る彼の眼光はとても鋭く、この部屋でなら彼に抱かれてもいいと思った。だけどカビた餅を発見したときはさすがにドン引きし「餅はすてたほうがいい」と言うと「うん。」と彼は言った。そこは最後まで突き通せよ。

そんな狭く汚い四畳半だったが、なぜか他の寮生はよく集ってきた。漫画を読むヤツ、ゲームをするヤツ、自分が買って来た飯を食って帰るやつ。常時3~4人が狭い空間の中にたむろしていたがどいつもこいつも、既に汚れきったこの部屋を大事にすることはせず、まるでゴミ屋敷に栄養を与えるがごとく持ち込んだ食い物のゴミを残して去ってゆく。食い物をこぼしたり、飲み物をこぼしたり、タバコの灰を落としたり...。

そんな劣悪な環境下に今日の本当の主役、「ムラン君の布団」は敷かれていた。汚い部屋には万年床が定番である。スナック菓子、ジュース、タバコの灰・・・。ゴミ屋敷の中で万年床となっていたムラン君の布団の上には、長い間かけて色々なものがこぼされて行った。だけどムラン君はそれらが来訪者によって布団の上にこぼされる度に、ごめんと謝る我々に笑顔でこう言った。

 

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「手で馴染ませといて」

 

手で馴染ませる―。

意味が分かりませんか。ええ、私も昔はそうでした。馴染ませるとは言葉通り、つまり布団の上にこぼれたものを手で擦り付け布団にしみ込ませる行為だ。洗うとか隠すとか、捨てるとか、そういうゴミを排除する行為とは全く逆の行為。排除するどころか受け入れる、それが「馴染ませる」である。

ホントに馴染むのかと、最初は首を傾げながらやるのだが、落としたヨーグルトをゴシゴシ手てやってみるとスーッと消えてゆく。馴染むのだ。

かつて西洋人が自然を敵と見なし、攻略、開拓すべき相手だと考えたのに対し、アジア人は自然の中に神を見出し、独特のアニミズムによって、共存すべきものだと考えたという。西洋化の波に毒された我々はいつのまにか同じようにこのゴミを攻略すべき敵と見なし、忌み嫌ってその対処に莫大なコストをかけ、地球環境へのダメージを強いて来たのだ...。

そこにあってムラン君の掲げる「馴染ませよう」というあり方はどうだ。今や克服されてしまった自然に代わって我々の前に今立ちはだかるゴミという新時代の人類の強敵を前に、彼は全てを布団の中に馴染ませることで受容し、共存したのだ。

そんな時「これはゴミなどではない」とそう言い放った彼の言葉が強く思い出される。(そんなムラン君にさえ捨てられたカビた餅は一体何者なのだろうか)


俺も色んなものをムラン君の布団に馴染ませたものだ。タバコの灰が断トツ一番多かったが、忘れもしない、凄かったのはウニである。コンビニの寿司弁当に入っていたウニ。別にティッシュで取っても良かったが、一応礼儀として馴染ませていいのか聞いてみると「馴染ませていい」の許可が下りる。果たしてウニが馴染むのかと半信半疑だったが、「大丈夫、落ち着いて、馴染ませていい」というムラン君の指示に従い手で漉(こ)すように布団に馴染ませるとアラ嫌だアナタ・・・!馴染んだのである。

「ムラン君、今夜はウニの夢が見れますね」と言うとムラン君はゲームをしながら横顔で「次はアワビをこぼして」と笑った。

色んなものが馴染んでは消えて行った彼の布団の断面を見たい、どのように積層されているのか見たい!という夢は、本来は4年間退寮出来ないあの寮を俺が途中で出て行ったことで叶わなかった。ムラン君の部屋で語り合った将来の夢、今のところそれを叶えられたのは「パチスロで食いてぇ」と言って「バカやねえ」と笑われていたムラン君だけである。彼は大学を辞めてパチスロ雑誌でライターになったと聞いた。

俺が出て行くとき、ムラン君は「将来、物書きになってね」と言ってくれた。俺もそんなことを酔った勢いで言ったのだろうか。今更もう自信はないけど、でもいつか本を出して、それがムラン君のゴミ屋敷に転がるゴミの一つになれたら俺は嬉しい。

「これはゴミなどではない」

そうだね。

 

完 

 

※イラスト:盛岡くん

メーカーの梅沢さん

前職の商社勤めの際に取引先の一つに「メーカーの梅沢さん」と呼ばれていた人がいた。初めて会ったときは26歳で年齢は俺より1歳下だったはずだ。梅沢という人が社内に居たので区別するために「メーカーの梅沢さん」と呼ばれ始め、社内の梅沢が辞めた後もまるで名前の一部のように「メーカーの梅沢さん」と呼ばれ続けていた。

