今でも米が炊けるまでの時間を2時間ぐらいだと見積もってしまう

なぜか分からないが米が炊ける時間を実際より長く見積もってしまう。何となく「2時間ぐらいか…」などと思い込んでしまうのである。

いざ炊いてみると30分ほど、それは毎回炊いた後に「そういえばそうでしたね」と分かってしまうのだが、また次の機会になると「米が炊けるまでの時間というのは!とても長い時間なのである!」という強い錯覚から逃れることが出来ない。ものの30分ほどで炊けることは何百回も米を早炊きした豊富な経験から知っているのに、、なぜ俺は米を炊こうとする直前、そのとき見積もってしまう時間というのが果てしなく長い、時間で言うと2時間ほどになってしまうのだろうか。

「米を炊くのは一苦労、炊けるまでかなり待つ」

それはかつて子供の頃、母親が米を研いで炊飯器を押して炊きあがるまでの時間を2時間ぐらいに感じていた名残なのであろうか。食事の直前になって「アッ、米を炊くのを忘れた」など母親が言った時にはウワー終わりだー的なある種の絶望めいた感情が食卓を包んでいたような気がするし、今でも夕食の直前に米の炊き忘れに気づいたときにはあの頃と同じように嗚呼終わったという気持ちにもなるというものである。

最初の印象、特に苦手意識は何をやっても覆らずずっと続くものである。例えば仕事では入社して最初の上司はずっと怖いし、若いころ仕事で失敗した取引先は経験を積んでもずっと苦手意識は変わらず、アメリカに来て初めて一人で出張した街はその時の緊張感が毎回再現される。

初めて米を炊くのを手伝った時、研ぎかたの細かさ、水を何度も入れ替えたり厳密な水の量の見極めと言った面倒なアレコレにまず果てしない面倒さを感じ、それらをを経てスイッチを押したあとだからこそ殊更に炊き上がりを待つ時間がとてつもなく長かったような気がする。スイッチを押したはずの炊飯器はというと、さながらコンクラーヴェの煙のように、、「炊けることが決まりました」とそれっぽい白い湯気こそ出してはくれるが米があと何分で炊けるかという重要なインフォメーションはというと残り10分前になるまで一切秘密にしていたからである。

「炊飯器にすら米が炊ける時間は10分前になるまで分からない」

10分まで迄知らせないことを、俺は「炊飯器にすら分からない」と解釈していたのかもしれない。米を炊くのは繊細な作業。水の量、米の状態といった様々な要因が決める儀式めいたもの。この炊ける時間に関する「謎」が妙に米が炊けるまでの時間を神秘的に、そして曖昧にし結果2時間ぐらいかかっているような錯覚を起こさせるのかもしれない。いやそういえば確かに、今でさえ経験や統計的に30分ほどで炊けることが多いという事が単に分かってきただけで実際には米が炊ける時間というのはいまだ謎であり、そこに2時間の可能性を孕んでいる以上、今後もこの米を炊く時間を長く見積もってしまう奇病が治ることはないのかもしれない。

つーわけですが、俺と同じような米が炊ける時間が異様に長いものだと思い込むこの感覚が分かる人が居たら教えて欲しいものである。

スラムダンクを読み中学のバスケ部を思い出す

スラムダンクを全巻借りてきたのをきっかけに中学のバスケ部だった頃の事を色々と思い出していた。バスケットを始めたての小学から中学生の頃によく読んでいたからである。改めて読むとスラムダンクは万人受けと玄人受けのバランスを攻めた素晴らしい漫画で今も広く愛される理由もわかるというものである。

スポーツ経験でいうと最初は野球。兄弟で近所の少年野球に入っていたがプロパンガスの配達をしているおじさんが監督で、後に中学生が入店するとやたら万引きを警戒して近づいてくるヤツだと分かった小さな街のスポーツショップ経営者が当時のコーチで、あとは時々やってくる普段何をしているかわかんないけどいつもブチ切れて高いフライを打つオッサン、チームはこれらの者による意味の分からないシゴキめいた練習が多く、また若干治安の悪い地域の性格の悪い少年が多かったことから比較的City方面から来たお行儀のよい俺たち兄弟にやたらちょっかいを出してきたことなどもあり、まず兄が嫌になって辞めるとともに俺もやめ、そして申し訳ないが今でも野球というスポーツがいまだにあまり好きではないのは父親がプロ野球の放送を見て大嫌いな巨人が負けるたびに子供に当たり散らしたりなどととセットで自分自身の野球経験に根付いているのだろうと思う。

