コーヒーフィルターのサイズを何故か毎回間違って買ってしまう

コーヒーぐらいしか娯楽がなく朝起きると誰もいないキッチンでゴソゴソと、5、6年前何かのポイントを使いタダで貰ったデロンギのコーヒーメーカーに向かい厳粛な面持ちでコーヒーの粉を入れて会社にもっていくカップ2杯分のコーヒーを作るのが毎朝の日課である。

毎日飲む為コーヒーの粉以外の消耗品もそれなりの頻度で購入するのだが、たまにコーヒーフィルターを自分で買いに行くと必ず手持ちのマシンに合わない一つ大きなサイズのモノを買ってしまうことが多く妻にバカにされる俺である。♯4という大きな紙フィルター、家に持ち帰ると笑えるくらいにデカい。恥ずかしいデカさである。ああまた買っちゃった、前回違ったのにまたである。ボケちゃったのかなと思うほどにまた違う。デカくてイライラする。

自信がなければ例えば現物を持っていくとか、そうでなくても元々きちんと調べていくなりメモするなり、気がかりなことがあったら家に連絡するなりと色々と再発防止としてやりようがあるはずだがなぜか決まってスーパーには完全なる手ぶらで行きコーヒーフィルター売り場に着くとその場でハッとして♯2だったか♯4だったかとうろたえ、結構な時間かけて悩み抜き、そして「これだ!」と半ばギャンブル気味に♯4を買って帰ってはそのギャンブルに負ける日々。なぜか俺はいっつも大きい方の♯4を買ってしまう。まあ大は小を兼ねるから負けではないし、その実大きいフィルターはマシンに取りつかないわけではなくただ折ったり畳んだり、若干取付に時間がかかり、更に時々うまくコーヒーが出来ない事がありスゲーイライラする程度である。

 

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先日キッチンの誰もいないテーブルに座り、この間違って買ってしまった♯4サイズのフィルターにチョキチョキとハサミを入れマシンに合うサイズに改造しようと一人手直しの作業をしていたら妻が来て「何も見ずに適当に切って分かるのか、そんな具合だから」といったたぐいの注意を受けたので職人然としたすまし顔で返して曰く「何年も使っているので見なくてもわかる。」そう言ったところで自己矛盾が発生し恥ずかしくなり素直に謝ることとした。次は負けない。必ず勝つ。

あと5㎏痩せたいのです

温かくなった5か月前から欠かさず近所を走る小太りの青年を毎朝通勤中にぼんやりと眺めていたが恐ろしいほどに一生懸命に走っているが恐ろしいほど全く痩せる気配がなくむしろどんどん太りゆく彼を眺めながら走った後はさぞかしメシが美味いんやろなホッホッホ、ッシャー俺も負けてらんねぇな、など安心して趣味のメシ食いに精を出していたのが数か月前。コロナで俄然メシが美味くなったのもあってか気づくと体重は記憶している在りし日のレギュラー体重より10㎏増えており、ある日ついに腰痛や膝痛などといった分かりやすい攻撃をもって俺のボディを攻めてきた。

今までは「体重増の原因は筋肉がついたから!」という自分に都合の良いポジティブな理由を持ち出して見過ごしていた過去一番の体重増であったが、先日写真に写った自分の姿が完全にパ・リーグとかでめちゃくちゃホームランを打って先発投手を援護しそうな色黒のキャッチャー体形(平たく言うと元ロッテの里崎)で同じ野球界で例えると野茂英雄ばりの食材としての身の付きの具合で宇宙人がせめて来たら真っ先に食べられちゃうのではという意味での命の危険を感じ2年ぶりの健康診断を前にきちんと痩せることにした次第。

現実を直視せず行動を起こさないのがデブの得意技であるが、それよりもっと得意なインターネットで「なぜ太るのか」と素人級のストレート検索ワードで調べるとどこぞの女子栄養大学のHPで簡単な肥満理由チェックなるものがカムアップしてきて、その結果には端的に言うと「食いすぎです」という忌憚のないご意見が出てきたのでPCの前で深々とお辞儀し、早々とやるべき行動が定まった格好。

