無職になった日の朝

25歳の春、2年務めた築地市場の青果部門で働くのをやめ無職になった。

「彼女からも毎日朝早いし土日も休みがないので辞めてほしいと言われまして」

いざ理由を述べる際、上司に向かい、辞める理由として極めて賢くない話をしてしまったことで案の定俺は付き合っていた彼女共々会社の偉い人に呼び出され、銀座のレストランで食事をしながらの説得を受けてしまった。

最終的には「普通の仕事がしたい」という若さゆえに出た残酷な本音の前には「ああ、そう…」と説得のトーンも下がり、そもそも呼び出された彼女が勝手に退職のキーマンにされてこの場に呼ばれたことに迷惑そうな顔をしていたことなどもあり、なんとか無事に辞めることが出来た。

最終出社日に送別会が開かれると、従来朴訥でその当時あまり職場では喜怒哀楽をはっきりと見せなかった俺が最後に挨拶したときに声を詰まらせ涙を流していたことが職場の皆様を大いに喜ばせ、3次会までほぼ全員が参加するというたかだか2年目の社員の送別会にしては妙な盛り上がりを見せたのを覚えているが、その実、半年間ろくに休めなかったこの職場をついに辞めるとなった安堵感、このままこの辛い生活を一生続けるかもしれない不安や少なからずあったこんなはずじゃなかったという後悔など、到底今目の前で盛り上がっている人々に堂々と言えようはずもない失礼な考えが頭の中を巡った結果のものであった。

「またいつでも戻ってこいよ…」

それだけはマジでご勘弁くださいと思ったが、あの涙が理由となり最終的には元職場の皆々様には好印象だけを残し円満に辞めていく恰好となり、背景はともかく後味の良い形で辞められたことを自分ながら満足していた。

俺の少し前にも同じようにこの職場を辞めた人が同じように送別会をしてもらい、ようやく辞めることが出来たという解放感から鯨飲したその帰りに電車に接触し亡くなるというめちゃくちゃに痛ましい事故があったこともあり、俺がそうならぬよう会の終りにはやたらと厳重な見送りと、「死ぬなよ」という生々しい別れの挨拶。「戻ってこい」「死ぬな」そのような物騒な別れの挨拶を色んな人から投げられる涙目の若者を何事かと振り返る歩行者。こいつ戦場に行くのかと。

翌朝からはもう早朝暗闇の中で起きる必要もあの埃だらけの小汚い現場で汚れ仕事をしなくて良いのだと、死ぬなよという声を背中で受けながら帰宅し久しぶりに何の気兼ねもなく布団に入る。翌朝は2年間の習慣にたたき起こされ早朝4時、早起きしても何も起きない無職の初日を朝日ののぼる前の暗闇の中、ぼんやり孤独に迎えたものであった。昨日まで沢山の人に囲まれてゴチャゴチャして、悩みがあって、負荷を感じていた。それが今は一人である。無職である。

朝8時。築地は朝イチの仕事を終えている頃である。何もすることが思いつかず、3階の窓から下を見下ろすとマンションの人々が出勤していくのが見える。それを見ながら仕事辞めたんだなという気持ちとこれから自分に待っているもののことを考えていた。