兄の影響を受けやすい少年だったので兄がスラムダンクとバスケ部に入っていた従兄弟に影響を受けバスケットを始めると俺もそれに続き小学5年生あたりから一人でひたすらバスケットの練習をしていた。当時日曜の朝10時ぐらいからNBA情報を放送するテレビ番組がありそれで更にバスケットというスポーツの魅力に取りつかれると「俺はプロになる」と日本にプロは無かったがそういう気持ちにもなり中学入学前までにひたすら家の前でシュート練習を黙々と繰り返し、中学入学後は周りが小学校でミニバスケット経験者だった中でも割と俺の方が上手かったりして多分調子にのって小ばかにしているように見えたのかハヤト君というめちゃくちゃ下手クソだけどもボスキャラみたいな性格の悪い少年に嫌われてしまい、よくあるあいつと口をきくな状態になると孤独に部活と家でバスケットを練習するストイックな少年と化してしまった。

そんなわけでこの頃は友達がいなくなってしまったので土日は部活がない日も一人で大好きなバスケットをする為にバスケットリングのある場所を求めて自転車で1時間とか、時には知らない美容室の駐車場に「西海岸!」的なオシャレ目的で設置されたリングに向かって勝手にシュート練習を始めてこらこらこれはオシャレ目的だからダメだよなど注意されたり、市民体育館が僅か50円払えばフロアを利用できると聞いてはその半面を一人で借り切って、雨でコートが使えないからと元々全面使って練習していた20人ほどの隣の中学校の女子テニス部をどかせて、一人のシュート練習の為だけに半面を20人ぐらいで使う羽目になった女子たちから冷たい視線を浴びながら淡々とシュート練習を繰り返したりもしたものである。とにかく中学生の頃は自業自得でグレた三井なんかより何倍もバスケットがしたくてたまらなかったのです。

俺をハブるよう指示していたバスケはめちゃくちゃ下手クソだけどやたらグループを仕切っていたハヤト君が2年の春に佐世保の中学校に転校し、同じタイミングでその夏3年生が中体連で敗退すると俺は練習態度が真面目だったこともあり副キャプテンになりスタメンとして試合に出るようになっていた。しかしながら、井出という教師がその同じ年に顧問になると彼とソリが合わなかったというか、小柄なのに無駄にバネがあって鼻がイチゴのようにブツブツであるばかりか、バスケは素人のくせに自分がちっちゃいが為に子供に対して妙に高圧的なことなど、とにかくこの男の全てが嫌いだった俺はそれが顔に出ちゃったのか、お前の事が嫌いだよという俺の言霊は井出がしっかりと受けとめスタメンどころか副キャプテンまではく奪という当時の中学生にとっての童貞以外の全てを奪われ、ベンチでいじけて井出を含むこの世界の全てをイジる性根の腐ったイジケ中学生と化してしまった。

後に井出がかなり遠い親戚だという事を知ってド・ヤンキーになるところであったが、この井出も早く居なくなれという俺の言霊もしっかりと受け止めてくれたのか3年の春に副顧問に格下げされ、顧問は市内の強豪校から異動でやってきた坂井先生という俺に本当のバスケットを初めて教えてくれた心の支障と出会うことになるのである。

教師で今も先生をつけ続けるのは坂井先生ぐらいである。小学、中学、そしてのちの高校に至るまで、自主連かクソの顧問各位のひどい指導しか経験しなかった俺が人生の中できちんとバスケットを習ったのは恐らく坂井先生がやってきてから引退するまでの僅か3か月ほど。練習はハードであったが具体的で実践的だった。チームは試合に勝てるようになり俺を得点源としてスタメンとして使い続けてくれた。本当に楽しかった。

坂井先生とは中学のバスケ部引退後に2度会ったが、1度目は高校の部活の試合、先生は俺の出た試合の審判として見守ってくれたが高校では補欠で、中学で指導してくれた先生の前でカッコつけたくてうまくやろうと力んで全くダメだった。2回目は大学生の時。正月に帰省した折に地元の歓楽街の中華料理屋で飲んでいたらベロンベロンの坂井先生が店内に入って来たときである。この店に来る前に寄った、平たく言うと景品が全てアダルトビデオのゲームセンターにあるセクシーな女性映像とジャンケンするマシーンでガンガンに勝ちまくって獲得した7本のアダルトビデオを、俺に本当のバスケットを教えてくれたお礼にと先生に渡すとベロンベロンの先生はとても喜んでその中のよさそうなもの4本を快く受け取ってくれた。教師で今も先生とつけ続けるのは坂井先生ぐらいなものですから、俺はアダルトビデオを先生に渡しながら「先生」、「坂井先生」というと「ビデオのときは先生っていうな!」というひょうきんなシャウトをなさい、色んな事があったが「ビデオのとき」というMiyaviな表現をされたこの先生にバスケットを教えてもらえたことを本当にうれしく思った。

坂井先生の指導の集大成である中体連の市の大会の試合前、俺たちは当時副顧問であったただの小さいオジサン、井出に突然呼ばれ体育館横に並ばされた。バスケ素人の井出は副顧問になってから部活内で殆ど発言する機会もなく元々小さかった身長も僅か12㎝になっていた。