「前々から食いすぎだと思っていたが唯一の趣味のようだったので止められなかった」と食事の量を減らすことにすると宣言した俺に妻はそう言い、はい、まさにその通りだったので「その趣味を捨てます」とカッコよく伝え、朝食にはリンゴしか食わず昼飯にはサラダなどという今までなら霞に飽きた仙人の食い物と断じていたようなものを食べ、晩飯のライスは減らし適度に運動などをして1か月過ごすといとも簡単に5㎏痩せていた。いつしか家族に「タニシ」と呼ばれ、前日の晩飯の残りを翌朝朝食として片付けていた水槽のお掃除屋さんですがこのようなタニシ行為も今後はやめである。

その実、食事制限だけで痩せるのはなかなか厳しく昼休みも今までは飯を食いながら仕事しっぱなしだったものをやめ、会社のビルの周囲をウォーキングすることにしたがそれをやり始めて同じような数名のデブが同じように大きくもないビルの周辺をグルグルと回転している事を知り、その小さなとても小さな円を描く回遊デブの行列の中に伏し目がちで参加してはここから抜け出さなければと誓った1か月だった。

元ヤンキーが更生しただけで賞賛されるときの違和感しかり、元が異常体重男性だっただけなのに多少痩せたとたん天下を取ったように偉そうに痩せる方法とか更には健康にまで言及したがるのがデブの悪い癖でこれは取り締まり、逮捕監禁する必要もありますが、それでも獄中から言わせていただきたいのが今はただこの方法を信じて突っ走り残り5㎏を痩せ抜きたいという、そのことだけである。皆さん応援よろしくお願いします。

ベンチで飲むエネルゲンの味

マナガツオをマラガツオと言い間違いをした実績のある母親が家族のいるリビングで堂々とアナルゲンと言い間違いをしたとき、普段真面目な父親が酒も飲んでないのにゴロンと死んだ蝉のような態勢になったかと思うと

「それはココじゃろもん!」

と肛門を指して夫婦でトチ狂ったように笑いあっていたのが今も忘れられない。

エネルゲンを初めて飲んだのは高校生の時で、部活のマネージャーが作ってくる粉末タイプの薄いエネルゲンだった。マネージャーのエネルゲンを飲むとなぜか100%下痢をしたがそれでも俺はエネルゲンの味が大好きだった。胃腸の強い俺が、後に出会う山田うどんかき揚丼以外で食せば唯一100%を腹を下したのがマネージャーのエネルゲン。

高校のバスケ部は強かった。補欠で殆どベンチに座っていた俺は試合を他人事のようにボンヤリ眺めながら俺の為に作られてないのは知りながらマネージャーの作ったエネルゲンだけは人一倍飲み、試合には出ずに会場であった他校の便所で下痢をして帰宅していた。

「ふう、アナルゲンとは言ったものだよ」

額に汗は一滴もかかず、ただアナルだけを拭きながらあの晩のトチ狂った両親に想いを馳せる。犬がマーキングをするかのように、スタメンの皆さんがボコってくれた敵チームの便所に下痢をして去っていく補欠。

試合のたび、ベンチに座る者には必要のないエネルギー、薄いエネルゲンを片手に飲み屋の常連のごとく補欠の皆と小声で話す試合とは全く関係の無い話がとにかく俺には楽しかった。試合に出ないものが織り成す負け犬のサブ・カルチャーがそこにはあり、部活や試合とは関係の無い色んなアイディアが試合中のベンチで生まれ、小声で話し、笑いをこらえながら試合が終わる。エネルゲンはなくなり、俺は便所に向かう。

規律、礼儀、チームワークなど運動部で学ぶことは色々あるが、補欠の人間は境遇そのまま卑屈になり、反体制のパンクスとなり、表舞台に選ばれなかった満たされない思いはインターネットに向かい、今日も飽きずにテキストをアップロードしている。

