ベンチで飲むエネルゲンの味

マナガツオをマラガツオと言い間違いをした実績のある母親が家族のいるリビングで堂々とアナルゲンと言い間違いをしたとき、普段真面目な父親が酒も飲んでないのにゴロンと死んだ蝉のような態勢になったかと思うと

「それはココじゃろもん!」

と肛門を指して夫婦でトチ狂ったように笑いあっていたのが今も忘れられない。

エネルゲンを初めて飲んだのは高校生の時で、部活のマネージャーが作ってくる粉末タイプの薄いエネルゲンだった。マネージャーのエネルゲンを飲むとなぜか100%下痢をしたがそれでも俺はエネルゲンの味が大好きだった。胃腸の強い俺が、後に出会う山田うどんかき揚丼以外で食せば唯一100%を腹を下したのがマネージャーのエネルゲン。

高校のバスケ部は強かった。補欠で殆どベンチに座っていた俺は試合を他人事のようにボンヤリ眺めながら俺の為に作られてないのは知りながらマネージャーの作ったエネルゲンだけは人一倍飲み、試合には出ずに会場であった他校の便所で下痢をして帰宅していた。

「ふう、アナルゲンとは言ったものだよ」

額に汗は一滴もかかず、ただアナルだけを拭きながらあの晩のトチ狂った両親に想いを馳せる。犬がマーキングをするかのように、スタメンの皆さんがボコってくれた敵チームの便所に下痢をして去っていく補欠。

試合のたび、ベンチに座る者には必要のないエネルギー、薄いエネルゲンを片手に飲み屋の常連のごとく補欠の皆と小声で話す試合とは全く関係の無い話がとにかく俺には楽しかった。試合に出ないものが織り成す負け犬のサブ・カルチャーがそこにはあり、部活や試合とは関係の無い色んなアイディアが試合中のベンチで生まれ、小声で話し、笑いをこらえながら試合が終わる。エネルゲンはなくなり、俺は便所に向かう。

規律、礼儀、チームワークなど運動部で学ぶことは色々あるが、補欠の人間は境遇そのまま卑屈になり、反体制のパンクスとなり、表舞台に選ばれなかった満たされない思いはインターネットに向かい、今日も飽きずにテキストをアップロードしている。

ワクチン2回目、便意から発熱へ…

2回目のワクチン接種が終ったが色んな人が噂する通りの副反応がなかなか発生せずあの日はもどかしくもスリリングな1日となった。

どのような副反応が起こるかは人それぞれとは聞いていたが大体半日~24時間以内に副反応が起きるのはほぼ間違いなさそうな情報に対し俺ときたらば24時間経過後もなんら異常がないので段々と自分の体にセンシティブにならざるをえず、多少普通よりダルかったり眠かったり便意があったりするその都度「このダルさ、いつもよりキレが違う!もしや副反応?」「この便意、ついに副反応!?」など些細なカラダの変化に一喜一憂するしか手立てがなく一応安全をみて会社を休んではいたがその実全くの無事で夕方まで平気な仕事をしていたほど。

夕方4時、2回目のワクチンが終ってから約1日半たった頃、ナチュラルな便意に導かれし俺は便座に鎮座しひと気張り入れんとしていたところであったがプロブレムが起きたのはまさに力をいれしその刹那、便を出さんとするその全エネルギーがなぜか左腕のまさにワクチンを打った個所に集まるようにゴゴゴゴゴゴゴと謎の脈動を始め「お、お尻の穴はそこじゃないが?」などクレームを出す間もなく左腕を起点にピキピキと筋肉の硬直、そして鈍痛が左腕全体、胸、首のあたりといった左半身に電波し心拍数が増えそのまま震えが始まり発熱し始めたのであった。(脅かすつもりはないが実はこの時の首筋の痛みがまだ残ったままである)