井出は神妙な表情でかつての教え子たちを前にこう語りだした。

「お前たちは俺が指導していたときはもっと生き生きしていた。」

イントロ以外のその先は覚えていないがとにかく今や身長が12cmなので目視は出来ず、とにかく間違って井出先生を踏まないようにと部員の皆は気を付けてその場を去り試合に臨んだ。

昨日の夜、スラムダンクを貸してくれた人に誘われて久しぶりにバスケットをやった。バテて何も出来ず突き指をしケツを打撲し満身創痍だったが楽しくて、中学校の時に起きていたそういう出来事たちのことを思い出していた。

俺たちの中にあるそれぞれの"仏の道"…

オリンピックの開会式を家族でぼんやり眺めていたときのこと。東北のお盆の映像が流れたときにチラっと映った人の顔を見て子供が「昔の祭りをやっているのに眼鏡をかけている人がいるのが変だ」という反応をしたのを聞いて≪フフフ、その気持ちを大事にしなさい≫と父親は目を閉じコクリと頷き聞いていた。

そう、これはいわゆるお盆のスクーター僧侶現象である。第三者が勝手に〇〇はこうあるべきと決めつけ、こうあってほしいと願う気持ちから勝手に違和感を抱く現象。僧侶にはどんなに遠くても徒歩で移動してほしい、僧侶は目が悪くなっても眼鏡などかけず我慢して裸眼で過ごしてほしい。

「いやあ、だってそれが”仏の道"ってもんでしょうがい?」

知らないくせに勝手にこうであるに違いないと決めつける俺たちの考える仏の道。禁欲、俗世離れを期待してしまうのは世界まる見えテレビ特捜部で見た小乗仏教の僧侶の影響か。あの番組で形成される俺たちの僧侶観。

若いころは日本の仏教より何となくいろいろ厳しそうな、つまり厳しさの最高峰と思っていたチベット仏教ダライ・ラマがなんとあの”眼鏡”をかけて来日してきたときは何かしらんがエッとなってしまったし、更にダライ・ラマがあの”飛行機”に乗って来たのだという追加情報を聞いたときは「エエっ?!”仏の道”的にそれって大丈夫なん?」と勝手に作ったホトケ・ロードからのコースアウトを心配してしまったものである。何となくダライ・ラマは帆船とかで風にのって乗ってやってくるのではと思ったのは遥か昔の社会の授業で習った鑑真の影響かもしれない。

さかのぼれば俺も自分の子供と同じぐらいの頃、祖先の墓参りに行ったとき、僧侶からのお言葉的なやつで出てきた茶菓子がチーズおかきだった時に何かわからんが≪罰当たりなのでは≫という子供なりの大胆かつザックリとした罰当たり判定が出たものである。決して食いたくはないが野草などで出来た饅頭などが出てほしかったからである。

時代は変わり、最近では僧侶もPC、スマホを操りインターネットで発信する時代。

「僧侶なら紙に筆で書いたものを街頭にて配布するもんでしょうがい?」

SNSで見るが、寺の掲示板で競うようにポップソングの歌詞や若者にも身近な名言などを引用した「おもしろお言葉」を掲示してことごとくおバズりになる住職が多いのも、結局人々の中にスクーター僧侶的な感覚があってそのギャップから生まれるおもしろさかもしれず(身近にあるはずなのに存在するその距離を埋めるためにああいった身近な言葉がピックアップされているのかもしれないが)、しかし案の定おバズりになったツイートなどを喜び味を占めてガンガン他人の歌詞などを無断引用する僧侶を見て≪罰当たりなのでは≫と思うのはそれは確実に正しいので皆さんその気持ちは忘れずにどうかそういうバズに魅せられし掲示板芸人などは甘やかさんように厳しい目でみてあげてください。それが俺たちを正しい仏の道(ホトケ・ロード)へ導くものだから…。

コーヒーフィルターのサイズを何故か毎回間違って買ってしまう

コーヒーぐらいしか娯楽がなく朝起きると誰もいないキッチンでゴソゴソと、5、6年前何かのポイントを使いタダで貰ったデロンギのコーヒーメーカーに向かい厳粛な面持ちでコーヒーの粉を入れて会社にもっていくカップ2杯分のコーヒーを作るのが毎朝の日課である。

毎日飲む為コーヒーの粉以外の消耗品もそれなりの頻度で購入するのだが、たまにコーヒーフィルターを自分で買いに行くと必ず手持ちのマシンに合わない一つ大きなサイズのモノを買ってしまうことが多く妻にバカにされる俺である。♯4という大きな紙フィルター、家に持ち帰ると笑えるくらいにデカい。恥ずかしいデカさである。ああまた買っちゃった、前回違ったのにまたである。ボケちゃったのかなと思うほどにまた違う。デカくてイライラする。