ワクチン2回目、便意から発熱へ…

2回目のワクチン接種が終ったが色んな人が噂する通りの副反応がなかなか発生せずあの日はもどかしくもスリリングな1日となった。

どのような副反応が起こるかは人それぞれとは聞いていたが大体半日~24時間以内に副反応が起きるのはほぼ間違いなさそうな情報に対し俺ときたらば24時間経過後もなんら異常がないので段々と自分の体にセンシティブにならざるをえず、多少普通よりダルかったり眠かったり便意があったりするその都度「このダルさ、いつもよりキレが違う!もしや副反応?」「この便意、ついに副反応!?」など些細なカラダの変化に一喜一憂するしか手立てがなく一応安全をみて会社を休んではいたがその実全くの無事で夕方まで平気な仕事をしていたほど。

夕方4時、2回目のワクチンが終ってから約1日半たった頃、ナチュラルな便意に導かれし俺は便座に鎮座しひと気張り入れんとしていたところであったがプロブレムが起きたのはまさに力をいれしその刹那、便を出さんとするその全エネルギーがなぜか左腕のまさにワクチンを打った個所に集まるようにゴゴゴゴゴゴゴと謎の脈動を始め「お、お尻の穴はそこじゃないが?」などクレームを出す間もなく左腕を起点にピキピキと筋肉の硬直、そして鈍痛が左腕全体、胸、首のあたりといった左半身に電波し心拍数が増えそのまま震えが始まり発熱し始めたのであった。(脅かすつもりはないが実はこの時の首筋の痛みがまだ残ったままである)

皆が口々に語り合う副反応が俺には来ないのかと半ば寂しさすら感じつつあったところだったのでついに訪れた高熱、震えに俺は甚く興奮し、なにか流行に乗れた嬉しさのようなものを感じつつも死期を悟った老猫のようにフラフラと便所から出て伏し目がちで何も言わずに寝室へ直行すると眠りの世界へ一直線。悪夢などもなくただたださわやかなほどのシンプルな高熱に2時間ガタガタ震えながら、しかし目が覚めると何事もなかったようにその熱は引いていた。勇者が伝説の剣を持つに値する者であるか神々からの試練を受けるかのように高熱との戦いに打ち勝った今2回目の接種を証明する無敵のカードがついに手元に。これがあるのとないのとでは行動や宿泊に対する制限度合いが大きく変わるのである。

アメリカにおけるワクチンの接種までの道のりは思いのほか簡単なもので、日ごろ通っている病院予約とは別に、近所のスーパーでワクチンが打てると聞きいつになるかは分からないがとりあえず予約をしておくかHP上で順番待ちの予約を入れたのが1か月前、それから特に何の努力も積極的な働きかけもなくごくごく自然に就労ビザでこの国に住む外国人の俺のもとにワクチンがやってきた。妻は近くの施設で今日打つ分が余っているから昼3時まで来たら打てると聞いてフラッと行って打ったのだが、同じような話はあちこちで日々聞こえてきてその様な手軽さがこの国の今のワクチン接種状況である。

どの程度今この国でワクチンが手軽に受けられるのか紹介しておこうと思うが、

 

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まずスーパーに入ると「ワクチンこちら」と書かれた案内に沿って店内のマイナー雑貨コーナーに列を作り、

 

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アクセサリー売り場の前に仮設で作られたワクチン受付け窓口に行くと、予約者の氏名を証明するID提示、そして保険に入っているかどうかを聞かれるのみ。

 

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ワクチン接種場はこの通り完全な婦人服売り場のど真ん中であり、ワクチンを打つ人と軽く雑談をしながら気づいたら打たれているというそういうノリ。待ち時間は殆どなし。

 

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ワクチンを打った後は15分間紳士服売り場に作られた待機所で待って、体調に変化がなければそのまま帰宅。色んな人種の皆々様が予約した順番に平等にワクチンを打って、ここに座り去っていく。