皆が口々に語り合う副反応が俺には来ないのかと半ば寂しさすら感じつつあったところだったのでついに訪れた高熱、震えに俺は甚く興奮し、なにか流行に乗れた嬉しさのようなものを感じつつも死期を悟った老猫のようにフラフラと便所から出て伏し目がちで何も言わずに寝室へ直行すると眠りの世界へ一直線。悪夢などもなくただたださわやかなほどのシンプルな高熱に2時間ガタガタ震えながら、しかし目が覚めると何事もなかったようにその熱は引いていた。勇者が伝説の剣を持つに値する者であるか神々からの試練を受けるかのように高熱との戦いに打ち勝った今2回目の接種を証明する無敵のカードがついに手元に。これがあるのとないのとでは行動や宿泊に対する制限度合いが大きく変わるのである。

アメリカにおけるワクチンの接種までの道のりは思いのほか簡単なもので、日ごろ通っている病院予約とは別に、近所のスーパーでワクチンが打てると聞きいつになるかは分からないがとりあえず予約をしておくかHP上で順番待ちの予約を入れたのが1か月前、それから特に何の努力も積極的な働きかけもなくごくごく自然に就労ビザでこの国に住む外国人の俺のもとにワクチンがやってきた。妻は近くの施設で今日打つ分が余っているから昼3時まで来たら打てると聞いてフラッと行って打ったのだが、同じような話はあちこちで日々聞こえてきてその様な手軽さがこの国の今のワクチン接種状況である。

どの程度今この国でワクチンが手軽に受けられるのか紹介しておこうと思うが、

 

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まずスーパーに入ると「ワクチンこちら」と書かれた案内に沿って店内のマイナー雑貨コーナーに列を作り、

 

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アクセサリー売り場の前に仮設で作られたワクチン受付け窓口に行くと、予約者の氏名を証明するID提示、そして保険に入っているかどうかを聞かれるのみ。

 

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ワクチン接種場はこの通り完全な婦人服売り場のど真ん中であり、ワクチンを打つ人と軽く雑談をしながら気づいたら打たれているというそういうノリ。待ち時間は殆どなし。

 

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ワクチンを打った後は15分間紳士服売り場に作られた待機所で待って、体調に変化がなければそのまま帰宅。色んな人種の皆々様が予約した順番に平等にワクチンを打って、ここに座り去っていく。

アメリカ人も今回のワクチンに対する慎重な姿勢から打たない選択をする人も少なくはないが、今徐々にスーパーやスポーツジムなど徐々にワクチン接種者はマスク不要、またはそもそもワクチン接種有無に関わらずマスク着用について何もルールを設けなくなるケースが増えている。こうなると難しくなるのがマスク着用の判断で、先日某在米日本企業団体のメールマガジンにはとうとう「州によってはマスクをすることがワクチン非接種や陽性者とみなされ警戒される」というマスクがマイノリティであったかつてのアメリカに戻りつつある記述が出てきて、これを聞く限りはマスク有無で今後もめ事が起こりそうだし今打つか悩んでいる人も周囲の状況におされ打とうとする一つの理由になるかもしれない。 

最後になるが、ともかくワクチンを打った者としてこれからワクチンを打つ人には必ず2回目の翌日は休みにした方が良い事だけはお伝えしておきたい。

腰痛ようやく完治

腰痛と闘っていた。治るまで約10日間という今までで一番長い腰痛。いやあ過去最悪の腰痛でしたわと総括しようと思ったところで「お前が過去最高齢で腰痛になっただけなのですが…」という事実に気づき悲しい気持ちになった。お年を召しているので今後の腰痛はこれくらい長きにわたって完治しないか、もっと程度がひどくなるのだろう。嫌すぎる。