メーカーの梅沢さんは小太りでメガネ、若いというか年齢以上に幼く見えた。服装には無頓着なのは「就活の時にまとめて買った」よれよれのYシャツに、寝癖のついたままの髪の毛で客先に現れるところから明らかで、爪垢がハンパなかったので多分風呂に入らない日が割とあったと思われる。「ずっと彼女が居ません」と彼は言うが、申し訳ないが正直その理由には皆心当たりがあった。

梅沢さんは非常にマイペースであった。名前を聞いたことも無いアニメの声優がとても好きらしく、何度か「イベント」と称するものに行く為に仕事を休んでいたりする。時には聞いたこともないマイナーな小説家の「追っかけ」というものをやっていて、何度かその小説家の「イベント」と称するものに行く為に俺との仕事上の約束をキャンセルしている。

また、仕事の付き合いで飲みに行く事が何度かあったのだが、その度に、帰り道では必ずゲームセンターへ連れて行かれ梅沢さんが得意だというダンスダンスレボリューションを延々見学させられた。最初こそ仕事では一切みせないような機敏な小太りのムーブ、ステップに「おもしれええええ!」と驚き、噴出しそうになるのを堪えながらコッソリ動画こそ撮ったものの、それが何度も続いたら苦行である。ケータイいじりながら「凄いすねェ」「上達しましたねェ」「サンマの美味い季節になりましたねェ」などと、俺が棒読みで言ったとしても「そんなことないですよぉ」と喜ぶ彼には全く気付かれない。

面白い漫画本があるから今度貸します、と言われたので社交辞令で「じゃあためしに今度持って来てよ」と言ったら全25巻を手提げに入れて「はい、どうぞ」と25冊の本だけ会社の外で手渡ししていくようなお茶目な彼だが、俺は彼のピュアネスからくる珍プレーの数々は嫌いではなかった。

ここまで読んできて≪オタク≫の三文字が頭に浮かんだ方がいたらちょっと聞いてほしい。相手のことを考えず突っ走る特有の性質を取り上げて「オタク」と安易な言葉を当てはめてもいいが、俺はそれはしたくない。彼の心は澄んでいるだけで、興味に一生懸命、そしてそれを他人とも分かち合おうとするLove&Peaceの精神に満ちている。ただそれだけ。そう思いたいのである。

女子はよくこんなことを言う。

「心の奇麗な人が好き!」「笑顔の素敵な人が好き!」「自分を持っている人!」

じゃあ梅沢さんですね。梅ちゃんで間違いなし。

 

そんな梅沢さんなのだが、一つだけどうしても気になる事があった。彼の行動の中で唯一違和感を持っている部分、それが会うたびに俺は会ったこともない彼の友達の話を頻繁にしてくることだ。しかも取り立てて見所もない極めてどうでもいいエピソードをだ。

イベントで約束すっぽかされたり、ダンスダンスレボリューション見学させられたことは我慢出来て、友達の話される事ぐらいで違和感とはこれいかに、と思われるかもしれない。実は我慢ならんのは話を聴かされることではない。本当に堪え難いのは、そんな梅沢さんが、友達の話をする際、友達のことをなぜか毎回必ず「ダチ」と呼ぶことに他ならない。

小太りメガネでよれよれのYシャツ。寝癖の残った頭を掻きながら澄んだ瞳に曇りのない笑顔で「昨日、私のダチからの電話でですね~」なんて言われてご覧なさい。「なんでそこだけ"ダチ"じゃい!!!!!」と虫酸が400mリレー始めますよ。

ただ不思議なのがダチ以外の言葉遣いは極めて普通で、どちらかと言うと丁寧で真面目な言葉遣いを選んでいる。それを見る限りでは彼は決して伝統的なヤンクス・カルチャー全般に憧れているわけではない。使うのはなぜかダチ、ただそれだけである。梅沢さんは一人称が「私」なのだが、この「私」と「ダチ」のミスマッチが違和感の根源なのである。

 

そんな梅沢さんの「ダチ」を何度も聞かされ次第に慣れてすらいたある日のことである。ついに梅沢さんの口から出たのが

「先週末、私、ダチ公と○○という漫画家の握手会へ行ってきましてね」

だったのだが、ついにあんチクショウとうとう「ダチ公」っていったのである。

ダチ公。あのダチ公ですよ。今名前に「公」がつくのは梅沢さんのダチ公か伊達政宗公ぐらいである。「ダチ」、「ダチ」といかにもワイルドなフレンドシップを臭わせているけれども、結局颯爽とダチ公と連れ立って行ったのが「漫画家の握手会」なのである!