アメリカ人も今回のワクチンに対する慎重な姿勢から打たない選択をする人も少なくはないが、今徐々にスーパーやスポーツジムなど徐々にワクチン接種者はマスク不要、またはそもそもワクチン接種有無に関わらずマスク着用について何もルールを設けなくなるケースが増えている。こうなると難しくなるのがマスク着用の判断で、先日某在米日本企業団体のメールマガジンにはとうとう「州によってはマスクをすることがワクチン非接種や陽性者とみなされ警戒される」というマスクがマイノリティであったかつてのアメリカに戻りつつある記述が出てきて、これを聞く限りはマスク有無で今後もめ事が起こりそうだし今打つか悩んでいる人も周囲の状況におされ打とうとする一つの理由になるかもしれない。 

最後になるが、ともかくワクチンを打った者としてこれからワクチンを打つ人には必ず2回目の翌日は休みにした方が良い事だけはお伝えしておきたい。

腰痛ようやく完治

腰痛と闘っていた。治るまで約10日間という今までで一番長い腰痛。いやあ過去最悪の腰痛でしたわと総括しようと思ったところで「お前が過去最高齢で腰痛になっただけなのですが…」という事実に気づき悲しい気持ちになった。お年を召しているので今後の腰痛はこれくらい長きにわたって完治しないか、もっと程度がひどくなるのだろう。嫌すぎる。

腰痛になった直後ネットで腰痛の治し方を調べていたらやたらと「ヘルニアでない限り、安静にするのはもう古い!」的な腰痛最前線のアドバイスが目について驚いたものだが、曰く安静にするより痛み止めなどを飲んででも頑張って動かした方が早く治りやすいと、そういうのである。また安静にしすぎる事で腰痛への恐怖心が高まり、筋力低下だけではないそのメンタルへの悪影響、そしてそれが及ぼす完治スピードのデータなども割とあちこちで言及されており何だか時代が変わったものだ、へえそうですかと感心した次第。

とはいえ動かせば痛いものは痛く、その腰をかばいながら歩くさまを家族から「人類誕生の図の途中の人」と呼ばれたり、別の日には「能楽」次の日には「ロボット」と腰痛を持ちし者が必ず呼ばれる腰痛ニックネームで呼ばれるなどして人が二足歩行を獲得し、文化を得て、技術を高めるまでの歴史を体現したような気持ち。俺はとにかくこのようにして腰痛と闘っていたのである。

腰痛になった直接的な理由は次男が自転車の補助輪を外したいというので土日付き合ったことである。ギックリ腰と言っていいのだろうか。小さい自転車の後ろから中腰で支え何度もその姿勢のまま小走りを繰り返すうちに腰痛アラームが鳴り始めたがそれを無視していると腰に激痛、目がバッテンになりその場にへたり込んだその刹那、次男は「やったー」と言いながら補助輪のない自転車で遥か彼方ガンダーラを目指して旅立っていった。あばよである。歩けなくなった瀕死のジジイの周りを次男が嬉しそうに自転車でぐるぐる回る様はフランダースの犬の最終回のよう。違いがあるとしたらこのジジイは働き盛りで腰以外ピンピンしていることぐらいである。

次男が無事自転車に乗れるようになった瞬間、つまり俺が腰痛になった瞬間を撮影した悲しいハプニング動画を見るといかにも腰痛になりたくてやっているとしか思えない腰に悪そうな中腰のひょうきんな動きをしている小太りのジジイがそれを数回繰り返した後に「アウーー!」と無様に叫びながら膝から崩れ落ちる見るに堪えない光景が映し出されていた。そしてその屍を燃料にするかのようにスイーと彼方へ走り出す次男の笑顔の後ろでマーメイドのような感じで足を折りたたみ満足そうに眺める腰痛で歩けないオッサンの嬉しそうな顔ときたらどうですか。

腰痛との付き合いも10年以上となるがまともに病院で診てもらったことがない。思えば腰痛の他に10代の頃にやってしまった足の捻挫も手首の異常も治さずに今に至っているが今でもしっかりと痛みが残っており時折生活に支障が出るほどである。こういうのってナメてると一生付きまとうので気が向いたときに一つ一つ治していかねばならんなと改めて決意した次第であった。