腰痛になった直後ネットで腰痛の治し方を調べていたらやたらと「ヘルニアでない限り、安静にするのはもう古い!」的な腰痛最前線のアドバイスが目について驚いたものだが、曰く安静にするより痛み止めなどを飲んででも頑張って動かした方が早く治りやすいと、そういうのである。また安静にしすぎる事で腰痛への恐怖心が高まり、筋力低下だけではないそのメンタルへの悪影響、そしてそれが及ぼす完治スピードのデータなども割とあちこちで言及されており何だか時代が変わったものだ、へえそうですかと感心した次第。

とはいえ動かせば痛いものは痛く、その腰をかばいながら歩くさまを家族から「人類誕生の図の途中の人」と呼ばれたり、別の日には「能楽」次の日には「ロボット」と腰痛を持ちし者が必ず呼ばれる腰痛ニックネームで呼ばれるなどして人が二足歩行を獲得し、文化を得て、技術を高めるまでの歴史を体現したような気持ち。俺はとにかくこのようにして腰痛と闘っていたのである。

腰痛になった直接的な理由は次男が自転車の補助輪を外したいというので土日付き合ったことである。ギックリ腰と言っていいのだろうか。小さい自転車の後ろから中腰で支え何度もその姿勢のまま小走りを繰り返すうちに腰痛アラームが鳴り始めたがそれを無視していると腰に激痛、目がバッテンになりその場にへたり込んだその刹那、次男は「やったー」と言いながら補助輪のない自転車で遥か彼方ガンダーラを目指して旅立っていった。あばよである。歩けなくなった瀕死のジジイの周りを次男が嬉しそうに自転車でぐるぐる回る様はフランダースの犬の最終回のよう。違いがあるとしたらこのジジイは働き盛りで腰以外ピンピンしていることぐらいである。

次男が無事自転車に乗れるようになった瞬間、つまり俺が腰痛になった瞬間を撮影した悲しいハプニング動画を見るといかにも腰痛になりたくてやっているとしか思えない腰に悪そうな中腰のひょうきんな動きをしている小太りのジジイがそれを数回繰り返した後に「アウーー!」と無様に叫びながら膝から崩れ落ちる見るに堪えない光景が映し出されていた。そしてその屍を燃料にするかのようにスイーと彼方へ走り出す次男の笑顔の後ろでマーメイドのような感じで足を折りたたみ満足そうに眺める腰痛で歩けないオッサンの嬉しそうな顔ときたらどうですか。

腰痛との付き合いも10年以上となるがまともに病院で診てもらったことがない。思えば腰痛の他に10代の頃にやってしまった足の捻挫も手首の異常も治さずに今に至っているが今でもしっかりと痛みが残っており時折生活に支障が出るほどである。こういうのってナメてると一生付きまとうので気が向いたときに一つ一つ治していかねばならんなと改めて決意した次第であった。

闘争積立金/ハゲのオッサン

目が死んでいるからということで目の殉職、二階級特進でこの春から管理職になりそれに伴い労働組合を抜けることとなり、先日労働組合の人から「『闘争積立金』をお返しします」と連絡が来た。

金額にして数万円、なかなかの臨時収入だが名目が「闘争積立金」ときたもんだ。ワシのゼニで闘争しとったんかいなと、テロリストの資金源としてお金を渡していた気分であるが、個人的には自分一人で見えない敵と闘っていたためか団体交渉権も行使せず、友達もいないので団結権にも近寄らず、とにかく組合活動に全く参加しなかったのでそんな物騒な積み立てがされていたとは全く知らなかった。今はただ脱退後の闘争の矛先が今度はこちらに向かってくるのではないかと身震いをしつつ、臨時収入の使い道を焼肉かシャブシャブのどちらにするかと考え現実から逃避する次第である。

管理職。遠い異国の地で名ばかり管理職をしているため部下もおらず組織の管理どころか体調管理もままならずダルマのような体格となってしまった、早く成功してこのダルマさんの死んだ白目の中に万歳万歳と墨で目を書かせてほしいと思っていた春、ついに僕にも部下が出来た。アメリカ人の部下である。

「キミの後任は日本からはこないようだから、彼を育てて後任にしないとキミは日本には帰れない」

戦争に負けてからウン十年、それはまさに闘争、24時間365日積み立て続けた諸先輩方の努力のおかげで私は米国生まれの部下を持つことが出来ました。祖国への帰還を夢見てきた私の4年など諸先輩方の歩んできた道に比ぶれば短いモノでしょうが、なんせ、しかしこの彼が全くメールに返事をせず困っています。赤ちゃんのような可愛い顔をしたハゲのオッサンです。

おいお前、メールを返して、そして俺を日本に返して頂戴。

To Be Continued...

