暗闇の中俺たちはただ手探りで

男子高校生においては男女交際のルールやノウハウといったものは殆ど教育、または継承、さらに共有などもされることがなく特に情報を得る手段が年長者の口承、説話以外では書籍、雑誌からしかでしかありえなかった俺の高校時代においては各自が数少ない情報の中から選択したよかれと思う事を自己流で試みるしかないという有様で、それはときに失敗や悲劇の温床と化していた。

今であればネットで調べればこうすべきああすべきと情報はインターネットを介して現れることであろうし、SNSには今日も男子が犯した男女間での失笑モノのミステイクがまるでアマゾンレビューのように利用者の生の声としてシェアされ目についてしまう時代。むしろ情報が多いことで男女交際はこうあるべきというよりこれはやるなの減点方式化が進み現代の若者は身動きが取れないかもしれない。

自分が男子高校生だった時には女性との付き合い方を知るには殆ど雑誌しかなかった。立ち読みしたファッション雑誌の白黒ページには「女の子が好きなファッションはこれだ!」というファッションに絡めた話から派生し「女は男のこういう仕草に弱い!」といった応用テクから「初エッチではこうしろ」というその一歩先のガンダーラまでを見据えた男女交際の様々な教材が俺たちを導き、煽り、時に悩ませたものである。しかし情報の少なさはある意味可能性を無限大にし、またあらゆる事象はその当事者である男女の間に留まり、広められるべき成功談も共有されなければ失敗談もまたクローズドなままであり、したがって各地では珍プレイが度々発生したものである。

俺の友人は「女性は車道側を歩かせてはならない」という神の教えを胸にデートに挑み、本来であれば「女子がキュンとなる気遣い」のはずのものを強く意識するあまり完全に捉え違いし、車道を歩く女子を睨みつけ「車道をあるくんじゃない!」など激しく叱り飛ばしたことで有名だが、彼の中で車道側を歩くのは失礼という形で何かマナーの類に昇華されたかして勘違いがあったことは確かで、このようにあの頃の我々の視野は狭くまた視界は限りなく不明瞭、それは真っ暗な洞窟の中を不安な気持ちで進む探検隊なのであって僅かに漏れ出てくる光や音を自分なりに解釈し前に進むしかなかったのである。

僭越ながらおマセでならしていたボクも高校1年生の時に彼女が出来、その2回目ぐらいのデートで図書館に来館している折、忘れもしない不意に「息スッキリ」と書かれたガムを彼女に渡されときのことである。今思えば先方には特になんら意図はなかったのであろうが関連する文献を読み漁りすぎてすっかり頭でっかちとなっていた俺は、そもそも待ち合わせの時に彼女が履いてきた靴がコンバースの青だったことから地元に伝わる説話「デートに青いアイテムを入れてくる女は内に秘めた性欲を青で抑えようとしている」という極めて不安定かつ無責任なインフォメーションで動揺し、彼女のすべての行動を性に結び付けパニックになっていたところに「息スッキリ」ときたもんだ。

「女性からガムを受け取った男性がそれを噛んだのにキスをしなければ大変な失礼にあたる」

そんなルールがあったかどうかは知らないが何となくそれっぽい事が経典には、説明書には書いてあったような気がしてならなかった。小道具に秘められた女の子の気持ちについてもっとしっかり学習すべきだったと後悔し、異なる文化を持つ異民族を見るような手探りの状態で完全なる深読みをした結果、ガムを貰って以降は急激に口数を減らし汗まみれの手のひらでグッとガムを掴み最後まで食べずに図書館を後にしたのであった。

帰りの自転車にはその日の出来事を思い出して恥ずかしくなり「アー、セックスセックス」と大声で叫ぶ高校生の俺が乗っていた。