自信がなければ例えば現物を持っていくとか、そうでなくても元々きちんと調べていくなりメモするなり、気がかりなことがあったら家に連絡するなりと色々と再発防止としてやりようがあるはずだがなぜか決まってスーパーには完全なる手ぶらで行きコーヒーフィルター売り場に着くとその場でハッとして♯2だったか♯4だったかとうろたえ、結構な時間かけて悩み抜き、そして「これだ!」と半ばギャンブル気味に♯4を買って帰ってはそのギャンブルに負ける日々。なぜか俺はいっつも大きい方の♯4を買ってしまう。まあ大は小を兼ねるから負けではないし、その実大きいフィルターはマシンに取りつかないわけではなくただ折ったり畳んだり、若干取付に時間がかかり、更に時々うまくコーヒーが出来ない事がありスゲーイライラする程度である。

 

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先日キッチンの誰もいないテーブルに座り、この間違って買ってしまった♯4サイズのフィルターにチョキチョキとハサミを入れマシンに合うサイズに改造しようと一人手直しの作業をしていたら妻が来て「何も見ずに適当に切って分かるのか、そんな具合だから」といったたぐいの注意を受けたので職人然としたすまし顔で返して曰く「何年も使っているので見なくてもわかる。」そう言ったところで自己矛盾が発生し恥ずかしくなり素直に謝ることとした。次は負けない。必ず勝つ。

あと5㎏痩せたいのです

温かくなった5か月前から欠かさず近所を走る小太りの青年を毎朝通勤中にぼんやりと眺めていたが恐ろしいほどに一生懸命に走っているが恐ろしいほど全く痩せる気配がなくむしろどんどん太りゆく彼を眺めながら走った後はさぞかしメシが美味いんやろなホッホッホ、ッシャー俺も負けてらんねぇな、など安心して趣味のメシ食いに精を出していたのが数か月前。コロナで俄然メシが美味くなったのもあってか気づくと体重は記憶している在りし日のレギュラー体重より10㎏増えており、ある日ついに腰痛や膝痛などといった分かりやすい攻撃をもって俺のボディを攻めてきた。

今までは「体重増の原因は筋肉がついたから!」という自分に都合の良いポジティブな理由を持ち出して見過ごしていた過去一番の体重増であったが、先日写真に写った自分の姿が完全にパ・リーグとかでめちゃくちゃホームランを打って先発投手を援護しそうな色黒のキャッチャー体形(平たく言うと元ロッテの里崎)で同じ野球界で例えると野茂英雄ばりの食材としての身の付きの具合で宇宙人がせめて来たら真っ先に食べられちゃうのではという意味での命の危険を感じ2年ぶりの健康診断を前にきちんと痩せることにした次第。

現実を直視せず行動を起こさないのがデブの得意技であるが、それよりもっと得意なインターネットで「なぜ太るのか」と素人級のストレート検索ワードで調べるとどこぞの女子栄養大学のHPで簡単な肥満理由チェックなるものがカムアップしてきて、その結果には端的に言うと「食いすぎです」という忌憚のないご意見が出てきたのでPCの前で深々とお辞儀し、早々とやるべき行動が定まった格好。

「前々から食いすぎだと思っていたが唯一の趣味のようだったので止められなかった」と食事の量を減らすことにすると宣言した俺に妻はそう言い、はい、まさにその通りだったので「その趣味を捨てます」とカッコよく伝え、朝食にはリンゴしか食わず昼飯にはサラダなどという今までなら霞に飽きた仙人の食い物と断じていたようなものを食べ、晩飯のライスは減らし適度に運動などをして1か月過ごすといとも簡単に5㎏痩せていた。いつしか家族に「タニシ」と呼ばれ、前日の晩飯の残りを翌朝朝食として片付けていた水槽のお掃除屋さんですがこのようなタニシ行為も今後はやめである。

その実、食事制限だけで痩せるのはなかなか厳しく昼休みも今までは飯を食いながら仕事しっぱなしだったものをやめ、会社のビルの周囲をウォーキングすることにしたがそれをやり始めて同じような数名のデブが同じように大きくもないビルの周辺をグルグルと回転している事を知り、その小さなとても小さな円を描く回遊デブの行列の中に伏し目がちで参加してはここから抜け出さなければと誓った1か月だった。

元ヤンキーが更生しただけで賞賛されるときの違和感しかり、元が異常体重男性だっただけなのに多少痩せたとたん天下を取ったように偉そうに痩せる方法とか更には健康にまで言及したがるのがデブの悪い癖でこれは取り締まり、逮捕監禁する必要もありますが、それでも獄中から言わせていただきたいのが今はただこの方法を信じて突っ走り残り5㎏を痩せ抜きたいという、そのことだけである。皆さん応援よろしくお願いします。