俺たちの国際試合

息子がサッカーを習い始めて1年以上が経つ。アメリカで盛んなホッケーアリーナを使って行われるインドアサッカーというやつで、人数が6人、交代自由、ボールが外に出ることはなく試合が止まることはないという限りなくホッケーに近いルールである。息子が入っているのは日本人のコーチが指導する日本人だけのチームの小学校低学年カテゴリで、指導者もプロ経験な為練習のタフさもチームのレベルもそれなりに本格的なものである。

始めた当初は息子も全く周囲についていけず親として外野からハラハラしたり歯痒ゆい思いのやり場を誤り、公園で練習に付き合っては喧嘩をし試合の後に余計なことをいってまた喧嘩をし、帰りのスタバで反省会などをしたりと色んな思いで息子のサッカーを見てきたものである。そんな息子もようやく最近コツを掴んできたのかプレイタイムも増え、試合にしっかり参加できるレベルになると年齢別のカテゴリで毎週末に行われる地区のリーグ戦にも出させてもらうようになってきた。最近では息子を連れこの試合を観るのが週末の一つの楽しみになっている。

元々バスケ部だが観戦するスポーツとしてはなぜだかサッカーが一番好きになってしまい、例えそれが全く知らないチーム同士であろうとテレビで放送されていればつい見てしまうし、それがプロであろうとなかろうと関係はなく、極端な例では昔東京に住んでいた時地元のケーブルテレビで放送されていた全く知らない近所の少年サッカーの試合をジッと黙って眺めているのを観て妻にひどくキモがられたほどである。

それほどスポーツとしてのサッカーが好きな上にその試合に息子が出ているとなるとその熱の入り方もひと通りではなく、子を応援する親というより完全な選手、チームのファン、サポーター目線で試合を観ているかのような状態にしばしば陥ってしまう。更にこのサポーターを熱くする要因がもう一つ、毎試合が国際試合であるという点。USA VS Japanが毎試合俺たちの心をアツくするのである。

俺たちは日本各地からここアメリカの地へ、アメリカでたくさん儲けたいという本社のワガママで派遣されてきた駐在員。そしてその息子たちで編成されたジャパニーズ企業戦士二世チームが相手にするのは毎試合体格の半端ない地元のアメリカン・キッズたちである。リーグ戦も他民族国家ならではで、相手にするのも時にはインド人コミュニティの息子たちチームだったり中東系だったり、南米系だったり。それはさながらワールドカップのグループステージ。絶対に負けられない闘いにことごとく連敗してきた者としては目の前で繰り広げられる我が息子の真剣勝負に俺のカタキをヒットしてくれとついついヒートアップしてしまうわけである。

迫りくる体格差にも負けず実直に磨いたテクニックと俊敏さ、チームワークと勤勉さで立ち向かう日本式戦術は遠い異国で頑張る我々駐在員サポーターの胸を打ち、「これが日本人の戦い方だ!」など、勝てば感動し負ければ敵側ベンチで盛り上がるアメリカ人親の大げさなフォーー!の声にいちファンとして、敗戦国として悔しさを感じる日々である。

いずれにせよ日々シコシコと日本企業の実直かつ勤勉なやり方でアメリカ市場で不器用に戦う父親、母親たちはそのような息子、娘たちの雄姿に勇気づけられながら各々の平日に、各々の国際試合に戻っていくのであった。