 その後知ったのだが、梅沢さんのプライベートの車がHONDAのSABERという、これがまあちょっとした恐喝とか現金受け渡しに使われそうなイキフンの漂うワル御用達って感じのいかにも「ダチ公」って感じの車なのであったが、ヤツは一体何を考えてるのか、ウィンドウにはフルスモークをしつらえ社内の照明は紫のLEDが妖しく光る。

内部にとどまらずLEDは外部にも!子供用で靴底が光るおもちゃみたいなスニーカーがあると思うが、アレはもはやちょっとどころではないデコトラ級のヤン車でした。そんな車に就活の時に買ったYシャツを華麗にまとって夜を駆け抜ける梅沢...。突然露わになるツッパリ的な感性。俺には彼のことが分からなくなった。

なお梅沢さんはその"妖車"を俺に見せたかったのか、25冊もの漫画本を貸してくれたあの時もわざわざこの車で会社近くに現れた。「すごい量だね」と渡された漫画の量に驚くと彼は何を勘違いしたのか、突然車の排気量などの話をし始めた。

それを聞きながら、彼が俺の事を誰かに話す時にも「ダチ」と呼ばれているのだろうか、などと考えていた。

 

バスケットボールにおける「ダブルファウル」という都市伝説について

バスケットボールには「ダブルファウル」というルールがある。

これは攻守、敵同士の両者が寸分たがわず全くの同じタイミングでファウルした時に使われる極めて稀なルール。つまり両者が同時にファウルしたので喧嘩両成敗、というわけである。

しかし、かつてこの記事で紹介したように、

 

bokunonoumiso.hatenablog.com

 

守備側が圧倒的に不利で、基本的に体の接触はほぼ守備側のファウルを取られがちなバスケットというスポーツにおいては、そもそも攻撃側がファウルを犯すという事自体そう多くないところに「両者同時に」というオマケつきである。そういう面からもこの「ダブルファウル」を極めて稀と言っても言い過ぎではないと思う。

そんなバスケットボール界ではもはや都市伝説とも言われていた「ダブルファウル」を高校時代のどうでもいい練習試合で経験したことがある。

 

 あれは高校の時に近所の工業高校に練習試合に行ったときのこと。

 

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相手側の高校のコーチか副顧問か不明だが、とにかく監督ではないらしく手が空いていた謎のオッサンは、いかにもわしゃあNBAが、アメリカが好きや!とそう言いたげなダボダボの服をまとい、動きの節々から「USA」を感じさせる妙なノリを放ちながら、練習試合のうちの一試合の審判をすることになったわけである。

 

 

「ピーー!」

 

「ダブル、ファウルッ!」

 

オッサンがダブルファウルを宣告したとき、会場はその初めて耳にする驚きの判定結果にビックリ、石坂浩二は降板し島田紳助は芸能界を引退、アシスタントの女は失業である。俺もビックリして途中からまちがって何でも鑑定団の話になってしまったが、会場はNBAですら殆ど見られないあの「ダブルファウル」がこの片田舎のやってもやらなくても正味どうでもいい練習試合で発生した事実に驚き、にわかにザワザワしていた。

まさかの珍獣ダブルファウルの登場に、ダブルファウル慣れしていない選手、また試合の記録をつける「オフィシャル」と呼ばれる係りの人々。それを見て「今のはダブルファウルといってネェ...」と説明をするオッサン。何だかとても嬉しそうである。

まあとはいえこの審判がそうジャッジしたのであればそうだったのであろう、ルールにも存在するわけであるし、もしかしたら完全に同時でダブルファウルが起きる条件だったのかもしれない。

そんな形で気を取り直して試合開始である。しかしである。

 

「ピピーー!」

 

「ダブルーーーッツ、ファウルッ!!!」

 

またである。またダブルファウルである。腕を大げさに動かし、オッサンは気持ちよさそうにダブルファウルを叫んだ。例えば漁師の網にかかるリュウグウノツカイも1匹なら歓迎されるけど、群れで来たら「ええええ.....ッ」ってなるじゃないすか。あの時の体育館の雰囲気はまさにそんな感じであった。

一年間にこの地球上で行われるバスケの試合が何試合か知らないが、その地球上で行われる全ての試合においてダブルファウルがジャッジされる回数、多分俺の予想では多くても1000回ぐらいだと思うのだが、そのうちの2回がこの試合で発生してしまったのである。

 

「今のもダブルファウルといってネェ~」と嬉しそうに説明するジジイの背中を見ながら「あいつどっちがファウルしたか分からないだけでは」という視線が浴びせられていた。ダブルファウルの乱発に躊躇いつつも、試合はそのままオッサンの審判で続行。

 

「ピピピーーー!」

 

「トリプルーーーー、ファウルッツ!!!!!!」

 

あのオッサンなら新しいルールでも作ってしまいそうな、そんな勢いであった。

 

 

※イラスト:盛岡くん